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第十一話 猿の里

朝焼けに染まる森の中、細い獣道を一行は黙々と進んでいた。斜面を登っては、またすぐに降りる。


時折、茂吉は木に登り、追手がいないかを確認した。


やがて、小さな小川が現れる。「ここで休憩だ」という茂吉の声で、宵乃は川辺へくだり、冷たい水を手ですくい喉を潤した。


そのときだった──


木の枝が激しく揺れ、一頭の猿が目の前に姿を現した。すぐさま、もう一頭が反対の枝に飛び移ってくる。二頭は歯を剥き、唸るような声をあげる。


「猿だ……」と宵乃が立ち上がる。


猿たちは敵意を隠そうともせず、枝の上から睨みつけてくる。


すると、茂吉が一歩前に出た。


「おいおい、俺の顔くらい、覚えとけよな」


茂吉が、猿たちに向かって、声音を変えて何かを話しかけた。


猿たちは一瞬だけ目を細め、すぐにぴたりと威嚇をやめた。やがて枝から枝へと姿を消していく。


「……ようやく、飛賀ひがの里の縄張りに入った」


「猿が、見張りか……。なるほど、飛賀の里、人呼んで“猿の里”か」と日野介。


「えっ……」と宵乃は思わず口をつぐむ。


(そんなこと知らなかった)


「ここにいる猿たちは、俺たちの仲間、というか家族みたいなもんだ。侵入者がいれば、まず彼らが知らせてくれる」


茂吉は肩を回しながら、どこか誇らしげに言った。



しばらく川沿い進むと、開けた土地に出た。


簡素な鳥居をくぐると、そこには、四軒の美しい民家が並んでいた。板張りの縁側、清掃された庭先、見事に手入れされた田畑。どの家も人の気配がなく静まり返っているのに、不思議と荒れた様子はない。


清流の音と、咲き誇る花の香りが心地よい。宵乃は立ち止まり、空気を吸い込んだ。だが──


(……ここには、“死”の匂いがある)


ここは、かつて多くの人が命を落とした場所だ。


「ここが……飛賀の里?思ったより、こぢんまりしてるな」


日野介が、ぽつりとつぶやいたそのとき──


一軒の民家から、老婆がゆっくりと現れた。


頭に手拭い、粗末な着物。だが声はしっかりとしている。


「……ようこそ、おいでなさいました。お疲れでしょう。こちらへ」


老婆はゆっくりと微笑み、手で家の中を指し示した。





室内はよく磨かれ、木の香りがかすかに漂っている。

宵乃は、ふと空間に宿る気配に気づく。ここは、薄く結界が張られている。


「すぐに、お迎えの者が参ります」


「お迎え……?」


日野介が怪訝な顔をする。


「この里は、外からの者に対しては、特に慎重でしてな。宵乃殿以外の方はここでお待ちいただくことになります」


と老婆が言った。


「宵乃殿の話は通っている。しかし、俺たちはここで待機だ。すまないが、……それが、飛賀のやり方なんだ」


と茂吉が補足するように言った。


宵乃は困惑を隠せない。ここからは一人。ここまで一緒にきてくれた日野介に申し訳ない気持ちだ。


「私も、一度里を出た者。戻る資格はもうないんだ」


茂吉は少し寂しそうに言う。


「せっかくここまで来たってのにな」


日野介が小さくぼやいた。





カラン、と襖の向こうから音がした。


現れたのは、紫の忍び装束をまとった若い女性だった。きりりと引き締まった顔立ち。口元に笑みを浮かべながら、宵乃に一礼する。


だが、いきなり、後ろに飛びのいた。右手には小刀を持っている。女は、部屋の奥にじっと座っている老人──カナギに注がれている。


「妖のもの……!」


「コモリ、客人に失礼だぞ!」


ピシャリと茂吉が言う。


「ですが、……とてつもない妖気を内に秘めております」


「この方がいなければ、私たちは全滅していた」


と茂吉は言った。


宵乃は、「よく、気づいたな」と思った。宵乃の施した封印で、妖気は表に一切漏れていないはず。だが、カナギを同行させているのは私にも責任がある。


「私が責任を持ちます。ここで封印を解くことはしません」


「ですが、あなたがもし封印を解いたら……」


「コモリ、出過ぎた真似を。これは遠山様の命。そしておかしらの命でもある」


「……失礼しました」


一瞬の判断を悔いるように、コモリは唇をかみしめた。


「……目を曇らせたのは私。申し訳ありません。宵乃様に、改めて敬意を。私の名は“コモリ”。宵乃様、遠路はるばるよくぞお越しくださいました。」


コモリは宵乃に深々を頭を下げた。


彼女は日野介と老人──カナギに向き直り、もう一度丁寧に頭を下げた。


「お二人はこちらで旅の疲れを癒してください。まもなくお風呂とお食事をご用意いたします」


コモリは懐から小さな木の箱を取り出した。


「それと、日野介様に、お頭より差し上げものです」


不思議そうな顔でその箱を受け取ったあと、日野介は声をあげる。


「どうして俺の名を」


「情報収集が忍びの第一ですから」と茂吉は笑った。





宵乃はコモリに続いて、集落の中を歩く。コモリは風のように歩く。足音はしない。忍びとして訓練を受けているのだろう。


墓石が並ぶお墓に着いた。墓石の一つを、コモリが動かす。現れたのは、地下へと続く石階段。


「足元にお気をつけください」


いつの間にか、手に松明を灯していたコモリが、暗い階段を先導する。冷たい石の通路を抜けると、そこはさらに深い森の中だった。


木々の間に、無数の猿の気配。見守るように枝の上に留まり、何かを見張っている。


しばらく進むと、開けた広場に出た。中央には巨大な石が組まれた祭壇のようなものがある。周囲の木の上に、木で組んだ家々が、まるで鳥の巣のように並んでいた。宵乃は気づいた。やはり、ここにも結界が張ってある。二重にも、三重にも。


「私たちは、先祖代々、木の上で暮らしています」


コモリが静かに言った。


「生まれてから十歳になるまでは、地面に足をつけることはできません。子供の時、木の上で、猿と一緒に遊び、生活することで、忍びとしての素養を養うのです」




最も高い一本の木。その上の家へと、縄のはしごで登る。


木造の扉が中から、ひっそりと開く。


現れたのは──病に蝕まれた男だった。男の横に6歳くらいの少年が仕えている。


目の前の男の顔は、まるで赤く腫れた仮面のようだった。皮膚の下で、何かが膨れ上がっているようにすら見える。目だけが、異様なほど静かで、深く澄んでいた。


「……みにくい姿で驚いただろう。飛賀の里のかしら猿渡巌十郎さるわたりがんじゅうろうだ。皆、わしのことを猿翁さるおうと呼ぶ」


「コモリ、下がってよい」


「はっ」とコモリは音もなく出ていった。


「宵乃殿。話は聞いておる。遠慮なく、そこへ」


少年が運んできたお茶を宵乃が受け取ると、猿翁さるおうはゆっくりと語り出した。


「わしは呪いの術にかかっておる。体に水が溜まり、力が入らん。薬草で抑えてはおるが……余命、そう長くはない」


静かな口調。だが、その言葉のひとつひとつは重たかった。


「……さて、早速本題に入ろう。“黒衣こくえの者”についてだが……」


猿翁は静かに語り始めた。


「“黒衣こくえの者”──


近年、急速に姿を現し、広がりを見せている異質な集団だ。


構成員には、かつて忍びとして国に仕えた者たち、封術を操る陰陽師の末裔──

それに、異国から来た者の血を引く者どもも混じっていると聞く。


元は“宣教師”を名乗り、この国に異教と共に異なる呪術を持ち込んだ者たち……

その一部が、今や陰で企みを巡らせておる。


だが──連中の正体や出自のすべてを、わしですら掴みきれてはおらん」


猿翁はひと呼吸おいた。声の調子が低くなる。


「……やつらの力は、“金”だけではない。

術をもって、人の心を縛り、意志をねじ曲げる。


君もすでに知っているはずだ。

あちこちで、結界が破られ、封印されていた妖が目を覚ましている。

あれは偶然ではない──黒衣の者どもの“意志”だ」


猿翁は視線を宵乃に向け、


「……奴らの目的が、わかるか?」


宵乃はクビを振る。


「奴らの目的は、この国を内側から滅ぼすことだ。すでに国が、崩れ始めている」


(国を内側から滅ぼす? そんな、信じたくない……)


宵乃は、心の中で否定するように首を振った。



──そのとき、再びコモリが現れた。


猿翁の耳元で何かを告げようとするが、猿翁が手を上げて制す。


「構わん。この娘も聞くべき話だろう」


コモリは、小さく頷いた。


「……千代田ちよだの軍勢が、嵩原たけはらの軍を滅ぼしました。遠山様も──討ち死されたとのこと……」


(……遠山様まで……。まさか……)


宵乃は、目の前の空間が遠のいた気がした。

膝が崩れそうになるのを、必死に堪えた。


――国が、崩れ始めている。


宵乃は、ただ黙って拳を握った。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました!


今回は、忍びの頭領・猿翁との話を中心に書きました。宵乃が追う、黒衣のものの姿が見えてきました。

少しでも楽しんでいただけたなら、とても嬉しいです。


✉️感想・評価・ブックマークなど、いただけると本当に励みになります!


次回は、新しい旅が始まります。

どうぞ、引き続きよろしくお願いいたします!

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