三話
人称を変えることを検討中
「この国の第一王子であるこの俺は、この下賤な女リリーシア・アウグストとの婚約を破棄することをここに宣言する!」
高らかにそう叫んだ男は、王国第一王子アラン・ステイシー。その隣で目を潤ませながらこちらを鋭く睨む女子生徒の名はアン・アウグスト。何を隠そう彼女は、リリーシアの義妹である。
どうしてこうなったの……と頭を抱えるリリーシアだったが、考えてみれば予兆は少し前からあったように思えた。
◇
時は入学式当日、何事もなく式を終えたリリーシアは、クラスでの自己紹介で主に男子からの好奇の目にさらされるという思わぬ事態はあったものの、特筆すべき出来事は何も起こらず、無事に初日を終えることができそうでほっとしていた。
その矢先、帰ろうとカバンを持って教室を後にし、廊下を早歩きで足を進めるリリーシアを一人の男子生徒が乱暴に呼び止めた。
「おい。どこに行くつもりだ。まさか婚約者で王族であるこの俺に挨拶もなしで帰るつもりか?」
その声の主をちらりと見やると、金髪の美青年が此方を睨みつけるようにして仁王立ちしていた。
知らない…瞬時にそう判断すると、どう返すべきか思考を巡らせる。
単純に彼女が忘れているとかではない、本当にリリーシアはこの男子生徒の顔を見たことも聞いたこともない。
(そういえばこの学校には第一王子がいるとか言ってたわね、アラン・ステイシーとか言う名前だったっけ…。)
「挨拶が遅れて申し訳ありません殿下。私の名前はリリーシア・アウグスト。アウグスト伯爵家の次女にして―」
結局何も良い案が浮かばなかったため、無難に自己紹介風の挨拶をする方針で口を開いたのだが、それは王子自身の手によって止められた。
「馬鹿にしているのか?そんなことは知っている。そんなくだらない挨拶は必要ない。お前は俺の婚約者なんだからな! もう少し俺を気遣うような言葉をかけるとか―」
リリーシアの思考が一瞬フリーズした。先程の言葉が聞き間違えだと思い込むようにスルーを決め込むつもりだったのだが、どうもそういう訳にはいかないことになってきた。
(婚約者、ですって…?この私が…?)
にわかには信じられないことだが、自分の知らない間にそういう類の事をしでかしそうな人物に心当たりはあった、
(まさかお義母さまが勝手に…?ありえないことではないけれど、いくらあの人でも本人の知らないところで縁談の手続きを進めたりは…)
しないだろう、と続けることは出来なかった。何せリリーシアの義母は何故か彼女を敵視している節があり、度々暴力をふるおうとして来たり、幼い子供に聞かせられないような下劣な言葉でののしってきた過去がある。
冒険者になるから家に戻らないと言ったときはあからさまに嬉しそうな声で、金輪際戻ってくる必要は無いとう旨の言葉を言い放った。
リリーシアを使い捨ての駒ぐらいにしか思っていなさそうなあの人なら…と想像するとすべて納得いった。
しかし、だからといってすべての貴族の模範であるべき王族のくせに礼儀もわきまえないこの男に媚び諂うのは納得いかない、そう思った。
「おい!聞いているのか!お前は自分の婚約者と話しているという自覚があるのか!?なぜ自分が悪いというのにそんなすました顔で―」
「私が悪かったです。今後は気を付けるので今日のところは帰らせていただきます。では。」
満面の笑みを張り付けて慇懃無礼にお辞儀をし、顔を上げると呆然とした顔が此方を見つめている。
余りのアホ面にふっ…と笑みを零しリリーシアは速足で昇降口へと急いだ。
◇
ここから一週間、二週間と過ごしていくにつれてリリーシアの抱いていた“学校”に対する淡い期待は見事に打ち砕かれた。貴族と平民の生徒間には明確な格差が存在しており、教師や学校側もこれを容認してしまっている。
(結局気遺族っていうのはお義母さまのような人しかいないのかしら…。亡きお義父さまのような高潔な人間の姿はどこにもない。)
さらには受ける授業のレベルもリリーシアからすれば簡単すぎるものであったし、質も決して良いとは言えないものだった。
それもそのはず、彼女は幼いころから王宮に仕える科目ごとのプロフェッショナルから指導を受けていたし、魔法も王宮の国立図書館に籠って勉強し、たゆみない努力をしてきたリリーシアからすれば高校の授業はおままごと程度にしか思えないのだ。
リリーシアが失望するのも時間の問題だったのだ。