12.裏の帝国の最後
教会の屋根の上でフードを深めに被った少女がいた。
彼女は指に乗せた一羽の小鳥の囀りを聞くと頷き、それから用は済んだとばかりに羽ばたいて去って行く小鳥へ「ありがとうッス!」と大きく手を振って見送ると、大きく溜め息を吐く。
「……ややこしいことになってきたッスね」
同胞である小鳥から聞いた報告にレドマーヌはうぬぬと眉間に皺を寄せてうなり声を上げた。
――ナイトメアが放った砲撃は、結論から言えば【魔界域】に落とされなかった。
魔王から聞いた言葉と、街へ潜入してからティフィアたちと同行して手に入れた情報を元魔王ヴァネッサ様には逐一報告しており、出来ればナイトメア本体を壊して止めた。
ただ、ヴァネッサ様は止めなくて良い、と。砲撃はなんとかするから、ティフィアたちの安全だけを守って欲しいとおっしゃっていた。
ナイトメアの砲撃は撃ち落としたらしいが、それでも『人間が【魔界域】へ攻撃をしかけた』という事実は変わらない。
「これは間違いなく“過激派”が動くッスね」
すぐに戦争が起こることはないだろう。だがそれも時間の問題だ。
「一刻も早く魔王アイリスの対である『勇者』を見つけないと――本当に手遅れになるッス」
レドマーヌにはとある事情から結界は通用しない。
それを利用して人間の国に潜入しては『勇者』の情報を集め、ようやく『勇者』と巡り会えたかと思えば“『勇者』に祭り上げられたティフィア”だった。
「やっぱりミファンダムス帝国に潜入した方がいいッスかね……。あそこは怖くて近寄りたくないッス」
怖いと言えば、と目を細めて賑わう街を見回す。
――今まで彼らを守ってきていた軍も、ノーブルもいないというのに、彼らはまるで気にしないとばかりに式典を催し、祭りを楽しんでいた。
式典は教会の人間が手伝い、ノーブルの偉業を讃え、街の人々は「これで安心して暮らせる」と笑い合っている。
正直レドマーヌから見ても気味が悪かった。
ナイトメアの砲撃が撃ち落とされ、魔族も魔王も健在だという現実を知らないというのもあるだろうが――それだけで、何故こうも脳天気でいられるのだろうか?
「無知であることを甘受して、知ろうとも戦おうともしない。――それが今の人間だからだよ」
頭の中の問いに、まるで聞こえていたとばかりに後ろから答えが返される。
ハッと弾かれるように振り返れば、そこにはすでに抜剣したガロの姿があった。
――気配に全く気付かなかったッス……!
「楽なもンさ! だって魔王が現れようと魔族が襲ってこようと、今まで“勇者様”が必ず助けてくれて、そうでなくても危機感を持った数人の人間だけが対処してきたんだから」
「……まるでそれを何度も見てきたような口ぶりッスね」
じりじりと後ずさるが、それを詰めるように歩み寄ってくるガロに恐怖を覚える。
普通、魔族を前にした人間はニアのように敵意と憎悪を向けるか、恐れを抱くかのどちらかだ。アルニですら最初は警戒心を強く向けてきたのに――この男は薄ら笑みを浮かべているものの、その目には感情が見られない。
「―――まぁそんなことどうでもいいんだけどね! それよりも君って“穏健派”で合ってるかな?」
「……、だとしたら、どうするッスか?」
ちらりと足元を見れば、もう足場はない。これ以上はさがれない。
「うん、魔族は――特に“穏健派”は邪魔だからね! だから潰させてもらうNE☆」
にこり、と笑いかけてきたその瞬間、背筋がゾッと凍えるような殺意にレドマーヌは咄嗟に屋根から飛び降り―――!
ガィンッ!!
ガロの剣先がレドマーヌの羽を切り落とす直前、二人の間に人影が割って入り、それを防いだ!
「に、ニアさん!?」落下しながら庇ってくれた人物の姿に驚くと、薄桃色の瞳がこちらを一瞥し「これで貸し借りはなしです! いいから逃げなさい!」とだけ吐き捨てた。
レドマーヌは地面に着地すると、一瞬躊躇ったが逃げ出すことを選んだ。
一方ニアは鍔迫り合いながらガロへと視線を戻す。
「……どういうつもりかな、ニア?」
「先生こそ、どうして突然レドマーヌを襲ったんですか」
「相手は魔族じゃん。人間の敵だよ? 襲う理由なんてそれだけで十分じゃない?」
確かにそうだろう。ニアだってレドマーヌと出会ったときに攻撃しようとしたくらいだ。
――でもそれならティフィアを救出に宮城へ襲撃したとき、あのときすでに一緒にいた彼女を攻撃しようとしなかったのは何故か。
ニアはアルニと共に彼女に助けられているし、リュウレイとは合流したときにレドマーヌの話はしている。だけど……ガロは違う。
「先生、私は貴方を信じたい」
「あれ? 何その言い方。俺に不審感持っちゃった?」
「“クローツ様を裏切ってまでティフィア様についていった”、とシスナに言われました」
「ありゃりゃ~」
「私はティフィア様についていくと決めたあの日――先生、貴方にクローツ様へ言伝を頼んだはずです!」
ギ、ピキッ! と嫌な音を立ててガロの剣にヒビが入る。
「それからも逐一、同じ親衛隊員に旅の動向は報告していました! ですがシスナはそれを一切知らないようでした!」
ティフィアがミファンダムス帝国を出るとき、ニアは直前までだいぶ悩んだ。
クローツは計画を進めるために無茶ばかりしているのが心配だったし、だけどそんなクローツの、大切な人のクローンとはいえ義理の娘であるティフィアを、そのままにしておけなかった。
ギリギリまで考えていたせいで出発が慌ただしいものになってしまい、偶然近場にいたガロに頼んだのだ。
私はクローツ様の代わりにティフィア様を守ります、と伝えて欲しいと。
ガロは快く引き受け、その代わりにと剣に提げていた鈴に魔術紋陣を与えてくれた。
これは同僚である親衛隊員のイースィの鈴と繋がっていて、これで間接的にクローツに報告が行くようにするとガロは確かに言ったのだ。
だから安心して旅に出たのに……!
「それにノーブルとの戦闘――先生、手を抜いていましたよね!」
正直言えば、一応弟子に当たるニアですらガロの本当の実力を知っているわけではない。
それでも彼が本気で戦っていないのは分かった。
「どうして……! どうしてしまったんです、先生!? 貴方はそんな人では――」
ニアの知る、当時親衛隊長だったガロはもっと“いい人”だった。
口調はうざったいときもあるが、優しくて、周りをよく見ていて、部下思いで。責任感溢れる、それこそクローツ様ですら憧れるようなそんな人だった。
「どうして、か」
キンッ、と堪えきれずに折れて吹き飛んだ剣刃に目もくれず、ガロはすぐに掴んでいた剣の柄を捨てると、ニアの右手首を掴んで――そのまま捻りあげた。
「っ!?」
反応出来ずに剣を落としたニアをそのまま押し倒し、首に手を添える。
「――せ、んせぃっ」
徐々に力を入れていけば、苦しそうに歪むニアの顔。
「二日後には帝国の兵たちが雪崩れ込んでくる」
「ぇ」
「あ、帝国ってミファンダムスの方ね。これで君たちの旅はおしまい」
「! っ、ぁぐっ、ぅ……!」
「一つ、可哀想な愛弟子に教えてあげるよ。余計な詮索はしない方が良いよ、命が惜しいならさぁ!――君もフィアナ様みたいにはなりたくないでしょ?」
目の前が暗くなりかけたところで、ガロの手が離れていく。
激しく咳き込みながら息を吸うニアに「安心しなよ」と彼は続けて言う。
「君たちが何もしなくても世界は救われる! 魔王は倒されるし、魔族は粛正される。今まで通りの平穏が戻ってくる。――100の巡りは変わらない。変わらず続いて、繰り返される!」
恍惚そうな紺色の瞳が深淵を映し、大きく両手を広げて謳うように嗤う。
「あはは♪ これで元通りだ! 戦争が起きる、たくさん殺せる! 良かったねぇ、良かったねぇ! あははははっ」
暫くおかしそうに嗤っていたガロが、不意に「あ、そうだった」と何か思い出したようにニアの耳元へ口を寄せる。
「――“二つの塔は常に解放されている。願いは神様に届けないと通じないよ”」
ゲホゲホとさきほどよりはマシになった咳をしながら、訝しげにガロを見上げる。
しかし、その表情を窺う前に彼は身を翻した。
「今言ったやつアルニくんに伝えといて、たぶん分かると思うから。じゃ、またミファンダムスで会おう☆」
そう言い残して去って行ったガロに、ニアはもう何も言葉をかけることは出来なかった。




