8-2
「ティフィア様、大丈夫ですか……?」
シマが去った後、ニアが心配そうに声をかけてきたが、ティフィアはアルニの方へ顔を向けた。
「僕よりも……」
ニア同様心配そうな表情に、アルニは思わず苦笑いを浮かべ肩を竦めた。
「悪い。俺のせいだな」
「そ、そんなこと!」
「まぁ、この町では色々やらかしたからな。でも、そうか……“救いようのない”か。言い得て妙というか」
「お兄さんは、自分の噂は知らなかったん?」
「良く思われてないことは知ってたけどな。ここも、女神教の信徒が多いし」
お前はおかしい、と言われたことは何度もあった。
しかし、だからといって勇者への感情は変わることもないし、どうすることも出来ないのだが。
「というか、ニア、お前は具合大丈夫なのかよ」
アルニ本人としては、他人にどう思われていようが関係ないと思っているが、ティフィアの暗い顔を見て、話題を変えた。
「ええ! だいぶスッキリしました」
ニアもそれを承知で、努めて明るい声をあげてきた……と思いたいが、わざとらしくない清々しい表情に、良かったな、と棒読みで返す。
「――よし。ニアも戻ってきたことだし、買い物再開するか」
それからは特に何事もなく、普通に買い物を終え、宿へ戻る途中で傭兵団時代の知り合いと出くわしたアルニは、その人と少し話してくると一人抜けた。
そして、宿の部屋で二人から事の顛末を聞いたニアは「そういうことでしたか」と呟き、リュウレイを一瞥する。彼もまた、考えることは同じだったのか、頷いたのを確認し、ニアは口を開いた。
「ティフィア様、実は昨日、西区代表のクロドリィ・ネロからも、似たような忠告を受けました」
「昔、お兄さんは孤児院で大人子供関係なく半殺しにしたらしいよ。区長の話、半信半疑だったけど、本当かもしれんね」
「……ティフィア様、やはり彼は危険です。今からでも遅くはないでしょう。アルニとはここで――――」
「――それは、嫌だ」
ニアの言葉を遮り、ティフィアは続ける。
「確かに、アルニは勇者が嫌いなのかもしれない。……でも! 僕が襲われたのは、王都での一件だけだよ。それからは、一度だって敵意なんて向けられてない!」
「ですが、」
「っ、僕は! 僕は――『偽物』だよ!? 本物じゃない!」
「ティフィア様」
「アルニが僕を殺すなんてこと、しない。絶対、しない。だって、アルニ優しいんだよ?」
だから、だから。
そう言葉を詰まらせるティフィアに、ニアが手を伸ばそうとして、リュウレイが彼女の肩を叩いてそれを制した。
そしてリュウレイはティフィアの前に来ると、彼女の言葉を肯定するように頷き、
「そうだよ、お嬢。お嬢の言い分は正しい」
「じゃあ……!」
「―――だけど、お嬢は『本物』になるんでしょ? そう言ったのは、お嬢だよ」
「でも、」
「それに、お嬢は気づいてないかもしれないけど、世間から見れば、お嬢はもう立派な『本物の勇者』なん」
「……え」
「王都で魔族を退いて、その知名度がどれほど広がってるのかは、おれは知らんけど。でも、少なくとも、このカムレネアの国内では、お嬢が勇者だってみんな信じてる。だから握手を求められるし、応援されてるん」
「ティフィア様、貴方様の言いたいことは私たちにも分かります。ですが、貴方様が勇者であることは事実なのです。それに対し、あの男がいつ、またあのとき同様スイッチが入るとも、恐らく本人ですら分かっていない」
「お嬢が決めたことを、おれも、おばさんも、止めることはしない。どうしてもって言うんなら、このままお兄さんと一緒にいても構わないん。……だけど、お嬢。おれたちはお嬢が大事だから。その気持ちを、忘れないで欲しいん」
「シマ・コーネストにも言いましたが、アルニがティフィア様を害することがあれば、そのときは容赦しません」
リュウレイとニアの強い意志に、ティフィアは下唇を噛んだ。
――違うんだよ、二人とも。
二人が言いたいことも分かる。正論であることも分かる。でも、僕が言いたいのは、そうじゃないんだ。
上手く言葉で表現出来ないことが辛い。言葉が見つからない。
この気持ちを、感情を、どう伝えればいいのか分からない。
悲しくて、寂しくて、辛くて、苦しい。
救いようのない子供。
南区区長の言葉を、アルニは否定しなかった。むしろ納得していたように感じた。
仕方ないという表情から見えた、諦めの感情が、僅かに垣間見えた憤りが。――それが、アルニの“勇者嫌い”の本質だと、そう感じた。
――僕は、どうしたいんだろう。
アルニと一緒にいたい。それは、アルニと一緒にいるのが、ひどく居心地が良いから。
アルニはどんな状況でも、ティフィアを信じて、道を指し示してくれるから。
…………………………それで、いいのかな?
「……………僕は」
ごちゃごちゃな感情が、頭の中を巡る。
考える、ということは、こんなにも大変なんだ。
ティフィアは、言葉を待ってくれる二人に、そっと笑みを向けた。
「うん、分かった」
その一言に、安堵したような顔をするリュウレイとニア。
嘘を吐いたことへの罪悪感に痛む胸を無視し、ティフィアは思う。
僕は、アルニのことを知りたい、と。
なのに。
「まぁ、そんなことだろうとは、思ったん」
頭を冷やしたいからと外に出たティフィアの隣で、着いてきたリュウレイが肩を竦めて「やれやれ」と首を横に振った。
「ニアおばさんは知らないだろうけど、おれはお嬢が意外と頑固だって知ってるし。それに、まぁ、お兄さんに興味があるのはおれも一緒だよ」
宿から数歩出て、リュウレイにさっきの嘘でしょと即見破られて落ち込みつつ、二人で町の中を歩く。
「リウもアルニのこと知りたいの……?」
それこそ意外だと驚けば、リュウレイはジト目で「名前」と返してきた。それに慌てて謝り、リュウレイ、と言い直す。それにはさすがに少年も大きく溜め息を吐いた。
「お嬢。おれの名前はお嬢がつけてくれたん。それには感謝してるけど、こう何度も間違えられるんは………」
「ほ、本当にごめんなさい……」
「癖が抜けないのは仕方ないけど、おれたち、帝国から逃げてきたってことだけは忘れないでよ」
「………」
「―――お兄さんは、リウル・クォーツレイを知ってる」
リュウレイの言葉に、ティフィアは首を傾げた。
「嫌ってるくらいだから、それは知ってると思うよ?」
「じゃあ、どうして嫌ってるん?」
「……え?」
「リウル・クォーツレイは勇者。おれたちが知ってる限り、彼は『勇者』として有能だったよ。……魔の者たちを、言われるがままに屠ってきたんだから」
「………」
「魔の者たちに嫌われることはあっても、人間に嫌われる理由はないはずだよ。――あるとすれば、」
「…………」
リュウレイの、その先の言葉は続くことはなかったが、言いたいことは分かる。ティフィアもまた、知っているから。
リウル・クォーツレイの死。
魔王軍をほぼ壊滅させ、魔王討伐を目前に控えていた勇者は―――自殺した。
それが、もう8年も前のことだ。
「お兄さんが記憶を失くしたのも8年前。場所も違うし、単なる偶然だと思ってたけど、……もし、………もしもお兄さんが、リウル・クォーツレイの関係者だとすれば、」
お兄さんが憎んでるのは、『勇者』じゃなくて『帝国』かもしれんしね。
続けてそう発したリュウレイの声は、あまりにも無感情だったけど。
――それは、リュウレイのことじゃないの? とは、さすがに言えなかった。




