吸血鬼がでるってほんとうですか?
切りすぎた前髪を気にしながら、修道服姿のソーニャは、西へ向かう馬車の荷台でゆられていた。
ひとりてくてく田園沿いの街道を歩いているところを、トラーシャに作物を卸した帰りの農夫に拾ってもらったのだ。
追放された身とはいえ、やはり教団関係者というだけで扱いが違う。
「街の近くはこの格好が便利だけど、辺境では男装のほうが安全だよねぇ」
『そのおっぱいで男装は無理があるだろ』
「おっ!?」
フテネルは笑いながら、ふわふわとソーニャの拳を避ける。
生まれつき女神の強い加護を受けているソーニャの身体は、自然に周囲のマナを取り込み常に体内に巡らせている。
魔族か妖精の血が流れているのかもしれない。
おかげでこの歳になるまで病気知らず。フテネルに言わせれば、風邪をひかない馬鹿のたぐいなのだが。
多少のケガなら、ソーニャが手をかざすだけであっという間に治ってしまう。
ベゼル司祭に振るったのも、自らの筋力を増強し、同時に癒しの効果を乗せた祝福された拳だ。
おかげでベゼル司祭は顔の形が変わるほどの衝撃を受けながら、同時に治癒され腫れさえ残っていない。
ソーニャがどこまで自覚しているのかは分からないが、ただ強化した拳で殴っていただけなら、追放どころでは済まない惨事になっていたはずだ。
『馬鹿は馬鹿なりに考えてるんだろうね』
「馬鹿っていうな!」
フテネルが見えない農夫にとって、ソーニャはひとりごとを呟きながら拳を振り回す危ない娘でしかない。
「あちゃー、失敗した……」
わずかな距離で馬車を下ろされたソーニャはぼやきつつ、ふたたびてくてくと街道を行く。
田園の景色は途切れ、あたりは岩と低木の目立つ荒野に変わっていた。
辺境では知らぬ間に、魔族の領地や妖精の森に踏み込んでしまうこともある。
怖い目に合う旅人の話は、幼いころ幾つも聞かされた覚えがある。
『橋や四辻、妖精の輪なんかには気を付けろよ。人間とは違って、修道女だからって見逃してはくれないからな』
「修道女じゃなくて聖女だよう」
『追放聖女だろ』
幸い日が完全に落ち切る前に、ソーニャは小さな村に辿り着くことができた。
「宿がないねぇ」
『教会もな』
村で一番大きな家に見当を付け訪ねると、村長は快く迎え入れてくれた。
これも修道服が効果を発揮した形だ。
「修道女じゃなく追放された聖女です」と言い張ろうとするのを、フテネルに止められたのは不本意だったが。
質素だが量は充分な、固いパンと豆のスープで食事を済ませ人心地付くと、ソーニャは部屋の中を見渡した。
暖炉からは薪がはぜる心地良い音が響き、室内を照らすのはろうそくではなくランプの明かり。
初老の村長とその妻の身に付けている衣装は辺境に似合わぬ仕立ての良いもので、街の商人のように見える。
「裕福な村なんですねぇ」
歩いてきた荒地の景色にそぐわない室内を見渡し、ソーニャが呟く。
「おかげさまで。女神さまの恩恵にあずかっております」
『空々しいな。そう思うなら教会建てろよ』
「なにか困りごとはありませんか?」
フテネルの言葉を聞き流しながら、この村に新たに建てられる教会に勤めるなら司祭も文句はないかなと、ソーニャは頭の片隅で考える。
「そう、困りごとといえば」
村長はもったいぶるような間を取り、
「吸血鬼が出るのでございます」
そう切り出した。
§
100年前に起きた聖魔大戦は、天界魔界、妖精界などの幽世の争いの余波が、現世である地上にもたらされた結果だ。
魔族の住まう西果ての地ルシフェニアを統治する魔王ルキウスと、人類の旗頭であった賢王アルナス、双方の死をもって戦は終わりを告げた。
人間から血を――正確には、血液に含まれるマナを奪い生きる吸血鬼は、聖魔大戦以前から地上に棲みついていた。
荒れ野や墓所に潜み、夜ごと人を襲う吸血鬼は、大戦の折にそのほとんどが駆逐されたが、城を構え、年貢の一部として血を求める高位の吸血鬼のなかには、未だに戦前と変わらぬ暮らしを続けている者も存在する。
「いまさらなんで? 聖魔大戦時にも討伐されず、いままで受け入れられる領主だったんでしょ?」
「さて。マナの不足が原因か、あるいはフェルシア様の教団の伸展に備えてか」
『おぉん? 引っ掛かる言いかただな。イヤミか!?』
大規模魔法の飛び交う大戦の結果、地上のマナは枯渇した。
妖精の寿命は縮まり、魔法を扱えない魔族も増えているという。
魔法を使える人間に至っては、女神フェルシア教団聖女を含め、全て国に把握され管理下に置かれている。
マナの収穫が減れば取り立ては厳しくなる。100年も経てば状況は変わる。村長はそう語った。
「なるほど。それはなんとかしなきゃだよねぇ」
『城を構える吸血鬼は簡単な相手じゃないぞ? 魔族を殺る気満々の100年前の連中でさえ、戦うのを避けたんだからな!』
「だからこそだよ。そのための聖女でしょ?」
『ああもうこの能天気娘は!』
呆れてみせるフテネルだったが、その表情は騒動への期待に満ちていた。
§
この村を含む領地を治めるのは、エルンスト・アメルハウザー伯爵。
魔族としては極東の名家で、聖魔大戦時には人間を含めた領民と領地を護ることを最優先し、早々《そうそう》に賢王の講和の呼び掛けに応じたという。
『墓ならどこでもいい食屍鬼や、人や家系に憑く吸精種と違って、吸血鬼は土地に執着するからな。不死性も土地に結びついてるからこそって奴も多いし』
「ふうん」
アメルハウザーの居城は森を越えた峻険な岩山の上にあるのだという。
とてもじゃないが夜更けに向かえる場所ではない。
「わたし寝てていいの? 見回りしたほうが良くない?」
ソーニャは使用人部屋の寝床を借りるのを断り、家畜小屋に積まれた藁をベッド代わりにしている。
フテネルの指示だ。修道院で初めてベッドを使ったソーニャとしては、特に不満はないのだが。
『これでいい。いや、これが良いんだよ』
途中で荷馬車にも乗れたとはいえ、聖女認定式典の気疲れや旅の疲れは溜まっていたらしい。
ソーニャは懐かしい家畜と藁の匂いに包まれ、いつの間にか眠りに落ちた。