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身代わり婚~光を失った騎士団長は、令嬢へ愛を捧げる  作者: 魚谷


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12/35

侯爵夫人の望む物

 エイリークの好意で、マリアは療養に務めた。

 食事はライムが届けてくれた。

 それから彼女からエイリークは新進気鋭の商人で、この王都で今、商売のために奔走しているところだと教えてくれた。

 マリアを連れてきたのはエイリークで、彼は森で猟をしていた時に偶然、マリアを発見してくれたらしい。


「獲物ではなく、人を連れて戻ってきて、びっくりしたんです。道に迷われたんですかねえ」

「どうなんでしょう。ぜんぜん思い出せなくて。すみません……」

「あ、いいんですよ。謝らないで。困った時はお互い様ですからね。実は私もエイリーク様のおかげで今があるんです。昔は悪い連中に無理矢理働かされてて、エイリーク様の財布をすろうとした時に捕まったんです。衛兵に突き出されてもおかしくなかったんですけど、エイリーク様は『悪事よりも人を幸せにすることでお金を稼ぎませんか?』って、仕事を下さったんです」


 言葉の端々からライムがどれほどエイリークを慕っているのか、よく分かった。

 彼はマリアやライムにとって命の恩人だ。

 仕事が終わる頃に様子を見がてらやってきてくれるエイリーク、ライムと夕食を摂った。

 最初はパン粥くらいしか食べられなかったが徐々に体力が回復してくると、普通の食事も取れるようになってきた。

 体力がつくと、立ち眩みもしなくなった。


「エイリーク様、何かお手伝いできることはないでしょうか」


 いつものように一緒に食事を取っている時にマリアは、話を切り出した。


「どうしたんですか?」

「いつまでも何もせず、ご厚意に甘えるばかりなのが申し訳なくて……。どんな雑用でも構いませんのでやらせて下さいっ」

「別に気を遣うことなどありませんが……」

「お願いします」


 マリアは頭を下げた。


「それなら店舗の掃除をしてもらいましょうか。構いませんか?」

「はい。頑張りますっ」


 次の日から、一階の店舗の掃除をするようになった。従業員がやってくる前に、店前や、店内をしっかり綺麗にする。

 最初はただの掃除をするだけで息が切れていたが、毎日繰り返すようになってからそういうこともなくなった。

 ある日、様々な宝飾品が並んだケースの上に帳面が出しっ放しになっていた。

 掃除を終えたマリアはその帳面をぱらぱらとめくった。


「ああ、そこにありましたか」


 エイリークが階段を下りてくる。

 マリアは帳面を、エイリークに渡しがてら、とあるページを開く。


「こちらの計算が間違っていました」

「ん? ああ、本当ですね。あなたは文字が読めるし、計算もできるのですね」

「そうみたいです」

「……でしたら、事務仕事をやってみませんか? 文字の読み書き、計算ができる人に掃除をさせるのはもったいない。うちはいつでも人手不足なもので」

「分かりました。やらせて下さい」

「それでは、やってもらう仕事の内容を説明をしますね」


 という訳で、その日からマリアは商会で事務仕事をするようになった。

 どうやらマリアは飲み込みが悪いほうではないらしく、仕事を順調に覚えていく。

 そんなこんなで気付けば、二年が過ぎた。

 仕事にも慣れ、従業員の人たちとも親しくなれた。

 それでもマリアの記憶は戻らないままだった。



「マリアさん。今日は少し付き合ってくれませんか?」


 いつものように伝票整理をしていると、エイリークに声をかけられた。


「ライムさんはどうしたんです?」

「風邪を引いてしまったんです。今日一日だけで構わないので、お願いできますきか?」


 ライムは秘書らしく、いつもエイリークと一緒に行動している。

 得意先回りや新しい客を獲得する時はいつも連れて歩いていた。


「分かりました」


 ということでマリアは今日は一日、エイリークと一緒に得意先を回ることになった。

 主な商売相手は一代貴族や男爵、子爵などの下級貴族。

 エイリークとしては王都での商売を成功させるためにも伯爵以上の上級貴族たちと関係を構築したがっているようだ。

 しかし王都にはすでに海千山千の大商人たちが地位を築き、エイリークのように海の物とも山の物とも知れない商人は、会う時間さえ作ってもらえず、苦戦を強いられているようだ。

 エイリークは顧客たちの元を回りながら、商人としての心得を教えてくれる。


「最も重要なのは、その人が何を欲しがっているのかを見極めることです。それは相手の言動や性格からなど推し量れるんです。機能的なものを好むのか、派手さを重要視するのか、はたまた希少性に目を向けるのか」

「だからこそ、じっくりと時間をかけて話すんですね」

「その通りです。そしてその人の嗜好が最も反映されるものは何か分かりますか?」

「……ふ、服ですか?」

「それもまた正しいです。ですが、私が最も着目するのは屋敷の内装です。人が最も多くの時間を過ごす場所ですからね。屋敷にはその人がどんな性格か、どんな人生を歩んできたのかが刻まれているんです。そこから、その人が今どんなものを最も欲しているのかが分かってくるものなんです。――ああ、そうだ。これから会う方はこれまでのお客様たちに輪をかけて特別な方なので、くれぐれも言動には注意してくださいね。と言ってあなたは思慮深いですから、心配はないと思いますが」

「……分かりました」


 やや緊張の面持ちで、マリアは頷く。

 その特別な方の屋敷に到着したのはもうすぐ日没が到着する頃。

 明らかにそれまでの得意先とは違った、大きい屋敷。

 門前で馬車を降りると、衛兵に恭しく頭を下げ、「ラヴェンナ侯爵夫人にお目通りを。エイリークがご機嫌伺いに参りました」と言った。


「お待ちしておりました」


 衛兵は礼儀正しく応じると、「こちらです」と門を開けて、屋敷へ案内する。

 衛兵の後に続き、屋敷の居間に通された。


「エイリーク様、お連れいたしました」

「下がっていいわ。お座りなさい」

深い緑色のドレスを身にまとった矍鑠とした老婦人が手で示す。


 老婦人の目は白く濁っていた。恐らく目が見えないのだろうとすぐに分かった。

 マリアとエイリークはソファーに座る。

 老婦人はかすかに鼻を動かす。


「……今日は、いつものあの元気な娘さんではないのね」

「ええ、最近、新しく入ってきた人に動向をお願いしております」

「夫人、はじめまして。マリアと申します」

「はじめまして、お嬢さん」


 少ししてメイドがティーセットを運んでくる。

 と、夫人の前に置かれたカップは縁が欠けていた。


「夫人のティーカップの縁が……」


 マリアはメイドに声をかけるが、「いいのよ」と夫人は言葉を遮った。

 夫人はカップを両手で大切そうに包み込む。


「このカップはね、夫が外国土産としてはじめて買ってきてくれたプレゼントなの。不注意で落としてしまった欠けてしまっているけれど……とても愛着があってね、捨てるなんてとてもできないから、構わずに使っているの」

「そうでしたか」


 しばしお茶を楽しむと、頃合いを見計らったようにエイリークが口を開く。


「夫人、今日も珍しいものを仕入れてきましたので、お納め下さい。東国より仕入れた、翡翠の香炉です」

「ありがたく受け取っておきましょう。でもね、いつまでも私のような老い先短い老人につきまとっていないで、もっと未来ある人に時間を割いたほうがいいのではないかしら?」

「あなたは唯一、若造の私に会うと仰って下さった方です。あなたにこそ、時間を使わなければ」

「ホホホ。相変わらず口がうまいのねえ。マリアさん、こちらの方は機転も利きますし、話もうまい。若いのにどっしりと構えて思慮深い。この方の元で働けば、あなたもより多くの知見を得られるでしょう」

「はい」

「褒めすぎですよ、夫人。それに、私がこうして土産を持ってきているのは、あなたとの勝負があるからでもあるんですよ」

「勝負……?」


 マリアは首を傾げた。

 夫人が可愛らしく微笑む。


「ええ、そうなの。初めて会った時に、彼はきっと私が気に入るような品物を用意してみせる。もしそれができたら、自分を社交界へ紹介してください、と言ったの。そんなことを言う人は初めてでねえ。他の人たちはみんな媚びることしかしないのに、妙に挑戦的で」

「あの時は今よりもずっと浅はかでしたので」

「でもあなたがそんな人だからこそ面白くてね。ついついこうして時間を作ってしまうのよ」

「それで、夫人、今日の品はいかがでしょうか」

「翡翠だろうがなんだろうが、私にはどうでもいいのですよ。この目、ですからね」

「触り心地は楽しめると思ったのですが」

「目の付け所は悪くないとは思うのだけどねえ。それほど強い感心を持てなかったわ。ごめんなさい」

「いえ。私もまだ未熟ということなのでしょう」


 それからは世間話で終始し、三十分ほど話をしてお暇することになった。


「では夫人、また来ます」

「ふふ、待っているわ。マリアさんもまた会いましょう」

「失礼いたします」


 マリアは深々と頭を下げると、屋敷を出て馬車に乗り込んだ。


「君は夫人に気に入られたようですよ」

「そう、なのですか?」

「あの方は世辞は決して口にされない方ですからね。今は淑やかな夫人ですが、若い頃は烈女と言われて、今の国王の王太子時代のお目付役で、彼女の姿を見ただけでビクビクして、身を隠すほどだったそうです」

「そんなすごい方なんですね」

「夫人の人脈はもちろん魅力的なのは真実ですが、それ以上に目をかけてもらった以上は、彼女の期待に応えたいんです。夫人が絶句するほどに、彼女の心を捉えて放さない品物を見繕いたいんです。これは利害を度外視した商人としての意地、ですね」

「意地……」

「申し訳ない。つまらないことを話してしまいましたね」

「いえ、とても勉強になります。商人というのはただ品物を売ればいいという訳ではないんですね」

「それも大切ですが、一番はいかにその品物で相手の心を掴めるか、買って良かったと思える品物を提供できるかだと私は想っているんです」


 エイリークの考え方はとても素敵だ。

 こんな人だからこそ氏素性の知れないマリアを救い、住居を提供してくれるのだ。


(助けてもらった恩を返したい)


 それからというものの、マリアは店の事務作業をしながら、空いている時間を見つけては夫人に気に入ってもらえるような品物がないかを考えるようになった。

 そして夫人が大切にしているものや、また居間の様子を思い返す。


(夫人はものをとても大切にされる方なのは間違いない。あの方が重要視するのは思い出や愛着……)


 そもそも相手は侯爵夫人。

 欲しいものがあるのなら、自分のお金でいかようにも手に入れられるだろう。となればおいそれと手に入らない希少性の高い品物、もしくはお金では入手できないもの。


(希少性と言っても、多種多様。あまりに範囲が広すぎる)


 これというものを捜し出すのはかなり大変だろう。希少性のあるものを却下。

 となれば、後はお金では手に入らないもの、ということになる。


(よく思い出すのよ。あの居間の雰囲気を。あそこにきっとヒントが隠されているはず)


 と、マリアの頭に閃くものがあった。


(そうだわ。居間にかけられていた絵、それに、テーブルクロスや絨毯……)


 そこにある共通点を見出したマリアは、エイリークの元へ向かう。


「どうしたんだい?」

「実はお願いがありまして。工房を紹介してもらいたいんです」

「構わないけれど、どうして?」

「夫人に気に入ってもらえるかもしれない品物を思いついたんです」

「教えてくれる?」

「まだ確証がないもので」

「分かりました。とびきり腕のいい工房を紹介します」

「ありがとうございますっ」


 そして二週間後。

 マリアはエイリークと共に、侯爵夫人の元を訪れた。


「今日もマリアさんなのね。ようこそ」

「お邪魔いたします、夫人」

「ふむ……」

「いかがされましたか?」

「マリアさんの声が妙に力んでいるようでね。もしかして、今日はあなたから何かしら頂けることになるのかしら?」


 鋭い。


「その通りです」

「ふふ、楽しみだわ」


 マリアは、色々と長聖を重ねた品物を取り出した。

 夫人はそれに触れる。


「箱……? 木製……オルゴール、かしら」

「その通りです」

「ありがとう。でもね、オルゴールはそれこそ他の商人たちからも、置き場所に困るくらいもらってしまっているの。それこそ、展示会を開けるほど、ね。でも、いくら目が見えないからと言って、オルゴールの音色を聞くくらいであれば、劇場で生のオーケストラを聞くことを選ぶわ。運がいいことに目が悪くなっても、耳も足もしっかりしているから」

「夫人、まずは曲を聴いてみてください」

「あらあら、すごい自信ね」


 夫人は面白そうに口元を緩めると、手探りで、オルゴールの→側面にあるハンドを回し、蓋を開ける。

 いくつもの突起のついたシリンダーがゆっくり周り、曲を奏でる。


「……この曲」


 夜の帳にきらめく星々よ。

 あなたを包むは、静けさよ。

 夢へと誘うは月の影。


 曲に合わせ、マリアは歌を口ずさめば、夫人がはっとして顔を上げた。


「その曲……」

「母が歌ってくれた子守歌です。母は北部出身なんです。夫人も、北部出身ですよね」

「どうして」

「壁にかかった夜空の絵。あそこに描かれた七色の光のことは母から寝物語に聞いていました。それに、絨毯やテーブルカバーも、これらの独特の模様は北部の名産ですよね」

「驚いたわ……」

「誰でも知っている曲であればオーケストラでも聴けるでしょう。でもこの子守歌は違いますよね」

「……ええ。そうよ。北部のとある地域だけで歌われるものなのよ。そして、私の故郷でもあるの。母がよく、歌ってくれた……」


 夫人の目から涙がこぼれる。

 ハンカチを、とエイリークが言うが、「いいのよ」と夫人は断った。


「こんなにも泣くほど焦がれていたはずなのに、今の今まですっかり忘れていたわ……」


 夫人は何度も何度も繰り返し繰り返し、オルゴールの音色に耳を傾け、そしてマリアにもっと歌ってく

れるよう頼んだ。

 マリアは夫人が満足するまで何度でも歌った。


「マリアさん、ありがとう。こんなにも素敵な品物を頂けるなんて夢にも思わなかったわ」

「お気に召して頂いて良かったです」

「エイリークさん。あなたとの勝負はどうやら、私の負けのようね」

「いいえ、私も負けました。まさか、マリアさんがこれほどにあなたの心をがっちり掴むなんて、正直、嫉妬してしまいます」

「ふふ、あなたがそう言うなんてねえ。マリアさんはとても素敵な商人だわ。――いいわ。では、あなたたちのことを私の知り合いたちに是非、紹介させて頂くわ。あなたたちに頼めば、きっと満足する品物を揃えてもらえる、と」

「ありがとうございます」

「あぁ……でも寂しくなるわ。あなたたちと会うのはこれで最後になってしまうなんて」


 エイリークは「ご安心を」と言った。


「これからは商人としてではなく、僭越ではありますが、一人の友人としてお伺いいたしますので」


 夫人は少し驚いたように眉を持ち上げると、笑みを浮かべた。


「それは朗報だわ。では、また会いましょう。エイリークさん、そして、マリアさん」


 マリアたちは屋敷を後にした。


「エイリークさん、やりましたねっ」

「ありがとう、これもマリアさんのお陰です」

「いいえ。恩人であるエイリークさんのためなら、これくらい……」

「それもありますが、あなたのお陰で夫人に笑顔にできましたから」


 エイリークがにこりと微笑んだ。

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