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うましか  作者: 真崎優
うましか
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鹿編4


 そして季節は巡り、僕らの卒業のときがやってきた。


 卒業式当日は慌ただしいだろうから、話すなら今日しかないと何度も自分に言い聞かせた、二月最後の日。

 こうなったら彼女が誰と一緒にいようが呼び止めて話をしようと、溜まり切っていないなけなしの勇気だけで教室を出た。


 彼女がいる三年六組を覗いたが、姿はない。次に図書室に行ってみたが、ここにもいない。ならば文芸部の活動場所だった小講義室は、と足を向けると、教室の中から探した相手の声が聞こえた。いた。やっと見つけた。でも僕は、そこに入っていくことができない。


 一緒にいた女子生徒が泣いていて、彼女が慰めていたからだ。


「大丈夫、しばらくは痛むかもしれないけど、いつか自然に治っていくよ。今はしんどくても、いっぱい泣いて、いっぱい寝て、いっぱい食べたら、いっぱい楽しいことしよう。それでそのうち、笑い話として語り合おうよ。五年後も十年後もできる笑い話になるよ。高校生のわたしたち、青くて若くて馬鹿だったねって」


「そう、なるといいな。あんなに人を馬鹿にするような最低男のどこがよかったんだ高校生のわたしー、って。いつか言いたい……」


「仕方ないの。恋は盲目って言うでしょ。恋をするとみんな、周りが見えなくなっちゃうんだって。どんなに頭の良い高名な先生でもそうなんだって。だから、もっとひどい目に遭う前に、数ヶ月で気付いて、本当に良かったよ」


「うん、うん……ありがとう、友喜。迷惑かけてごめんね」

「いいよ、これくらい気にしないで。スズは凄いんだから、もっと自分を誇ってよ」

「わたしが? 凄いの?」


「凄いよ。誰かを好きになって、告白して、恋人になったんだもん。別れ話だってそう。消極的な話題を切り出すのは大変でしょう。わたしは誰かを好きになっても告白する勇気がないから諦めちゃうし、消極的な話題は避けて、相手が察してくれるのを待っちゃう。だから、どちらもやり遂げたスズは凄いの。頑張ったね」


 それはまるで、二年前の僕にも言われているかのような言葉だった。

 あのときのどうしようもなく馬鹿だった僕を、彼女が丁寧に元気付けてくれた。凄いと、誇っていいと、励ましてくれた。


 それは紛れもなく錯覚なのだけれど、辛さと嬉しさが一気に押し寄せてきて。容量過多になった胸が破裂してしまいそうになったから、僕は慌てて一階奥のトイレに駆け込んだ。


 この気持ちを彼女に伝えることができない僕は、結局情けなく、不甲斐ないのだろうけど。彼女が言うように、これもそのうち笑い話として語り合えるようになるかもしれない。青くて若くて馬鹿だった頃の話として、昇華できるかもしれない。


 その日の夜、僕は勉強机に何時間も向かって、A4の紙に大きく字を書いた。「鹿」と。中学の美術の授業で学んだレタリングの仕方を思い出しながら自分なりに頑張ってみたけれど、彼女ほど上手くはできなかった。


 きみに「馬」と言われたから、僕は「鹿」と返す。きみは昨日「消極的な話題は避けて相手が察してくれるのを待つ」と言っていたけれど。机に「馬」なんて書いて僕が察するのを待たずに、伝えてくれたら良かったのに。回りくどいよ。これで僕が気付かなかったら、助言の意味がないじゃないか、という。ある種の意趣返しのつもりだ。


 それから、僕らは何度か本の話をしたよね。きっともっと仲良くなれたのに、僕らはすれ違っても挨拶すらしないほど、ただの同級生だった。誰にでも優しく、誰とでも仲が良かったきみは、僕の存在に気付かなかった? 馬鹿だなあ、という意味もこめて。



 翌朝、まだ誰も登校していない早い時間に学校に辿り着いた僕は、その紙を、あらかじめ調べておいた彼女のげた箱にそっと入れた。


 彼女がこの「鹿」の字を見て、どう思うかは分からない。連絡先も知らないし、進路も分からないままだ。それに、二年も前に僕の机に書いた「馬」の字のことなど、忘れてしまっているかもしれない。そのくらい彼女の高校生活は忙しく、抱えきれないほどの思い出があるはずだ。

 情けなく不甲斐ない僕にできるのは、この「鹿」の字を見て、彼女が一瞬でも、ただ一度同じクラスだっただけの僕を思い出してくれることを、祈るだけだ。


 どれもこれも、あまりの他力本願に笑ってしまったけれど、扉を閉めると、肩がすっと軽くなった気がした。


 何年か経って、いつか同窓会や同級会で再会することができたら。僕が今よりましな大人になっていたら、彼女を捕まえてこの話をしよう。彼女は「青くて若くて馬鹿だったね」と言って笑ってくれるだろうか。



 しんと静まり返った廊下を歩きながら、最後に学び舎の様子を目に焼き付けておこうと思ったけれど、それは叶わなかった。涙で視界が滲んでいたせいだ。


 そうやって、僕の高校生活が終わっていった。

 これが、この高校で起きた、全てのことだ。



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