0-序章
目下に広がるのは人々の憎悪の顔。穢らわしいモノを見るかのように酷く歪んでいる。かつて大聖女として崇められていた私はもういない。処刑台に登らされ、最期の時をただひたすらに待っている。
(なんでこんなことになったのかしら…)
思い出すのは1週間前のこと。
魔法が繁栄をもたらしたアリアード帝国の中心地に構える神殿。光が反射するような真っ白な建物の中に聖女だった私、アスランは住んでいた。
太陽の光が窓を通して体に指す。蒸し暑い嫌な感じがした。
「今日は暑いわね。アベルもそう思わない?」
「嫌な暑さですね」
私は向かい側に座って一緒に紅茶を飲んでいたアベルに問いかける。今年でもう20歳だと言うのにまだ少年のような顔をした黒い髪の青年。夕焼けのように美しい赤色をした双眸を細めて私を見た。
「師匠が暑いなら窓を開けましょうか?」
飲んでいた紅茶を音を立てずに置き、アベルが静かに立ち上がる。窓の方へ歩いていく横顔を見ながらふと思う。
(最近、名前で呼んでくれなくなったわね…)
端正な顔立ちをしたアベルは幼い頃、奴隷として市場に売られていた。目も当てられないほどに傷ついた姿は今思い出しても苦しくなる。アベルを私の家に連れて帰り、一緒に魔法を学んでいた時は弟のように懐いていてくれていたはずだ。アスラン、アスランと私を呼ぶ声が可愛らしかった。それがいつしか『師匠』なんて他人行儀な言い方になってしまったのが残念だ。
「反抗期かしら」
「…はい?」
心の声が漏れていたらしい。窓を開けて戻ってきたアベルは私の向かい側に座りながら怪訝な顔をしてこちらを見る。開いた窓から入ってくる風が心地いい。アベルの黒い髪が風によって揺れる。
(こうしてみると美形なのよね)
「なんでもないわ」
「...貴方のなんでもないは、なんでもなくないですよ」
「もう、秘密よ。アベルにだけは絶対に言わないわ」
そうですか、と言ってアベルは紅茶に手をつける。冷たい風は気持ちが良いけれど何故だか胸がざわつく。
今日は変だ。だからかいつもなら気にならないことも気になってくる。
「ねぇ、アベル?」
「なんでしょう」
「……いえ、そのね。なんでもないわ」
「師匠、なんでもないと言い過ぎですよ。話してください。何かありました?」
本当にこの男は人の感情に聡い。私がわかりやすいのがいけないのかもしれないけれど、それでも鈍感ではなさそうだ。真っ直ぐな瞳に見つめられて観念する。
「あのね、大したことじゃないのよ。ただ…アベルって恋人とかいないの?って聞きたくて」
「…………は?」
アベルは硬直し、長い沈黙のあと口を開く。
「急になんですか、そんなことを話している雰囲気ではなかったですよね?」
「それはそうだけど、なんだか今聞いておかないとって思ったのよ」
「それは……いつもの勘ですか?」
『勘』、私が幼い頃よく言っていた言葉。生まれつき魔法の才に恵まれた私は直近でおこる危険や「何か」を予知することが出来た。予知と言っても何が起きるかまでは分からないが、予感はいつも当たる。最近はあまりそういったことはなかったのだけれど、今日は久しぶりに嫌な感じがした。
「そういうことにしておいて。それで?質問の答えは?」
「はぁ、どうしてそんなことが気になるんですか。いませんよ、恋人なんて」
「いないの!?」
「逆になんでいると思ってるんですか?俺は毎日貴女のそばにいるんですけど、心外です」
アベルは拗ねたようにそういったあと立ち上がって私の隣に座った。さっきよりも至近距離で私を見つめてくる。飲み込まれそうな鮮やかな赤色が煌めく。
「では、師匠は?」
「え?」
「師匠はいるんですか?恋人」
まさか同じ質問を返されるなんて思わなかった。アベルはいつにも増して緊張したような真剣な顔をしている。
「いないわよ。いるわけないでしょう!」
これは本当だ。22歳にもなって恋人どころか婚約者もいない。18になった頃にはもう聖女として祭り上げられていて恋愛なんてしている暇がなかった。なんだか恥ずかしくて頬が熱くなる。
「ふ、そうですよね。知ってます」
「知ってるなら聞かないで、恥ずかしいじゃない」
アベルはほっとした顔をして笑った。私の独り身を笑われたようで少し不満だったけれど、どこかで安心している私がいることには気づいていた。
涼しい風が頬を揺らす。アベルとなんでもない話をしながら過ごすこの時間が好きだった。
(永遠に続けばいいのに)
「「ーー!!!」」
突然激しい物音がしてアベルと私は立ち上がった。その音は徐々に私たちのいる部屋に近づいてくる。
神殿にある私の部屋には誰も近づかないはずで、嫌な予感がどんどんと膨れ上がる。
「バンッ!!」
大きな音を立てて扉が開かれる。そこには10人ほどの男たちがいた。
「ノックもしないで入ってくるとはどういうことですか」
アベルは私の前に立ち、手を伸ばして私を隠すように庇う。アベルの問いには答えずに、1人の男が無作法に部屋に入ってくる。
「貴方に用はありませんよ、アベル……様。我らは貴女に会いに来たんです、大聖女アスラン様」
「俺たちもそちらに用はありませんが」
男は魔法使いではなかった。剣を腰に携えているのを見るに騎士だろうか。30代半ばの風貌で体格がよく、そこそこ背の高いアベルが小さく見えるくらいだ。印象的なのは穏和そうな笑み。
そして、ここに乗り込んできた男たち全員が魔法使いではなかった。アリアード帝国は魔法大国、帝国民全員が魔法を使う。
(他国の騎士が何故ここに)
私が男と目を合わせた瞬間、男たちはいっせいに剣を抜いた。
「!!」
それに反応したアベルが攻撃魔法の呪文を唱えようとした。
が、それは叶うことがなかった。
「どうして!」
「魔法が使えないでしょう?いい気味ですよ、アリアード帝国の魔法使い。魔法が使えなければただの力を持たない人間だ。我らの敵では無い。皆、2人の拘束を」
男が指示すると後ろで控えていた男たちが私たちに迫ってくる。
「抵抗はしない方がいい。どちらかが傷ついても良いのなら構いませんがね」
「師匠、俺から離れないでください」
「アベル。いったんここは彼らに従いましょう」
「……分かりました」
男たちの中に1人だけ剣を持たずにランタンを持っていた者がいた。それには見覚えがあった。
(禁忌の角灯!?)
学生のころ帝国の歴史を学んでいた時に出てきた禁術。魔法を使えなくする効果を一定の範囲に展開する魔導具。数百年も前に誰かが破壊したと書かれていたはずのものが目の前にある。おかしい、何かが。何か、とんでもないことが起こっている気がする。
「さぁ、大聖女アスラン、こちらへ。我らと共に来てもらいます」
「師匠を連れていくなら俺も連れて行け」
敵だと認識したのかアベルの敬語が取れる。リーダーのような男はにっこりと笑う。
「うるさい。主人にしか懐かない犬は黙っていろ」
「いっ!!」
穏和な態度は急変し、拳を振り下ろしてアベルを吹き飛ばす。吹き飛ばされたアベルは壁に肩を打ち、男たちに捕えられる。
「アベル!!」
「あぁ、本当にいい気味です。こんな日が来るなんて、神に感謝しなければ」
「アベルに乱暴しないでくれるかしら」
「えぇ、貴女が我らに従ってくださるのならば彼には何もしないと約束致しましょう」
男は私を見て嘲笑った。
今日は最低最悪の日。私の嫌な予感は当たったらしい。