二時間黙って隣に座り互いの空気を馴染ませていこう3
そうして、いつ溢れてもおかしくはない、表面張力のような日々を過ごし、二月を迎えた。
彼の出張も研修会も交流会も無事に終わったようだけれど、わたしたちはまだ会えていない。二月に入ってから、わたしのシフトが中番と遅番のごった煮になってしまったからだ。
年末年始ほどではなかったし、頑張れば充分耐えられたけれど、彼に「頑張れば、ってことは無理してるってことだし、俺と会うために倒れたら大変だから」と気遣われたら、大人しくしているしかないのだ。
もしかしたら、この前の元気を装ったメッセージのせいで、彼は勘違いしてしまったのかもしれない。それか、高校時代に彼を避け続けたせいかも。
彼はわたしが我慢強い人間だと思い込んでいるだろう。その勘違いのせいで会う機会が減り、フェードアウトも有り得る。
でももう限界だ。限界なのだ。彼が好きだ。もう長い間、充分我慢した。もう我慢はたくさんだ。どうせ我慢をするなら、わたしは疲労と睡魔を我慢する。
「笹井さん、次は八日と十四日が休みか。八日の前後が遅番と朝番で、十四日の前後が朝番と遅番ね。じゃあ会うのは十四日にしようか。出張土産も渡したいし、久しぶりにゆっくりしよう」
電話口で平然と、あと十日以上もお預け宣言をする残酷な彼に「嫌です」と返した。
「え?」
「もう無理。もう一ヶ月半も会っていない。会いたい。もう無理。五分でいいから、ただ会いたい」
「え? ええ?」
「小林くん、今どこ?」
「え、と、まだ会社……」
「まだ仕事中?」
「いや、もう帰るとこ……」
「じゃあ二十分で行く。車でマンションまで送るから、待ってて」
「え、ちょっ、笹井さん、落ち着いて」
「落ち着いてる。わたしもまだ店の駐車場だし、この時間は混むから、多く見積もっても三十分くらいかかるかも」
「いや、さすがに来てもらうのは……」
「どうして?」
「笹井さんも仕事帰りなのに、わざわざこっちまで運転して来ることないよ。俺もすぐ電車に乗って帰るから。いやむしろそっち方面の電車に乗るから、駅かどこかで待ち合わせしよう」
「ううん、地下鉄から在来線への乗り換えがあるから、多分車より時間がかかる。わたしが行くのが一番早い」
「でも……」
「小林くん」
「うん?」
「わがまま言ってごめん。だけど、あなたが恋しい」
ここまで言うと、ようやく彼が了承して、「でも安全運転でね」と付け加えた。
帰宅ラッシュの市内中心部を抜け、三十分かけて彼の会社があるオフィス街へやって来た。
彼は合流しやすいようにと会社近くの公園に移動していて、駐車場に入ると駆け寄って来てくれた。
街灯に照らされた、彼の心配そうな表情がよく見える。
けれど今は、そんなことより。車から飛び出して、彼の胸に勢いよく抱きついた。
「え、え? 笹井さん、どうしたの? 大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」
何でもない口調で返事をしながら、腕を彼の背中に回して、身体の隙間を埋める。この矛盾に彼は戸惑い、何かあったのだろうと察してはいるものの、気軽に抱き返してもいいのか思案するよう両腕をさ迷わせ、結果左手を背中に添え、右手で肩甲骨の辺りを優しくぽんぽん撫でるという行為で落ち着いた。
それがやたらと可愛らしくて、彼の胸でくすくす笑ったあと「ごめんね」と切り出した。
「いや、俺はいいんだけどね、笹井さんは大丈夫? 何かあった?」
「あったよ。あった。もう一ヶ月以上会っていないのに、小林くんがあと十日以上会わないって。いじわるされた」
「いや、だって笹井さんのシフト、とんでもなかったし……」
「でも会いたかった。十日後に一日中一緒にいるより、今日五分だけでも会いたかった」
「そっか……気持ちを汲んであげられなくてごめんね」
「うん、大丈夫、好きだよ、小林くん」
「え?」
「小林くんが好き。一緒にいたい。空気は馴染んだから、今度は手を繋いだり抱き合ったりするのに慣れたい。だめ?」
あの頃はどうしても伝えられなかった気持ちを口にすると、小林くんの身体がびくっと震えたのがよく分かった。
不思議に思って顔を上げると、苦笑した彼がわたしを見下ろしていた。
「……困ったなあ」
「わたし、困らせてた?」
「うん、だいぶね」
告白に対する返答が「いいえ」なのではないかと不安に駆られるわたしに、苦笑したまま彼が「先に言われた」と告げた。
「え?」
「十四日に会ったときに、俺が言いたかったのに。なんやかんやで一ヶ月半も会えないなら、あと十日我慢すればバレンタインデーだから、その日に俺からチョコを渡して告白しようと思っていたのに。なかなか上手くいかないもんだね」
そう言って小林くんはわたしを再び胸に収め、「俺も笹井さんが好きだよ、あの頃よりずっと。今の笹井さんが好きだ」という返事をくれた。
わたしはそれを、驚くほど速い彼の鼓動と共に聞いた。
本当に、なかなか上手くいかない。けれどこれが、馬と言って鹿と言われた、わたしたちらしいとも思った。
気持ちがストンと綺麗に着地して、わたしは、ただ4Bの鉛筆を握り泣くしかなかったあの頃の自分を慰めるよう、不器用であまりいい恋愛ができないでいた彼を慰めるよう、身体をぴったりと密着させ、そのまましばらく抱き合っていた。
(了)




