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身代わり婚~光を失った騎士団長は、令嬢へ愛を捧げる  作者: 魚谷


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アスターシャという名前

 マリアは公爵家を訪れ、マリアンヌの部屋にいた。

 子どもの部屋とは思えぬくらい広く、家具は小物にいたるまでその素材から加工まで一流のものだ。


「マリアンヌ様。今日はご本を読みましょう」

「すきぃ!」

「本が好きなんですか?」

「うん!」


 マリアンヌは目をキラキラと輝かせると、マリアの膝に乗って、絵本を覗き込む。


「昔々あるところに、勤勉なアリと、遊んでばかりのキリギリスがいました……」


 絵本を読み聞かせる。

 一冊読み終えても満足せず、マリアンヌは「もっとぉ」とねだった。


「いいですよ」


 マリアは、マリアンヌの気が済むまで絵本を読み聞かせた。

 気付くと、彼女は眠ってしまっていた。

 さすがに五冊も絵本を読むと、疲れてしまう。

 マリアは待機していたメイドに、マリアンヌが眠ったことを伝えると、見ていてくれるように頼んで、お手洗いに行こうと部屋を出た瞬間、人と鉢合わせる。


「あ、こんにちはっ」


 マリアははっとして、深々と頭を下げた。


「こんにちは」


 青年は、真っ白い髪に青い瞳のびっくりするほどの美形。


「あなたは、もしかしてマリアンヌ様に懐かれているという?」

「は、はい。マリアと申します」

「私は、ゾーイ・ヴィルム。騎士団の副団長を務めています」


 ゾーイは生真面目な顔で言った。


「なるほど。屋敷を訪ねると、マリアンヌ様がぐずる声が聞こえることがありましたが、あなたがいるから静かなんですね。今、マリアンヌ様は?」

「たった今、お休みになられたところです」

「そうですか。顔を見ても?」

「構いません。ただ、眠っているのでお静かに」

「はい」


 マリアンヌの部屋に入り、彼女の寝顔を見せる。


「マリアンヌ様の心を射止めたこつでもあるんですか?」

「特には。普通に接しているだけなんですけど」

「それじゃあ、子どもに好かれやすいたちなんですね」

「……そうなんでしょうか」

「おい、何をしている」


 そこへ、レオンが顔をだす。


「これは団長。どうかされましたか」

「お前がいつまでも来ないから、探しにきたんだろうが」

「これはお手数をおかけしました」


 レオンは、マリアとゾーイとを見比べる。


「それで、お前たちは何をしているんだ?」

「何をしているという訳ではないのですが」


 マリアは、ゾーイと鉢合わせた時のことを話す。


「団長。彼女は逸材ですね。どこで見つけてきたんですか?」

「たまたまいい出会いがあったんだ」

「ナンパですか?」


 ゾーイが悪い顔でニヤつく。


「馬鹿を言うな」

「馬鹿だなんて、ひどいですね。若くて品があり、財力があり、社会的地位も高く、見てくれも悪くない――これだけの破格の条件があって、事実、社交界では常に注目の的で再婚話は引く手数多。これで男やもめでいるほうが馬鹿げていますよ」


 ゾーイはどうやらかなりおしゃべりな性格らしい。


「世辞を言っても何もでないぞ」

「本音なんですが」

「さっさと来い。――マリア、邪魔をしたな」

「いいえ」

「それでは、マリアさん。また」

「あ、はい」


 マリアは頭を下げてゾーイを見送った。


(ゾーイ様、面白い方)


 くすりと微笑んだ。



 マリアが本を読みながら、マリアンヌが起きるのを待っていると、「様子はどうだ?」とレオンが顔を出した。


「ぐっすり眠っていらっしゃいます」

「そうか。助かってる。普段なら途中でぐずりだして大変だからな。もし良かったら、お茶でもどうだ? マリアンヌは眠っているんだろう。メイドに見させればいい」

「それでは少しだけ」


 レオンの後に続き、執務室へ向かう。そこの応接セットに座るよう言われた。

 向かい合うように座ると、レオンが手ずからお茶をカップに注いでくれる。


「私が……」

「俺が誘ったんだ。ほら、飲め」


 カップを渡される。


「ありがとうございます。いただきます」


 公爵家だけあって特別な茶葉を使っているのだろう。

 風味があってとても美味しい。

 レオンも紅茶を口にする。


「何か困ったことや、必要なものはないか?」

「特にはございません」

「そうか。何かあればすぐに教えてくれ」

「かしこまりました」

「マリアンヌのほうどうだ?」

「他の子のことは分かりませんが、マリアンヌちゃんは甘えたがりですね。いつもぎゅっとだきついてきて……ふふ、可愛いです」

「分かる」


 レオンも口元を緩めた。

 普段は凛々しくも厳しい表情をよく診るが、笑うと可愛いんだな、と思う。


「そう言えば、さっきは何の本を読んでいたんだ?」

「詩集です。メイドさんが持ってきてくださったのを」

「本はよく読むのか?」

「はい。本は読むだけで色々な世界を垣間見られるので、とても好きで…………レオン様?」


 レオンはカップを持ったまま、驚いたようにマリアを見ていた。

 はっと我に返った彼は、「す、すまない」とぎこちなく呟く。


「?」

「いや、その……昔、今と同じことを言う人がいたんだ。だからびっくりしてな」

「そうだったんですね。親しい方なんですか?」

「……ああ、とても」


 レオンは優しい顔で頷く。


(もしかしたら、それがマリアンヌちゃんのお母様……?)


「本が好きなら、いい場所がある。案内しよう」


 レオンは立ち上がる。

 マリアはその後に続き、一緒に部屋を出た。しばらく進むと、とある一室へ招かれた。

 そこは図書室だった。


「すごくたくさんの本……」

「マリアが読んでいた詩集もきっとメイドがここから取ってきたんだろう。これからは、自由に出入りしてくれて構わない」


 マリアは驚き、レオンを振り返った。


「いいのですが、部外者の私にこんな素晴らしい場所を……」

「マリアンヌを預けているんだから、部外者ではないだろう。それに、ここをそんな目を輝かせて喜ぶのは、マリアが初めてだぞ」

「そ、そうなんですか。もったいない……って、ありがとうございますっ」


 マリアはインクと紙の香りをいっぱいに吸いこむ。


(……なんだろう、この感覚……)


 とても馴れ親しんだような気持ちになった。もしかしたら記憶を失う前の自分も、本が好きだったのだろうか。


(あれ、この感覚……)


 はじめてレオンと出会った時に感じたものよりは弱いが、何かを掴めそうな気持ちになる。

 その時、耳の奥で木々がざわめくような音が聞こえると同時に、誰かに呼びかけられる気がした。しかしそれはマリアの名前ではない。


(アスター、シャ……?)


 次の瞬間、肩を揺すられ、はっと我に返った。


「――マリア、平気か?」


 心配そうに、マリアの顔を覗き込むレオンと目が合う。


「わ、私……」

「何度呼びかけても、ぼうっとして反応しなかったんだ。気分でも悪いのか?」

「ごめんなさい。ちょっと、あまりに感動しすぎてしまって……」


 レオンは完全には納得していない様子だったが、「そこまで喜んでくれたのなら何よりだ」と言った。

 そこへ、「マリア様、お嬢様が起きられましたぁ」とメイドの困ったような声が聞こえてくる。


「今行きますっ」


 マリアは気まずい空気から逃げられるとばかりに、「失礼いたしますっ」とレオンに一礼してマリアンヌの元へ向かった。


(アスターシャ……それが私の本当の名前……?)


 しかし答えはでない。



「ただいま戻りました」


 マリアは公爵家から商会に戻る。


「おかえりなさい、マリアさん」


 エイリークが微笑みかける。


「ちょうどお茶を淹れたところです。一緒にどうですか?」

「いただきます。――商会のほうはいかがですか?」

「順調です。ライムも頑張ってくれています。貴族の方々からの注文もひっきりなしです。ただ、やっぱりあなたの穴はなかなか埋まりませんね」

「新しい方を雇ったのでは?」

「そうですが、あなたと比べるとやっぱり……あ、すみません。そんな申し訳ない顔をしないでください。あなたはご自分のことだけを考えてください。記憶が戻れば万事解決するんですから」

「……だといいのですが」

 エイリークの優しさが嬉しかった。見ず知らずの自分にここまでしてくれるなんて。


 彼がいなかったらどうなっていただろう。


「……エイリークさん、どうして見ず知らずの私にここまでしてくれるんですか? 命を助けて頂いただけでなく、仕事も頂けましたし、今は記憶を取り戻すために私のワガママまで聞いてくださって……」


 いくらエイリークが優しいとはいえ、ただの善意を越えているように思えた。


「私は親に捨てられた孤児でした。田舎生まれで頼る人は誰もおらず。あの日……雪のちらつく晩に、教会の司祭様に拾って頂かなかったら今頃どうなっていたかも分かりません。死んでいたか、もしくは犯罪に手を染めて絞首台に上がっていたか。どちらにせよ、ろくな人生を歩まなかったでしょう。私は自分が司祭様に施してもらったように、できるかぎり手を差し伸べたいと思っているんです。全ての人を救いたいなんて大それたことを考えている訳でも、救えると自惚れていませんが……せめて、この手で掴めるくらいは、と」


 だからこそ、ライムも、マリアを助けてくれたのか。


「本当に感謝しております。ありがとうございます」

「やめてください。それに優秀な商人ですから。ライバル会社で働かれても困りますからね」


 エイリークは冗談めかして言う。


「それで、記憶はどうですか?」

「それなんですが」


 マリアは、公爵家の図書室で感じたもの、そして誰かから呼びかけられたような名前のことを離した。


「アスターシャ、ですか」

「私が呼ばれたのか、私の身近だった人が呼ばれたのか分かりませんが……確かに誰かからそう呼ばれたのを、私が聞いたんです」

「確か、公爵様の奥様がフローレン伯爵家出身のアスターシャ、という名前だったはずです」

「本当ですか!?」


 つまり、その人がマリアンヌの母親――。


「ですが、彼女は離縁されたはずです」

「なぜですか」


 エイリークが難しい顔をする。


「私は何の確証もない噂は極力聞き流すようにしているのですが、マリアンヌ嬢はアスターシャ様とは似ても似つかないそうで、母親は別にいるのではないかと噂されているんです」

「それはつまり……」


 レオンが浮気をしていた、ということか。


(あのレオン様が?)


 とても信じられない。確かに貴族が愛人を持つのは珍しいことではない。

 だから、レオンにいても何もおかしいことではないのだけど。


(もしそうだとしてもマリアンヌちゃんのお母様がお屋敷にいないのは不自然な気が)


 もしかしたら亡くなってしまったのだろうか。


「下らない噂に過ぎません。忘れて下さい」

「……あ、はい」


 もし仮に、アスターシャが、レオンの妻の名前だったとして、どうしてその名前に聞き覚えがあったのだろう。たまたま同じ名前だっただけか。それともまた別の事情があるのか。

 どれだけ考えても答えはでなかった。

作品の続きに興味・関心を持って頂けましたら、ブクマ、★をクリックして頂けますと非常に嬉しいです。

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