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8.命の重さ


 アルニはちらりと後ろを様子見る。


 引っ張られるようにして付いてくるティフィアは、下唇をきつく噛み締めながらずっと地面を睨み付けていた。

 何かあったことは一目瞭然だった。


 サハディ軍に捕らえられ、何もない方がおかしいけど。

「……」投げかけるべき言葉が見つからないことが、少しもどかしい。


「いたぞ!」不意に離れたところからアルニたちを指差してどこかへ合図を送る兵士の姿を確認し、チッと舌を打つ。

 合流地点まではまだ遠いし、このまま追っ手を連れてくるわけにもいかない。


「ティー、一度手ぇ離すぞ」

「う、うん」上の空だったティフィアが呼びかけにハッとしたように、手を離す。


 小物入れから丸い玉を数個取り出し、それを四方八方の地面に叩きつけた。それらは地面に当たって崩れ落ちると同時に、真っ白な煙が湧き上がる。

 煙幕でアルニたちの位置情報を再び不明瞭にし、その隙に近場の屋上へよじ登る。


 ――あぁ、くそ痛ェなぁ!


 屋上へ上がるために塀とか建物の縁とかに飛び移ったりしていたが、普段はそんなに苦にならないのに今はツライ。たぶんというか絶対傷口開いてる。


 後ろからついてくるティフィアは慣れない動きと状況にバテ気味なのか、少し息が上がっていた。


 だが立ち止まるわけにはいかず、周囲を警戒しながら建物から建物へ飛び移り、煙幕を存分に活用しながら兵士たちの目を掻い潜っていく。

 カサドラ宮城での騒ぎのおかげで、侵入したときよりも兵の数が少ないために合流地点にはすぐに着いた。


「きょ、うかい……」ティフィアの微妙そうな表情を無視し、目の前の建物を見上げる。


 ――そう、教会だ。


 今回合流地点についてはだいぶ迷ったが「クローツが教会に話しつけてるから匿ってくれるはずだよー」とガロが言っていたので、他に代案もないためにそれで決まった。

 実際ティフィアの事情に問題はあるものの(そもそも教会が知っているのかは不明だが)、勇者は勇者。女神教が勇者に手を貸さないはずがないだろう、と。


 それに教会に借りがあるノーブルにとっては、手が出しにくい場所だからだ。


「ほら、見つかる前に入るぞ」

 躊躇うティフィアを引きずって中へ入ると、礼拝堂の壇上で聖書を読んでいた神父服の女性が気付き、歩み寄ってきた。

 亜麻色の長髪を三つ編みにして左肩に流した中年の女性は、柔和な笑みを携えてティフィアの前に膝をついて頭を垂れた。


「お待ちしておりました、勇者様。わたくしはこの教会の神官を務めさせていただいているサラと申します」

「神官……」

「マルタ神父にはお会いになれましたでしょうか?」


「っ」マルタ、という名前にティフィアは息を呑み、肩を震わせた。

「……そうですか、彼は『楽園』へ召されたのですね。何よりです」

「何より、って………!」

「彼は『勇者派』の人間ですから。勇者様のお力になれてさぞ本望だったことでしょう。我々『女神派』とっても、それは理解出来る心情です。――全ては我らが唯一神であらせられる女神レハシレイテス様のお導きのままに」


 では、どうぞこちらへと奥の部屋へ先導して案内するサラの後ろで、「僕には理解出来ないよ」と小さく呟く少女の言葉がアルニには聞こえた。


「――お嬢!」

 部屋へ入ると、そこには杖を抱えたまま椅子から飛び上がったリュウレイの姿があった。

「リウ……」


「お嬢! 良かった、お嬢……! オレ、ごめんっ、何も出来んくて……ごめっ、ごめん!」

 いつもは呼び方を逐一怒っていたリュウレイも、今回ばかりはそんな余裕もなく。


 泣き出しそうな少年の姿にティフィアももらい泣きするように瞳からポロポロ滴をこぼし、「こっちもごめんなさい!」と無事を確かめるように二人で抱きしめ合った。

 空気を読んで部屋から出て行ったサラに会釈し、暫くかかりそうな感動の再会シーンを座って眺めていることにした。


「ティフィア様!」

 そうしてようやくリュウレイもティフィアも落ち着いた頃に合流してきたニアが、目を真っ赤にしてティフィアを抱きしめるのを見て、こりゃあもう暫く時間かかるかなと内心溜め息を吐いた。




 パンッと乾いた音が聞こえてハッと目を覚ますと、目の前で手を叩いた状態で止まっているリュウレイと呆れたような視線を向けるニアが見えた。

「お兄さん、お疲れだね」

「こんな状況でよくも寝られるものです」

 お前らの再会シーンがいちいち長いからだよ! と出かかった言葉は飲み込み、寝起きでぼんやりする頭を振る。


「悪い。……あれ、ティーは?」

「礼拝堂の方にいるよ。見つかると危ないからって引き留めたんだけど、シスナのこと待ってるってさ」

 なんであんなやつのことなんて、とぼやくリュウレイに苦笑しつつ、そういえば確かに遅いなと思う。


 ティフィアから捕まってから脱出するまでのことはすでに聞いている。

 まさかレドマーヌが宮城にいたとは驚きだったが

「先生がいますし万が一ということは無いはずですが……」

「あの人空気読まないじゃん。今もノーブル閣下って人と遊んでるんじゃない?」

 ――あり得そう。リュウレイの言葉に二人は納得した。


「で、ですが、それならシスナだけでもこっちに合流しそうなものですよ!」

「真面目って言うか、クローツの命令には忠実だからね」

 ……シスナ・ロジスト。ティフィアと同じ『人工勇者』、か。


「俺もティーのとこ行ってくる」と椅子から立ち上がろうとして、一瞬ぎくりと体が硬直した。

「? どうしたん、お兄さん」

 不自然な体の動きに、訝しげに首を傾げるリュウレイに「なんでもねーよ」と返して部屋を出る。


扉を閉めて礼拝堂へ繋がる廊下で、アルニは大きく息を吐いて壁に縋るようにして寄りかかった。

「………なんか、悪化してる気がする」

 じくじくと痛む脇腹を見やり、一度確認しようかと思って、止めた。見たら動けなくなりそうだ。


 教会には応急手当出来る道具が揃っていそうだが、正直教会に馴染みがないアルニにとっては信用出来ないので、使うのは憚られる。

 とりあえず痛み止めでも飲んどくかと小物入れから薬草を取り出して口に入れる。青臭さと強烈な苦みに堪えながら、回復薬で強引に喉へ流し込んだ。


 これで暫くは大丈夫だろう。

 ふぅ、と熱を帯びた息を吐き出し、フラフラと礼拝堂へ向かった。


「……おい、何やってんだよ」

「あ、アルニ……!」


 礼拝堂に着くと、出入り口の扉を今まさに開けようとしていたティフィアの姿に頭を抱えそうになった。

 こいつは自分が危険な目に遭ったことを忘れてんのか!?


「ご、ごめんなさい。でもシスナちゃんが心配で……」

「気持ちは分かるけど、まだ外は危険だ。せめて落ち着いてからにしようぜ」


「うん………」未練たらしく扉の方へ何度も視線を送りながらも、アルニが座った席の隣に着いた。

「……………アルニ」

「ん?」

「ガロさんから聞いたんだよね。僕の、生まれについて」

「悪い」


「ううん、仕方ないと思う。僕の中にあった“勇者の証”に、そんな効能があったなんて僕も知らなかったし」

 ティフィアを構成する式法則を崩壊させないための“勇者の証”。


「……僕ね、あの頃は本当にただのお人形さんだったんだ。お母さん――フィアナさんの代わり。それが僕の存在意義だった」


 椅子の上で膝を抱えて丸くなったティフィアの表情はうかがい知れない。

 ただ、きっとまた唇を噛んでいるんだろうなとは思った。


「僕にとってそれが全てで、間違ってるとかおかしいとか、そんなこと僕には分からなくて。……でも、なんだか嫌だった。その気持ちだけはあったんだ」

「……」

「そんなときにね、部屋に間違って入ってきた人がいたんだ」

「……それはとんだ方向音痴がいたもんだな」


 帝国の、当時王子様の部屋にどうやったら間違えて入ることがあるんだと思うが。

 だけど似たような人物〈ニア〉を知っているので、完全に否定は出来ない。


「ふふっ、本当にね。……でも、その人がいなかったら僕は今も、きっとあの部屋から出ることが出来なかったと思う」

 顔を上げた少女は何故か寂しげだった。

「その人が逃がしてくれたのか?」

「ううん、教えてくれたの。―――“どうして君はそこから出ないんだい? 部屋に鍵はかかってないのに”って」


「鍵、なかったのか?」

「そうみたい。僕、逃げるなんて考えたことなかったから、そんなこと確かめたこともなかったんだよ」

 思い込みって怖いよね、と無感情に口にしたティフィアはやはり憂いを帯びた表情だ。


「その人がお前の義父クローツ・ロジストなのか?」

「クローツ父さまと出会ったのはもう少し先かな。――その人はリウル・クォーツレイさんだよ」

 その名前にぴくりと体が反応する。


「……ねぇ、アルニ。アルニは命は平等だと思う(・・・・・・・・)?」


 唐突な話題転換に動揺しつつ、その問いについて考えてみる。


「その『命』ってのはどこまでの範囲のこと言ってる?」

「うーん、たぶん世界中の全ての生き物を指すんだと思う」

「なら、平等じゃないな」

「どうして?」

「自分の命と他人の命が平等なわけないだろ。優先順位があって当然だ」


「じゃ、じゃあ仲間同士の命、だったら?」

「例えばニアとレイとか?」

「なんか例えが嫌だけど、そうだね」


「うーん」ニアには嫌われてるしレイと言いたいところだが。「そこは平等だな」

「仲間を天秤で測れねぇーよ。ティーだって無理だろ?」

 むしろティフィアは他人の命ですら天秤にかけたくないだろうが。


「うん、そうだね」

「そもそも平等かどうかなんて主観だろ。人によって命の重さは違うだろうし」

 利己主義の人もいれば博愛主義もいる。価値観なんて人の数だけ変わるものだ。


「そっか。そうだね」なるほどと頷くティフィアは小さく息を零した。

「今の質問ね、僕が部屋から出て少ししてから聞かれたんだ」

「……」

「僕には質問が難しくて答えられなかった。リウルさんも仕方なさそうにしてたけど」


 部屋から出られたとしても、ほとんど他者と交流がなかったティフィアは命への価値観なんて理解出来なかったのだろう。


「でもね、今は分かるよ。命がどれだけ重いのか、分かる。そして、その問いを投げかけてきたリウルさんの気持ちも、分かった気がする」

「……」

「――マルタさん、死んだんだ。さっき」


 マルタ、という名前に思わず目を細めた。

 宮城でティフィアと声繋石の指輪で通話したときに聞いた人物だ。通路に魔石を仕込んだという女神教の神父の男。


「魔石を爆発させるための合図が、たぶん自分自身の命だったんだと思う。目の前で首を切ってね、爆発に飲み込まれていったんだ」

 また惨い光景をティフィアに見せつけたものだ。トラウマになったらどうするつもりだったんだろうか。それとも勇者の記憶の中に刻みつけたいとでも思っているのだろか。


「はじめて、だったんだ。僕が関わった人が目の前で死んじゃうの」

 言葉を交わした数も時間もほとんどなかったようなものだけど。それでも、少しでも関わって知り合った。


「……初めて、怖いって思った。『勇者』っていう存在が」

 人々の希望である勇者。

 それはつまり、人々の未来と命を担っているということだ。


「――嫌になったのか?」

『勇者』でいることが。


 しかしティフィアは首を横に振った。

「怖い。怖いけど、救いたい。助けたい。……その気持ちが僕の中にある限り、僕は勇者であり続けたいって思うよ」


「そっか」強くなったな、と思った。


 泣き虫で、弱虫で、そういう脆さを持ったままだけど。王都で会ったときよりもずっと勇者らしくなったなとそう思った。


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