5-2
路地から出るとすぐに“コメット”という宿は見えてきた。
斜め後ろでにやにや笑みを浮かべてついてくるガロを一瞥し、大きく溜め息を吐きながら建物の中へ入る。
「アルニ……―――っ!? た、」
宿のフロントでいつもの鎧姿で待っていたらしいニアが駆け寄ろうとし、しかし背後の男を見て剣の柄に手をやるが、すぐに首を横に振って警戒を解いた。
「……ガロ隊長、何故こんなところにいるのですか?」
「あれ、戦わないの? なんだ、つまんないなぁ~」
ニアの戦意が無くなって残念そうな顔をしながら、アルニを小突いて離す。「部屋は? あ、それと俺もう隊長じゃないんですけどー」
「……3階の角部屋です、先生」
「うむ、それで良い。――リウも一緒でしょ? うわぁ、久しぶりなぁ……ハグしちゃおっかな♪」
嬉々とした足取りで階段を上がっていく男の姿を呆然と見送り、隣にきたニアに視線で問う。
「……あの方はガロ・トラクタルアース。帝国の親衛隊隊長だった人です。今は辞任されて流浪の旅に出たはずですが……まさかここで会うとは」
「さっき先生って呼んでなかったか?」
「私の剣の師なんです。彼は元々帝国貴族の出自で、今まで武神と呼ばれるほどの逸材を輩出し続けているトラクタルアース公爵家の跡取りです。ちなみにガロ先生も“武神”と呼ばれていて、それこそ帝国一……かも、しれません」
「かも?」歯切れの悪いもの言いが気になったが、
にぎゃぁぁあああああああああああっ!!??
上階から響き渡るリュウレイの悲鳴に二人は目を合わせ、忘れてたとばかりに急いで部屋へと向かった。
「―――さて、俺のことはもうニアが説明してくれたと思うから自己紹介は省くね! 単刀直入に言うけど、俺の目的は一つ。クローツがこの国で強いやつと戦えるって聞いて来ただけなんだよねぇ~!」
ベッドに腰掛けながら長い足をぶらぶら揺らし、落ち着きというモノを知らなそうなウザ男ことガロ・トラクタルアースは本当に正直に目的を吐露した。
落ち着きのないウザ男が、落ち着きのない戦闘狂ウザ男になったと内心思いながら、彼の隣でロープによって雁字搦めにされて芋虫状態になりながらガロを睨むリュウレイを一瞥する。
どうもリュウレイはガロが苦手らしく、逃げようとしたところを拘束されたようだ。ちなみにさきほどの奇声は強引にハグされたのが嫌過ぎて発してしまったらしい。
……めちゃくちゃ嫌われてるな、ウザ男。
「く、クローツ様が……!?」
「さすがニア、あいつの名前出すとすぐに飛びつくNE☆」
「ち、違……っ!」一瞬にしてニアの顔が茹で蛸みたいになった。
――というか、クローツって確かティフィアの養父、だったよな……?
「良かったねぇ、ニア。キミの愛するクローツはキミたちが心配だったみたいでね。俺とは別にシスナもこの国に派遣されてるよ?」
シスナ。その名前に三人の顔に緊張が走る。
ライオスの街でティフィアとリュウレイを襲ってきた、人工勇者の一人だ。
「な、なんでシスナが……!」
「ここに来るまで一緒の船だったんだけど、キミたちを守れって不本意な命令をもらったって愚痴ってたよ、彼女。途中でティフィアちゃん見かけて、追いかけて行っちゃったけど」
「お嬢見たん!?」「ティフィア様を見たんですか!?」
喰い気味に問うリュウレイとニアの姿に、特に驚くことなくニヤニヤ笑みを浮かべたままのガロ。
「そういえばティーはどこ行ったんだよ。まさかニアみたいに迷子になってるとかは無いよな?」
そして二人は黙った。……なんなんだよ、一体。
「あー……その反応は何かあったって認識でいいのか?」
「――――お嬢が、サハディの連中に連れて行かれたん」
「な、」
「ありゃりゃ」
「ま、待て! なんでだよ、ティー……勇者がいるってことはサハディの連中は知らないはずだ!」
サハディが飢えてることは知っていた。
歴代最強と謳われるリウル・クォーツレイを輩出したミファンダムス帝国。
真実は違うにせよ相打ちで魔王を倒した彼を支援していた帝国は、世界的にも注目を浴びている。しかもミファンダムスはその後も『結界』の術式を編み出し、それを世界に広めた実績がある。
――魔族は強い。ミルフィートもそうだったが、どれだけ精鋭を集めても力量に差がありすぎる。サハディの軍事力を持ってしても、多大な損害を覚悟しなければ魔族とやり合うことに躊躇するくらいには。
その点、ミファンダムス帝国が生み出した『結界』はすごい。それは魔の者の侵入を拒み、絶対なる防護が約束されるから。
……サハディとしては敵視してるミファンダムスから『結界技術』を提供してもらっていることは屈辱なはず。だからこそ裏の帝国サハディは、絶対ミファンダムス帝国に対抗出来るものを欲している。
サハディの内部事情に巻き込まれたくないからティフィアの存在は隠していたが……。
「……。レイ、詳しく教えてくれないか? ティーがどうして、どうやって連れて行かれたのか」
「うん。そもそもそのつもりでここに呼んだわけだしね」
ニアの手でロープの呪縛を解いてもらったリュウレイは話始めた。
―――昨日の夕刻。
帰りが遅いニアとアルニが心配になって探そうかと船から降りようとしてたときだった。
船の窓から水平線に沈み込む燃えるような夕日を一瞥し、それから前を歩くティフィアへと視線を向けたリュウレイは、思わず眉根を寄せた。
……やっぱりお嬢、顔色悪い。
彼女の部屋に訪ねたときに魘されていたティフィアは、忘れたと言っていたが――きっと嘘だ。でなければ、ときおりその黒曜石の瞳に陰を落とし、何かを思い出しながら下唇を噛むなんてことはしないだろうから。
リュウレイとしては二人の帰りが遅いことは特に心配していなかった。アルニとニアのことだ。何かあっても二人ならなんとか出来るだろう。それくらいの信用はある。
ただ……なにか悩んでる様子のティフィアに、気が紛れるようなことをしてあげたかっただけだ。
「? ねぇ、リュウレイ。なんだか騒がしくない?」
不意に足を止めたティフィアの言葉に、リュウレイは耳を澄ませた。
確かに誰かの怒号が聞こえる。
「……注意して外覗こう」
「う、うん」戸惑いながらも頷く少女と共に外へと通じる扉を小さく開けてのぞき込めば、
「!」
紺と金を基調とした軍服を着た人たちが数十人、船を取り囲んでいるではないか!
「――サハディの帝国軍が、なんで……」
「……………お嬢、部屋に戻ろう。嫌な予感が、」
「―――勇者を騙る不届き者が搭乗しているのは分かっている! 特徴は銀の髪に黒い瞳。幼い少女の姿をしているが、躊躇うな! 必ず捕らえよ!」
真ん中にいた軍人の一人が船に剣先を向けると、周囲にいた軍人が一斉に向かってきた!
「っ、」リュウレイは即座に扉から離れると辺りを見回す。
――逃げないと……!
どうしてティフィアがこの船に乗っていることを知っているのか、どうして“本物”ではないことを知っているのかはともかく。今は逃げて隠れること。そしてニアとアルニと合流して―――――
「お嬢……どうしたん?」
扉の前から動かないティフィアに気付いて声をかけるが、聞こえていないのか微動だにしない。
焦れて腕を掴もうと手を伸ばしたとき、
「―――ごめんね、リウ」
ティフィアは何か決心を携えた瞳で真っ直ぐ前を見据えて、リュウレイを突き飛ばした。
「え、」突然の彼女らしからぬ暴挙にそのまま尻餅ついて呆然としている間に、ティフィアは扉を思い切り開けて飛び出した。
宙で剣を抜いて着地と同時に剣を地面に突き刺すと、突如ド派手に現れた少女に全員の視線が集まる。――乗組員たちに剣を向けていた多くの軍人たちが。
おそらく脅してティフィアの居場所を吐かせようとしていたのだろう。
――そんなの、ダメだ。
「どうしたの、勇者を騙る“偽物”はここにいるよ」
剣を鞘に納めつつ、指揮していた軍人の元まで歩み寄る。まさか自ら出てくるとは思っておらず警戒している様子だが、どうやら罠ではないと判断した指揮官がティフィアの腕に枷をつけた。
「……いい心がけだ、偽物。勇者ごっこはもう終わりだ」
………―――ごっこ、か。
確かにティフィアは本物じゃない。魔王も倒せない。魔族一人倒すのだって、みんなの協力があってようやく退けたくらいで。
泣いてばかりで、まだ、誰も救えていない。
僕がしたことなんて、まだ、何もなし得てない。
「ではこれより『特級犯罪者』を連行する。仲間による妨害も考えられるが、構うな。時間がない。――急ぐぞ」
枷に繋がれた鎖を引かれた。
事情を知らずとも勇者様だと仰いでいた乗組員たちが、不安そうにその様子を見守っている。きっとリュウレイもこの様子を見ながら、どうするべきか悩んでいることだろう。
でも我慢できなかった。
僕のせいで誰かが傷つくのは、嫌だ。
それならこの身を捧げたって良い。
――僕は勇者になりたかった。
助けたい、救いたい人たちがいるから。
………だけど、さすがにリュウレイはこの選択、怒るかな。
いつも僕の意志を尊重してくれるけど、自分を犠牲にすればそれは違うと怒るかもしれない。
ごめん。
ごめんね。
それでも僕は、こうすることしか思いつかないんだ。
――――ごめん。
「オレ、見てることしか出来なかったん……。お嬢はきっと傷つけられそうになった乗組員たちを守ろうとしたんだと思うん。……………オレ、どうすれば良かった? どうしたらお嬢を守れた? オレ、オレ、っ、オレぇ……!」
いつもの生意気な雰囲気がナリを潜め、紅い瞳が涙で揺れる。ひぐっ、と嗚咽を漏らすリュウレイの頭を優しく引き寄せたニアが背中を撫でると、幼い少年は声をあげるのを我慢しながらニアに縋りついて肩を震わせた。
……よっぽど今回のこと、堪えたみたいだな。
ニアの様子が落ち着いていることから、すでにリュウレイから話しを聞いていたんだろう。
「ふんふん、なるほどなるほど。ティフィアちゃん立派になったなぁ~」
さてどうしたものかと考えるアルニの前で、やはり足をブラブラ揺らしながら場違いなほど浮かれたようなガロの言葉。「ニア、護衛任せたのにこの失態は良くないよ」
と思っていたら、唐突に低い声でニアを叱責した。……こいつ、いつもふざけてるわけじゃないのか。
「……はい。申し訳、ありません」
リュウレイに胸を貸しながら萎らしく謝罪するニア。
「―――ん~、状況は芳しくないねぇ。たぶん早く連れ戻さないと、あの子の秘密がバレちゃうんだよなぁ~」
「秘密?」咄嗟に尋ねると、ニアもどうやら知らないらしくガロへ訝しげな顔を向けた。
「あれ、知らないの? 俺が言っていいのか疑問だけど、言っちゃおうかな? ティフィアちゃん怒るかな?……怒らないか、あの子は」
じゃあ言っちゃおうっと! とガロは世間話をするように――とんでもないことを暴露した。
「ティフィアちゃんはね、ミファンダムスの現皇帝陛下が造った、フィアナ・ルディス・ミファンダムスのクローン体なんだよ」




