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うましか  作者: 真崎優
うましか
2/17

馬編2


 並んで校門をくぐり、昇降口まで続くゆるやかな坂を上った。


 ハンカチで汗を拭いながら、こっそり彼を盗み見る。髪はこげ茶色で、学生時代にかけていた黒ぶち眼鏡もしていない。コンタクトにしたらしい。私服も初めて見たし、Tシャツにジーンズというラフな格好だけれど、制服姿しか見たことがなかったから、なんだかすごく新鮮だ。それに昔よりずっと恰好よくなった。


「笹井さん、変わったね」

「え、そう?」

「化粧とか髪型とか。正直最初誰だか分かんなかった」

「そりゃあ学生時代はすっぴんだったからね」

「私服も初めて見たし」

 全く同じことを考えていた。緩む頬を隠そうともせず、さっきまでの疲労も忘れ、ゆっくりと歩を進める。



 学生時代、こんな気分でこの坂を上ることは一度もなかった。元々朝は苦手なのに、満員のバスに揺られ、下車してすぐに坂を上る。毎朝憂鬱で仕方なかった。どうして坂の上にあるこの高校を選んでしまったのか、と。後悔したのは一度や二度ではない。


 なのに今はこんなに楽しい。もうあの頃に戻れないことが残念で仕方がない。


 坂の途中にある階段を上ると、正面に古びた第一体育館。その横に駐輪場と校舎がある。何もかもが懐かしい。ここも、昔とちっとも変わっていない。その変わらない風景が、忘れていた記憶を呼び起こしていくのを感じた。


「自転車逆さま事件おぼえてる?」

 ふと、小林くんが切り出した。


「おぼえてるよ。志賀くんと橋本くんの自転車が逆さまになってたんだよね。絶妙なバランスで立ってて」

「結局誰がやったか分からずじまい」

「くまさん事件も」

「それは知らない」

「康くんの自転車のかごに、くまのぬいぐるみが入れられてたの」

「康は男女共に人気があったからなあ。男子がふざけたか女子からのプレゼントか」

「それも結局誰の仕業か分からなかったんだけどね」

「謎が多い学生生活だったな」


 昇降口を過ぎ、中庭を横目に職員玄関までやってきた。目の前にある総合グラウンドに人の気配はなく、代わりに頭上の教室から歓声が聞こえる。試合は大分盛り上がっているみたいだ。

 職員玄関を入ってすぐ左手にある事務室もまた盛り上がっていた。仕事そっちのけでテレビの前に集まり、球児たちの姿に一喜一憂している。


 何度かガラス戸をたたくと、ようやく用務員さんが気付いて窓を開けてくれた。わたしたちが在学中お世話になっていた用務員さんだった。もうすっかり白髪頭になってしまっている。


「ここに名前を書いてこれ首から下げて。スリッパはそこにあるから」

 言われた通り用紙に名前を記入し、ゲストと書かれたプレートを首から下げると、用務員さんはおかしそうに笑った。


「思い出した、文芸部の笹井さんと、遅刻魔の小林くんか!」

「え?」

「遅刻のことは思い出してほしくなかったな……」


 苦笑する小林くんを見て、今度はわたしが笑う番だった。そういえば小林くんは、よく遅刻していた。遅刻をした日はカードに判子をもらわないと教室に入れない。カードは青から始まり、十回ごとに黄色、赤とランクアップする。赤のカードがいっぱいになってしまったら保護者面談が待っているのだ。


「校内はまだおぼえているか? 観戦は三階の合同講義室だよ」

 微笑ましい視線を向ける用務員さんに送り出され、階段を上る。


「結局何色のカードまでいったの?」


 聞くと小林くんはばつが悪そうに頬を掻いて、でもちゃんと答えてくれた。


「赤のカードがいっぱいになって、一度親が呼び出されて。それでおしまい。赤カードの次も赤カードだからね。遅刻しないように気合い入れた」

 それでも遅刻三十回以上は凄い。


「一応言っておくけど、遅刻王は千葉」

「そうだねえ、千葉くんは遅刻魔だったねえ」


 千葉くんとは三年間同じクラスだったけれど、彼は本当に凄かった。ほぼ毎日遅刻して来て、カードを手に教室に入ってくる姿はもはや貫禄があった。わたしが知る限りでも、三年間で保護者面談が四回は行われている。


「小林くんも千葉くんも自転車通学で大変だったでしょ」

「一時間くらいかかったよ」

「そりゃ大変だ」

「最後にあの坂は地獄だった」

「だよね。今歩いて来たけど地獄だったもん」


 その足で三階まで上るのも結構な地獄だ。きっと明日は筋肉痛で、のたうち回るだろう。



 合同講義室を覗くと、むわっとした空気が溢れてきた。中高年から若者、在校生らしき少年少女たちが数十人も集まって、大型テレビの中の球児たちに声援を送る。パイプ椅子は用意されているものの、座れない人たちも大勢いた。


 カキン、という金属音が響き、途端に歓声と拍手が巻き起こる。この一体感に胸が震え、血が茹だり、内臓が起立したかのような気分になった。年齢も職業も全く違うであろう人たちが集まって、意志を通わせている光景は、とても美しい。


 ただし一体となったこの教室の中に、何食わぬ顔で入って行く勇気はなかった。


 ちら、と小林くんを見上げると、彼も困ったようにわたしを見下ろし、そしてこう言った。

「少し、話さない?」

 この提案に、わたしは黙って頷いた。



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