12-2
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リュウレイはふと目を覚ますと、見慣れない部屋の天井が真っ先に視界に入る。
どうやら魔力が切れて、また眠ってしまっていたようだ。
まだ重ったるい瞼を擦りながら体を起こすと、視界の隅に何か気配を感じて咄嗟に右耳のピアスに触れようとしたが、その気配の正体を視認すると赤い瞳を丸くした。
「ニアおばさん!?――ど、どうしたん? そんな……」キノコでも生えそうなくらいジメジメした気配漂わせて、とはさすがに言えなかった。
「……リュウレイ」
薄桃色の瞳が戸惑いに揺れていた。その普段とはかけ離れた様子に、何かあったのかと察して先に口を開く。
「――ミファンダムス帝国の人間が、オレたちを連れ戻しにでも来るん?」
ハッと大きく開いた目に、やっぱりかと大きく溜め息を吐く。
「ガロとシスナが来た時にそう思ってたん。それにナイトメアの砲撃が成功しようと失敗しようと、人間側が仕掛けた時点で魔族との開戦は免れない。――クローツさんもそろそろ準備が整う頃合いだし」
「分かっていたなら、どうしてナイトメアの破壊を提案しなかったんですか!?」
「遅かれ早かれ、だよ。教会にしろミファンダムス帝国にしろ、元々魔族と戦争したかったんだから。何がなんでも“こういう状況”を作り出したはずだよ」
教会にとっても帝国にとっても、勇者リウル・クォーツレイの死は本当に痛手だったはずだ。何故なら彼がいなくなれば、誰も魔王を倒せなくなるのだから。
従順に彼らに従っていた勇者の、ささやかな仕返しだったのかもしれない。本当のことは本人以外知らないけど。
「それに――ニアおばさん、オレたちの本当の旅の目的は忘れてないよね」
「……、もちろんです」
「オレたちにとってはお嬢が無事でいれば良いん。帝国が手を出せない場所――グラバーズに亡命して、普通の人として生きて欲しいん」
リュウレイも一緒に行こう!――そう言って手を差し伸べてくれたティフィアの姿を、一度たりとも忘れたことはない。
帝国に戻れば皇帝に見つかる可能性がある。そうすればまたティフィアはあの男に囲われてしまうかもしれない。
……お嬢はオレたちとは違う。
汚れていない。いつだって前を向ける。強くなれる。
「お兄さんに頼んで、お嬢をグラバーズに連れていってもらおうよ。……ニアおばさんはどうするん? お嬢についていく?」
「心配ではありますが……貴方一人で行かせたら、それこそティフィア様は帝国に戻ると言いかねません。それに――私も調べたいことが出来たので」
ふうん? と返しながら、リュウレイは窓の外へ視線を移す。
「この国ももう終わりだね。街の人たち、どうなるんかな」
「他国に吸収されるか、ミファンダムスに自治権を奪われるかでしょうね。どちらにせよ、あまり良い待遇はされないでしょうけど」
「……」
オレたちに関係ない話なのに、何故か胸の辺りが重く感じる。それほど関わってないというのに。むしろこの国に来たせいでという思いすらあるというのに。
「――ねぇ、兵たちはいつ来るん?」
「先生が言うには今日、と。おそらく昼前には来るかと」
「もうそんなに時間がないじゃん!」
「私はもう支度は終わっているので、教会の周辺を確認してきます」
そう言って部屋を出て行くニアを見送り、リュウレイはベッドから出る。
魔力はある程度回復しているが、疲労はまだ残っている感じか……。
――そういえばお嬢は大丈夫だったんだろうか。
聞けば良かったと顔を洗うべく部屋を出ると、ちょうど廊下でティフィアと神官のサラが何か話をしているのが見えた。
「教会はいつでも女神様のご意志を守るべく、尽力しております。勇者様の心配も分かりますが」
「そう、ですか……。ごめんなさい、変なことを聞いて」
「いいのですよ。この世に蔓延る悲しみを憂い不安に陥るのは仕方ないこと。ですが必ずや女神様が我々の世をお救いになるでしょう」
これで話は終わりとばかりに頭を下げてこちらにくるサラは、相変わらずの柔和な笑みを携えているが――どことなくハーベストを彷彿させるようなゾッとするような嫌な感じがする。
すれ違う間際ちらりと見下ろしてくる瞳が、やけに不快だ。
「……」――やっぱり、教会は何かを隠している。それこそ、何かとてつもなく重大なことを。
「あれ、リュウレイ!? 目、覚めたんだね……っ」
駆け寄ってきたティフィアに、引き攣らないよう気をつけながら笑みを向ける。
「うん、お嬢は大丈夫だったん?」
「僕は全然平気!」アピールするように腕を振り回す姿に安堵する。あのとき――突然ナイトメアに入って気を失っていたティフィアのことはやはり心配だった。
それにシスナのこともある。
最後にかけた魔術、成功したように感じたのにニアは彼女のことを一度も口にしなかった。間に合わなかったのかもしれない。
だから見た感じいつも通りに振る舞っている姿をみて、多少安心した。
「そういえば神官の人に何聞いてたん?」
ハーベストのこともあるし、正直教会の人間とお嬢を二人きりにしたくはなかったのだが。
「――今回のこと、聞いたんだ。サハディ帝国をどうするつもりで介入してきたのか、ノーブルさんに何を言ったのか」
「へ」彼女の口から出たとは思えない言葉に、驚きすぎて目を丸くしたまま固まってしまった。
「はぐらかされちゃったけどね……。やっぱり教会もお父さまも、何か隠してるのかな?」
「ちょ、ちょっと、待ってよお嬢!」
「ん?」慌てるリュウレイを見て、不思議そうに小首を傾げる。
「―――」
なんでそう思ったん? と言おうとして――口を閉じた。
それはそうだ、今回のサハディの件はあまりにもおかしいことだらけだった。それを疑問として捉えて、あまつさえサラ本人に聞いてくるとは思わなかったけど。
それにお嬢がクローツさんを疑うなんて……。
「……ねぇ、リュウレイ」
いまだ動揺を隠しきれない少年を、黒曜石の瞳が真っ直ぐ見据える。
「僕はずっと『本物』になりたいって口にするだけで……我が儘ばっか言ってたこと、ようやく分かったよ。リュウレイもニアも、アルニのことも、みんなのこと振り回してただけだって。
向き合うって、そういうことじゃないのに。勘違いして、ずっと『偽物』であることに囚われてたのは僕自身だったんだ」
だから、とティフィアは続ける。
「旅の目的地であるグラバーズには行くけど、その後――僕は帝国に、ミファンダムスに戻ろうと思う」
「!」
「それでお父さまとちゃんと話して、」
お嬢、なに言ってるん?
「世界のこと、魔族のこと、戦争のこと、教会のこと。僕なりに調べようと思うんだ」
自分が何を言ってるか、分かってないん?
「……まぁ、いきなり難しいこと考えても分からないかもしれないけど」
えへへ、と苦笑するティフィアに、リュウレイは思い切り掴みかかった。
「だ、ダメ! お嬢は帝国に戻っちゃダメなん!」
「り、リウ……?」
唐突な暴挙に思わず口にしたその名前に、リュウレイは一層顔をくしゃりと歪めた。
「どうしちゃったん、お嬢! 帝国に戻って、もし見つかりでもしたら――」
「そ、それは気をつける、けど」
――ダメだよ、お嬢。
オレは帝国に帰って、己の役割を果たす。
その後にお嬢が戻ってきてしまえば、きっと………―――
もう、オレはいないから。
「――お嬢、聞いて」
「リュウレイ……」
「ここにもうすぐミファンダムス帝国の兵が来るらしいん」
「それなら早く支度して逃げよう!――あ、アルニはどうしよう……」
「……。大丈夫、ニアおばさんが囮になって撹乱させて、オレが魔術でどうにかするから」
「僕も、」
「お嬢はお兄さんの護衛! お兄さん、まだ動けないだろうし」
「確かに……。うん、分かった」
笑顔で頷いたティフィアは、アルニが眠っている部屋へと早足で向かっていった。
「……」
――また嘘を吐いた。
やり場の無い感情に舌打ちしていると、『リュウレイ』ニアの声が頭の中に響く。指輪だ。
『やはり街の中にいくつか見知った顔が紛れてました。それぞれ少しずつ教会へ向かっているようです』
「分かった。――お嬢には誤魔化したから大丈夫、問題ないと思うん」
『……本当に、いいのですね?』
「今更それ聞くん? だったらニアおばさんもいいん? お嬢のことお兄さんに任せて」
『当然不安です。なので助っ人を呼ぶことにしました』
「助っ人……?」
『合流したときに説明しますが……、本当は“あの方”にこんなことさせたくはなかったんです』
……説明する前に言い訳されても困るん。
よく分からないが、ニアが信頼を寄せている人物というのは分かった。
リュウレイはティフィアが去って行った廊下の先へ一度振り返る。
「……ごめん、お嬢。今までありがとう」
すん、と鼻を啜り、覚悟を決めた紅い瞳が強く前を見据える。
「オレが、オレたちが――守ってみせるから」
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