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閉店三十分前  作者: なつのあゆみ
11/23

今から燃えます

 九月の十八日、まだ秋の気配がこない。着飽きたTシャツを着て、私は近くのスーパーへ行った。子供のお弁当のおかずを買い忘れてしまったのだ。

 十時まで開いているスーパーだが、「本日は八時閉店」という張り紙がしてあった。今は七時五十分だ。慌てて私は手早く冷凍のおかずをカゴに入れて、レジへ行った。もう閉店前の音楽が流れている。


「今から燃えます、見に来てください。今から燃えます、見にきてください」


 抑揚のない女性のアナウンスが聞こえてきた。


「今から燃えます、見に来てください。今から燃えます、見に来てください」


 もう一度聞こえた。何てことを言ってるの。ぞっとした。燃えるってどういうこと?


「お客様、お会計、1657円です」


 レジの女の子に声をかけられ、私ははっとして会計を済ませた。買い物袋に商品を入れて、早足で駐車場に向かった。


 赤い炎が視界に入った。


「あは、ははははははは。あはははははははっ」


 女の笑い声が響いている。着物を着た女性が燃えていた。私は車まで走った。あれは見てはいけないものだと直感した。震える手をなんとか落ち着かせ、シートベルトを締めて発車させる。


 燃えている女の前に、男性が立って見ている。炎のまわりに人が集まってくる。あれはスーパーの店員の子じゃないか。車で通り過ぎる時、さっきのレジの女の子だとわかった。ボブカットの、かわいい顔をしたその子は、気の毒そうに私を見ていた。


 今から燃えます、今から燃えます。あははは、あははは。耳からあの声が消えない。私はいったん、店の前で車を停止させて深呼吸をして心の中でお経を唱えた。

 スーパーオノシタ、ここには二度と来ないようにしよう。


 ※


 ひとしきり笑い、燃えさかって女の霊は消えた。婚礼の日に婿が不倫相手と蒸発し、白無垢で焼身自殺をした哀れな花嫁。九時半よりも早く、自分が死んだ八時に時間を合わせて出てくる。しかもマイクを乗っ取ってアナウンスをする。ちゃんと見に行かないとアナウンスをやめない。


「かまってちゃんだな。しかしまあ、かわいそうだけどー。毎月、これはきついです。精神ケア代ください」


 良子が愚痴る。確かにそうだな、と竹丸も同調した。初めての日はあの抑揚のない声のアナウンスにびびった。


「そうだな、慣れとは怖い。わかった、競馬でこの前勝ったから、これでみんなでごはんでも食べに行きなさい」


 物部副店長が財布から五千円を出した。


「にいちゃん、ケチだな。こういう時って一万円じゃない?」


 士郎が文句を言った。

 真琴と良子も冷めた目で物部副店長を見る。


「あのね、勝ったと言っても少額だから。俺が賭けに弱いのはおまえ知ってるだろ。五千円あれば、近くのファミレスで食えるだろ」


「もう競馬やめなよ。前ついていったとき、ぼろ負けしてかける言葉もなかった」


「そういうこと、みんなの前で言わない。今日のところは五千円で許して」


 物部副店長が士郎の頭をぽんぽんとたたき、五千円を握らせた。


「まあ、たしかに五千円あればサイゼリヤなら四人食べられるじゃん」


 真琴が笑顔で言った。


「私、四人とごはん行きたかったんだ。やったー、早く着替えて行こうよ行こう」


 良子がはしゃぐ。「そうだね」と士郎も笑い、竹丸は「食費浮いたー」と喜ぶ。「何食べようかな」と話しながら着替えて、

「ごちそうさまでーす」

 と事務所に残って仕事をしている物部副店長に挨拶をして退勤した。


「ピザ、シェアしよ。マルゲリータ食べたい。私はミラノ風ドリアにしよう」


 真琴がメニューを広げて言った。

 良子が注文用紙にマルゲリータピザと、ミラノ風ドリアを書いた。


「俺はハンバーグステーキとプチフォッカ。良子さん、お願いします」


「おっけー。じゃあ私は、カルボナーラにしよっと。士郎さんは?」


「たまねぎのズッパとプチフォッカでお願いします」


「ええ、それだけ? っていう渋い注文だなあ。たまねぎのズッパってのは、イタリア風オニオングラタンスープ、ほほう」


 良子が笑った。四人分のドリンクバーを記入して、「お願いします」と店員に渡す。

 良子と真琴が先にドリンクバーへ行く。竹丸は隣に座っている士郎を見た。まだ暑いのに士郎は白いシャツのカフスボタンをきっちり締めていた。三人はまだ夏の服装なのに、彼だけが秋がきたような涼しい顔をしているが、竹丸は見てしまった。

 更衣室で士郎の腕に、赤黒いあざがあるのを。


 料理がテーブルに来て、談笑しながら楽しく四人で食事をした。良子はとてもおいしそうにパスタを食べる。真琴は「猫舌なんだよね」と言いながらちびちびとドリアを食べていた。その食べ方が子猫みたいでかわいい。士郎はとろっとしたスープを音を立てずに食べていた。プチフォッカも半分にちぎって食べる、とてもお行儀が良い。


「これだけ頼んでも、まだあと二千円ぐらい食べられる。すごいねーサイゼは」


 良子が伝票を見て言った。


「後でデザート頼みましょう」


 士郎が微笑んで言う。


「士郎さん、甘いもの好きなんですか?」


「うん。和菓子が好き」


 良子の質問に士郎がうなずく。


「半額になったおまんじゅうとか、よく買ってるもんね」


 真琴が笑うと士郎は少し照れた顔で食後のコーヒーを飲んだ。


「この機会に、私は三人のことをめっちゃ知りたい。だから、改めて自己紹介をしたいな。んーっと、好きなこととか、将来の夢とか? なんかそういうの聞きたいです。いいですか?」


 良子がとびきりの笑顔で言ったので三人は、「いいよ」と勢いに飲まれて答えてしまい、三人同時に互いの顔色をうかがった。


「じゃあ、私から。私は増田良子です、フリーターです。二十歳です。ごく平凡な家庭で、高校生の弟がいてー、好きなことはメイクとドライブ。音楽は(G)I-DLEとBLACKPINKでー、将来のことは考え中。好きなタイプは、女の子ならまこちゃんで、男の人はダウナー系で話ちゃんと聞いてくれる人です」


「じゃあ、次は私。岡崎真琴、二十三歳。フリーのイラストレーター。妹がいる。好きなことはアートと音楽。UKロックが一番好き。最近はイタリアのロックバンド、Maneskinをヘビロテしてる。将来の夢は大きな美術館で展示会をすること。海外留学もしたくて、英語勉強して貯金するためにスーパーで働いてる。好きなタイプは良子ちゃんみたいな明るいギャル。……んーっと、男はねぇ。なんだろう、言葉にするとわかんないなあ、雰囲気に惹かれるかな。次、はい、竹丸ね」


「竹丸雅也、十九歳。大学生、一人暮らし。趣味はツーリングとNetflixでドラマと映画観ること。将来はまあ、ホワイト企業に就職できればいいかな。好きなタイプ……」


 竹丸はいったん話を置いて、ソーダ水を飲む。


「女の人はちょっと気が強そうで、生きる目標がはっきりしている人、猫顔が好き。男の人は静かなんだけど強い意志を持ってて、優しくて顔はきれい系で……俺はこんな感じです。あー、なんか照れるってこういうの」


 竹丸はテーブルに肘をついて、片手で顔を隠す。


「えっと、最後は僕か。物部士郎、二十一歳の大学生です。叔父の神社を継ぎます。好きなことは読書、美術館や映画館に行くこと。あと猫が好き。一人行動することが多いかな。さっき言った和菓子と、朝の神社の空気が好きなんだ。神社に住んでてよかったと思う。好きなタイプについては、男女とも誠実な人で、深い考えを持った人」


 士郎が言い終えてから、柔らかく笑った。


「みんなのこと、わかったし、僕も言えてよかった。良子さん、いい機会をありがとう」


 真剣な顔で士郎を見つめていた良子は、うなずいた。


「こちらこそです、ちゃんと答えてくれてありがとう。人のことをちゃんと知るっていいよねー」


「そうだね。竹丸って映画観るのか。好きな映画、なによ?」


 真琴が興味深そうに尋ねる。


「フォレスト・ガンプです。俺は派手な映画より、人間の深いとこ描いてる映画が好きなんで」


「へぇ、けっこうオトナじゃん。私は映画より恋愛ドラマ好きぃ。まこちゃん好きな映画は?」


「一番はレオン一択。士郎くんはミュージカル映画好きなんだよね」


 カフェオレに砂糖を入れてスプーンで混ぜながら真琴が言う。彼女は第三者がいる場で、自分が知っている士郎のことを話す時、目をきらめかせる。


「うん。歌とダンスとストーリーを観てると、元気になれる感じがして。映画好きって言ったら、なぜか昭和の邦画好きそうとか言われて、僕ってそんな古くさい?」


 士郎が眉を寄せながら笑って言う。


「士郎さんは大人っぽいっからー、なんかそう言われちゃうのかも」


「まあ、うん、なんかわかる」


 良子と真琴が顔を見合わせて笑い、「えー、わかっちゃうんですか」と士郎が不満そうに言った。


「デザートタイムにしましょうよ」


 竹丸がメニューを開くと、「そうしよう」と盛り上がった。

 話は途切れなかった。いつもより士郎は口数が多かった。いつの間にか真夜中の二時、閉店の時間がきた。離れがたい気持ちをおさえて、手をふって解散する。

 一人暮らしの部屋に帰ってきた。竹丸は楽しくて愛しい会話を思い出して寂しさをまぎらわせた。

 良子が好きなタイプを自己紹介に入れてきた、あれはけしかけられたな、と竹丸は苦々しく照れくさく思う。ずいぶんと素直に答えてしまった。

 もうぜんぶ、打ち明けてしまおうか。二人に恋をして三ヶ月になる。夏に出会って秋の気配を感じはじめて、感傷的になった。

 

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