吾輩は長靴をはいているが猫ではないかもしれない
私は猫である。
名前はあるが、名乗るほどのものではない。
ぴかぴかに磨かれた長靴を履いた、ただの猫である。
真っ黒な毛並みを丁寧に整えて、お気に入りのブーツを綺麗に磨いて、
出来るだけ綺麗な私を作り上げて、私は家の玄関を開けた。
空は澄み渡り、気分も自然と晴れやかになる。
「やぁやぁ猫さん、こんにちは」
通りすがりのワタリガラスはガアガア啼いた。
私はできるだけ上品にお辞儀をして見せる。
「こんにちは、ワタリガラスさん。
今日も綺麗な羽根ですね」
褒められたワタリガラスは嬉しそうに飛び去った。
「おやおや猫さん、こんにちは」
すれ違いざまに大柄なイヌはワンワン鳴いた。
「こんにちは、お巡りさん。
今日も頑張ってくださいね」
去り際にイヌは誇らしげにワンと吠えた。
にこやかな笑顔を意識しながら、街を歩いた。
陰気な顔より、朗らかな笑顔。俯いていたら、きっと彼に振り向いてもらえない。
曲がり角を曲がると、いつもの彼の背中が見えた。
その背中に駆け寄って、私は可愛く、にゃあと鳴く。
「おはよう、私の王子さま。
あなたの凛々しいお姿は、いつも変わらず素晴らしい」
褒められた彼は自信無さげにはにかんだ。
少し頼りない彼は、それでも私の王子さまだった。
「ねぇ、どうしてキミは彼のために、そんなに苦労をしているの?」
私のトモダチは、よく私を見てそう呟く。
時折その目には憐憫に近い何かが見える気がするが、それでも私は変わらない。
「彼に、私を見て欲しいから」
彼のため、私は彼に尽くし続けた。
望んだものは何でも差し出した。
おしゃれも必死に勉強して。喜ばせようとお菓子を焼いて。
いつもどんくさい彼のため、毎日々々駆け回った。
いつか彼が、こちらを振り返ってくれると信じて。
ある日、彼は一人のお姫さまに出会う。
銀の髪に蒼い瞳の、綺麗な、綺麗なお姫さま。
彼が初めて見せる、輝くような瞳を見て、私は悟った。
あぁ、次の望みは、「この人」なのだと。
私は力の限りを尽くして、二人の間を受け持った。
彼の願いを叶えようと必死になった。
二人の距離は次第に縮まっていく。
そんな二人を、私はただ眺めていた。
彼を止めたかった。
彼が、どんどん遠ざかっていくような気がした。
それでも、嫌われるのが怖くなって。
私は立ち竦むだけだった。
二人の間に割って入る夢を見た。
すぐに消える夢を見て、儚い幸せを抱きしめて、目覚めた後には空っぽの腕。
こぼれた砂を掬うように、何度も、何度も、
叶わない夢を見ていた。
やがて二人は結ばれた。
手を繋いで寄り添う二人を見て、私は一人で泣いていた。
泣いて、泣いて、泣き疲れた頃に、トモダチは隣にやってきた。
「ねぇ。
キミはどうして、彼の願いを叶えていたの?」
泣きすぎて嗄れた声で、私は哭いた。
誰かに望まれる存在でいたかった。
誰かに必要とされたかった。
願いを叶え続ければ、私の願いも叶う気がした。
トモダチは、優しく微笑んだ。
「ねぇ。
キミはどうして猫の姿をしているの?」
涙でぐしゃぐしゃになった毛並みを、友達は優しく撫でた。
流した涙が、私の毛皮を剥がしていく。
ぽろり、ぽろり、と剥がれ落ちる化けの皮。
残ったそれは醜い私。
そんな私に、トモダチは笑う。
「もう、大丈夫でしょう?
キミはもう、姿を偽らなくていい。キミの本当の姿のままでいい。
キミはもう、猫じゃないから」
鏡の向こうの私に微笑んで、私は家の玄関を開けた。
真っ黒な髪を丁寧に梳かして、お気に入りのブーツを綺麗に磨いて。
ぴかぴかに磨かれた長靴をはいた、私はただの女の子。
これが私の、本当の姿で。
私はきっと、猫じゃない。