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身代わり婚~光を失った騎士団長は、令嬢へ愛を捧げる  作者: 魚谷


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31/35

家族はひとつに

 週末、マリアは迎えにきてくれたレオン、そしてマリアンヌと一緒に出かけた。

 はじめて都の外に出るマリアンヌはいつもよりずっと昂奮しているようで、はしゃいでいた。

 見馴れた街並みが後ろに流れ、緑の草原や木々などが増え始める。


 青空や地平線の向こうに湧きあがる入道雲に、マリアンヌは目をキラキラさせ、窓にべったりと張り付いて夢中になって見ているマリアンヌを、マリアたちは微笑ましい気持ちで見守った。

 およそ二日、馬車での移動が続く。

 目的地付近にたどりつくと、外はすっかり田園風景。

 マリアは窓越しに見える景色に、ふと「どこかで見たことがあるような気がする」と感じた。しかし、記憶がはっきりと蘇るわけではない。それでも、確かに見たことがある景色だと思った。


「何か気になるものでもあったか?」


 レオンの声に、はっと我に返る。


「どこかで見覚えがあるような……うまく言えず、申し訳ございません」

「いや」


 それからさらに進む。


「目的地はあの小さな山だ」

「……散策でもするのですか?」

「いや、あそこにうちの山荘がある」

「山荘……」


 緩やかな坂道を昇った先の中腹に、大きな屋敷があった。

 ところどころ修繕の痕があるが、それでも立派な造りだ。

 馬車から降り、改めて山荘を見やる。


「とても、立派な建物ですね」

「祖父母が建てて、大切にしていたものだ。庭を見るか?」

「よろしいのですか?」

「ああ。こっちだ」


 裏手に回れば、綺麗に整えられた小さな庭。木陰が気持ちいい。

 街中と違って、不快な音というものが一切存在しなかった。

 歌うように囀っているのはクロウタドリ。


「ピーピー!」


 マリアンヌが指を差して、昂奮したような声をあげる。

 鳥のほうも興味深そうに、アリアンヌを見つめていた。

 庭には洗濯物を干したであろう、物干し竿が置かれていた。

 夢中で見ていると、肩に優しく手が置かれ、はっと我に返った。


「そろそろ、中に入ろう」

「あ、はい。マリアンヌちゃん、行きましょう」

「あい!」


 玄関ホールに、マリアたちの足音が響く。


「そっちが台所で、あそこは応接間、その隣が食堂になっている。それから二階が、俺たちの部屋になっているんだ」

「……見て回っても構いませんか?」

「もちろん」


 さっきからこの感覚はなんだろう。ついて周り続けるような既視感。


(私はこのお屋敷を知っている? でも、どうして……)


 胸がざわつく。しかし、それは決して不愉快なものではなかった。

 台所を眺める。

 振り返ると、レオンと目が合った。彼は真剣な眼差しで、マリアを見つめている。

 その表情に、マリアは緊張を覚える。


「……私は、ここを知っている。そうなんですね」

「かもしれない」


 そう、レオンは言った。

 台所を出て、応接間を覗き、そして食堂に入った。

 頭の中で蓋が開きそうな気配。身構えるが、痛みはない。

 まだ本格的に思い出せそうな感覚がないからだろうか。

 テーブルにずらりと並べられた椅子。

 椅子の背もたれの緩やかな曲線を指で優しくなぞりながら歩く。


 ある場所で立ち止まった。

 椅子を引いて腰かける。見える景色が違う、と不意に思った。

 場所が違うのではない。常に、この席に座った時に、マリアの目の前に誰かがいた。

 そう、とても大切な人がいつも目の前に。

 その人が美味しそうに食事をするのを見ながら、マリもまた食事をするのだ。

 その時間がとても大切で、楽しくて、愛おしくて。

 椅子から立ち上がった。


「二階も見せて下さいっ」


 思わず声に力がこもった。


「もちろん」


 マリアは何かに急き立てられるように階段を上がっていく。

 そして両開きの扉の前に立った。ドアノブを回すが、鍵がかかって開かない。


「鍵だ」

「ありがとうございます」


 レオンから鍵を受け取ったマリアは、鍵穴に差し込んだ。

 ノブを握り、ぐっと持ち上げるようにすると同時に鍵を回す。

 そうしなければ、この扉が開かないのだと体が覚えていた。

 扉を開くと、紙とインクの香りがした。


(ここ、だわ)


 公爵家の屋敷の中にある図書室。

 そこで嗅いだ香りに既視感があったのは、この部屋のことを思い出しかけたからだ。

 何かが掴めそうだ。確かに、この建物と、マリアとの間には縁がある。

 ただそう感じるだけではない。確信に近いものが。

 蓋はもう開きかけている。あとは中にある秘めた記憶を掴み取るだけ。


「レオン様、鍵をっ」

「あ、ああ」


 書庫から飛び出したマリアは、レオンから鍵を受け取ると、廊下の先のどんづまりにあった部屋を開ける。


「そこは――」


 レオンの私室だ。マリアは寝椅子を見た。ここでレオンに子守歌を歌い、この部屋の奥にある寝室で、マリアとレオンははじめて結ばれた。

 部屋を出て、そして別の部屋に入る。迷うことなく、窓を開け放つ。

 奥の寝室に飛び込む。

 ここで、愛娘を産んだのだ。


「マリアー?」


 さっきから部屋を出たり入ったりマリアが繰り返す様子に、子どもなりに不安を覚えたのか、心配そうにマリアンヌが声をかけてくる。

 振り返ると、レオンとマリアンヌはびっくりしたような顔をする。

 それも当然だ。

 マリアは涙を流していたのだから。


「マリア、いたいいたいの?」


 マリアンヌが不安そうに聞いてくる。

 マリアは、自分の頬を流れる熱い涙を指で拭う。


「マリアンヌ……」


 マリア――カタリナは、マリアンヌに駆け寄ると、抱きしめた。


「マリア?」


 レオンが心配そうに寄り添う。

 涙を流したまま、マリアンヌを見つめる。

 赤ん坊の頃と比べると、本当に大きくなっていた。


「マリアンヌ。私はね、あなたのママよ」

「ま、まー?」


 母親がいなかったのだから当然だが、マリアンヌは少し戸惑った顔をする。

 ママが一体何を意味するのか分からないのだから、当然だ。

 それでも構わない。これからゆっくり教えていけばいいんだから。

 マリアンヌを抱きしめ、カタリナはレオンを見る。

 レオンもまた、唇を噛みしめ、こぼれるものを必死に我慢していた。


「……レオン様、私……」

「……思いだしたのか」


 マリアンヌ、と呼びかけた声が、明らかにマリアの時と違うことに、彼は気付いたのだろう。


「はい」

「全てを?」

「はいっ」


 片膝をついたレオンが、カタリナとマリアンヌをその逞しい腕で包み込むように抱きしめてくれる。


「間違いないんだな。本当に、本当にお前が……本当の名前を教えてくれっ」

「カタリナです」

「素敵な名前だな」


 レオンは目を細め、蕩けるような笑顔をむけてくれる。


「えへへー!」


 マリアンヌは状況がよく分かっていないが、それでも三人がぎゅっと抱き合っているのが楽しいのか、きゃっきゃっと明るい笑い声を弾けさせ、満面の笑みを浮かべた。

 カタリナは記憶を取り戻し、ようやくここに親子は一つになったのだ。



 カタリナは届けられていた食材で簡単な夕食を取った後、居間で改めて、これまで何があったのかを話す。

 アスターシャの代わりに嫁いだ理由、そして、彼が外国へ渡っている時にアスターシャが現れて追い出

されたこと。そして記憶を失った経緯も何もかも。


「……あいつら」


 レオンは唸るような声を漏らす。組み合わさった手に力がこもる。


「仕方がなかったとはいえ、偽り続けてごめんなさい」


 愛され、大事にされると分かれば分かるほど、アスターシャでいなければならないこと、愛おしい人に偽りの名前で呼ばせてしまっていることが重たくのしかかった。

 どうしようもないこととはいえ、この世で一番愛する人に本当のことを告げられないことが、どれほど苦しいかを初めて知ったのだ。


「謝るな。何も悪いことなどしていないんだから」


 レオンは席を立つと、カタリナの横に座る。そしてその大きな手で、優しく肩を抱き寄せてくれる。

 カタリナは、レオンの厚い胸にしなだれかかりながら、これが夢ではないかと怖れてしまう。


「……これは現実、なんですよね」

「安心しろ。全て現実だ。記憶を取り戻し、俺は光を取り戻した。俺たちはもう一度、夫婦として一緒にいられる」

「ふぁ~ぅ」


 のんびりとした大きな欠伸。

 マリアンヌが、カタリナの膝の上でウトウトしていた。


「お腹がいっぱいになって眠たくなってしまったんですね」

「そう言えば、今日はまだ一度も昼寝をしていなかったな」

「二階へ上がりましょうか」

「ああ」


 カタリナはマリアンヌを抱き上げ立ち上がる。気遣うようにレオンが、すぐ後ろを歩いてくれる。すぐそばに彼の気配を感じる。それだけで幸せだ。


「こっちの部屋を使おう」


 カタリナが自分の部屋へ行こうとすると、レオンが不意に言った。


「そちらは?」

「俺の祖父母が使っていた部屋だ」

「そこは入ったことがありませんでした」


 扉が開かれ、中へ招かれる。

 造りは手前が居間で奥が寝室。落ち着いた色合いの家具が残っている。

 部屋の広さは一番広い。ここが屋敷の主人の部屋なのだとすぐに分かる。

 奥の寝室に置かれたベッドは、親子三人で眠ってもまだ余裕のあるゆったりとした天蓋付き。


 カタリナは、マリアンヌをベッドへ寝かせ、しっかりタオルケットを肩まで引っ張り上げた。

 カタリナと、レオンはベッドの縁に腰かける。

 肩が触れ合う瞬間、レオンの逞しさにドキッとする。


「顔をよく見せてくれ」

「これまでだって、何度も見ていたじゃないですか」

「あれは、マリアとして見ていたんだ。妻を見ていた訳じゃない」


 レオンはじっと、それこそ、穴が空きそうなほど真剣に見つめてくる。

 さすがに照れてしまい、目を背けてしまう。


「背けるな。俺の目をしっかりと見てくれ。以前は、見られなかっただろ?」

「……恥ずかしいです」

「頼む」


 そんな切なげな表情で乞われたら、しない訳にはいかない。

 カタリナは、レオンの真紅の瞳を見つめる。

 月明かりを浴び、かすかに潤んで見える二重で、切れ長の双眸。


(宝石のように美しいわ)


 今にも鼻がくっつきそうなくらいの距離で、彼の瞳を見るのは初めてだ。

 この距離はマリアの時ではありえなかったもの。

 カタリナだから、伴侶だから許される距離感だ。

 まるでルビーのように曇りのない瞳はほれぼれするほどに美しい。

 その虹彩の中に、カタリナが映り込んでいる。彼もまた、マリアの金色の瞳の中に自分の姿を見ているはずだ。


「私からも……お願いがあります」

「なんでも言ってくれ」

「名前を、呼んで下さい。アスターシャと、マリアと、あなたに呼ばれました。でも、私の本当の名前はまだ呼んで頂けていないので」


 レオンは頷く。


「カタリナ」


 ぞわ、っと全身に鳥肌が走った。


「カタリナ……カタリナ……っ」


 噛みしめるようにレオンは、愛する妻の名前を何度も呼ぶ。

 熱い感情が色濃く滲んでいた。


「レオン様……」


 カタリナも応える。


「様はいらない」

「……レ、レオン……」

「ああ」


 レオンは本当に嬉しそうに笑う。

 その笑顔はどこか少年ぽさがある。幼いというよりも、無邪気さが滲む。

 レオンとカタリナは互いの名前を愛おしく呼びかけながら、唇を重ねた。


「んん……っ」


 レオンは押し倒しながらも、体重をのせないよう気遣ってくれる。。


「ま、待って……マリアンヌが……」

「そう、だな」


 レオンは少し残念そうに呟く。

 あまりの落胆ぶりに、思わず笑ってしまう。


「笑うことはないだろう」

「だって……ふふ……ごめんなさい」

「悪い奴だな」


 笑みを含んだ声音で呟くレオンは、カタリナの唇を優しく塞いだ。

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