序章
緩やかな山の斜面を切り取り、立ち並ぶ閑静住宅街。様々な形をした屋根や風変わりな家が夥しい位に立ち並んでいる様式は時代の象徴を表し、見る者に興味深さを感じさせる。
多くの色んな人達が家を建てたり、若しくは家を売ったりする事が絶える事が無い有様は、まるで建物の椅子取りゲームの様にも思える程であった。
そんな閑静の住宅街の、まだ初春には少し早い時期の晴れた日曜日の事だった。空き家だった民家に中年夫婦と思われる一家が訪ねて来た。不動産の人と一緒に中年夫婦は空き家を見に来た。黒い高級セダンの車を路肩へと停めて、3人は車から降りる。そして車の中から…さらに小さな人影が現れた。
車から降りる小さな人影は少し気分でも害したのか、余り調子が良く無さそうな雰囲気が感じられた。その人影の正体はまだ年端もいかない少女だった。
黒く長い髪は背中から腰の近くまで垂らし、細身で華奢、まだ背丈も低く幼さを感じさせる程だった。黒い髪は前髪も伸ばしていて、目に届きそうな程長かった。着ている衣服も今時の少女達が着ている服装とは異なり、真っ黒な衣装に身を包んでいる。少し風変わりな雰囲気を見せつける少女は、時折せわしなく左腕を摩っていた。彼女の左手首には数珠の様な物が巻き付けられている。
「こちらの家は築30年程の物件になります。家は平成初期に建てられてまして、最近の住宅と比べると若干見劣りはしますが…バブル経済の時期に宮大工が建築に関わった建物です。この辺の地盤は強く家もヒノキで作られているので、心配は無いと思います。何よりも前の所有者が家の売却するまで住んでいましたので、リフォームすれば、まだ十分に住めると思います」
「その所有者は、現在どちらへ?」
「今は高齢になられたので、家を売った資金で福祉施設に入居しております」
不動産屋の話が終わると夫婦達は風変わりな少女を家の前まで連れて行くと少女に声を掛ける。
「彩未ちゃん、この家はどう?」
彩未と言われた子は家をジッと眺め、建物周辺をしばらく見回して来ると微笑みながら、
「大丈夫、平気よ怖くないわ…」
それを聞いた夫婦は安堵した表情で不動産屋の人に契約の話を進める。
「では…中を見ましょう」
不動産屋に案内されて一向が家の中に入ろうとした時、彩未も一緒に歩き始めた…が、次の瞬間彩未は何かに反応したかの様にビクッと立ち止まり、蹲って呼吸が荒くなった。
ハアハア…と息を切らしながら、左腕を握り締めている。
「大丈夫?」
夫人が彩未を抱きしめる。
「ゴメンなさい、平気…ちょっと、何時ものが感じただけ…」
彩未はそう言って起き上がり、スウッと軽く深呼吸してから周囲を見渡した。視線を見回す中、犬の散歩をしている年配の男性を見つける。
「叔母さん…あの人…」
悲しそうな目付きで彩未は男性を指す。
「人に指をさしちゃダメよ」
「でも…」
「とりあえず、家の中に行きましょう」
「うん」
犬の散歩をしている男性も、彼等の声が聞こえたのか、中年夫婦達を見ていた。家に入ろうとしていた彩未は、男性に向かって手を振っていた。
男性は嬉しそうに笑顔で手を振って歩き去って行く。
「バイバイ、さようなら…」
彩未は涙を堪えながら言う。
男性は住宅街を降りた場所にある、主要道のスクランブル交差点付近へと辿り着いた。車の流れが激しく。交通量もあるスクランブル交差点付近。数人の人達が信号待ちしていて、彼の周囲には人は居なかった、だが…突然彼は何かに背後から強く押されて、勢い良く交差点の真ん中まで押し出された。
振り返えり、彼が居た場所を確認すると人の姿は無かったが…、彼が立っていた場所に薄っすらと人の姿をした黒い靄のような物が見えた。突然、彼の連れていた犬が大きく吠えた。
彼は前方から勢い良く走って来たハイブリッドカーに正面からぶつかった。
向かい側で信号待ちしていた人達や、周辺を歩行していた人達の目の前で彼はハイブリッドカーに跳ね飛ばされ、一瞬…宙に浮いたかと思うと、そのまま地面に叩きつけられ不自然な形で転がり落ちる。跳ね飛ばされた男性の周辺には赤い血の池が広がり、その光景の一部始終を見ていた歩行者達は愕然とした様子で蹲り、悲痛な叫び声で出して嘆いた。
男性はそのまま意識を失い帰らぬ人となった…。
家の中の視察を終えた中年夫婦達が車に戻ろうとする時に救急車のサイレンが聞こえて来るのに気付く、そのサイレンが近くで鳴り止む。
「おや…近くで事故でもあったのかな?」
「さっき、この近くを歩いてた方が亡くなったの…」
「え…?」
幼い少女の言葉に不動産関係の男性はビクッと驚いた。
「と、取り敢えず手続きをしたいから店に戻ろう」
「そうですね…はは」
彼等は愛想笑いしながら車に乗り込もうとした。その瞬間だった…
ピクッと何かに反応した幼い少女は、視線を向かい側の建物付近へと視線を向ける。視線の先には紺色のセーラー服に身を包み、華奢な身体だが、立ち姿が美しい少女の姿があった。彼女は日傘を差して顔を隠していた。
セーラー服の少女は、ジッと彩未の方を見つめていた。
彩未も左腕を摩りながら少女を見る。
(あの子…)
「どうしたの?」
夫人が彩未が立ち止まったままの状態で、身動きしなかった事が気になって声を掛けて来た。
「え…あ、何でも無いわ」
そう返事をして、向かい側の建物に視線を戻すと、日傘を差した少女の姿は消えていた。