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望み絶たれて精を射る

作者: 関口
掲載日:2023/01/16

最初に射精したのは小6の時だった。

5人いるいとこは全員成人していて、親戚の中でぼくが初めて中学受験をすることになった。

9月の最初のころ、青森に住むおじいちゃんが死んだ。

受験勉強もラストスパートだったので、お葬式に勉強道具を持っていって、葬儀の合間に宿題をやった。親戚の集まりがあるとぼく以外はみんなお酒を飲む。その日もお葬式の後は飲み会が開かれていて、なんだか場の空気が酔っぱらっているみたいだった。

ぼくが宴会場のすみっこで勉強をしていると、いとこの一人が寄ってきた。

「お前は何勉強してんだよお。こんな時でも勉強か?そんなに大好きなのか?おじいちゃんが死んでるって時に、なんて冷淡な奴なんだよお」と吐き捨てられた。お酒臭かった。絶対に受かってやると強くちかった瞬間だった。

翌年、第一志望校に落ちた。

合格発表の帰り道、人知れず射精をしていた。それが初めての射精だった。


次に射精したのは中2の時だった。

とある日の深夜、いつものようにベッドに入って寝ようとしたら、リビングの方がなにやら騒がしかった。

どうやら父の不倫がばれて母と喧嘩をしているらしかった。気になったので寝室を出て、廊下の隅の方からリビングをこっそりと覗いてみた。

「もうしないって言ったじゃない!」

「いやこれは…… 違うんだよ……」

「何が違うのよ!! うるさい!!」

「お、おい、落ち着けって」

「落ち着けるわけないでしょ!!!!」

取り乱した母は台所に向かい、包丁を手に持って父に近づいていく。

「や、やめ、、」

母の手にあったそれは、父の脇腹に刺さった。

その光景を見ながら、勢いよく射精した。

父はその翌日、息を引き取った。

葬式でも、繰り返し射精した。

父は研究者だったこともあって、葬式には偉そうな人がたくさん来た。参列者はみんな同情するような、哀れむような目でぼくを見てきた。じろじろと見られているようでとても不快だったが、パンツの中はもっと不快だった。

そしてなにより、疲れ果ててしまった。


次に射精したのは大学1年の時だった。

中学受験の失敗がバネとなり、第一志望だった地方の国立大学に無事に合格して一人暮らしをしていた。父が死んでから母は精神がひどく不安定になり、母方の祖父母と4人で暮らしていた。暮らしていたといっても母は裁判やら病院やらで家にいない日も多かったけど。ひたすら母のご機嫌を伺う生活に辟易していたので、家を離れられて心底ホッとしていた。母の機嫌を伺い続けた反動で人の機嫌を気にしすぎるようになってしまい、すっかり一人でいる方が気楽になっていた。なので、なるべく人と関わらないようにして生活していた。サークルや部活には入ることなく常に一人で行動していた。かといって講義を真面目に受けることもなく、何となく出席を重ね何となく単位を積み上げていた。

ある日のこと、いつも通り講義を受けて帰ろうとすると、同じ講義を取っている橋本さんに話しかけられた。

「田辺くん、だっけ? ノート忘れてるよ」

「あ、ありがとう」

「いつも一人だけど、サークルとかは入ってないの?」

「え、まあ、そうだね。なんか、一人の方が落ち着くんだ」

「へえ。私もね、一人の方が好きかな」

橋本さんとはこれが最初の絡みだったが、何となく会話の空気感が心地よかった。彼女は穏やかな雰囲気の人で、これをきっかけにちょくちょく話すようになった。雑談をしても不思議と彼女の機嫌を気にすることなく会話ができたし、一緒にいても気楽に過ごせた。誰かといてこんなに居心地が良いのは、父が死んでからは初めてのことだったような気がする。

「田辺くん、この講義の後少し時間ある? 良かったらちょっと本屋寄って行かない?」彼女はゆるいトーンで言った。

「いいね。行こう」

これがきっかけになって彼女と二人で遊ぶようになった。二人とも趣味がインドアに寄っていたので、本屋に行ったりカフェで話したり、映画を観たりした。僕にとって彼女と過ごす時間は一人でいるよりも安心していられる時間だったし、すごく幸せだった。だから、彼女のことを好きになるのも全く自然なことだった。

ある時、二人で夜ご飯を食べに行った。

「このオムライス美味しいね!」橋本さんは嬉しそうに言う。何気ない彼女の笑顔がたまらなく可愛かった。

「ね、美味しいね」僕はニヤニヤしながら返した。なんて幸せな時間なんだろう。

ご飯を食べ終わって、駅まで歩いて行った。

「さっきの店、本当に美味しかったね」

「うん。田辺くんナイスチョイスだよー」

「えへ、ありがとう」

何気ない会話をしながら、少しずつ鼓動が早くなってくる。どうしよう、いつ言おう。そんなことを考えていたら駅に着いてしまった。

「私はこっちだから、ここでバイバイだね」そう言って改札に入ろうとする彼女を、衝動的に呼び止める。

「あ、ちょっとまって」

「ん? どうしたの?」

「えっと、その、橋本さんのこと、好きなんだ。えと、良かったら、その、付き合ってくれませんか?」

「え?」彼女は少しの間沈黙した。たぶん時間にしたら2秒くらいだったと思うけど、とてつもなく長く感じられた。

「うーんと、その、田辺くんはすごく良い友達だと思ってるんだけど、なんというか、恋愛対象としては見れなくて…… ごめんなさい。私、帰るね」彼女はさっさと改札の中に入っていった。

呆然と改札前で立ち尽くしながら、こんなにあっけないんだ、と思った。お互いの趣味も合っていたし勝手に良い感じだと思っていた。二人で遊んでいる時は毎回楽しくて、彼女も楽しそうにしてるなと思っていた。でもそれは友達だからってことだったみたいだ。なんてあっけないんだろう。友達以上を期待して勝手に浮かれていたのは僕だけだった。ばかみたいだ。どうにもならない気持ちが僕の心を蹴り上げる。

脳内で「恋愛対象としては見れなくて……」が繰り返し響き渡り、深いため息をついた。こんなもんなのかなあと思いながらとぼとぼと改札の中に入った。

家に帰りぼーっとしていると、ポン、とスマホがなった。画面を見ると橋本さんからのメッセージだった。すぐにアプリを開いて内容を確認する。

「ねえちょっと聞いて、、

さっき田辺くんから告白されたんだけど、めっちゃゾワっとした…

完全にただの友達だと思ってたのになんでなの?意味わからないよ

最初はなんとなく声かけたけどさ、

たまたまお互い一人の講義があったからってだけだったし。

映画だってたまたま観たい作品だったから行っただけだし。

だんだん向こうからぐいぐい誘ってくるようになって、なんかちょっと断りにくいなあとか思ってたら告白って、、

あの人と話すようになって気づいたけど、全然話面白くないし、そもそも顔が無理。受け付けないわ

一緒にいるときずっとニヤニヤしてるのも超気持ち悪いし

ごめんね急に愚痴っちゃって、、

美佳ならいいかなと思ってつい長くなっちゃった、、」

すぐに再びポン、と音がすると、「このメッセージは削除されました」の表示に続いて、

「あ、ごめん!気にしないで!」

というメッセージが送られてきた。

一度読んでしまったそのメッセージは脳内に刻み付けられてしまい、全く消えてくれなかった。ただの勘違いだった。

気づけば大量に射精していた。久々の不快感を思い出しながら、脱衣所に向かいパンツを脱ぎ、そこについた精液をティッシュで拭いた。一通り拭き終わって顔を見上げると、情けない顔をした自分の姿が映っていた。「そもそも顔が無理」、「超気持ち悪い」、一刻も早く忘れたいフレーズを何度も何度も反芻してしまう。ぶわっとあふれ出した涙は、しばらく止まらなかった。


次に射精したのは社会人になってからだった。

日系メーカーの企業に就職して半年ほどが経った頃で、大学時代の家から引っ越しこそしたものの変わらず一人暮らしをしていた。そこそこ規模の大きい会社で、同期は30人ほどいたが配属先には1年目は自分しかいなかった。特にトラブルなく仕事はできていたが、部署の先輩方とは仕事上の会話以外のやり取りはなかった。

ある日、お腹を壊してしまいトイレの個室に籠っていると3年目と5年目の先輩が入ってきた。3年目の先輩はメンターだったこともあり、仕事では一番話す機会が多い。

「で、新人の田辺はどうよ?」

「あー、あいつっすか?なんて言うんすかねー、あまりにも特徴がないんですよねー。当たり障りがなさ過ぎて印象に残らないというか、仕事の出来も普通だし、人となりもイマイチ見えてこないというか」

「なるほどねえ、メンターの君が言うならそうなんだろうな」

なんとも不愉快な会話だった。波風を立てないように振舞っていることがこんな風に見られてしまうとは。とはいえあまりに気にしすぎていても仕方がないと思い、とくに気にしないようにした。

この頃から徐々にメンターのあたりが強くなっていった。

「お前さ、たまには自分の意見とか言ったらどうなんだ?いつも言われたことだけやって、それじゃ仕事できるようにならないぞ?」

「はあ……」

「チッ。まあいいや」

例えばこんなふうなやり取りがメンターとの間で増えていった。

年末の時期、仕事で大きなミスをしてしまった。明らかに無理な分量と無理な納期の業務を任されてしまい大急ぎで作業をした結果だったので仕方ない部分もあるのだが、メンターには理不尽に怒られた。「1年目の中でも相当無能だろ?」と言われた時にはさすがにムッとしたが、これ以上関係が悪化しても面倒なので何も言わなかった。悲しかったのは部長にも「君は大事なところでミスをする傾向があるね」と評されてしまったことだ。

何とか年内の業務を片付け、家に帰った。振り返ると散々だな、と思った。仕事が多く今月は半分くらい深夜残業をしていた。メンターには嫌われ、無理な仕事を押し付けられてミスをし、部署内での評価も悪い。部署には他に同期もいないので相談相手もなく、完全に孤立している。年明けの仕事は自分のミスの埋め合わせから始まる。

不意に気配を感じ、ズボンを脱ぐとパンツが湿っていた。それは比較的緩やかな射精だった。


年が明け、いつもの日常が戻ってきた。部署での立場は相変わらずだった。何ならメンター以外からの圧も強くなっており、ますます居場所がなくなっていた。

仕事を終え帰宅した時、パンツが濡れていることが増えた。もともと滅多なことでは射精しなかったが、最近は制御ができなくなってきているみたいだ。メンターにも「なんか事務員のおばちゃんが「田辺くん、最近臭くない?」って言ってたぞ。ちゃんと風呂は入っとけよ」と言われてしまった。


なんというか、もう駄目だなと思った。


---

「うーん、やっぱり暗いですねえ」

「仕方ないですよ、彼はdespairですから」

喪服を着た二人の男が歩いている。式場には”故 田辺啓二儀 告別式”の看板が立てかけられていた。背の低い方の男の手には”記録 田辺”と書かれたノートが抱えられていた。

「記録を見ていると嫌な出来事しか書かれていないですね」

「そもそも家庭環境がかなり悪いですから…… despairであることと何か因縁のようなものを感じてしまいますね」

「どうですかね。どちらかと言えば、父が自身の研究に息子を巻き込む状況がすでに因縁というか運命というか、そんな感じがしちゃいます」

「確かに…… まあ被験者の半分くらいは彼と同じく親の研究に巻き込まれる形なので、彼以外も同じような運命かもしれませんね」

会話の雰囲気は葬式にしては悲壮感が少なく、どこかあっさりとしていた。


告別式を終え、二人の男は無機質だが立派な外観の施設に入り、そのまま会議室のような部屋へと向かった。

部屋には恰幅の良い中年の男性が座って作業をしていた。

「失礼します。despairの告別式に行ってまいりました」

「二人ともご苦労だった。早速で悪いのだが、簡単に現状報告をお願いできるだろうか?」

「承知しました」二人のうち一人がそう答え、淡々と話し始める。

「サブジェクトネーム:despairが死んだのは4日前の23時頃。仕事から帰ってきた後、自宅で首を吊って自殺しています。享年23歳でした。彼自身の記録に基づくと射精回数は比較的少ないようでしたが、社会人になってから死ぬまでの1年弱は制御が効かなくなり、射精する頻度も増加していたようです。これにより、現在被験者8名の中で生存しているのはcynicism、pride、hopeの3名となりました」

「うむ、ありがとう。元々の射精回数が少なかったことがある種の異常をきたし、最終的にコントロールできなくなったとも捉えられる内容であるな。今までの彼の健康診断のデータなどと照らし合わせて考察する必要がありそうだ」

「そうですね。おっしゃる通り単純な射精周りでの数値検証も必要だと思いますが、父を中学生の時に亡くす、母が精神不安定になる、といった外部環境面での影響も少なからずあると思うので、それらも踏まえて考察する必要があると思います」

「確かに、彼の家庭環境は他被験者とはかなり異なる特殊なものだった。そのあたりも含めて考えねばならないな。ちなみに生存者の中で今最も安定しているのは誰になるかね?」

「今に限らずですが、他に比べ格段に安定しているのはhopeですね。問題なく社会人生活も行えていますし、過去の生体データの推移を見ても最も安定していると言えます。ただし彼も射精頻度はかなり少ないので、今回despairで見られたような異常が後に出てくるリスクはありますね」

「hopeの射精頻度が少ないというのは少し悲しいところもあるが、やはり安定しているのだな。射精頻度が少なすぎても良くない、という仮説は今回新たに出てきた重要なものだ。このあたりも今後の検証項目として進めていきたいところではあるな」

「はい。ですので、完全に不随意射精を抑える感情を探索するのではなく、一定の不随意射精がありつつ、それをコントロールしやすいような感情を探索する方が良いのではないか、と考えております」

「うむ。その観点で行くとprideは後者に当てはまりそうだ」

「そうですね、prideは多少の数値ブレはありつつも安定しているという見方もできます。その意味では被験者はすでに亡くなってしまいましたが罪悪感も可能性があるのではないでしょうか」

「うーむ、あれは少し環境に左右されやすい感情という気がするんだよな。まあguiltは10歳の時に不慮の事故で亡くなってしまったから検証不足なのだが…… とにかく二人ともご苦労だった。今日はゆっくり休んでくれたまえ」

「ありがとうございます」

「ではお先に失礼します。お疲れ様でした」

仕事を終え、二人の男は部屋を後にした。


部屋に残った男はふう、とため息をつく。被験者といえど人の死は人の死だ。なるべく淡々とやり取りをするようにしているものの、精神的にはかなり疲弊していた。だが仕事は仕事なので着実に遂行せねばならない。プロジェクトリーダーとしての重荷を背負っていた。

「これで5人目か……」彼はモニター画面の被験者リストを眺めながらつぶやいた。画面にはグレーの背景色になっているguilt(罪悪)、curiosity(好奇心)、unbelief(不信) 、envy(嫉妬)、despair(絶望)と、白い背景色のcynicism(皮肉)、pride(自尊)、hope(希望)の基本情報が並んでいる。

被験者が亡くなるたびに、ここまでの犠牲を払ってまでやる価値があるだろうか、と自問してしまう。その度に研究の序文を読み返すようにしている。


【序文】年に4%を超える世界人口の減少が人類喫緊の問題となり、この問題の解決を目的とする場合のみ特例でヒトの遺伝子操作をすることができるようになった。遺伝子操作を含め、この問題解決のために様々なアプローチが考えられたが、その中でも現在最も有望視されている研究の一つが射精に対する感情制御である。様々な娯楽が蔓延し、趣味を通じたコミュニティが活性化したことで一人で生きていくことがごく一般的となった。こうした状況の背景として、性的快楽の感情が相対的に他の好感情に劣ってきたことが挙げられる。ヒトにとって感情はかなり大きな要素であり、性的快楽が出産活動に与える影響は少なからず大きいことが分かっている。本研究では、ヒトが射精を引き起こす際の感情を操作することで、既存の性的快楽とは異なる感情に基づいた射精を誘導することを主目的とする。これにより現代社会に適応する形での射精を実現し、ひいては人間の出産活動に好影響を与えることを期待する。


目的を刻み込むことで、この研究の進む道を見失わないよう何とか保っている。既に犠牲者も出てしまっている。引き返すことはできない。やっていくしかない。

再び大きなため息をついた後、男は先ほどグレーにしたdespairの詳細データを開き、報告書を記入し始めた。

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