君は俺の妻なのか?
マリアを抱き上げたレオンは、夫人に事情を話し、屋敷の一角の部屋を借りるとベッドに横たえる。
念のためにと夫人が、招待客の中にいた医者を呼んでくれた。
エイリークは「病気ではありません」と医師に告げる。そこにはどこか確信をもって言った。
「どういうことだ? 何を知っているっ」
思わず、レオンは問い詰めるようなきつい口調になってしまう。
マリアとの関係はただの雇い主というだけにもかかわらず、エイリークが自分よりもマリアの事情に詳しいことに苛立ちを覚えていた。
「……マリアさんは記憶喪失なんです」
「記憶喪失……?」
「そうです。幼い頃の記憶はあるようですが、それ以降の記憶が綺麗になくなっているんです」
「それじゃあ、頭を押さえていたのは?」
「記憶が戻りそうになるとどうやら起こるようなんです。公爵様のお屋敷でもそうでした。私が彼女に、あなたの屋敷へ行くのを止めなかったのは、あなたと交流することで彼女の記憶が戻るかもしれないと思ったからなんです。マリアさんもなくした記憶を取り戻したいと思っていましたから」
「……ということは記憶を思い出しかけたということか」
「おそらく。何が引き金になったのかは分かりませんが」
「歌、じゃないのか?」
「しかし以前、夫人の前でさっきの歌をうたったことがあったのですが、その時は何ともありませんでした」
「お前はどこで、マリアと出会った?」
エイリークの怪訝な表情を浮かべる。
「そんなことを知って、どうされるのですか」
「……俺は、ずっと妻を探している」
「あなたの妻は伯爵家のアスターシャ様では? それもご自分で離縁した……」
「あいつは違う。俺が一緒に暮らしていたアスターシャとは別人なんだ」
当然のことだが、エイリークは理解できないという顔になる。
レオンは自分の知る限りの事情を説明する。
「……つまり、別人がアスターシャ嬢の名を騙っていた……?」
「俺はずっと本物の妻を探している。しかしそもそも伯爵家でアスターシャという名前の令嬢は俺が離縁した女一人だけ。他に娘は存在しない」
「レオン様は、マリアさんを奥様だと考えているのですか?」
「分からない。だが、夫人に求められて歌ったあの歌。あれを、妻は俺に歌ってくれたんだ。その歌声に、とても似ている……気がする。だから、どこでマリアを見つけたのか知りたい」
レオンの眼差しに切実なものを感じとったのか、エイリークは教えてくれる。
その森は、レオンの山荘から半日ほどの距離。
「これは本人には秘密にして頂きたいのですが」
「他言無用にする」
「彼女は男たちに襲われていたんです」
「なんだと!?」
レオンは目を瞠った。
「ご安心ください。彼女は無事です。その前に、私が片付けましたから」
そうか、とレオンは頷く。
「マリアという名前は? 本人が覚えていたのか?」
「いいえ。彼女が覚えていた言葉から、マリアと呼ぶことにしたんです」
「言葉?」
「マリアヌ……確かそんな感じの言葉だったはずです」
マリアンヌ、と口にしようとしたのではないか。
そう思いかけ、すぐに首を横に振って余計な考えを追い出す。
自分が望む答えに都合良く当てはめては駄目だ。
予断は真実を見えなくしてしまう。
そこへ扉をノックされる。エイリークがすぐに出る。
「これは夫人」
レオンとエイリークは深々と頭を下げた。
侍女に手を引かれ、侯爵夫人が部屋に入ってくる。
「……マリアの様子はどうかしら」
「今は眠っています」
「一体どうしたことなの。病気を抱えているの?」
夫人もかなりマリアのことを心配しているのがその声からも分かった。
「いいえ。実は――」
エイリークは、マリアが記憶喪失だということを話す。
「そうだったのね……とても明るい子なのに。人は分からないわね。好きなだけ部屋は使って構わないわ。それから仮眠する際は、すぐそこの部屋を使いなさい。もし欲しければ夜食も用意します。遠慮せず言いなさい」
「ありがとうございます、夫人」
「いいのです。マリアさんは私の恩人ですもの。私にできることは、してあげたいの」
夫人は去っていく。
「では、レオン様。少しこちらはお願いしてもよろしいでしょうか。私は少し休ませてもらいます」
「分かった。……ありがとう」
「いいえ」
エイリークの好意に甘えて、二人きりにさせてもらう。
レオンは近くあった椅子をベッド脇に引っ張ると腰かけ、マリアの顔を覗き込んだ。
ベッドに寝かされた彼女は倒れる直前のような苦悶の表情ではなく、安らいだ表情で規則正しい寝息をたてている。
彼女が苦痛から解放されているのであれば、喜ばしいことだ。
(マリア……君は俺の妻なのか?)
どれだけ時間が経っただろうか。
不意にマリアが小さく呻く。
その声にレオンははっとして顔を上げた。
彼女はうなされていた。
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