9.サハディへ
それから数日間、幸いにも特に問題となる出来事は起きず。
アルニは魔道具屋から声繋石を加工した指輪を、仲間たちへ渡したり。遊びにきたクロドリィとマナカによって、再びリュウレイが拉致されたり。ニアとティフィアが温泉三昧だったり。アルニがお金に頭を悩まし、魔物討伐の依頼を引き受け、みんなで戦ったり。ニマルカが突然やってきて、アルニを連れて酒場を一緒にはしごしたり。
――この町、ローバッハ港町に着いてから6日後。
あっという間に、再び旅立つその時がやってきた。
「リュウレイ! 絶対またこの町に来いよ! それまでにきみの結界、蹴り一つで粉砕出来るくらい、強くなってるんだから!」
「リュウレイ君、行く前にまた頬擦りしてもいいかァ?」
船着き場にて、見送りに来たクロドリィとマナカ。
「アルニちゃん、ティフィアちゃん。気を付けていくのよ?」
存外ティフィアを気に入ったらしいニマルカ。
「勇者様、それからみなさん。いつでもまた、この町へお越しください。歓迎いたします」
町長のジエン。
彼らと名残惜しげに別れの挨拶を交わし(リュウレイはクロドリィに捕まって、強制頬擦りされていた)、アルニたちは船へ乗り込んだ。
汽笛を鳴らして岸からゆっくりと離れる船の上で、見えなくなるまでマナカに手を振るリュウレイに、ずいぶんと仲良くなったんだなと、アルニは驚きつつ、それから甲板にいるティフィアとニアへ視線を送れば、二人とも顔を青くさせて蹲っていた。
どうやら女性たちは船に弱いようだ。
「……お兄さん」
「ん?」
すでに見えなくなったローバッハ港町の方を向きながら、リュウレイは口にした。
「お兄さんは将来って、考えたことあるん?」
その問いは、数日前にティフィアからされたなと思いつつ、「いや」と答えれば、おれもなん、と同意してきた。
「マナカは、お兄さんやクロドリィみたいに強い、みんなを守れるような区長になりたいんだって」
そして、リュウレイはアルニの方へ向き、にやりと生意気そうに笑う。
「お兄さんは別に強いとは、おれ思わんけど」
なんだ、喧嘩売ってんのかと眉を顰めて見れば、途端に笑みを潜めて真顔になった。
「――――見てみたいって、思ったん」
その言葉だけは、真剣で。
言葉から伝わる思いは、あまりにも切実で。
でも、その真意がどこにあるのか、アルニには分からなかった。
だから「そっか」とだけ返し、欄干に寄りかかりながら空を仰ぐ。
群青色に澄み渡った空。不意にこの空と、同じ色の瞳をした男を思い出す。
数日前、突然アルニの前に現れた―――勇者の亡霊、などとふざけたことを名乗った、リウル・クォーツレイのことを。
「やぁ、久しぶりだね、アルニ」と、緑がかった紺色の髪を揺らし、目深に被ったフードを下ろしながら彼は言った。
あまりにも軽い調子の、慣れ親しんだ相手に向かって言うような挨拶にアルニは動揺しつつ。目の前に突如として現れた男の姿を視認した直後、何かを考える前に体が勝手に動いていた。
アルニは瞬時に短剣を抜き、両手に持つと、そのまま一直線に『勇者の亡霊』と名乗ったリウルに向かっていく。
リウルは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに笑みを浮かべた。
そんなリウルを目前にし、短剣を十字に斬り込んだ、が。
「うんうん。きみは相変わらず元気だねぇ」
ハッと、弾かれたように振り返れば、いつの間にかそこにリウルがいた。
―――今、斬ったはずだ。
瞬き以外で目を閉じていないのに、あそこまで至近距離に詰め寄ったはずなのに、どうしてそこにいる……?
困惑する思考を振り切るように頭を振り、再び短剣を構えるが、
「でも、ごめんね。今日はちょっとした確認のためだけに来たんだ」
彼が右手を横に振った瞬間、空気がギチリッと軋む音を立て、更にアルニの体が固定されたかのように動かなくなった。
「―――っ、!?」
「本当はきみともう少し話もしたいし、遊んでもいいかとも思ったんだけど、おれもそこまで自由の身ではないんだ、残念なことに」
饒舌にしゃべりながら、リウルが少しずつアルニへと近づいてくる。
「――――ねぇ、アルニ。おれとの『約束』覚えてる?」
「やく、そく……?」
ゆっくりと近づく群青色の瞳。脳裏にちらつく、見覚えのない光景。既視感。
頭がずきりずきりと痛むのに、リウルは歩みを止めない。
「……そうか、きみはやっぱり、忘れちゃったのか。予想はしていたけど、なんだか悲しいよ。…………悲しい。悲しいねぇ」
悲しい、と言う割に、口元に携えている笑みはどんどん深くなっていく。
「でも、きみは絶対思い出してくれると信じてるんだ。だって、きみはおれのことが憎いでしょ? 憎くて憎くて、堪らないでしょ?」
そうだ。
憎い。
勇者が憎い。
リウル・クォーツレイが憎い。
動かない体がもどかしい。今すぐにでも、コイツの喉元を掻っ捌いて、心臓を何度も何度も短剣で刺し貫いてやりたい。
「そうだよ、アルニ。その目だよ」と。
目の前にやってきたリウルが、アルニの眼前スレスレに顔を覗き込ませる。
愉悦に歪んだ群青色の瞳。
澄み切った空の色なのに、どうしてこれほど歪に感じるのだろう。
「暗い昏い、その瞳。憎悪に満ちた、歪んだ瞳。その色を見るとね、おれは間違ってないって思えるんだ」
「間違い……?」
そうだよ、とリウルの顔が離れた。
「亡霊と言えど、おれは勇者だから。人々の希望となることが、使命だからね。――でも、不安になることだって、おれにもあるんだよ? だから、きみに会いに来たんだ」
最初に確認に来たって、言ったでしょ? と。
「きみがおれに向ける感情は、おれと同じだから。きみが望んだものも、きみが選んだものも、きみが失ったものも。ぜぇ――――――――んぶっ! おれと一緒」
くつくつと、嗤う。
「きみとおれは同じモノ。だから、きみが記憶を失くしても、変わらず浮かべるその瞳の色こそが、おれの中にある感情そのものなんだよ?」
何を言ってるんだ……こいつは。
動揺を隠せないアルニに、リウルは言った。
「――機は熟した。あとはきみが選ぶだけだよ、アルニ」
そのときが楽しみだ、とリウルがぱちんっと指を鳴らすと、固定されていた体が解け、すぐに体勢を整えて斬りかかろうとしたが、すでに男の姿はなかった。
「………なんなんだよ、一体」
呆然と立ち尽くしながら、アルニは得も言えぬ感情と衝動だけが、己の内側から沸き上がってくるのを感じた。
「アルニ、リュウレイ……二人は平気なんだね……………」
不意に、近づいてきた声で我に返ると、そこには青白い顔のティフィアがいた。船酔いは続いているようだ。
「うわぁ……お嬢辛そう。ここで吐かないでね?」
「大丈夫。段々良くなってきたから……」
その顔でそう言われても、とリュウレイが苦笑する。激しく同意である。
「ティー、たぶん医務室に酔い止めの薬あると思うから、ニアと一緒に行った方がいいぞ?」
あまりにも具合が悪そうなので提案すれば「さっき、ニアが取りに行ってくれたんだけど……」とすでにニアが対応してくれていたようだ。……ん? ということは、ニア一人で行ったのか?
………。
「おばさん、絶対迷ってると思うん」
「俺もそう思う」
あの極度な方向音痴に、一人でお使いは厳しいだろう。
リュウレイとアルニは、同時に大きく溜め息を吐き、それから一緒に行きたいと言うティフィアを入れた3人で、船の中を探すこととなった。
案の定というべきか、何故か反対方向の食堂で、料理人らしき男性に保護されていた。
「ち、違うんですこれは! その、えっと……ああ! 良い匂いに釣られまして!」
「ニアおばさん、たぶん何も言わない方がいいよ。みんな分かってるから」
「なっ!」と顔を赤らめたニアがティフィアへ視線を向けると、苦笑で返されていた。それに衝撃を覚え、がくりと膝をつくニアに、3人で思わず笑い合った。
***
「―――では、頼みましたよ」
声繋石にて通信を終えたクローツ・ロジストは、コーヒーを一口口にし、目頭を揉むように抑えていると、不意に気配を感じて部屋の隅へ視線をやる。そこには一人の少女が立っていた。
足首まで伸びた錆色の髪と、同色の瞳。フリルをふんだんにあしらったワンピース。
以前、ライオスの街でティフィアとリュウレイを襲った、26番目の人工勇者にして、魔術師のシスナ・ロジストである。
「どうしました、シスナ?」
「お父様、サハディの件は、どうなさるおつもりなの?」
「今回は教会に頼むことにしました。僕はまだこの場から動けませんし、準備がありますから」
「それなら、私に行かせて欲しいの」
シスナはクローツの前まで来ると、「私なら上手くやれるもの」と、瞳に暗い影を落として微笑んだ。
ティフィアたちがグラバーズへ向かうべく、その途中でサハディに寄ることは、すでにハーベストから報告を受けている。それ以前に、カムレネア王国にいた時点で、ティフィアたちの目的に予想がついていたクローツは、ライオスの街でシスナに足止めとリュウレイへの揺さぶりを命じたのだ。
全ては、準備を整えるまでの、時間稼ぎ。
―――あの子たちには悪いが、グラバーズへ行かれては困るのだ。
「……いいでしょう。ただし、無用な戦闘は禁止です。むしろ今回はあの子たちを守ってあげなさい」
「……………………………………………はい」
シスナはリュウレイに対して、コンプレックスを抱いている。そして、ティフィアへの憎悪も。だから彼女は、二人を異常に敵対視しており、ライオスの街でも命じていない戦闘を行った。
それ故に、守る、という命令には複雑な思いだろうが、ここまで進めてきた『勇者計画』をサハディの連中にめちゃくちゃにされるわけにはいかない。
「それから、ハーベストの報告にあったアルニという青年に接触し、出来ればレッセイ傭兵団の情報を引き出して欲しいのです」
「はい。――任せて、お父様」
ワンピースの裾を摘まんでお辞儀をすると、シスナは影の中へ消えていった。
完全に彼女の気配が消失したのを確認し、クローツは左耳にある白いピアス――声繋石に意識を繋げた。
「お久しぶりですね、ガロ隊長」
『うわぁ、久しぶりにクローツの声だと思いきや、茶化してキタ――――! そんなお茶目さに、俺ドッキン!』
クローツの挨拶に対して、かなりうざ……お調子者の声が返ってきた。
元親衛隊隊長、ガロ・トラクタルアースである。
こうして話すのは数年ぶりになるのだが、相変わらずうるさい人だなクローツは思った。
『で? で、で? 隊長職を擦り付けて、流浪の旅を満喫してる俺に、何か用なのかな?』
尋ねてくるわりに、どこか声音が上擦って聞こえるのは、今から彼に頼もうとしていることをある程度の予測をし、興奮しているからに他ならない。
親衛隊で隊長していた頃は、もう少し真面目ではあったのだが。勇者が死に、世界各地で魔物被害が増え始めた頃「良し来た! もはやキタ――――! 俺のターンがktkr! ねぇちょっとクローツ、俺辞職して旅に出る! 魔物共狩り殺してくる!」そう言い残し、ひゃっほーいと奇声をあげながら帝国を去った。
当時は突然のことで唖然としてしまったが、部下に彼の動向を探らせれば、ガロの言う通り、ただひたすら魔物を倒していただけだった。
……彼は、実は重度の戦闘狂だったのだ。
「強い敵と戦いたいのでしょう? なら、サハディへ行くのをお勧めしますよ」
『え。サハディ……? なんだよ、ヴァルツォンかガ―ウェイが見つかったとかじゃねーんかい!』
一度は戦ってみたいのになぁ、とガロは残念そうにぼやいたが、落ち込むのは早いですよ、とクローツは続けた。
「おそらく、サハディに魔族が襲来します」
『!? え、まじ!』
「ええ。……ガロさんも、魔物よりも魔族と戦いたいでしょう?」
『も、ももももちのろんで、もちろんだぜぃ!』
やべえ、今から武者ブルってる! と大興奮しながら『よっしゃー! 今行くぜサハディ! レッツ、サハディ!』と言い残して声繋石の通信が途絶えた。
一気に疲れを感じたクローツは、椅子の背もたれに体重をかけながら目を閉じる。
――これで、いい。
「あとは“人工勇者”を揃えて、“勇者の証”を完全なモノにすれば………」
世界は、救える。
あの男、勇者の亡霊に頼ることなく。人間の手、否、“本物の勇者”の手によって―――救うのだ。
「我らが唯一神であらせられる女神レハシレイテス様のお導きのままに」
縋るように祈るその言葉は、誰かに聞かれることなく、霧散した。
次は3章になります!




