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ルシュが目を覚ましたとき、視界にまず入り込んできた顔に思い切り眉を顰めた。
「――ヴァルツォン」
名前を呼ばれた彼は安心したように巨躯を引き、垂れ下がった灰色の瞳が部屋の隅へ向けられた。
「旦那ぁ~! やぁっと起きたぁ~っ!」
つられるように見れば、そこにいたルシュが被っていた毛布を放って駆け寄ってきた。
「良かったぁ~、良かったよぉ~! おいら、もうダメかと……!」
「勝手に殺すんじゃねぇ。そもそも俺は毒で死なない」
毒の特性や副作用は効くが、それで苦しむことはあっても死ぬことはない。そういう体質なのだ。
「分かってても怖いよぉ~!」
涙目で抱きついてこようとするラヴィを押しのけて体を起こすと、ヴァルツォンに水の入ったグラスが差し出された。それを無言で払いのけると、ベッドのすぐ横に立て掛けてあった愛刀を手に立ち上がる。
「行くぞ」
「え、でも」
あくまで無視を貫くルシュの対応に戸惑いつつ、ヴァルツォンを見る。彼は何か言いたそうに口を開き、やがて目を伏せて諦めるように項垂れた。
「……旦那、あの人助けてくれたんだぁ。お礼くらいはちゃあんと言いたくない?」
毒によって気を失ったルシュと、敵に囲まれたラヴィを助けてくれたのはヴァルツォンだ。
あの店自体彼の隠れ家の一つだったらしく、騒ぎを聞いて駆けつけたのだ。
そして今ルシュたちが匿われているこの場所もまた、隠れ家の一つなのだろう。
ヴァルツォンからすれば、指名手配されてる身としては危険を晒す行為はしたくなかったはずなのに。
「――助かった」
だけどルシュは彼を一瞥することなく淡々と一言だけ述べると、部屋のドアを開けて出て行った。
「ま、待ってよぉ~、旦那ぁ!――あ、お世話になりましたぁ~!」
頭を下げ、すぐにラヴィもその後を追う。
部屋は地下にあったらしく、窓も無い迷路のような通路をひたすら歩き、いくつもの梯子を用いて上り下りを続けながら、同じ景色に飽きてきたラヴィは気になっていたことを正直に尋ねることにした。
「ルシュの旦那はどうしてヴァルツォンが嫌いなんさぁ?」
同じガ―ウェイの弟子同士。色々複雑な事情はあるのかもしれないが、そもそもルシュが特定の人物を嫌悪すること自体滅多にないのだ、彼以外は。
ルシュは珍しく眉間に深い皺を寄せて嫌悪感を丸出しにし、てっきり答えてくれないかと思いきや「別に嫌いなわけじゃない」と素っ気なく答えた。
「え、それ無理あるよぉ~!? すっごく嫌ってる顔だも~ん!」
「――――――あいつは、強いだろ」
へ、とラヴィは目を丸くした。
「助けられたなら、あいつの戦い方見たんだろ?」
確かに見た。
――店の中へ大勢の兵士たちが雪崩れ込み、気配から外にもまだいることは分かった。
絶望的な状況下でラヴィは奥歯を噛み締めながら己の迂闊さに嘆いていると――店主が引っ込んだバックヤードから、彼は突然飛び込んできたのだ。
ヴァルツォンの戦い方はレッセイに似てる。基本的に愛用の武器を振り回して重い一撃を衝撃波と共に繰り出し、身近にある武器になりそうな物を投げたり体術使ったり。
要するに自分を含めた周囲にある全てのモノを武器に戦うのだ。
その圧倒的な戦力に兵士たちは次々に無力化され、気付けば“敵”は一掃されていた。
「ヴァルは昔から才能の塊だったよ、腹立つくらい。俺が先に弟子になったのに――すぐに追い越された」
ラヴィからすればルシュも十分強いと思うのだが、口を挟むのは野暮かと黙る。
「ガ―ウェイが騎士団長辞めるときも、後任に選ばれたのはヴァルツォンだった」
……やっぱり弟子同士、思うことはあるんだなぁ。
「俺はあいつより強くなれない。それなら出来ることを増やそうと思って、あらゆる情報網を増やしていったんだ」
「だから情報収集得意なんだねぇ~」
「――でも、後悔はしてる」
後悔? とラヴィが首を傾げると、不意にルシュは足を止めた。
「立ち止まらずに鍛え続けてたら……俺はもっと強くなれたかもしれない。そうすれば―――」
目を閉じれば、鮮明に思い出せる。
大切な人たちの笑顔と――――死に顔を。
「ガ―ウェイは今でも家族と一緒に、幸せに暮らせていられたかもしれない」
***
「――ルシュが来たということは……動くのか、師よ」
部屋に一人とり残されたヴァルツォンは左耳のカフスを撫でた。
すると、地響きと共に部屋の壁がスライドしていき――そこには一人の女性がベッドに横たわっていた。
彼は彼女に近づき「イゼッタ」と呼びかける。
彼女の虚ろな碧玉の瞳は虚空を見つめたまま反応することはない。
「お前は止めるだろうが―――帝国を滅ぼす絶好の機会だ」
独白するヴァルツォンの灰色の瞳は仄暗さを増し、執念の炎を滾らせる。
「必ずその首を落としてやる、ガロ・トラクタルアース……!」
***




