横断歩道、誰も見てなくても信号守る?守らない?
心の中には、勝手にインストールされてるアプリがあります。常に通知を送ってくる、でもたまに動作が不安定な、そんなアプリ。それが「良心」です。
実は、この文章を書いている今も「良心について語るなんて、ちょっと説教くさくない?」という内なる声と格闘しています。でも安心してください。「正しさ」を教えようなんて大それたことは考えていません。だって私の「正しさセンサー」だって、どこかのテレビCMや親の小言から組み立てられたものかもしれないのですから。
<良心:勝手にインストールされてるポンコツアプリ>
良心とは何でしょう? 私たちの内側から「それはダメだよ」「これは正しいことだよ」とささやく小さな声。ところがこのアプリ、時と場合によって言うことが変わるんですよ。
赤信号の横断歩道の前。「交通ルールは守るべき」と厳格に主張する良心もあれば、「誰もいないなら渡ってもいい。遅刻して迷惑をかけてはいけないしね」と寛容な良心もあります。この矛盾だらけのナビゲーター。
面白いのは、こういう矛盾って人によって違うだけじゃなくて、育った場所でも全然変わるんですよね。まるで違うOSが入ってるみたい。日本のOSでは「自分の使ったところは掃除するべき」と通知が来るのに、海外のOSでは「掃除の人の仕事を奪ってはいけない」とメッセージが出るものもある。同じ行動なのに、インストールされた文化OSによって判定が真逆になるという不思議。それに古いのと新しいのと、バージョンによっても動作が変わるらしいんです。
道を歩いているだけでも、様々な「良心の実演」を目にします。ルールを守っている人、守っていない人。でも外から見ただけでは、その人が「ケーサツが見てなければヨユー」と思っているのか、「悪いけどちょっと今回は……」と葛藤しているのか、まったくわかりません。赤信号で渡る人の頭の中では、どんな良心の声が(あるいは沈黙が)あるのでしょう?
<「心に聞け」「視野を広げる」:どっちの上から目線?>
「胸に手を当てて考えろ」「自分の心に聞いてみろ」。古い映画の感動シーンのような、そして良心に訴えかけようとするこのセリフ、実は「忖度しなさい」という、ちょっと隠れた上から目線かもしれません。
あと「もっと柔軟に考えたら?」「視野を広げた方がいい」という言葉。こちらも「あなたは狭い考えの持ち主。こっちの考えの方が優れてるよ」というメッセージが隠されていることもあります。でも、こうした誰かの意見が、いつの間にか心の中の「正しさセンサー」に組み込まれていくのかもしれません。
そして私も、この文章で「こういうアプローチにも問題があるよね」と語る時点で、ある種の「正しい見方」を提案している……という無限ループ。「上から目線をやめよう」と上から言ってしまうこの矛盾。
<「あるべき姿」の押し合い:矛盾との仲良し術>
人間関係や社会でよく見られる場面です。「人それぞれの価値観を尊重しよう」と言いながら、「でもその考えはどうかと思う」と線引きする。「自分らしく生きよう」と励ましながら「でもこうあるべき」と無意識に枠をはめる。
矛盾だらけですよね。「多様な考え方があっていい」と思う一方で、「でもこの意見はさすがに……」と判断することも。完璧な一貫性を持つのは難しい。だからこそ時々立ち止まって「矛盾してるな」と笑える余裕が必要かもしれません。
<オーウェルも笑うかも:1984年と2025年の皮肉>
そこで思い出したのがオーウェルの有名ディストピア小説、『1984年』。思想警察、ニュースピーク、歴史の書き換え……あの恐ろしい全体主義の世界。でも待って、今の世の中って少し似てない?
私たちはSNSで「正しい」意見を競い合い、「この言葉は使うべきでない」と新しい規則を作り、過去の発言を掘り起こして裁く文化……完全に同じではないにしても、少し似た傾向はありませんか? 神様や死んだばーちゃんに怒られそうっていうんじゃなく、具体的に監視され、ルールを侵さないことが良心になりつつある。
もちろん、思いやりの気持ちは大切。でも「正しさ」を追求するあまり、対話や笑いが失われていくとしたら、それもまた別の形の「思想統制」なのかもしれません。そしてこの文章で「バランスが大事」と主張する時点で、またひとつの「正しさ」を提案している……という終わらない自己相対化の輪。貞子もびっくり。
<さいごに:ポンコツアプリの使い方>
結局のところ、一貫した良心を持つことは難しい。「心に従え」と言いながら「でもこれは違う」と判断する矛盾。「考えを押し付けないで」という主張を「ぜひ受け入れてほしい」と思う矛盾。
どこかで拾った「正しさ」の欠片を集めて作った、この心の中のポンコツアプリ。これに完璧な正しさを求めすぎると、かえって自分や誰かを縛ってしまいます。
だからこそ大切なのは、そんな矛盾も含めて笑い飛ばせる余裕かもしれません。「正しさ」を追求しつつも、ときには「自分の正しさも絶対じゃないよね」と立ち止まる柔軟さ。時代や地域で変わることもありますしね。
というわけで、皆さんの良心がどんな声で語りかけてくるにしても、たまには「ふふっ」と笑ってあげてください。使い続けるうちに、このポンコツアプリとの付き合い方も上手くなるかもしれませんよ。