勇者奴隷を買う/奴隷商企む
「まさか誰もついてきてくれないなんて……」
夜、人通りもまばらな道をキフネ・ロクロウはトボトボと歩いていた。
あたりを見回せば、広がるのは見慣れぬ洋風の建物が立ち並ぶ風景。まるで異世界にでも迷い込んだようだ、とロクロウは考える。――事実ここは異世界なのだが、さきほどこの世界に来たばかりの少年はまだ現実逃避の中にあった。
事の始まりは数時間前、一般男子高校生のロクロウは突如神を名乗るものに勇者に選ばれ、この世界の王城に転移させられた。そこで待っていた王様に用意できる中でも最高の装備と大量の支度金を渡され、彼は旅に出ることになった。ここまでは順調と言えただろう。
しかし始まったばかりの彼の旅路に、早速一つの障害が立ちふさがった。仲間集めである。
王様が特に仲間を紹介してくれたりはしないことに気づいたロクロウは、手始めに通りすがりの騎士を誘うことにした。しかし騎士は「いえいえ、私めでは勇者様のお役になどとてもとても」とこれを固辞。この騎士のことは諦め他の誰かを仲間にしようとするのだが――なんということだろう。誰も仲間になってくれなかったのである。
夢見がちかつお人好しで、ついつい神様の頼みを快諾してしまったロクロウも事ここに至って「もしかして厄介事を押し付けられただけなのでは」という考えにたどり着いたのだが時既に遅し。帰る術を知らぬ少年は一人街をさまようことになるのだった。
「お客さん、お困りのようですね」
歩くロクロウに裏路地から声がかけられる。
「お客さん……?」
声の方を向く。そこには二人の人間が居た。片方、声をかけてきたであろう金髪の男性は顔にフレンドリーな笑みを浮かべてロクロウを見ていた。……しかしその目は、獲物を狙う獣のように暗く冷たい。信用してはいけないタイプだ、とロクロウは直感する。
「ええ、お客さんです。どうやら我々の商品があなたのお役に立てるようですから。……おっと申し遅れました。私は奴隷商のウィルバー・リトルです。以後、お見知りおきを」
「奴隷商、ってことは……」
ロクロウはもう一人に視線を向ける。狼の毛皮をかぶった、灰色の髪の少女だ。毛皮の他には最低限の場所を隠す布地と首輪しか身に着けていない。
「はい、こちらが今回紹介させて頂く商品、奴隷のウルです」
紹介され、やや憮然とした表情で奴隷商を睨む。だがそれ以上は何もしない。文句や不平を言うでもなくただじっと立っている。
「見てのとおりベルセルクですからね、戦闘力は折り紙付きです。家事などのお客様の身の回りのお世話に関する技術も身に着けさせております。性格はやや気難しいところもありますが……ま、主人に対しては概ね忠実です。どうでしょう?」
畳み掛けるように奴隷商は言う。相手にペースを掴ませまいとするやり方だ。
「いや……でも、奴隷はなあ」
日本で生まれ育ち、奴隷など授業かアダルトなサブカルチャーでしか触れたことのないロクロウは当然のように難色を示す。
「おや、奴隷に抵抗がお有りで? 何も気にすることはありません。主人は奴隷を保障し、奴隷は主人のために働く。これは正当な取引です」
奴隷商は更に畳み掛ける。
「それに、どうやらお客様はまだ駆け出しのご様子。これから信頼できる仲間が出来るまで大変でしょう。ここらで絶対に信用出来る人間を作るのは悪くないのでは?」
「うぅ」
平時であれば、あるいはあっさりと断っていたかもしれない。だが見知らぬ土地で孤独を抱えていたロクロウの心はグラグラと揺らぎ始めていた。
「き、君はどうなんだよ。俺なんかが主人になるなんて」
このままこの男と話していては押し切られる。ロクロウは奴隷の少女に話を振った。……果たして奴隷に主人の善し悪しを語る権利があるか否か。
「……こいつよりはましだ」
「……なにしたんだよアンタ」
意外な返答に、ロクロウの声が鋭くなる。正当な取引を語る人間が、もしかしたら奴隷になにか非道なことをしているかもしれないのだ。いざという時はこいつを倒そう、とロクロウは決意した。
「ハハ、ひどい事はしていませんよ。大切な商品の価値を下げるような真似はしません。ただ彼女は私のことが気に食わないようですが、それだけです」
奴隷商は落ち着け落ち着け、というように両手を上げてロクロウを制す。一見押されているようで、どこか余裕を感じさせる態度だった。
「じゃあいいけど……」
「それで、どうします? 彼女もまんざらではないようです。お値段はこれくらいになりますが……」
奴隷商が値札を示す。王様からもらった支度金は、ウルを買ってもまだまだ余裕があった。
「うーん、あー、うーん…………じゃあえっと……買った」
まあ奴隷と言っても俺がひどいことしなけりゃいいよな……? ロクロウは精一杯の言い訳をすると、さんざん迷ったようなポーズを見せつつ購入の意志を伝えた。
「契約成立ですね。じゃあウル」
「ん、よろしく頼む」
奴隷の少女は奴隷商の後ろからロクロウの後ろへと回った。
「あ、ああよろしく」
「では私はこれで失礼させていただきます」
暗い路地裏の影の中に奴隷商の姿は消えていった。
「……まずは何をすればいい?」
奴隷商が消えるのを見送ると、ウルはロクロウを見上げ尋ねる。
「そうだな、まずは……今夜の宿探しかな」
*
「……あれが勇者なのかい、ムツキ」
闇の中、黒い髪の少年と奴隷の少女の後ろ姿を眺めていた奴隷商、ウィルバー・リトルは虚空へと問いかけた。
「ええ、確かな筋からの情報です。なんでもすべての神からの加護を受けているとか」
ウィルバーの背後に音もなくメイド服を着た女性が現れる。つややかな黒髪に椿の髪飾りをつけ、腰には刀を帯びている。
「ふむ、羨ましい話だ。それなら件の魔王とやらも倒せるかもしれないね。それに……高く売れそうだ」
ロクロウに見せていたのとは違う、目付きにふさわしい獣のような笑みを浮かべウィルバーは言う。
「ではご主人様、彼を捕らえるのですね」
「ああ……でも、魔王を倒してもらわないと困る。世界が滅んでは商売どころじゃあない。魔王退治の手伝いをしつつ、事が終わって疲労しているところを捕らえる。このプランで行こう」
「仰せのままに」
深い闇の中、二つの人影が走り出した。