6-3
小さく深呼吸しながらティフィアは己の手の中にある短剣を力強く握った。
ティフィアの愛剣は捕まったときに没収され、声繋石の指輪もどこかに落としてしまった彼女の、現在の唯一の武器。
それは意外にもニアが用意してくれたものだった。
「いいですか、ティフィア様。この先旅を続けていれば、ライオスの街で二人が襲われたときのように、私がお守りできない状況に陥ることがあるかもしれません。……それに、私はやはり完全にはアルニを信用することが出来ないのです」
だから護身用に、と渡してきたのは小さな石榴色の魔石がついたイヤーカフスだった。
「これはリュウレイが身につけているピアスと同じ、収納効果を持ってます。容量は小さいですが、武器の一つくらいならば忍ばせることが出来ます」
――本当に非常時の場合に使って下さい、なるべく私も側でお守りできるようにはしますが。
ノーブルによって“大型魔術紋甲殻機”の装置に閉じ込められたティフィアは、なんらかの術式が自分に施されているのを眺めながら、ずっと機会を窺っていた。
ノーブルが一方的にベラベラ喋ってくれたおかげで、彼の目的が『勇者の証』であることはティフィアにも理解出来た。ライオスの街でシスナに襲撃されて以降、何故か体調が良いが良かった。その理由も、口にはせずとも理解していた。
「――僕に出来ることは、」
現在ティフィアには『勇者の証』がない。人工勇者に与えられた『証の一部』が。
おそらくこの術式はそれを探るためのもので、きっとすぐにティフィアが本当の意味で“役立たず”だということにノーブルは気付く。
――考えないと。
アルニやリュウレイ、ニアのように。
いつまでも守って貰ってばかりは嫌だから。
――僕は偽物だ。
偽物で、出来損ないで、みんなに迷惑ばかりかけて。
ノーブルに言われても言い返せないような、ダメな勇者で。
でもね、それでも……僕は勇者なんだ。
勇者になることを選んだ。
勇者でいることを決心した。
例え偽物と誹られようとも、出来損ないの役立たずと罵られても。
――ねぇ、“お母さん”。
僕を信じてくれる人がいるんだ。お前なら出来るって、出来損ないなんかじゃないって。
アルニもニアもリュウレイも、それから僕を勇者と信じて応援してくれる人たちも。
怖いし泣き虫の僕は、きっとこれからも泣くだろうし迷惑をかけると思う。
それでも僕は『本物の勇者』になりたい。うん、なる。
先代の勇者リウル・クォーツレイが絶望して諦めた――――『勇者』に。
堅く目を閉じて息を潜める。
誰か来たのか、微かに聞こえる声と戦闘音。
それから装置の稼働音がして、暗闇に光が差し込む。
「てぃ、ふぃぁ……」
泣きそうな誰かの声が聞こえた。
―――あぁ、そっか。
ねぇ、アルニ。心を救う勇者って、僕は正直何をしたらいいのかハッキリとは分かってなかったんだよ。でもね、今分かった。
僕が考えないといけないことも。
僕がしないといけないことも。
僕にしか出来ないことも。
ノーブルの気配が近くなったタイミングを狙い、髪で隠していた左耳のイヤーカフスに触れる。その手には短剣が握られ、すぐに男に向かって一閃!
寸でのところで躱されて距離をとられたけど、これでいい。
僕の足元で信じられないものを見ているような眼差しを送ってくるシスナちゃんに手を差し伸べる。払いのけられるかなと思ったけど、彼女は素直に手をとって立ち上がってくれた。
――――なんか、昔とは反対の立場だ。
僕はいつも泣いていて、ニアも仕事でいないこともあったからそのときはシスナちゃんが「仕方ないわね!」と呆れつつ手をとってくれた。
僕は泣き虫で偽物で出来損ないだ。
でもあの頃のように『弱虫』なままではいられない。
僕は強くならないといけない。
大切な人たちを守るために。
大切な人たちを救うために。
「精々我を失望させてくれるなよ――人工勇者共!」
「ごめんなさい、僕も仲間の元に戻らないといけないので――本気で行きます」
そのために、僕は戦う。
***
森を抜けてなんとか夕刻までに帝都カサドラへ潜入することが出来たアルニたちだが、問題はここからだった。
「うわぁ……警備兵たちがうようよいるぅ~♪」
ガロが楽しそうに建物の影から覗いた様子を口にするが、隠しもせずにアルニは舌打ちをした。――よくもまぁ、この状況を楽観出来るものだ、と。
正直、帝都に入れば国民たちの目があるから混乱を避けるために兵の配備は多くても“予想通り”くらいだと考えていた。しかしとんでもない。実際街に入ったら至る所に兵士だらけ。
国民たちも困惑しているものの明日の式典がそれだけ重要なのだと勝手に解釈したのか、そこまで騒ぎ立てていない。
―――森でリュウレイが使った、あの透明人間になれる魔術があれば良かったが……あいにくリュウレイはまだ回復出来ずにアルニの背中で眠り続けている。
現状、身動きをとれない状態を余儀なくされていた。
「アルニ、これでは埒が明きません。いっそ強行突破を」
「アホか。それこそ多勢に無勢だろ、すぐに捕まる」
「じゃあさじゃあさ! 俺が囮になるよ! その隙に――」
「あんた戦いたいだけだよな……。でも陽動作戦はティフィアの居場所が分かってからにしたい」
そうしないと陽動の意味がなくなると言えば、分かっていても気が収まらないのか「言うと思ったー!」と返しつつ名残惜しそうだ。
「そういえばガロ、前に俺に使った転移術? あれは使えないのか?」
「あれはねぇ一日一回ぽっきりの制限付きなんだよね。何回も使えたらチートでしょ! それと、一度行ったことがある場所じゃないと効果発揮しないんだよ。俺カサドラには来たことすらねーもん」
だとすれば、やはり慎重に街を散策するしかないか……?
「いやはやお困りのようですねぇ、アルニさん!」
その媚びを売ったような聞き覚えのある猫なで声に、咄嗟に振り返って後悔した。
「ま、マーシュン!?」なんでここにコイツが! という驚きよりも、両手を揉むように擦り合せる元宿屋店主にしてガロよりもよっぽど胡散臭いニヤけた笑みを浮かべながら、音もなく近寄ってきた初老の男に嫌な予感がしつつも。
「お困りなのでしょう、アルニさん?――勇者様の居場所、知りたいのでしょう?」
なんでそんなことお前が知ってるのか、というのは愚問だろう。こいつの情報収集能力はルシュをも凌駕する。さすが元情報屋。
だが、こんな場所でアルニたちに姿を現したということは、もう『元』ではないのだろう。だとすればこれは取引だ。
ニアが警戒して前に出ようとするのを制し、条件は、と問う。
皺くちゃの顔が下卑た笑みに歪んだ。
「へへっ、アルニさんはやっぱり話が早くて助かります。―――条件は簡単なので、そう気構えずとも安心してくださって大丈夫ですよぉ?」
そしてマーシュンが口にしたのは。
「アルニさん、貴方が思い出した記憶をわたくしに教えて欲しいのです」
「っ、」言葉が詰まったのは、想像していた条件ではないことに対してだけではなかった。
今までなら即答で「覚えてねーよ」と跳ね返せていたはずだ。
失くした過去のことを今更掘り返されたから?――違う、そうじゃない。
記憶。
俺の記憶。
レッセイたちに拾われる前の、俺の記憶。
「アルニ……?」
よっぽど酷い顔をしていたのか、珍しく心配そうに顔を窺ってきたニアを見て、ああそうだ、と思い出した。
つい最近――そう、昨日の話だ。俺は何か思い出しかけたはずだ。
夕暮れ。潮のニオイ。
泣きじゃくる“誰か”を何度も励まして。
……誰だ?
「――うぅ……」不意に背負っていたリュウレイが身じろぎ、その重みがまた既視感を植え付ける。
“誰か”を背負って、俺は先の見えない未来に絶望して。
なんで、どうして俺たちばっかこんな目に遭わないといけないんだって、嘆いて。
――――「いいの。私のことは、置いていって?」
“誰か”が言った。ボロボロの体を足枷ごと引きずって、涙が滲む瞳を笑みに変えて。
「俺は、」
思い出せない。
「俺には、」
靄がかった記憶の中、掴みかけそうな何かを。
「お兄さん?」
耳元で寝起きの掠れた声が呼ぶ。
「――、悪い起こしたか?」
「ううん、普通に起きただけ。……この空気、何?」
いつもと違う雰囲気に居心地悪そうに眉を顰めるリュウレイを地面に下ろし、なんでもねーよと苦笑いを浮かべた。
「というか、なんでそこに盗人がいるん?」
じとりと睨む少年に、おお怖い怖いと大袈裟に震えるマーシュン。そういえばティフィアたちの金盗んだ前科があったな……。
「そんな証拠もないのに言いがかりですよぉ?――さて、そろそろここに兵士が来そうですし、退散させてもらいますよぉ。皆さんもお気をつけてくださいね」
それでは、と立ち去ろうとするマーシュンの背中に「妹だ」と投げかける。
「はい?」
「だから“妹”だ。俺には妹がいた」
リュウレイにお兄さんと呼ばれたとき、妹から「お兄ちゃん」と呼ばれていたことを思い出した。
「名前は?」
……そこまで聞くのかよ、まぁいいけど。
「――アイリスだよ」
妹がいたことを思い出しただけなのに、不思議と少しずつ靄がかっていた記憶が晴れていくのを感じる。
俺には両親がいた。妹がいた。
お小遣いを使い切って誕生日に買った猫のぬいぐるみを抱えて、嬉しそうに笑顔を向ける少女。幸せだったあの頃は、いつも後ろに付いてくる妹が鬱陶しくもあったが。
……どうして俺は一人になってしまったのか、肝心なことはまだ思い出せない。
でも、何故だろう。
昔のことを一つ一つ断片のように思い出す度に、同時に途方もない不安に駆られる。
まるでやってはいけないことをしてしまったかのような、そんな不安が。
「なるほど、いいでしょう。――勇者様はカサドラ宮城にいます」
一方で条件を満たした引き換えに、マーシュンは己の情報を開示した。
「うわぁ、お城だって! まるで悪いやつに囚われたお姫様助けに行くみたいだね! マ○オみたいな王道展開に俺も興奮してきたぁーっ!」
「お姫様じゃないけどね。というか、マリ○……?」
「リュウレイ、先生の発言は意味不明なことが多いので、あまり考えない方がいいですよ」
「おい、ガロうるさいぞ。それからレイ、早速で悪いがあの透明になれる魔術は使えるか?」
「うーん、森の方の結界は解いたし使えるには使える。けど、距離と時間考えると魔力が保たないかも」
「それならこれ貸してあげるよ」とガロが渡してきたのは鈴だ。ニアが剣の柄に提げているものとやはり同じものである。
おそらく魔道具の一種だろう。
「先生、宜しいのですか?」
「それなくても俺強いし? むしろチート過ぎてつまんないし? 問題ナッシング!」
それならばと受け取った鈴を首に提げたリュウレイが魔術を唱えるのを横目に、そういえばとマーシュンへ視線を戻す。
「――またお困りの際にはご利用くださいね、アルニさん」
初老の男は何が愉快なのか笑みを深く刻みつけた表情を貼り付け、暗がりの路地へと消えていった。
「……」何故マーシュンが俺の記憶を知りたがったのか聞きたかったが、今はティフィア救出が優先だと頭を振った。




