11.救いの手
***
――アルニたちがノーブルと対峙してすぐ、ナイトメアらしき魔術兵器による衝撃波で建物が吹っ飛んだ頃。
「いたた……すごい衝撃だったッスね、ティフィア。大丈夫ッスか?」
「う、うん、僕は平気。レドマーヌは?」
「魔族は人間よりも丈夫ッス! このくらい屁でもないッス!」
元気であることをアピールするように腕を振り回す魔族の少女に苦笑を浮かべ、それからぐるりと周囲を見渡す。
封印の間から出てアルニたちと合流すべく向かっていたはずだが、謎の衝撃波によって街まで吹っ飛ばされてしまったようだ。
「早く戻らないと……」おそらくアルニたちはもうノーブルと戦っているはずだと焦燥感に足を踏み出した直後、視界の隅で瓦礫が動くのが見えた。
「!」
咄嗟に武器を構えるが――ティフィアはすぐに剣を納めて駆け寄った。
「ちょ、危ないッスよ!?」慌てて止めようとするレドマーヌを無視し、邪魔な瓦礫をどかして軍服を来た女性の元へ膝を着く。胸に鉄骨が何本も貫いており、出血はそれほどないが肺が傷ついているのか呼吸音がおかしい。
「軍人じゃないッスか……。レドマーヌたち同様吹っ飛ばされたッスね」
なんでこんな、と口にしかけたところで首を横に振った。考えるべきことは、そんなことじゃない。
「レドマーヌ、何か固定出来るもの――」
「とりあえず抜くッスよ~」
あまりにも軽く言うものだからすぐに反応出来ず「え、」とレドマーヌが彼女から鉄骨を抜く様子を看過してしまい、胸から噴き出る血を見て我に返った。
「レドマーヌ!?」
「大丈夫ッス。これくらいならレドマーヌの術で塞げるッス」
真っ青になって愕然としているティフィアへ笑みを向け、軍人の女性の胸へ手を当ててマント越しにある魔装具へ触れると、
【我願い叶う者――“慈愛の乙女”様、どうか力をお貸し下さい】
【そしてこの願いを授ける“翼”をもたらしたまえ。――生命の灯火】
レドマーヌの翼が橙色に発光したかと思うと、その光はレドマーヌを介して軍人の女性へと移動する。
その神秘的な光景に、ティフィアは純粋にキレイだなぁと思った。
やがて光が弱くなって消えると、女性の瞼が震えるのが見えた。
「ん、ぅ……ぅっ」
「あの、大丈夫ですか?」
声を掛けると、彼女はゆっくりと瞼を押し上げてぼんやりとした眼差しでティフィアを見やり、呟く。
「ノーブル、閣下は……」
「ノーブルさんはたぶん、ナイトメアを……起動させたと思います」
「――そう、ですか。覚悟を、決められたの、ですね」
「覚悟?」
「ミファ……ダムス、帝国に、奪われた人々を救う、ために。魔族を、滅ぼす、ために……」
奪われた、人々?
「それってどういう――」
「魔族と、手を取り合った――裏切りの、国。サハディの民は、彼らに連れて行かれて…………魔術を、利用した実験の、ために」
「――――、」
「閣下は、お独りで……罪を背負われた。………我々も、微力ながら手を貸すまで。……世界を、救うのです」
ふふ、と彼女は小さく笑みを浮かべ。
「英雄、ばんざい」
そして力尽きたように瞳を閉ざし、慌ててレドマーヌへ視線を向ければ「眠ってるだけッス」と返ってきた。
「………」
「人間の事情は分からないッスけど、なんかややこしいことになってる気がするッスね。――大丈夫ッスか?」
「………………」
「ティフィア?」
「―――人は、間違いを犯す生き物なんだって、クローツ父さまが前に言ってたことがあるの」
「?」
「人は未来を見ること出来ないから。“現在”にしか選択肢がないから。――咄嗟に判断するから、人は『正しい答え』を見つけられないんだって」
「……人間は難しいことを考えるッスね」
「うん、僕もそう思う。――でもね。『正しさ』も『間違い』も、判断するのは“未来の自分”なんだよ」
己の選択に後悔するのも、安堵するのも。
だから人は、なにかを覚悟したとき。決心したとき。――無意識に『正しさ』を求める。
「……ノーブルさんは、きっと自分が『間違ってる』ことに気付いてる」
後悔してる。
でも、もう後がないからと突き進もうとしている。
「――――クローツ父さまと、同じだ」
余裕のない表情で、不安を押し殺して強引に前へと進んでいく。
数多の犠牲の上に成り立つ道を。前へ、前へと。
振り返ることも出来ず、戻る道すら知らず。
――不意にどこからか轟音が鳴り響く。
きっと向こうでアルニたちが戦っているのだろう。
「行こう、レドマーヌ。――助けないと」
シスナちゃんも。
そして――ノーブルさんも。
***
半年前のことだ。
街民が消えました、と報告を聞いたとき、ノーブルはついに来たかとマントに隠した拳を更にきつく握った。
各国でも密かに問題視されている、魔族による人間の拉致。それから赤い大蜘蛛針という異質な魔物の存在も確認されており、兵の巡回を増やして街の警備を強化した矢先のことだった。
結界があるにも関わらず、街の者共は一人残らず攫われてしまう。
多少魔術の心得があるノーブルは自ら結界の術式を解析しても、不審なものは見当たらず。
――結界を通り抜けてしまう魔族による人間の拉致被害は、日に日に増えていた。
当然国民たちも気づき始め、不安と恐怖で家に閉じこもる者たちが増え、街は賑わいを無くしてしまった。
部下たちも不安そうに、しかし英雄であるノーブルなら何か解決策を見いだしてくれるのでは、という期待の眼差しを向けてくる。
「――本当に、拉致られた民たちはミファンダムスに連れていかれたのか」
「ええ、これは確かな情報です」
ノーブルの前に突然やってきた――女神教の神官サラは穏やかな笑みを携えてそう言った。
「ノーブル閣下、もうご存知なのでしょう……? この世界にはもう勇者はおらず、あとは魔王に蹂躙され滅ぼされる未来しかありません。しかし、教会としても女神レハシレイテス様としても、それは当然本意ではありません」
「ミファンダムスは魔族と手を組んだと言ったな。だが一方でクローツが『人工勇者計画』を企てている」
「矛盾している、と言いたいのでしょう? ですがこれもご存知のはず。あの国の長は、今や“人でなし”です」
「亡き姉の人形を製造していたことか」
「ええ、ラスティ陛下は狂っておられる。魔族に唆されていたとて、おかしいことではありません。ですがクローツ様は敬虔な女神教の信徒。彼は純粋に世界を救おうと己の全てを賭けて計画の準備をしています」
「………」
「その計画を完璧なものとするために、クローツ様は他国から被検体とするべく人間を集めていらっしゃるのです。ラスティ陛下を唆す魔族すら利用して」
「――その話は穴だらけだ。魔族とミファンダムスが通じていることも、クローツが魔族を利用していることも、だ。証拠もないのであろう? 我はその話を鵜呑みには出来ない」
ただでさえサハディとミファンダムス帝国の関係性はあまり良くない。魔王が存命の今、それにもし魔王を倒せたとして――戦争の火種が生まれる口実は作りたくない。
確かに、とサラは続ける。
「信徒たちからの証言だけでは不十分。……ですがノーブル閣下。そもそも勇者が自殺するような自体を生んだミファンダムス帝国を信用しきっているわけではないのでしょう?」
その通りだ。
今まで繰り返してきた100の巡りの中で、勇者が魔王を倒す前に死ぬ――まして自殺なんて過去はなかった。
人々の希望。魔王を倒せる唯一の存在。
この世界は、今度こそ終わりなのかもしれない。
「そこで我々教会からのご提案があるのですが」
「提案だと?」
「ええ、―――――“ナイトメア計画”です。人工勇者計画を逆手に利用し、僅かな犠牲で魔族を打ち砕く、魔術兵器を造り出してはいかがでしょうか?」
「そ、んな物――造ったところで魔王は倒せぬのではないのか」
「『勇者の証』があれば、可能です。幸い人工勇者計画の被検体である人物がこちらへいらっしゃることは分かっています。――偽の憐れな勇者を、本物の勇者にしてあげるのです」
笑みを深くするサラに、何故か背筋がゾッと震えた。
「………教会は、それで良いというのか」
「そもそもこれは教会からの―――教皇様からのご提案です。もちろんこちらとしても協力は惜しみません。……閣下、時間はありません。勇者リウル様が削った魔王軍の戦力は補完されつつあります。もし魔族と人間との戦争が本格的に再開されれば、もう取り返しがつかない事態へと発展するでしょう」
――さぁ、ご決断を。
柔和な笑顔に威圧を感じる。ノーブルは固唾を飲み込み、逡巡する。
教会の言い分を鵜呑みにしていいものか。しかしこのまま放っておくことも出来ない。
だがナイトメア計画が上手くいけば、ミファンダムス帝国よりも優位な状態になれる。そうすればあちらからも変な手出しは出来ないはず。
それに、魔族を倒せればもう人間同士で疑心暗鬼に陥ることも、怯え続ける日常もなくなる。
それならば―――――
「こんな出力じゃ【魔界域】まで届かない……! これは――ナイトメアじゃない!」
そう魔術師の少年が驚愕するのを横目に、時間稼ぎはもう出来ないと悟る。
薄闇の向こう――それを切り開くように太陽が顔を出す。
「ああ………これでようやく、」
サハディの民たちよ、よくぞ今まで恐怖と不安に耐え抜いてくれた。
「っ、レイ離れろ! 何かおかしい!」魔法師の少年が叫ぶのが聞こえる。何か勘付いたようだが――もう遅い。
そう、何もかも。
「……。ニア、俺たちも離れた方がいいかも。このおじさん、まだ何か隠してるみたいだし!」
武神の男はニアという女性の首根っこを掴んで距離をとり、それから彼女に気付かれないようにこちらへ視線を向けた。
それはまるで「分かってるよな?」という脅迫めいた威圧。
……やはり、武神は教会側だったか。
それでも良いだろう。
【さぁ、覚醒めの刻だ――ナイトメアよ】
剣を掲げ、魔術を展開する。
【真なる姿を現すのだ――――ッ!】
魔術兵器の頭にある魔術紋陣が輝きを放つ。
格子状に囲ってた腕部分が外れると、それを合図に魔術兵器の装甲がピキピキとひび割れて崩れていく。
「――そっか……そういうこと」
アルニが倒れているところまでなんとか逃げてきたリュウレイは、様相を変える魔術兵器を見上げながらぽつりと呟く。
「大型魔術紋甲殻機。――つまりオレとお兄さんが壊したのは甲殻の方で、本体がこっちの方だったん」
厳つい装甲も厄介だったあの“目”も。全て剥がれ落ち、ナイトメアの本来の姿が顕わになる。
それはなんとも悍ましい。
黒い柱のような筒に群がる、苦悶の表情を浮かべた幾重の人間が重なり交じり合った、巨大な砲撃機―――。
「我が国が造り上げた魔術兵器――ナイトメア。多くの部下を犠牲にし、結界の動力である魔石から力を奪い……そのせいで結界は不安定になり、魔物に喰われた民も少なくない」
ノーブルはゆっくりとナイトメアへ近づくと、まるで愛でるようにそっと撫でた。
「バケモノ共を駆逐するには、人も悪魔にならねばならぬ。絶望の未来など、終わりにしなければならん」
教会に利用されている。そんなことは最初から分かっている。
何が本当なのか、嘘なのか。ノーブルには真実に辿り着く力はなかった。
だが、それでも良い。
サハディというこの国を守ることがノーブルの使命だ。そのためならば利用されていると分かっていても、もうこれ以外の道は思い当たらなかった。
ずぷり、と。
ノーブルの手が引き込まれるようにナイトメアに飲み込まれる。
誰かが息を呑む音が聞こえた気がした。
「人類に希望がないならば、我が希望となろう。希望の象徴となり、世界を救い、民を守る」
ずぶずぶとノーブルの体がナイトメアと一体になっていく。
「ナイトメアよ、魔の者どもに地獄をみせてやろうではないか。我々が味わってきた悪夢を、絶望を、見せつけてやるのだ―――!」
そうしてノーブルの体が完全に飲み込まれていった直後、“大型魔術紋甲殻機”は唸りを上げて周囲にいくつもの薄青色の帯――“窓”を展開した。




