10.ナイトメア
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サハディ帝国は軍事国家である。
それ故に上下関係や規律を重んじており、それは軍人でなくとも厳しい法管理の下に国民たちにも『正しい秩序』を押しつけていた。
――ただ、当時18歳で士官学校を卒業したノーブルが目の当たりにした“現実”は、到底『正しさ』の欠片も見当たらなかったが。
「この国は腐っている」
軍の上層部は常に名だたる家柄の者たちが無知を振りかざしながら傲岸不遜に蔓延り、適当な会議に無意味な法案を定め、下の者たちを振り回してばかり。
それなのにミファンダムス帝国への敵視はすさまじく、常にどう足元を掬ってやろうかと画策していた。
真にこの国のことを慮るならば、他にもやることがあるはずだ、と。
まだ青臭かったノーブルはこの国の行く末を憂い、だからこそ自分が上にのし上がって変革をもたらそうとそう考えていた。
齢30に届きそうな頃、武勲を挙げ続け、蔓延る有象無象をねじ伏せて“大佐”の位を戴いたとき――ノーブルは一人の女性と出会った。
守りたい者が出来ると、人は身動きがとれなくなってしまうものだ。
ノーブルを良く思わない連中から、彼女を守りながら手柄を挙げるのは難しいものがあった。
――彼女をとるか、祖国の未来をとるか。
そんな躊躇がノーブルの決意を鈍らせ、挙げ句にまんまと罠にかかり、彼女を魔物に食い殺されてでっち上げられた罪に投獄された。
結局、ノーブルは何も為せずに誰も守れなかった。
己に失望し、国を憎んだ。
それからどれくらい経っただろうか。
人と魔族の争いが激化し、歴代最強と言われた勇者一人では各地の襲撃に手が回らず、やむを得ずと言わんばかりにノーブルは牢から出された。
国を護れと、言われた。
――まずノーブルがやったことは魔族や魔物を討伐することではなく、現皇帝閣下と権力を振りかざすだけの愚かな者たちの排除だった。
人が人を殺す。サハディでは重罪だ。
ノーブル自身も私怨でやったことを認め、死罪は免れないだろうと思っていたのだが――人々はノーブルを英雄視するように持ち上げた。
それが我が使命ならばと彼は皇帝閣下の座に着き、それからは国のために尽くした。
愛した女はもう戻ってはこない。ならばせめて、この国を変えていこう。
ノーブルは自ら隊を率いて魔物の軍勢を屠った。よりよい国をつくるため法改正を進めた。
そうして彼は“剣豪”と呼ばれるようになり、国民や部下たちに慕われるようになった。
それからまた刻が経ち、リウル・クォーツレイが魔王軍を退き、ミファンダムス帝国から勇者が魔王と相打ちになったという情報と共に『結界』に関する技術提供があった。
従来の“100の巡り”ならば魔王を倒した時点で魔族の力は弱体化し、再び魔王が復活するまでは平穏が約束されるはずだ。だからこそ『結界』の技術提供には不審感を抱き、信頼できる部下に潜入調査をさせた。
そこで明らかになったのは“勇者の自殺”“魔王存命”という事実。
そして当時ミファンダムス帝国の親衛隊副隊長にして魔術研究の第一人者であるクローツ・ロジストが“人工勇者計画”というものを進めていることだった…………
「――閣下、『封印の間』に向かわせた小隊からの連絡が途絶えました」
物思いに老けていたノーブルは部下の声に我に返った。
歳をとったものだと己に呆れながら指示を飛ばす。
「まだ残っている兵たちと調教獣を送り込め。とにかく時間を稼ぐのだ」
「はっ」
敬礼し迅速に行動する部下を見送り、それからノーブルは闇緑色の光を明滅させる機械へ視線を向ける。
――サハディ帝国にはもう猶予はない。
「我々は成功させなければならない。これ以上魔族どもにこの国を蹂躙されてなるものか」
近づいてくる気配に剣を抜きながら吐き捨てるようにノーブルは言った。
「勇者は死んだ。救いも希望もまがい物―――ならば! 自らの手で掴み取るまでだ」
部屋の扉が開かれるのを背中で感じながら、彼は剣を掲げる。
【天を貫き、大地を穿て。やつらに我ら以上の絶望と悪夢を幻せて思い知らせるのだ!――――穿ち死せる地獄!!】
刹那。
部屋全体に闇緑色の光が満ちる。
そして。
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