5.フィアナとティフィア
誰かの声が聞こえた気がする。
いや、声というか……泣いている、のか?
――起きないと。
そう思うのに体は言うことを聞いてはくれない。
重い。
重たくて怠くて……でも、起きないと。
泣くなって、どうしたんだよって。
あの――――泣き虫の少女に。
「てぃ、ふぃぁ……?」
重い瞼を押し上げるとここ最近では見慣れた、船の天井が視界いっぱいに広がっていた。
暫くぼんやりとそれを眺めていたが、不意に意識を失う前のことを思い出して上体を起こす。
「い”っでぇ……っ」激痛が走った脇腹を押さえつつ周囲を見回す。
……船の、俺の部屋だ。
どうやら港に戻ってこられたようだ。
あのどうしようもない方向音痴がよく辿り着けたな、と本人が聞いたら激怒しそうなことを内心思いながらベッドから抜け出す。
脇の傷だけ包帯が巻いてある以外は外傷もないし痛みもそこだけだ。激しい動きをすれば傷口が開きそうなので、気をつけよう。
「……みんな、甲板か?」
当たりをつけて甲板へ向かうべく部屋を出て通路を歩く。
……………………おかしい。
自分がどれほど眠っていたかは分からないが、窓から見える空の色は青い。もう日が昇っている。つまりあの森でミルフィートの襲撃を受けてから約一日は経っている。……だというのに、船が動いてる様子がない。
さすがにもう荷物の運搬は済んでるはずだ。他にトラブルでもあったのか……?
「あ、キミ!」
甲板に出てもティフィアたちの姿が見当たらずに困っていると、船員の男が声をかけてきた。
「確か勇者様ご一行の一人だったよね」
「はい」
「お仲間の小さい男の子から伝言を預かってたんだ」
「伝言……?」
「“目が覚めて動けるようなら、ジラルドに来て欲しい。あとは連絡を待ってる”だそうだ」
ジラルドって前にニアと情報収集のためにいった港街だったな。
……ニアも一緒にいるんだろうが、あいつ怪我は大丈夫だったんだろうか。
「分かった、ありがとう」と船員と別れ、一度部屋に戻る。また魔族と遭遇なんてしたら堪ったもんじゃないし、準備は整えておこう。というか小物入れが無くなってるんだが。
「街で買ってくるしかないか……」
おそらく川の中に落としたんだろう。それまでは道具をマントに包んで、これを腰に巻き付けておくことにした。
それから船を下りて、傷に響かない程度にゆっくりと歩いていく。
前に来たときよりは時間がかかってしまったが、二度目の港街ジラルドへやってきた。
「……やっぱり変だ」
昨日の街の雰囲気は何か浮き足立ってる感じだったのだが、今日はまるでお祭り騒ぎだ。広場では男の奏でる笛の演奏に合わせて人々が踊り、大通りには露店が並んで人混みで賑わっていた。
とりあえず先に小物入れを購入し、それから広場で踊り終えて満足そうに息を整えている中年の女性に近づいて事情を聞くことにした。
「知らないってことは旅の人かい?」
「ええ、まぁ。……なにかのお祭りですか?」
「そうだよ。明日の式典セレモニーに合わせて、今日から3日間はお祭りさ!」
式典セレモニー……。確か昨日も聞いた気がする。
「毎年式典では我が国の軍隊が催しを行って下さるんだけど、今年はすごいのさ! ノーブル閣下が“大型魔術紋甲殻機”をついに完成させて、それを魔の者の領域【魔界域】に撃ち込むらしいんだ!」
魔の者の領域――魔界域。
カムレネア王国とミファンダムス帝国がある白亜大陸よりネルビィオロ海域を越えた北にある大陸。そこが魔界域だ。
魔族たちが暮らし、魔物たちが製造されている場所だと言われている。そして、本来勇者が向かうべき終着点―――。
「その“大型魔術紋甲殻機”ってなんですか……?」
「詳しいことは知らないけど、魔族すら一撃で倒せる兵器らしくてねぇ……。なんでも教会が全面的にバックアップしてくれて完成したって聞いたね」
「教会って……まさか女神教、ですか?」
「ああ、そうさ。憎き魔族たちを一掃させる手伝いをさせてくださいって話だったらしいよ。―――勇者リウル・クォーツレイ様が命をかけて魔王を倒して下さったんだ。次の時代にもまた魔王が復活しないために、まだ歴代未達成の魔界域の侵攻を開始するみたいだよ!」
ノーブル閣下は本当に素晴らしいお方だよ、と続けてサハディの首相である人物のことを話してきたがそれは適当に流し、話に区切りが着いたところで感謝を述べて離れる。
……まだ話し足りなそうな表情だったけど。
「―――――」
魔界域の侵攻―――。
もし彼女の言うことが本当であれば、以前までのアルニなら喜んで賛同していたかもしれない。魔族という脅威が排除されるのは喜ばしいことだから。
だが。
――実際に魔王は死んでない。
ティフィアの話によればリウル・クォーツレイは魔王を討伐する前に死んでいる。……この際アルニの前に現れた『勇者の亡霊』と自称したリウルのことは置いておくとして。
魔王は健在。しかも魔王は勇者にしか倒せないという。
その理屈でいえば魔界域の侵攻は必ず失敗する。
……ミファンダムス帝国は各国の首相たちに“勇者が死んだ”ことを伝えていないのか?
伝えれば確かに大変な騒ぎになるだろうが、でもさすがに最低でも首相たちとは共有すべき事項のはずだ。
もしそのノーブル閣下が知っていたとすれば―――?
魔王を脅威と考えていないのであればよっぽど自国で造った魔術兵器に自信があるのか、或いは――――サハディには、勇者がいる?
そういえばティフィアの話だとじきに本物の勇者が選ばれると教会が言っていたって言ってたな……。本物の勇者がサハディに現れたとするならばノーブル閣下が魔界域への侵攻を考えるのは、別におかしいことではない。
「なら、なんでそれを国民に伝えない……?」
魔王が健在であることは伏せて、勇者誕生を大々的に告知していたっておかしいことではないはずだ。教会が後押ししてる理由もそれなら納得出来る。
でもそれをしていない。――何かを隠している。
「………」アルニは声繋石の指輪へ意識を繋げ、呼びかける。リュウレイの声はすぐに返ってきた。
『ようやく起きたね、お兄さん。――とにかくすぐに話したいことがあるん。コメットっていう宿に来て欲しい』
「分かった、すぐ行く」
コメットという宿屋は確かここから南東にある小綺麗な宿だったなと昨日見かけたときの記憶を思い返しながら、後ろから尾けてきている人影をどうやって撒こうかルートを模索する。
傷口が痛むから走りたくないんだけどな……。
だが入り組んだローバッハの町並みとは正反対に美しいほど整頓された区画しかないサハディの街では、容易に姿を隠すのは難しい。やはり走って姿をくらませるしかないか。
「――青年、それは甘い考えだよ。うん、実に甘くて甘すぎてサハディの軍人を舐めに舐めきってる考えだよ?」
突如隣を歩いていた通行人から声をかけられ、驚きに仰け反らせそうになったアルニの肩を強引に掴んで自分へと寄せた男は――――にんまりと笑みを浮かべた。
「嫌だなぁ、避けないでよ。後ろのやつらに警戒されちゃうよ? あ、もうされてるか。……まぁそれは置いといて、とりあえず偶然再会した友達のフリくらい出来るでしょ、キミなら」
そう言って肩を離した男は、くすんだ茶色の少し長い髪と、紺色の瞳をした旅人然とした人物だった。背丈はかなり大きくアルニより10㎝も上背があり、マントで隠されているが左右の腰に2本ずつ剣を提げている。
――誰だ、こいつ。
まったく知らない男だが、しかし様子からして尾行を撒くのを手伝ってくれるようだ。
念のため警戒しつつも男の言うとおりに話を合わせることにした。
「―――あ、ああ、お前か!? こんなところで会うなんて奇遇だなぁ、2年ぶりだったか……? 今まで何やってたんだよ」
「個人でずっと傭兵稼業さ! 世界を渡り歩きながら強い魔物を求めて倒してきてさぁ、今回知り合いに頼まれてサハディで仕事だよ! 強いやつと戦えるって聞いて、俺はもう興奮が隠しきれないZE☆」
……これ、演技か? なんか本当に興奮してるように鼻息荒いし、喋り方がなんかもうすっげえうざいんだが。
本当に知り合いなら知り合いだと思われたくないレベルの面倒くささを感じる。演技するキャラ設定が濃すぎると思うんだが。
「あー……そ、そうか。相変わらずだな、お前」
「嫌だなぁ、『お前』なんて他人行儀で呼ぶなよ。仲間だったときみたいにガロって呼んでちょ♪」
「あはは……はは………そうだな、ガロ」
「やっべ、久しぶりに会えたのが嬉しすぎて俺興奮死しそう!」
「こ、興奮死……?」
「積もり積もった積もる話もあるし、どう? 酒でも一杯。ほら、そんな嫌そうな顔しないでよ! 一杯だけ! 一杯だけでいいから付き合って――ね?」
強引に手首を掴まれて引きずられるように歩かされる。「――行き先は?」
「え」
「このまま撒いてあげる。で、行き先はどこなの?」
……このままこの男に流されて大丈夫なんだろうか。
一抹の不安はあったが、尾行を引き離せるのはありがたい。
「…………ここから南東、メルト通りにある宿まで」
「うん宜しい。大船というか巨大船に乗ったつもりでこのガロさんに任せんしゃい」
メルト通りにある宿はいくつかあるのだが、さすがにそこまで正直に話すつもりはない。そしてガロというこの男もアルニが警戒してることを承知の上で協力してくれるようだ。
ずっと引きずられているわけにはいかないので(傷も痛いし)隣に並んで歩きながら街の中を歩く。その間ずっとおしゃべりなガロの話に付き合わされながら適当に相槌を打っていると、おもむろにガロが酒場へ足を向けた。
「お、おい」本当に飲むつもりかよと慌てると、彼は口元に人差し指を立てて「静かに」と顰めた声で制す。
……本当にどうするつもりなんだ。
酒場に堂々とした足取りで入ったガロを訝しげに観察していると、不意に彼が服の中に隠していたネックレスを取り出す。首から提げられたそれは小さな鈴で、見覚えのあるそれがニアの剣に提げられた鈴と記憶の中で一致したとき、ちりん、と男は指で弾いて鈴を鳴らした。
「―――“領域変換”」
刹那ガロを中心として、世界が揺らいだ。
唐突に術を行使してきたガロに対して警戒を強める―――が、特になにか変わった術をかけられている気はしない。
普通だ。酒場に入ったときと同じように客が酒を飲み交わし、談笑し、酔い潰れて寝てる。
―――いや、違う。これは普通じゃない。
ガロとアルニの姿を見て近寄ってきた店員が、首を傾げてカウンターへ引き返す。まるで二人の姿が忽然と消えてしまい、客が来たのは気のせいだったのかと思わされたかのように。
「領域使役完了――と」ガロが鈴をまた服の中に隠すと、今度は右手で剣を鞘から抜き出した。突然の暴挙に驚くが、やはり周囲の人々はガロが武器を取り出したことにも気付いていない様子だ。
「この酒場に結界を張って俺の支配下に置いて、俺とキミの存在だけを意識からずらしただけだよ。術自体はニアのを見たことがあるんじゃない?」
「!」
「そして今度は魔術ね。これはリウくんの何度も見てるでしょ?」
ニアとリウ。
リウはリュウレイのことだ。
そして二人の名前が出てくるということは―――まさか、ミファンダムス帝国の人間か……!?
一気に嫌な予感が膨れ上がって逃げようとするアルニに、分かっていたようにガロはその胸ぐらを掴んだ。
【簡略展開――転移術式、発動】
ガロとアルニの足下に魔術紋陣が浮かび上がって消えると、視界がぐにゃりと歪む。その不快感に咄嗟に目を閉じるのと同時に掴まれていた胸ぐらを離され、地面に尻餅をついた。―――そう、地面だ。
ハッと目を開けたアルニの視界にはここがどこかの路地裏だということと―――鈍い光を放つ剣先だった。
「さて、……キミって確かアルニくんって名前だったかな? まぁキミの名前なんてどうでもいいや。弱そうだし、興味湧かない。―――で、キミの仲間であるニアたちがいるのはどこの宿かな? 出来れば一緒に行きたいんだよねー」
一切敵意も殺意もなく剣を向け、にんまりと笑顔を浮かべる男を見上げながら、アルニはごくりと固唾を飲むことしか出来なかった。




