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うましか  作者: 真崎優
うましか
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鹿編3


 そんな風に高校最初の一年が終わり、僕らは進級した。

 結局「馬」の主は分からないままだ。


 僕にこっそり「馬鹿」だと伝えてくれるくらいには僕のことを知っていて、放課後誰にも見つからず、それなりに時間をかけてくれる人物。なおかつ一年五組の教室にいても不自然ではなく、あんなに濃い芯の鉛筆を持っている。


 予想できたのはここまでだった。同級生だけでも三百人以上いて、クラスメイトは四十人いる。その一人一人に「馬」の字について訊ね歩くわけにもいかない。

 そもそも僕に直接言いたくなかったから「馬」の字を机に残したのだ。名乗り出るわけがないし、訊いてもしらを切るだろう。


 だからもう「馬」の主を探すことはせず、心を落ち着かせるきっかけになってくれたと心の中で感謝し続けようと思った、高校二年の秋。


 生徒総会に向け、提出しなくてはならないプリントを完成させるため、将棋部の新部長となった相澤がいる、二年五組を訪ねたときのことだった。


 文系クラスの五組と、僕がいる理系クラスの三組とでは、間にひとクラスしかないけれど、知り合いがほとんどいないせいで、どこか別の場所に来たような気分だった。

 緊張しながら空いていた相澤の隣の席に座り、プリントを埋め始めると、こんな会話が聞こえたのだ。


「笹井さんって美術部だっけ?」

「ううん、文芸部」

「文芸部も、4Bの鉛筆とスケッチブック使うの?」

「ううん、ただ使ってるだけ」

「あはは、なんだそりゃ」

「やらなきゃいけないこととか、ちょっとしたメモとか、ぱっと、さっと書きたいときに便利だよー。もう何年もやってる」

「ほんとだ、すっごい殴り書き」

「これは小説のネタで、こっちは生徒総会のプリントの提出期限。こっちは勧められた曲名ね。あとは部活中の落書き」


 無意識にそちらに視線を向けると、穏やかな笑顔で話す女の子が目に入った。


 あの子はたしか、笹井友喜さん。一年生のときに同じクラスで、何度か話したことがある。

 クラスの中心で賑やかにしているタイプではなく、どちらかというと一歩引いたところで静かに見ているほうだろう。でも人見知りというわけでもないらしく、クラスの誰とでも話しているような印象がある。


 僕も何度か本の話をした記憶はあるけれど、それだけだ。親しくなるほど話していない、ただのクラスメイトだった。


 あの子なら、どうだろう。僕の机に「馬」の字を書くようなタイプだろうか。


 でも条件はどれも当てはまる。クラスメイトとして一年、僕と岡崎さんを見ていた。一年五組の教室にいても不自然ではなく、部活は校舎内。部活のあと一人で教室に戻るのも簡単だろう。何より彼女は、4Bの濃い鉛筆を常用している。一歩引いたところで静かに見ているタイプなら、岡崎さんの本心も、僕の間抜けさも、分かっていただろう。



 どうにか本人と話すタイミングはないだろうか、と連日タイミングを計ったけれど、そんな日はなかなか訪れない。彼女と気軽に話せる仲ならいいが、僕はただ一度同じクラスになっただけ、何度か本の話をしたことがあるだけの同級生だ。積極的なタイプでもない。


 でもこっそり彼女の姿を目で追っていたおかげで、少しだけ彼女の様子が分かった。


 彼女は誰とでも仲が良く、誰にでも平等だ。男子も女子も、理系も文系も、運動部も文化部も、先輩後輩もない。見かけるたびに違う人たちと楽しそうに話している。


 それを見るに、親しくもない僕が突然話しかけても、彼女は普通に話してくれるだろう。でも話題が話題だから、できればふたりきりで話したい。でも彼女が校内で一人になっている場面は全く見かけない。

 親しくないから、廊下ですれ違っても挨拶もしないし、目も合わない。


 読書好きだったことを思い出し、放課後に図書室に通ってみたりもしたけれど、図書委員らしく、図書準備室で司書の女性と話していたり、作業をしていたり、忙しそうだった。そして作業が終わると司書の女性や他の図書委員の生徒と連れだって、準備室側から出て行ってしまう。


 二年になってから始まった選択授業も、理系と文系じゃあ選ぶ科目が違うのか、ひとつも被らなかった。

 そうやって、自分の不甲斐なさに落胆しながら、月日ばかりが過ぎて行った。


 もちろん三年でも、理系の僕と文系の彼女では同じクラスになれず、話しかけるタイミングを計る日々は続く。

 新学期の委員会決めで図書委員に立候補してみたけれど、希望者が多く、じゃんけんで負けて叶わなかった。


 いつ見かけても彼女は忙しそうだった。文芸部の部長になり、図書委員会の委員長になり、部員が足りず廃部の危機にあった料理部と英会話クラブにも入部し、毎日何かしらの活動をしているみたいだ。


 前々から顔が広かったようだけれど、最近ではさらに広まったようで、うちのクラスの男子と廊下ですれ違ったとき「あ、ささゆーだ」と声をかけられ、彼女も「どーも」と笑顔で挨拶していた。が、彼女はすぐに立ち止まり、困った顔で「ごめん、誰だっけ」と言った。うちのクラスの男子も「知らなくて当たり前だよ、今初めてしゃべったもん」と笑っていた。

 それ以降ふたりはすれ違うたびに挨拶をするようになり、僕は少し離れたところから、それを羨ましく見ていた。


 文化祭では彼女が所属している文芸部の展示教室に行った。

 クラスの屋台に料理部の屋台、英会話クラブの英語劇にと忙しい彼女は、案の定不在だったけれど、彼女が「馬」の主だということは確信した。

 文芸部の看板と文芸部誌の題字が、達筆な手書きの明朝体だったからだ。


 店番をしていた一年生の子に「達筆だね、誰が書いたの?」と聞いてみたら、その子は笑顔で「部長の友喜先輩です」と答えてくれた。さらに「これ筆で書いたんじゃないんですよ、鉛筆を使ってレタリングしたんです!」と補足まで入れてくれた。


 お礼を言って、文芸部誌を一部購入し、家に帰ってから彼女が書いた詩や小説を読んだ。丁寧で、綺麗な文章だった。

 そして、思う。

 僕に、ほんの少しの勇気があれば。


 どうやら僕の中にあった勇気は、一年生で岡崎さんに告白したときに、残らず使ってしまったみたいだ。そして僕は、臆病で不甲斐ない男になってしまった。


 そうしているうちに秋が過ぎ、部活を引退した順に、本格的な受験勉強に入っていく。

 三年の階は、次第に重苦しい空気に包まれていく。


 僕が所属していた将棋部の活動は週に二回ほどだったから、この二年ちゃんと勉強を続け、成績を落とすことなくやってこれたし、受験にそこまでの焦りはなかった。


 ただひとつの焦りは、彼女のこと。彼女の志望校はどこだろう。地元に残るだろうか。タイムリミットは卒業式だ。それまでに話しかけなければ、縁が切れてしまう。

 元々「同じ高校の同級生」というちっぽけな縁しかないというのに……。


 それでも僕の勇気は枯渇したまま、むしろこの受験シーズンに、僕だけの都合で彼女を呼び止めるのは気が引けて、身動きがとれなくなってしまっていた。



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