花祭り
週末、花祭り本番は天候に恵まれた。
大通り、水路、橋の上も、民家のベランダや出窓、塀が色とりどりの花で飾られる。
「きえーっ!」
「本当に綺麗ですねっ」
マリアンヌを抱きあげたマリアは、街中を歩いていた。
レオンは花祭り警備の責任者として午前中は手が離せないようだったが、午後からは合流できそうだと言われていたので、今は待ち合わせ場所へ向かっている最中だった。
街のあちこちには花を渡す人たちの姿がある。
「お母さんもお子さんも、お花をどうぞっ」
と、女性からクレマチスを渡される。
(そうよね。一緒にいたら親子に見えるわよね)
あえて訂正する必要もないので、そのまま受け取り、マリアンヌの髪に挿す。
「可愛い」
「えへへー」
マリアンヌは上機嫌だ。
「マリアもぉ」
マリアも同じように髪に挿す。
「すみません。もう一本頂けますか?」
「パパに?」
「そうですよ」
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
マリアたちが向かった先は、騎士団の詰め所。
周囲を警戒する騎士たちでそこだけちょっと物々しい雰囲気だった。
「お疲れ様です」
マリアが頭を下げると、騎士の一人が敬礼する。
「これはマリア様!」
「さ、様!? やめてください。私なんて様をつけられるような人間では……」
「マリア様でいいんです。我々の装備を一新できたのはマリア様たちの尽力あってこそ、ですからっ」
他の騎士たちもマリアに気付くと、軍馬のことや、騎士団寮での食事が劇的に改善されたことを口々に感謝してくれる。
「これは、あの……私どもも商売でやっていますので、そこまで感謝されることでは」
「いいえ、そんなことは……」
「おい、騒がしいぞ」
レオンと副官のゾーイが奥から出てくると、騎士たちが背筋を伸ばし、踵を合わせた。
「レオン様」
マリアは頭を下げた。
「パパぁ!」
「二人とも、来たな。――それじゃあ、ゾーイ。しばらくここを頼んだ」
「お任せ下さい。どうぞ心ゆくまで楽しんでください。マリアさん、うちの団長を頼みますよ。どうもうちの団長はすっかりあなたに骨抜きにされたようですから」
「え……?」
「誤解を生むようなことを言うな」
レオンがやれやれと言いたげな顔で告げた。
「誤解? 事実を言っているだけですが」
「ったく。いいから、黙れ。口を閉じろ。余計なことを言うな。――マリア、こいつの軽口は忘れてくれ」
ゾーイの軽口をいなすと、「さあ、行こう」とレオンが優しくエスコートをしてくれる。
「レオン様、これをどうぞ」
マリアンヌは受け取っていたクレマチスを差し出す。
「いや、俺は」
「髪に挿して下さい。みんなで、おそろいにしましょう。ね、マリアンヌちゃん
「パパもおそろいーっ!」
マリアンヌにまで言われては、さすがのレオンも抵抗できないらしく、「こ、こうか?」と髪に挿す。
「あ、もうちょっとこちらのほうが……これでいいです」
「男が花を付けるなんて恥ずかしいな」
レオンが気恥ずかしそうに苦笑する。
「花祭りなんですから。それに周りを見て下さい。みんな、つけてますよ」
「……そうみたいだな」
その時、それまでマリアと手を繋いでいたマリアンヌはいきなり、レオンとマリアの間に割り込むように入ってきた。
「マリアンヌ?」
「どうしたんですか?」
「パパ、マリアぁ」
マリアンヌは、「レオンとマリアの両方と手を繋ぎたかったみたいだ。
微笑ましい姿に、マリアたちはくすっと口元を綻ばせてしっかり手を繋ぐ。
「えへへーっ!」
マリアンヌが頬をうっすらと赤らめて微笑んだ。
「どこに行きましょうか。この人混みですから、ゆっくりするのは難しいですよね」
「あれに乗ろう」
船着き場には、花で飾られたゴンドラが停泊している。
「マリア、あれ、なにー?」
「船ですよ。これから乗るんですよ」
「ふねぇ?」
「きっと楽しいですよ」
最初にレオンが乗り込み、マリアンヌを受け取り、それから右手をマリアへ差し出してくる。
マリアが手を掴むと、抱き寄せられるようにゴンドラへ乗り込んだ。
船頭が長いオールを器用に操れば、ゴンドラは水路を進んでいく。
マリアはそっと水路に手を浸す。ひんやりした水が気持ちが良かった。
「まいあぬもぉ」
「気を付けてください」
「うん!」
マリアンヌも手を川へ浸す。
「つめたぁいっ」
きゃっきゃと笑いながら手を引っ込める。
「ぱぱもぉ」
レオンも同じようにする。
「ん……たしかに気持ちいいな」
「ですよね」
その時、ひらひらと花びらが舞う。
「楽しんでくださいねえ」
「それーっ!」
ゴンドラ客相手なのか、水路沿いにいる人々が、かごいっぱいのゼラニウムの花びらを撒いてくれている。
「きゃー!」
マリアンヌが目をきらきらさせながら、舞い落ちるたくさんの花びらを掴み取ろうと、手をばたばたと動かす。
「ふふ、マリアンヌちゃん。頭に花びらがたくさん乗っちゃってますよ」
「こういうのも可愛くはあるがな」
「ですよね」
マリアとレオンはそんな会話を交わしながら、マリアンヌの頭に降り積もる花びらを一枚一枚丁寧に取り除く。
と、レオンと目が合う。
「レオン様?」
彼が腕を伸ばしてきたかと思うと、髪にのっていた花びらをつまんだ。
「マリアの頭にも、な」
「レオン様も、ですよ」
お互いに頭の上にのった花びらを取り合いつつ、くすっとした。
それから水路づたいに街中をぐるりと一周し、出発地点に戻ってくる。
食事は屋台で取り、花びらの舞い散る華やかな街中の散策に戻った。
そろそろ夕方という頃合いになる。
「マリアンヌちゃん、今度はどこへ……」
と、いつの間にかマリアンヌは眠っていた。
「すっかりマリアの腕の中が、マリアンヌのベッドになっているんだな」
マリアの腕の中で眠っている愛娘を見つめ、レオンが微笑んだ。
日が落ちかけ、街中が夕焼けに染め上げられる。
水路が夕焼けの色を反射し、オレンジ色にキラキラときらめく。
その光景は溜息が自然とこぼれるくらい美しいものだった。
レオンは、マリアたちを公爵家の馬車の元まで送ってくれる。
「マリア、今日はありがとう。俺だけだったら、マリアンヌもきっとこんなには喜んではくれなかっただろう。助かった」
改めてお礼を言われると、胸の奥がくすぐったくなる。
「私も楽しませてもらえましたので」
「それなら良かった。今日はマリアンヌを屋敷へ送ったら、帰ってくれて構わないから」
「分かりました」
マリアは、マリアンヌを公爵家の屋敷まで送り届けると、帰宅する。
(今日はとても楽しかったわ)
マリアンヌも可愛かったけれど、今日はいつもよりもずっと肩から力の抜けたレオンの姿を見られた。
(レオン様、とても素敵だったわ)
レオンの笑顔を思い出すと、トクン、と鼓動が小さく跳ねるのを感じた。
(わ、私ったら……)
あくまで自分はマリアンヌの面倒を見るために公爵家に通っているだけであって、レオンの向けてくれる笑顔も、信頼できる人間に対してのものなのだ。
勘違いしてはいけない、とマリアは自分に言い聞かせる。
マリアは自宅まで送ってもらうと、御者に礼を述べて降りた。
まずは帰宅の報告をしようと、エイリークの部屋を訪ねた。
「マリアです。ただいま戻りました」
すると、エイリークが扉を開けて顔を出す。
「おかえりなさい。いいところに帰ってきてくれました。入ってください」
「あ、はい。失礼します」
「実は、侯爵夫人から誕生日パーティーの招待状が届いたんです。私とマリアさんに。是非来て欲しいと」
「わ、私たちがですか」
「ええ。これは本当に光栄なことです」
「エイリーク様だけならまだしも、私まで……」
「何を言っているんですか。夫人にあんな嬉しそうな顔をさせたのはあなたなんですから。招待されることは何もおかしいことではないと思いますよ。誕生日は来週ですから、すぐにドレスを仕立てましょう。お金は全て商会で出しますから」
「いえ、そんなことをわざわざ……。今も、公爵家に行くことを許してくださったり、便宜を図って下さっていますのに」
「そもそも、あなたが夫人にあのオルゴールを贈ることを考えてくださらなかったら、今の商会はなかったんですから。遠慮はなしですよ」
「……それではお言葉に甘えてさせて頂きます」
「そうですよ。遠慮はいりません」
※
「マリアたちを乗せた馬車が人混みの向こうに消えるまで、レオンは見送っていた。
馬車が人混みの向こうに消えて見えなくなると、今の今まで感じていた高揚感が萎んでいくのを意識する。
「団長、おかえりなさいっ」
「任せて悪かった。問題は?」
「数件ですが、喧嘩と掏摸がありました。どちらもすでに解決しています」
「そうか。ご苦労」
「――楽しんでいたと思っていたのに、ふて腐れてますか?」
ゾーイが、レオンの顔をみるなりそんなことを言う。
「俺はいつもこんな顔だろ」
「見回りの騎士が報告がありましたよ。ゴンドラに三人でいる姿はまるで幸せな家族連れそのものだったって……ああ、そうですよね。幸せだからこそ、離れるのが嫌だったってことですかね」
うんうんと、ゾーイが訳知り顔で頷く。
「……お前、明日、たっぷり稽古をつけてやる」
「ひどいですね。あなたの代わりに一日中、ここにいて指揮を執っていた腹心に罰を与えるなんて」
それを言われてしまうと、さすがのレオンも弱い。
確かに、今のこの胸のもやもやした気持ちはゾーイの言う通りなのだろう。
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