2ー2
周囲に煙幕が立ちこめるのを眺めながら、ついに仕掛けてくるかとミルフィートは思わず口角を上げた。
王都での襲撃は“勇者”と“レッセイ・ガレット”を捕獲するという、本当につまらない任務だった。殺すのではなく捕まえろ、と。抵抗してくるだろうから多少の傷は負わせても構わないが、必ず捕まえて連れて来いと。
―――魔王様は“元魔王様”になって、つまらなくなったね、ネ。
だからといって過激派に属するには、ミルフィートはそこまでの残虐性も加虐心も持ち合わせていなかった。つまり人間に興味なんてなかったのだ。
それを覆されたのは、無関心であったはずの『人間ども』だった。
ミルフィートは己の魔装具に触れる。
あのとき――逃げなければ死んでいただろう。
死にたくないと、思うこともなかっただろう。
「あっは♪」
身震いした。
死への恐怖に、魔族である自分が。
ミルフィートが。
人間相手に怯えたのだ。
「あっはハはハハハ♪」
―――――――ぞくぞくした。
「おいでおいで、殺してあげるね、ネ? 今度は負けない。勝つんだよ、俺がね、ネ? 実力差を身をもって知って、無様に敗走するのが人間なんだよね、ネェェェェエエエエエエ!!」
ミルフィートの周囲に漂う黒い靄から、次々とあの巨大な釘が浮かび上がる。
どこから誰が出てきても、誰かがどこかで機を狙っていたとしても関係ない。
「あっは♪ 死ネ――――!」
全方位から釘が射出される。その勢いは暴力的なまでに周辺の木々を、土を抉り、破壊を尽くす。そして数本の釘だけは何かを探すように森の中を漂い、何かに反応して抉り突き刺さした。
死角なき釘の狢。
魔王に認可されて能力に制限がない今、このくらいの術ならば詠唱なく発動できる。
普通の人間ならばこれで呆気なく死んでしまうだろう。
だけどミルフィートは知っている。―――人間のしぶとさを。
土煙とまだ残っている煙幕とで周囲が見えないため、彼は黒い靄の一部を切り離して散らす。これは“動くもの”に感知する索敵能力の一つだ。動くものの動作や大きさで生き物かそうでないかをある程度見分けて情報をミルフィートに送ってくる。
さきほどの巨大釘も同様で、動くものに反応して攻撃する追跡機能つきだ。
「――――――反応がないね、ネ……?」
自分から周囲5㎞まで索敵範囲を広げるが、特に反応はない。
……まさか本当に?
いや呆気なさ過ぎる。
ミルフィートは周囲を警戒しつつ宙を移動し、追跡させていた釘が突き刺さっている場所へ降りたって確認した直後―――思わず口元が歪み、引き攣ったような、しかし歪んだ満面の笑みを浮かべた。
――なにもなかった。
運悪く釘に刺し貫かれて首から上をなくした水馬豚がいるだけで、他の場所も確認するが人間の痕跡はない。
つまり、ここに遺体がないということは―――
「あっは、ははハハハは、あっはハ、ハハハハハハ♪」
生きてる! あの人間どもは俺の攻撃をどうにか避けて逃げたんだ!
ああ、良かった!
死んでくれてなくて良かった!
殺せる!
まだ殺し合いは終わってない!
湧き上がる高揚感に身を委ねながら魔装具に触れる。黒い靄を更に広範囲に展開して探す。探す。探す。
「必ず見つけてぶっ殺して―――――――」
「なら、手間が省けたようで何よりです」
ひゅんっ。
空気を切り裂く、一閃。
ミルフィートが驚きの声を上げる前に、彼の顎から左目にかけて顔面から血潮が噴き上がった。
「いっギぃィィいいいイイイイいい!!??」
「シッ!」咄嗟に顔面を抑えるミルフィートに更に畳み掛けようとニアが小剣を振るうが、しかし黒い靄から生えてきた鎖に防がれてしまい、更に彼は宙へと浮かび上がってしまったことで攻撃が届かなくなってしまった。
「――アルニ、あなたの作戦通り一撃は与えましたよ!」
顔を抑えて震えるミルフィートの、どんどんと膨れ上がっていく憎悪と殺意に呼応するように次々と鎖と釘がニアへと襲いかかるが、何故かそれらは不自然に軌道を変えて彼女を避けるように周囲の地面と木々を抉る。
「アルニ……? 応答してください、そっちは大丈夫なんですか!?」
それでも全ての攻撃が逸れるわけではなく、それを避けながら声繋石の指輪に話しかけると、荒い息と同時に『大丈夫な、わけ……ねぇだろ……っ』と苦しげな声が返ってきた。
『さすがに魔力が……まじで怠ぃ…………』
どうやら怪我をしたというわけではないようだ。
「アルニ、次はどうするんですか?」
――ミルフィートの隙を突いたこの作戦は成功だ。
レドマーヌが言っていたがミルフィートの祈術属性は“闇”。ならば索敵能力もそれに付随したものではないかと推測したアルニは、ここにくるまで何度も襲いかかってきた巨大釘を注意深く観察していた。
そのためにいくつか索敵の条件を絞れたのだが、あとはもう本当に賭けだった。
ニアには事前に軽く土を掘ってそこに横たわってもらい、魔法を使って土を被せた。その近くにニアと同じくらいの大きさの土偶を作って適当に踊らせ、巨大釘を誘導。
あとはミルフィートがアルニたちの遺体を確認すべくやってくるのを、息を殺してひたすら待機してもらっていた。
問題だったのはでたらめに放ってきた釘の方で、ニアに当たらないように風精霊を使って軌道を逸らしたり威力を殺したり。そしてニアの方でレドマーヌからもらった羽根を1枚消費したようだ。
ちなみにアルニはもらった3枚の羽根はすでに消費した。あとはレドマーヌの矢に助けてもらって何とか無事である。
そんなアルニとレドマーヌは一度合流して、揃って土に潜っていたがニアから連絡が来たときに起き上がった。みんな全身土塗れだ。
『俺たちもそっちに向かってる。合流したら畳み掛け、―――――――?』
「アルニ?」
言葉の途中で訝しげに黙り込んだアルニにどうしたのかと問う直前、ぞわりと全身に悪寒が走った。
ニアが咄嗟に振り仰いだ先、痛みに悶えているはずのミルフィートを見た。
「………良い。良いね、ネ。人間、やっぱり君たちはなんて最高なんだ……っ」
焦点が合わぬ虚ろな眼差しを虚空へ向け、譫言をぼやいた彼は魔装具に手を触れた。
【愛しき我が漆黒の王よ。我が敬愛し、崇拝し、願い、祈り、乞い、共に在った――我だけの神よ。
我は神の僕、神の器。神のためだけに存在する傀儡。
今このとき、我が神の“想い”解き放たん】
【限定解除―――――永劫の闇】
一瞬の静寂。
攻撃に備えて警戒していたニアだが、想定外の事態に立ちすくんでしまう。
闇だ。
ミルフィートの胸で妖しく輝く魔装具に導かれるように、上空を少しずつ暗雲が――否、黒い靄が森の中を覆い尽くす。
その黒い靄は今までのものと違っておどろおどろしく、蛇がとぐろを巻くようにうねり見る者に不吉と恐怖を植え付ける。
靄のせいで周囲一帯が暗くなり、心なしか寒く感じる。悪寒なのか、それとも実際気温が下がっているのか。ニアには判断しかねたが、どちらにせよ悪い予感がひしひしと焦燥を駆り立たせた。
「――――」来る!
それはもはや直感だった。
横へ転がって避けた直後、地面から鎖の束が突き上がった。
「! 地面から……!?」
アルニから聞いたミルフィートの能力は、基本的に上空から鎖や釘を落とすというものだった。そして今回の襲撃でもそれは変わらないように見えた。
――そういえば地面が上空の靄同様に黒い……!?
いつの間に変わっていた地面の色。それが関係しているのか、鎖は次々と上空と地面、上下から襲いかかってきた。
ステップを踏んで躱し、体を捻って避け、後ろに跳んで逃げ。
「っ、」
速い―――!
今までと比べものにならないくらい、襲いかかってくる鎖が速い。しかもときおり、さきほどの追跡巨大釘も飛び交っており、それからも逃げなければならない。
レドマーヌから潜在能力を向上させてもらってなければ、今頃ニアは穴だらけになっていただろう。
「く……っ」一本の鎖が頬を掠め、左肩にも微かに痛みを感じる。
―――いつもの愛剣ならば、魔術具である“鈴”の能力を使ってなんとか反撃出来たかもしれないのに!
歯がゆさと焦燥に一瞬でも集中力を欠いたその隙を、ミルフィートの祈術は見逃さなかった。
「しまっ――――」
地に着いていた足に鎖が巻き付き、体勢を崩したニアへ追い打ちをかけるように釘が動きを縫い止める。地面に四つん這いの状態になると、上空と地面から鎖が彼女を刺し貫こうと襲いかかる!
【我願い叶う者。“慈愛の乙女”様、どうか力をお貸し下さい。―――絶対なる矢の標】
レドマーヌの声が聞こえたのと同時に、横から飛び込んできた人影に体を抱えられるようにずらされる。おかげで地面から伸びた鎖から逃れることが出来、上空の鎖と釘が矢によって軌道を逸らされた。
「大丈夫か、ニア!?」
ぐいと体を起こされて引かれるままに走らされる。身近に差し迫った「死」に対していまだ状況が飲み込めず呆然としている彼女に、人影――アルニは心配そうに声をかけた。
「は、はい……」
返事しながらニアは自分の体を確認する。攻撃を避けきれずについた擦過傷は複数、服もボロボロだ。しかしこれといって大きな傷はない。
そこでようやくニアは大きく深呼吸をした。
取り乱すな、ここは戦場だ。久しぶりに命の危機を感じたからといって動揺してはならない。……私はまだ未熟者ですね、クローツ様。
「世話をかけました、もう大丈夫です」
引っ張られていただけの体を動かして少年の隣に立てば、降り注ぐ鎖を短剣で弾きながらアルニは一つ頷いた。
「ミルフィートのやつ、まだこんな大技残してたのかよ」
「先ほど同様、範囲攻撃ですね。おそらく上空のあの黒い雲のような靄がある場所が範囲かと」
「俺たちが支援すれば反撃は可能か?」
「魔族が滞空している位置へ行く方法、或いは魔族が下に降りてくれば。なんとか」
「………………やっぱり退くしかねぇな」
現状、ニアをミルフィートの元まで届かせる手段がない。ここは引き時だろう。
幸い、どうやらミルフィートはこの大技を使っている間は動けないようだし。
「あ、アルニさん! ニアさん! 早くこっち来るッス!」
少し離れたところで弓を連発で放ちながら、焦ったように手招くレドマーヌに二人は訝しげに後ろを振り返った。
「………」
「………」
二人の後ろをぴったりとくっついてきていたのは――黒い球だ。半径30㎝の、まるで黒い靄が凝縮して固まったかのようなそれは、あまりにも不気味だ。
「レドマーヌ射落とせ!」
「無理ッス! さっきも見つけて射貫いたら、爆発したッス! 今射落とせば、アルニさんたちが巻き添えになるッスよ!?」
「つっても、離れねぇぞコイツ!」
「アルニ、大変です。なんかわんさか集まってきましたよ」
冷静に観察していたニアの言葉に、アルニは想わず顔を引き攣らせた。
依然として鎖と釘が上から足下から襲いかかってくる中、そんな爆発物まで持ち込まれたら逃げようがない。
――どうする?
アルニは考える。
正直今回ばかりは持ち札が足りなさすぎる。この状況で使える物は、小物入れには回復薬の他にはもうない。魔力もほとんどないし、ニアも大きい傷は負ってないが蓄積したダメージと慣れない格好と小剣を使ってるストレスで疲労が目立つ。
レドマーヌはさすが魔族なだけあってまだ余裕がありそうだが……。
「――アルニ、私が」
「レドマーヌがなんとかするッス」
囮になりますと続けようとしたニアの言葉を遮り、橙色の魔族の少女が二人と黒い球の間に立ち塞がった。
「なっ!?」
黒い球と二人の距離は約2mほど。その間に割って入れば、黒い球はすぐにレドマーヌに当たり、
ドンッ!!!!
「レドマーヌ!」
「き、貴様……何をして、」
「――――だいじょうぶ、ス」
白い片翼を広げて二人へ衝撃が及ばないように、黒い球の爆発を全身で受け止めて防いでみせたレドマーヌは、首を横に向けて笑顔を見せた。
「レドマーヌは魔族で人族よりも丈夫だから、このくらい屁でもないッス! それよりも二人は今のうちに逃げるッス」
魔族の少女は弓を番えて襲いかかる鎖を落とし、軽やかにステップを踏んで足下からの攻撃を避ける。これくらい余裕だと、そう言わんばかりに。
「……分かった、気をつけろよ」
あれの直撃を受けて、ダメージがないわけがない。平気だとアピールしてるが、やせ我慢にしか見えない。それに、あの黒い球を何回も受け止めれば、さすがに魔族といえども……。
それでも気丈に振る舞う彼女に、二人は背を向けて走った。
「…………………魔族が、どうして……」
ニアは理解出来ないとばかりに首を振り、一度だけレドマーヌを振り返る。
それに気付いた少女が笑顔で手を振る様に、どうしてかティフィアの面影が重なった。




