4.現魔王
***
――そろそろ限界ッスね……。
己の血肉が焼けるニオイと、己から発せられる煙。
あの黒い球をいくつこの身で防いだか、レドマーヌはもう数えるのは止めた。
「はぁ、はぁ……このまま、じゃ……本当に、っ、死んじゃうッスよ…………!」
そう言いつつ、また目前まで迫ってきた黒い球に自分の体をぶつけると、爆発の衝撃によって後ろへ吹っ飛ばされる。そこに鎖と釘が襲いかかってくるが、それを辛くも避けつつ、更に頭上で黒い球が通り過ぎようとするのを見逃さす矢で射落とす。
――しかしレドマーヌの体はもはや満身創痍だ。
纏っていたマントも半分が焼け落ち、爆発で焼けた肌が露出している。その胸に淡い光を放つ暁色の魔装具も晒されていた。
「二人とも……ちゃんと、逃げ切れたッスかね………」
人間からすればレドマーヌの存在は怪しい以外の何者でもないだろう。それでも助けようと思ったのは、共闘しようと思ったのは――――、
「―――“あの子”を支えてくれてる仲間を、ここで死なせるわけにいかないッス」
そして、己の『使命』を果たしていないレドマーヌ自身も、まだ死ぬわけにはいかない。
レドマーヌは魔装具に触れ、口を開く。
【我願い叶う者―――“慈愛の乙女”様、どうか力をお貸し下さい】
暁の光がぼんやりと浮かび上がり、それに包まれる。
更にレドマーヌは己の左目に触れた。
【我願い|叶う者―――“真実の乙女”様、どうか力をお貸し下さい】
瞳から零れ落ちる純白の光。
―――二つの魔装具から放たれる光。
それはどこまでも柔らかくて暖かい。
【我が二柱の乙女たちよ。共に願い、祈り、乞い、一つの誓いを立てた約束のために。
我は願いを叶う者。我は想いを届ける者。
今このとき、我が神の“想い”解き放たん】
【限定解除―――――聖なる鎮魂歌】
レドマーヌの瞳から一粒の涙が地面にこぼれ落ちると、そこから波紋が広がっていく。
それは彼女に襲いかかろうとしていた鎖と釘、そして黒い球の動きを止めた。
――術の一時的な静止。
切り札として隠していた能力だが、だいぶ魔力を消費したようだ。足から力が抜けて座り込んでしまった。それでも、と少女は座ったまま弓を構える。
自分も魔族だから、同族の弱点は知っている。
魔族は己の“源”である魔装具を破壊されると―――――死ぬ。
「ミルフィート、悪く思わないで欲しいッス………!」
黒い靄で隠れていても基本的に術の中心点に魔装具がある。あとは「当たれ」と強く願えば、レドマーヌの矢はミルフィートを殺すだろう。
ぎりぎりまで引き絞った弦を解き放つ。
ひゅんっ、と空気を貫く音。
矢はすぐにミルフィートの元まで届いた―――が。
「え」
矢が、へし折れた。
「―――――あはっ♪」
あはははハハハハははははははハはハハハハはははハハハハハハハハハはハハハッハははははははははははははははハハハハハハハハッ!!!!
森にミルフィートの笑い声が響き渡り、黒い靄から抜け出した彼は嘲笑うように愕然と地べたに座り込む少女を見下ろす。
「残念だったね、ネ?――レドマーヌ」
「な、なんで……」
「お前の能力が“必中の矢”と“静止”であるなら、俺の能力は“絶対なる破壊”なんだよね、ネ。つまりお前の能力は―――俺に当たらない」
「!?」
レドマーヌとミルフィートの能力は矛盾関係にある。本来なら二人の能力はお互いに相殺していてもおかしくないのだが………ミルフィートは“現魔王”の許可がある。
完全な能力を行使出来るミルフィートと、本来の力を出し切れないレドマーヌで能力の力が平等なわけがない。だからレドマーヌの能力が押し負けたのだ。
「あっは♪ 安心しなよ、お前を殺してすぐにあの人間たちもあの世に送ってあげるからね、ネ!」
バキンッ! とレドマーヌの《聖なる鎮魂歌》が破壊される音と同時に一斉に鎖がレドマーヌの体を絡め取り、宙で磔にされる。
その周りで大量の釘が今か今かと少女の肉体を穴だらけにしようと狙いを定めていた。
「―――っ」
やばい。
やっぱりそもそも支援系能力しか持たないレドマーヌがしゃしゃり出るべきではなかったのだ。どう考えても力量に差がありすぎる。敵わない。
――でも、死ぬわけにはいかないッスよ……!
約束をした。
レドマーヌの神様に、約束をした。
それより何より――――まだ勇者に恩返ししてないッス!
「今度こそ、死ネ」
ミルフィートが手を振ると釘たちが一斉に襲いかかってきた!
もう駄目だとレドマーヌが咄嗟に目を閉じたとき――――――、
【“魔王”の権限を行使する―――ミルフィート、レドマーヌ両名の能力の一切を制限し、動きを封じる】
「「!?」」
刹那、上空の黒い靄も鎖も釘も黒い球も忽然と消失し、ミルフィートとレドマーヌは抗うこともできずに地面へと落ちた。しかも起き上がろうとしても体はまるでびくとも動かない。
「……っ」どうやら声も出せないようだ。
せめて、と視線だけを動かし、突然現れた“第三者”を確認しようとする。
――黒い髪の少女だ。
地面まで広がった無造作な髪を引きずるその少女は、大体10つくらいの年齢だろうか。大事そうに猫の人形を抱え、一見小さな人間の少女に見える。
しかし、普通の人間の少女がこんな場所にこんな状況下で現れるはずがない。
そして何よりも、その瞳だ。底が見えないほど澱みきった虚ろな瞳。……レドマーヌはその目を、その少女を、知っている。
――――――――“現魔王”……ッ!?
どうしてこんな所に、と警戒しつつ様子を窺っていると、少女はミルフィートの元まで歩み寄り、その場にしゃがむとレドマーヌ同様動けないミルフィートの頭を殴った。
「!」
……な、殴った!?
なんか、ポカッ! て音がした……!
「ミルフィート、私は言ったはずなの。まだ動いちゃダメって言ったはずなの」
「………」
「過激派の……私の計画を台無しにするつもりなの?――――弁解があればしゃべって良いの」
「ぁ、」ミルフィートは許可されて出せるようになった声で「も、しわけ……ありません」と謝罪した。さっきまでの威勢はどこへいったのかと疑うようなしおらしさだが、それを少女は首を振って拒絶した。
「言いたいことはそれだけなの………いいよ、もう。お前も傀儡にする」
「っ! そ、それだけは……それだけはお許しを!」
……? ミルフィートがやけに怯えてるッスね……。
訝しげに見ているとおもむろに少女は立ち上がり、それから右手を前に出した。伸ばした人差し指に、小さな蜘蛛がぶら下がっていることに気付く。
蜘蛛?
赤いその蜘蛛は紛れもなく赤い大蜘蛛針だが、それをレドマーヌは知らない。
蜘蛛は少女の人差し指から糸を垂らしてミルフィートの頭に乗ると、そのまま引き攣った彼の顔面を歩いて右耳までくると――中に入っていった。
「いっ―――!? ぃやだ! やめろ、やめろやめろやめろやめろぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「――――」
目を血走らせて断末魔のような悲鳴を上げたミルフィートは、しかし唐突に涎を垂らしたまま声を止め、弛緩したように首ががくりと垂れる。
「……最初からこうすれば良かったの」
そうぼやいた少女は、不意にレドマーヌへと視線を向けた。
「っ」何をしたのかは分からないけど、もしかしたら同じことをされるかもしれない。言い知れぬ恐怖に冷や汗が首筋を伝う。
「ぐぁぎゃぁぁああああ!」
そのとき不意に空から飛んできた一羽の鳥が少女の傍らに降り立った。――四つ羽烏だ。これもレドマーヌは知らぬことだが、つい先ほどニアに体当たりをかましてきた魔物である。
「――おかえり。……そう、殺し損ねたの。まぁいいよ、ここに来たついでだったから」
彼女はまるで魔物の言ってることが分かっているかのように言葉を返すと、お疲れとでも言うように魔物の頭を撫でた。
「―――レドマーヌ、あなたもしゃべっていいの」
「っ、は、ぁ……!」
許可された。同時にまるで喉のつっかえがとれたような感覚。これでしゃべれるようになったようだ。
「………魔王様」
「“元魔王”に忠誠を誓ってるあなたに様付けされる言われはないの。名前で呼んでくれて構わないの」
「なら――――アイリス」
「なぁに、レドマーヌ?」
聞きたいことなんてたくさんあった。言いたいことも。
でも今はそのときじゃない。
「……ここに来たのはミルフィートを回収するためッスか?」
「ううん、全部ついでなの。本当はこの国が面白いことしようとしてるから、見物に来ただけなの。――でも、」
ふっ、と嘲るようにアイリスと呼ばれた少女は笑った。
「人間は本当に愚かなの。このままだと魔族と人族は本格的に戦争を再開することになるの」
「――!」
「ふふっ、“元魔王”の意志とは反対に事が進みそうなの」
「それはアイリスが仕組んだんじゃないんスか……!?」
「仕組む? 私ね、興味ないことなんてどうでもいいの」
「ど、」どうでもいい、なんて………!
「アイリスは人間が嫌いで憎んでるッスよね……! これがお前の仕業じゃないなら―――」
「うん、嫌い」無垢な笑みを向けながら、その言葉にこめられた憎悪の気配にぞっとした。
「嫌い。嫌いだよ。人間なんて、嫌いなの。でも、私の望みは違うの」
だって、
「――――私はこの世界そのものが嫌いなの」
「世界……?」更に規模が大きくなったことで困惑するレドマーヌに、少女は嗤う。
「私は知ってるの。信じて信じて、希望だけを願い続けて―――それを踏みにじられたときの、あの絶望を。ずっと私の中で燻って、滾って、ずっと湧き上がって収まらない。この世界を絶望に突き落として、壊して、消して、全部終わらせるの。………それが私と、私の愛する神様の願いだから」
「………」
「元魔王のヴァネッサに伝えておいて欲しいの。……分かってると思うけど、あなたが何をしようと世界の意志は変わらない。現魔王である私が、―――そして私の神様である『勇者』が、そう望んだことなのだから」
そう言い残したアイリスは四つ羽烏に飛び乗ると、そのまま羽ばたいて空の彼方へと飛んでいった。
ちなみにミルフィートは足で掴んで持って行った。
「……例え勇者が望んだことでも、」
アイリスが去ったことで魔王権限から外れたのか、自由となった体をなんとか起こしたレドマーヌは思う。
「レドマーヌは信じてるッス」
レドマーヌの神様――かつて人間だった二人の女性が願い、祈り、信じ続けた“希望”を。
***




