0.夢の中
***
ふわふわと浮き沈みする意識の中、僕は目の前の少女を見下ろす。
毛先が青みがかった銀髪と、黒曜石の瞳。真っ白い肌に、動かない表情。
―――これは、僕だ。
昔の僕だ。
それが分かると同時に、これが夢の中であることに気付く。
「××××、こちらに来なさい」
男の声に呼ばれ、少女は虚ろな瞳を後ろへツイと向け、それから口角を上げて笑みを作る。
しかし、彼女は返事しない。――否、返事が出来ないのだ。
少女は男の元へ行き、ベッドに腰掛ける彼の膝に乗り、その首へ腕を回す。そして、その首筋へ甘えるように額をこすりつければ、男は嬉しそうに少女の頭を撫でた。
それを、まるで一枚のガラスを通して見ているティフィアは、下唇を噛み締め、自分の体を抱きしめるように肩を掻き抱いた。
―――気持ち悪い。
嫌だ、見たくない。これは、もう終わったことだ。
クローツ父さまが助けてくれて、もう終わったことだ。
それなのに、―――時折こうして夢に出てくるのだ。自分の過去が。
忘れるな、と言わんばかりに。
「××××、良い子だ。さぁ、我にもっとその体を見せておくれ」
切れ長の、同じ黒曜石の瞳が、弧を描く。
―――怖い。
ティフィアは咄嗟に目を閉じるが、しかし、見えなくなっても記憶は忘れることはない。
衣擦れの音、荒い吐息。
男の透き通るような淡い蒼色の長髪が、少女の肌を擽る。
―――たすけて。
声なき言葉が、少女から発せられる。
―――もう、嫌だ……!
ティフィアの心と、少女の心がシンクロしたとき、少女は弾かれたように男を突き飛ばし、それから部屋にある唯一の扉へ手を伸ばす。そのときにはもう、ティフィアは外側からではなく、少女の中にいた。
もう少しで届きそうなドアノブに一瞬でも希望を抱いた――その瞬間、少女の体は後ろに引き倒され、男に馬乗りにされた。
「悪い子だ」
男の手が伸びる。首だ。首を絞められる。
ギリギリと力強く押さえ込まれ、少女は、ティフィアは、息が出来ずに喘ぐ。
―――助けて。
―――誰か。
―――死にたくない。
―――たすけて、
「だから言ったのに」
ティフィアの首を絞める男の後ろから、誰かの声がする。どこかで聞いたことがある声だ。
「この扉には、最初から鍵なんてついてない。逃げたいなら、逃げれば良かったんだよ。……だから、これは君が望んだことだろう?」
「っ、ぅあ、ぐっ」
―――たすけて、たすけて。
ボロボロと涙を流しながら、手を伸ばす。
しかし、それすら許さないというように、男がその手首を掴んで床に縫い止める。
「声を出すな、出来損ない! その声は、我が愛する××××じゃない! お前は我の言うとおりに動けばいい! お前は『人形』だ、お前を作った我の言うとおり、我の××××でいなければならないのだ!」
そうだ、僕は人形だ。出来損ないの、人形。この男のために、作られた人形。
―――なら、これは仕方がないことなんだ。
「ティー……?」
諦めて目を閉じる。いつもなら、ここで夢は終わる。なのに、その声にティフィアはハッと目を開けた。
何故か開け放たれた扉――その先に、アルニがいた。キョロキョロと辺りを見回し、まるで誰かを探しているかのような。
―――僕だ……。
―――きっと、アルニは僕を探してくれてるんだ!
再び希望を見いだし、ティフィアの瞳に光が宿る。
―――アルニ!
―――ここだよ! 僕はここに、
首を絞められているティフィアは声をあげられず、掴まれた手も動けない。だから、必死に藻掻いた。足掻いた。
―――アルニ、アルニ!
―――僕はここだよ! お願い、気付いて!
「アルニ、何をしてるんですか?」
「お兄さん、どうしたん?」
そのとき、アルニの隣に突然ニアとリュウレイが現れた。
「二人とも、ティーを見なかったか?」
不安そうなアルニに、なんだそんなことかと、二人は同時に指を差した。
「ティフィア様なら、ほら、あそこに」
「お嬢なら、あっちにいるじゃん」
二人が指し示した方向は、部屋ではなかった。その反対の、部屋の外の向こう側。
―――違う。
「―――っ、ぁ!」
―――違う、ちがう、ちがうちがう! 僕は、僕はここにいるよ!
どれだけ声なき言葉で訴えても、まるで3人には部屋が見えていないかのように、「あ、本当だ」と頷いたアルニと一緒に、ニアもリュウレイもそっちに行ってしまう。
―――行かないで!
―――置いてかないで!
そのとき、男がティフィアの首から手を外した。ようやく声が出せると思ったが、咳き込んでそれどころではない。しかも、男が更にティフィアへと覆い被さってきた。
「××××、愛してるよ」
視界が男に染まる直前、扉の向こう側でアルニとニアとリュウレイと一緒に笑う、自分そっくりの“誰か”がいた。
その“誰か”が言った。
「役に立たない“ニセモノ”は、もういないから大丈夫。僕が世界を救う、本物の勇者だよ」
―――――――――――僕は。
「―――! ――――――っ! ――――――――お嬢ッ!!」
耳元で、叫ぶような呼ぶ声に、ティフィアはぱちりと目を覚ました。
「……リウ?」
簡易ベッドから起き上がったティフィアの姿にほっと安堵したリュウレイは、次の瞬間には照れからか、そっぽ向いて「名前!」と注意してきた。
「あ、ご、ごめんなさい………」反正直に反省すると少年は小さく溜め息を吐き、それから大丈夫なん? と声をかけてきた。
「ずいぶん魘されてたみたいだったけど」
「――――」
魘されてた、と聞いてティフィアは寝起きでぼんやりする頭を、小さく傾げた。
「なんか、夢を見てたんだけど………忘れちゃった」
えへへ、と緩く笑えば、呆れたように少年は肩を竦めた。
「そういえばどうしたの、リュウレイ?」
現在サハディの港で、荷物の積み卸しのために一時停泊している船の中。部屋はいつも通り男女別で、ティフィアとリュウレイはそれぞれの部屋で休んでいたはずだ。ティフィアは酔い疲れからか、いつの間にか眠ってしまっていたが。
「……ねぇ、お嬢。お兄さんたち遅いと思わん?」
「アルニとニア?」
二人は確か、出航まで時間があるから、町で買い物してくると言って、出かけていった。
部屋の窓を見れば、すでに日が暮れている。出かけたのはお昼頃だったはずだ。
「…………遅いね」
「声繋石に呼びかけても反応ないん。……全く、なんのための通信手段なんだか」
愚痴りながらも、心配そうなその表情に、ティフィアは自分の左手の小指を見る。そこには声繋石を加工した、青い指輪が填められていた。
使用方法は確か、と思い出しながら指輪へと意識を向けるが――――、確かにリュウレイの指輪とは繋がった感覚があるのだが、二人には一向に繋がる気配がない。
「……」
どうしよう、と考える。
ニアには危険だから絶対船から出ないで下さいと言われている。アルニもその方がいいって言ってた。でも、二人に何かあったのだとしたら、助けに行った方がいいんじゃないかとも思う。だけど勝手に動いて、迷惑をかけてしまうかもしれない。
そのとき、
「――お嬢は、どうしたいん?」
リュウレイが問う。
まるで、ティフィアの葛藤を見透かしているかのようなその言葉に、さっきまで見ていた夢の内容を思い浮かべた。
―――リュウレイに嘘を吐いた。本当は、夢の内容を覚えてる。
僕は“ニセモノ”で、“出来損ない”で、“人形”だ。
それは、どうしようもなく、事実だ。
「……僕は、」
でも、ティフィアは今、あの男の“人形”ではない。
そして、ここはあの部屋ではない。
「―――行こう、リュウレイ」
この部屋に鍵はない。僕は一人じゃない。
それなら、僕はどこへでも行ける。
「うん!」満面の笑みのリュウレイに笑い返し、そうして二人は部屋から出た。
――――その先に、何が待ち構えているかも知らずに。
***




