表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
身代わり婚~光を失った騎士団長は、令嬢へ愛を捧げる  作者: 魚谷


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/35

失われた記憶

“夜の帳にきらめく星々よ。

 あなたを包むは、静けさよ。

 夢へと誘うは月の影。”



 柔らかな温もりに満ちて、涼やかな歌声が聞こえる。

 その声はとても懐かしく、胸がじんわりと温かくなるように染みた。


『――夜空にはね、七色の光が生まれるのよ』


 その声は歌声の主と同じ。


『……と一緒に、見せてあげたい。ユプレイアはとても素敵な場所なの。美しい鳥がたくさん見られるわ』


 膝枕をしてくれるその人は微笑み、そして額に口づけてくれる。

 女性の姿がまるで風に吹き散らされる砂のように形を崩し、そして完全に目の前から消える。

 キラキラ輝く砂粒はしかしまた別の人間の姿を象っていく。

 今度は男性だ。その人は優しく、壊れ物でも扱うかのように触れてくる。


『愛している』


 男の声が聞こえる。

 声は若いが、威厳に満ちている。

 その眼差しは優しく、口元は笑みに縁取られる。

 安心をくれる、慈愛をたたえた声。

 同時に朧気な輪郭が浮き上がる。

 その人は目に大きい傷があった。

 目が見えないのだ、とすぐに分かる。

 しかしそのことが男の人の魅力を一切損なってはいなかった。

 男の人が髪を優しく一房すくいとり、口づけてくれる。


(あなたは一体誰? どうしてそんなに私に優しくしてくれるの?)


 誰なのかは分からない。

 でも彼に触れてもらうと甘えたい気分になった。その手に頬ずりをしてしまう。

 キスをして欲しい――。

 そう自然と思った。



 カタリナは目覚めると、見知らぬ天井があった。

 ベッドに横たえていた体を起こす。かすかに頭が痛む。

 レースのカーテンが締められた窓ごし、日射しが差し込み、部屋の床に小さな陽だまりを作っている。

 カーテンを開けて外を窺えば、街中のようだった。


(ここはどこ……?)


 ベッドから下りて立ち上がろうとして立ち眩みに襲われて、ベッドに座り込んだ。

 体がひどく重く、まるで自分の体ではないようだった。

 サイドテーブルには水差しとグラスが置かれていた。

 水をグラスに注ぐと呷った。

 水を飲むと、どれほど体が乾いていたのかは分かった。立て続けに二杯、あっという間に飲むと、ようやく人心地がつく。

 扉がゆっくりと開く。

 顔を出したのは、ピンク髪の少女。

 目を大きく瞠るなり、「オーナー!」とやかましく叫びながら飛び出して行く。

 一体何なのだろうと、ぽかんとしてしまう。

 しばらくして再び扉が開くと、つい今し方、部屋に入ろうとしたピンク髪の女性と一緒に、仕立てのいい服に身を包んだ、人の良さそうな青年が入ってきた。

 青年は、コマドリのように鮮やかな橙色の髪に、柔らかな光をたたえた黒い瞳をしている。


「目が覚めたんですね、良かったです」


 青年は片膝をついて目線の高さを合わせると、優しく笑いかけてくれる。


「……あなたは?」

「僕はエイリーク・ブランワーズ。こっちは助手のライム。あなたの名前は?」

「私は――」


 口を開きかけるが、それに続く言葉が出なかった。

 エイリークが不思議そうに見てくる。


「わ、私は……」


 もう一度口を開こうとする。しかしそこから続かない。

 分からない。自分の名前なのに。


「……ごめんなさい。わ、分かりません」

「そうですか。無理に想い出す必要はありません」


 エイリークはライムに、「先生を呼んできて」と言った。

 エイリークはそれ以上、質問をすることもなく、窓を開けて清々しい風を室内へ呼び寄せる。


「今日はとてもいい天気です。今年の夏は例年に比べて暑くなるそうですよ」


 そうのんびりと世間話をする。

 しばらくしてライムが、白髪に立派な口ひげのおじいさんを連れてくる。

 おじいさんに質問されたことをいくつか答える。それを何度か繰り返すと、「どうやら記憶を失っているようですね」と言った。


「記憶はご自分の名前を含めて思い出せない状況のようですから。ただ基本的な社会常識に関しては覚えていらっしゃるようですし、傷も軽いものですから、日常生活を送ることは問題ないでしょう」


 そう説明してくれた。


「記憶はどうしたら戻るものなのですか?」


 エイリークが聞く。


「その時がくれば」

「つまり、運次第、と?」

「そうですね。特効薬がない以上は……。明日、唐突に戻るかもしれませんし、ずっと戻らないかもしれない。無理をさせれば、混乱するだけですから、とにかく日常生活を送りながら様子を見るしかありません」

「分かりました。ありがとうございます」


 エイリークは礼を言うと、ライムにおじいさんの見送りをさせた。


「……ということだそうです。あー……名前がないと呼びにくいですね」


 思い返そうとしても、頭は霧に包まれたように判然としない。


「……マリ……ヌ……」

「え?」

「今、ふと思い浮かんだ言葉、です」

「マリ、ヌー……? あなたの名前ですか?」

「分かりません」

「そうですか。でも記憶がないなか中で浮かんだ言葉です。きっとあなたにはとても大切なものなんでしょうね」

「……どうなんでしょうか」

「では、あなたのことを仮にマリアと呼びましょう。構いませんか?」

「はい」


 マリア、と呟いてみるが、よく分からない。


「では、マリアさん。まだ目覚めたばかりで本調子ではないでしょうから、しっかり休んでください。ここは私の家ですからいつまでもいてくださって大丈夫ですから」


 すると、戻ってきたライムがエイリークに耳打ちすると、「分かりました。すぐ行きます」と頷く。


「ではマリアさん、また後で様子を見にきますね」

「あ、はい。色々とありがとうございます」

「困った時はお互い様ですから」


 エイリークを見送ったマリアは、窓の向こうの景色を眺めながら、疲労感を覚えた体をベッドへ横たえた。

 目を閉じると、あっという間に眠りに落ちた。

作品の続きに興味・関心を持って頂けましたら、ブクマ、★をクリックして頂けますと非常に嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ