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うましか  作者: 真崎優
後日談
15/17

よいシエスタを2


「だから小林くん、レシピ本なんて読み始めたの?」

「ああ……まあ、正解……。よく見つけたね……」

「いや見つけるよ。カラフルな表紙がちょっと見えてるし。隠したいならもっと別の雑誌に紛れ込ませなきゃ。エロ本とかないの?」

「ないよ……。ていうか笹井さんの口からエロ本とか聞きたくないんだけど……」

「小林くんがまたわたしを美化してる」

「言うほど美化してないよ……たぶん……」


 美化はしていると思う。彼女は昔から誠実で優しい善人だった。

 けれど、彼女を神さまや仏さまのように見ているわけではないし、自分の理想を押しつけようとも思わない。ただ少し、この可愛い恋人の口から「エロ本」なんて単語を聞きたくないだけだ。会えない間に、僕が彼女ではない女性を見ていると思われたくないだけだ。



 そして僕は、その可愛い恋人のために料理を覚えようとしている。

 今まで料理と呼べるものは、とにかく肉やら野菜やらをフライパンにぶち込んだ肉野菜炒めしかできなかった。


 あまり美味くもできないから八割が買い食いか外食だったけれど、彼女はあまり外食をしないタイプで、色々な料理を作ってくれる。だけどそれじゃあ彼女の負担が大きすぎる。なら僕が料理を作ればいい、という安直な考えだった。

 まあ、どんなに頑張っても、彼女が作る手料理には敵わないのだろうなとは思うけれど……。



 そんな僕らは「初めての旅行を良いものにしたい」という気持ちが前のめりになり、一泊二日しかないというのにお互い暴走してしまって、沖縄や京都や広島、果てはイタリアやドイツまでが候補に挙がった。


 でも大量の旅行雑誌を買おうとしたところで冷静になり、県内の温泉ということで無事着地した。

 温泉なら、地元宮城県にもたくさんある。例えば仙台市内なら秋保温泉や作並温泉、ちょっと遠出するなら遠刈田温泉、日本三景を楽しむなら松島温泉、湯めぐりをするなら鳴子温泉郷……。


 僕の部屋で、先日引っ張り出したばかりのこたつに潜り込んで、彼女は数ある温泉地のページを楽しそうに眺めている。僕も隣に寝そべって、同じページを見下ろした。


 この距離だと、彼女の髪の柔らかい香りが、常に僕の鼻腔をくすぐる。その髪に顔を押しつけて、このまま抱きつぶしてしまいたくなる衝動を必死に堪えた。旅行までもうすぐだ。少しずつでも話を進めなければ。


「メインは温泉だけど、他にやりたいことある? それで目的地を決めよう」と、彼女は持参したメモ帳にあれこれ書き出して行く。仕事で使っているメモ帳なのか、隣のページには「発注期日」だとか「値段変更」だとかあれこれ書き込んであるけれど……良いのだろうか。


 そういえば高校時代、彼女は4Bの鉛筆を使い、スケッチブックにあらゆることをメモしていた。ぱっと、ざっと書きたいときに便利だったらしいが、大人になっても一冊のメモ帳にあらゆることを書くという習慣は変わっていないらしい。



「松島で遊覧船に乗るとか」

「瑞巌寺とか、伊達政宗の歴史館とか」

「歴史巡りするなら、青葉城も行かないと」

「青葉城行くなら白石城も行かなきゃ」

「あれ、小林くん意外に歴史好き?」

「俺わりと好きだよ。戦国時代とか」

「じゃあ歴史巡りかなあ」

「でも体験とかもしてみたくない?」

「こけし作りとか?」

「それだと遠刈田や鳴子かな。秋保もかな」

「工場見学とかは?」

「ああ、ウイスキーとか笹かまの工場もあるね」

「この際温泉に全てを捧げるとか」

「じゃあ鳴子で湯めぐりか」

「鳴子といえば、オニコウベってあるじゃない。あれ漢字だと鬼の首って書くんだよね」

「凄い地名だよね」

「大昔、坂上田村麻呂が斬った鬼の首が飛んできた場所らしいよ」

「へえ、だから鬼首なのか」

「鬼首といえばスキー場っていつオープンだっけ」

「十二月中旬くらいかなあ」

「じゃあちょっと早いか」


 そんな雑談をしながらも、彼女はさらさらと、やりたいことをリストアップしていく。

 お互い好き勝手言い過ぎて、まとめるのが大変そうだけれど「それも旅行の楽しみのひとつだから」とのことらしい。


 日曜の朝、夕方から出勤だという彼女が部屋にやって来た。いい加減行き先を決めて宿の予約をしなくてはならない。

 彼女は付箋だらけの旅行雑誌と、やりたいことを書いたメモ帳を開いて、それとにらめっこしながら絞り込んでいく。


 その結果、鳴子温泉郷に決まった。

 温泉「郷」という名の通り、地域には五ヶ所の温泉地があり湯めぐりができる。ここで日頃の疲れを少しでも癒せれば何よりだ。


 まあ、疲れを癒す目的以前に「小林くんと浴衣でカラコロ街を歩きたい」と、彼女が目をきらきらさせていたから、普段と違う恰好が見たいという気持ちのほうが大きいかもしれない。

 そういえば冬に初めて仕事帰りのデートをしたとき、彼女は僕のスーツ姿に、ときめきを隠しきれていない状態だった。喜んでくれるのは嬉しいし、そんな可愛い姿に気付かないふりをしつつ盗み見ながら、気恥ずかしくもあった。


 温泉以外にも工芸品の店も多く、体験もできる。周囲には文化碑もあり、歴史を感じることができる。

 道中には、僕らが子どもの頃には仙台駅の構内にあった伊達政宗公騎馬像が展示してある場所や、人気の道の駅もある。


 たった一泊二日で、やりたいことリストがどこまで達成できるかは不明だけれど、できなくてもいいのだ。できなければ、また何度でも行けばいいのだから。


 行き先が決まり、宿の予約を入れたあと、彼女は仰向けにばたりと倒れ込み「決まって良かったー」と安堵の声を出した。心から疲れた、という声だった。


 一泊二日、県内の旅行先を決めるだけでこの疲れ様。生活サイクルが違うだけで、ここまで大変だとは思わなかった。どちらかが無理をしないと、旅行やデートすらも難しい。僕らの場合、無理をするのは大抵彼女だ。

 彼女は本当にそれで、良いのだろうか。こんな不器用な付き合い方で、彼女は満足しているのだろうか。


「ねえ、笹井さん」

「うん?」

「なんで急に旅行しようなんて思ったの?」

 聞くと彼女はきょとんとして僕を見上げる。


「ただでさえ仕事が忙しいのに、旅行のためにさらに忙しくなって。笹井さんは大丈夫なのかなって……」

 きょとんとした表情のまま僕を見上げていた彼女は、少しだけ視線を外し、考え込んだあと「大丈夫」と答えた。目の下にくっきりとくまを浮かべた顔じゃあ、いまいち信用できない。


 そんな僕の心中を察したのか、もう一度「大丈夫」と言ったあとで、彼女は大きく息を吸い込んだ。


「うちの店長が、結婚することになったの」

「うん?」

「そしたらスタッフの子たちが、次は笹井さんですねって。もし良ければ次の合コン一緒に行きますかって」

「え……」

「不思議なことに、恋人がいないって思われていたみたい」


 それは何となく理解できる。八年ぶりに再会してから、彼女はいつも忙しそうにしていた。正社員としての責任感もあるだろうし、副店長になってからは仕事量も店にいる時間もだいぶ増えたみたいだし、いつも店にいる副店長に恋人がいるなんて、誰も想像しないだろう。


「恋人いるよって言ったら、こんなに仕事ばかりして放っておくと捨てられますよって。それはまずいって焦って、旅行に誘ったの」


 照れくさそうに笑って、彼女は「だから大丈夫なの」と続ける。


「小林くんに好きって伝えるのに十年もかかって、ようやく好きが叶ったから。一緒に居られるなら、頑張れるよ」

「そっか……」

「それにうちの店って、店長はいつでも対応できるようにってシフトが固定されてるの。まあどうしても人数が足りない日は他の時間帯にも出勤するけど。だからもう少し頑張って店長になれたら、会える時間が増えるかなって。目論んでいるわけです」


 さっきまでの照れくさそうな笑顔はどこへやら。フフフと不敵に笑う彼女を、どうしようもなく抱き締めたくなった。

 でも彼女は仰向けに寝転んだままだったから、背中に腕を差し込んで、覆い被さるように身体を寄せた。彼女も僕の背中に腕を回して、そこをぽんぽんと撫でる。


「重いよ、こばこば」

 彼女と付き合い始めて八ヶ月。彼女が僕を「こばこば」と言うのは照れ隠しだと、もう知っている。照れ隠しであだ名呼びをするなら、いっそのこと下の名前で呼んでくれたら良いのに。


 だから、そろそろ名前で呼び合っても良いんじゃない? の気持ちを込めて、彼女の頬に自分の頬を摺り寄せた。

 その気持ちが通じたのか「重いよ、祥太くん」と。囁くように言いながら、僕の背中をぎゅうと抱きしめるから、僕も「重くしてるんだよ、友喜ちゃん」と彼女の名を呼び、さらに身体を寄せた。


 少しの間そうやって抱き合ったあと、出勤前の彼女のために、絶賛勉強中の料理を作ることにした。

 計量スプーンできっちり量り、何度も何度も味見して、少し時間はかかったけれど、レシピ通りに作った肉じゃがだ。料理上手な彼女な彼女の口に合うかどうかと、心配しながら運ぶ、と。


「あれ?」

 彼女はさっき抱き合って離れた体勢――お腹までこたつに入って両腕を投げ出した状態のまま、眠ってしまっていた。とても幸せそうな顔で、健やかな寝息を立てて。


 作った肉じゃがが冷めないうちに起こそうかとも思ったけれど、今日は早く来ていたおかげで、出勤時間から逆算してもまだまだ余裕がある。

 肉じゃがは温め直せばいい。むしろ時間を置いたほうが、味が染みて良いかもしれない。


 とりあえず彼女の隣に腰を下ろし、顔を覗き込んでみる。くまがひどい。肌荒れも。額には吹き出物もある。彼女の吹き出物なんて初めて見た。


 労わるように頬を撫でると、くすぐったかったのか「ふへへ」と。今まで聞いたことがないような笑い声を出すから、つられて僕も笑い出しそうになった。

 彼女を起こさないよう、口に腕を押しつけて必死に笑いを堪える。


 どうにか笑いを治めて、ふうっと息を吐いた。こんなに心地の良いため息は、生まれて初めてだった。


 どうか、こんなに大変な想いをして迎える旅行が、良いものになりますように。

 どうか、少しの間でも、彼女が良い休息をとれますように。そう願いながら、寝転んだ。




(了)

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