8.救いようのない子供
翌日、―――4人は南区までやってきた。
生活用品や消耗品、戦闘に使える武器を調達しにきたのだ。
ティフィアとリュウレイは、ショーウィンドウに飾られた物を、目を輝かせながら覗いているが、一人だけ口元を抑えながら顔色を青褪めさせている。ニアだ。
無理するなと言ったのに、着いていくの一点張りで、現在は吐き気と頭痛と戦っている。
「あっ、アルニ! すごいよ! この水晶玉、中に星がいっぱい入ってる!」
不意に、ティフィアに引っ張られて入った先は、魔道具屋だ。ちょうど行きたかった店である。
そして、ショーウィンドウに飾られていた、透明な水晶玉の元へ連れてこられた。
水晶玉は、あらゆる角度から見ても中でキラキラと何かが光っており、綺麗だった。ちなみにこれ、水晶玉の中を傷つけて光に当てることで、光が乱反射しているだけだ。
それを説明すると、ティフィアはよく分からず首を傾げたが、隣で聞いていたリュウレイは「なるほど」と頷いた。
「中の傷によって、ランダムな角度からの拡散反射が起きてるんだね。それによって、見る角度を変えても光って見える…………反射、反射か……これはどうやって式に転換出来るんだろう…………」
途端に一人でブツブツ考え込み始めたので、リュウレイのことはとりあえず放っておこう。
ティフィアもまだ水晶玉を覗き込んでいるので、アルニは一人店の奥へ行き、カウンターで難しい顔しながら何かの石を片眼鏡で覗き込んでいる老婆へ話しかける。
「すみません」
蛇のような目でアルニを一瞥したあと、石を足元の箱に仕舞い、「なんだい?」と面倒くさそうな口調で聞いてきた。
「この店にある声繋石を見せて欲しいんですけど」
老婆はハァと重い溜め息を吐いて、それからカウンターの後ろにある棚から長方形の箱を取り出し、アルニの前で開ける。そこには、色とりどりの石が5つ並んでいた。
アルニから見て右から、赤・紫・青・緑・黄色である。大きさは親指の爪くらいで、まだ加工される前の魔石だ。一つ手に取って照明に翳せば、靄のような濁りが見える。純度30くらいか。
「……それは、なんです?」
そのとき、珍しく近寄ってきたのは、顔色の悪いニアだ。気持ち悪いなら、大人しくしていればいいと思うんだが、ジッとしている方が辛いと言っていた。
「声繋石だよ」
「…………確か、声だけを転移して、……同じ魔術紋陣で繋がる魔石に通す石、ですよね」
「ああ。これがあれば、遠くにいても会話が出来る優れものだぞ」
ライオスの街で赤い大蜘蛛針と戦いながら思ったのは、意志疎通ができない辛さだ。
今までは魔法によって、アルニの指示を全員に飛ばしていたが、当然魔力が尽きてしまえば魔法は使えない。あのとき、指示を飛ばせる手段があれば、あそこまで苦戦することはなかったはずだ。
そう考え、少し値は張るものの、魔道具を買うことに決めたのだ。
「純度50~70のものは、ないんですか?」
石を箱に戻し、老婆に問えば、そんな貴重なものはないねと一蹴されてしまった。
「そうですか? さきほどの棚、この箱を取り出した場所からちょうど下の段にある箱、それ、出してもらえませんか?」
途端に嫌な顔をされた。
「……あんた、もしかして魔法師かい」
「精霊は魔石が好きですからね」
今度は露骨に大きい溜め息を吐かれ、それを早く言いなとぼやきながら、再び棚から箱を取り出す。色も大きさも同じ。ただ、それを翳せば、さきほどよりも透明感がある。純度60くらいか。
「じゃあ、これを緑色以外加工してもらっていいですか」
「形状は?」
「指輪で」
「それなら、明後日また来な。金はそのときでいい」
老婆は口早にそれだけ言うと、さっさと箱だけ抱えて奥へ引っ込んで行った。
「……精霊にも、好きな物があるんですね」
「ん? ああ、厳密に言えば精霊は魔力を糧にしてるんだよ」
精霊を感じ取れる魔法師にしか分からない情報に、さすがのニアも関心を示してきたので説明してやる。
「魔石は、この世界に流れる魔力の塊だから、精霊たちも寄ってくるんだ。だから、魔法師は魔石の在りかがすぐに分かるし、その群がる数によっては、おおまかな純度も分かったりするんだ」
そのため、日常的に戦う魔法師は精霊を引き寄せるために、意図的に魔石を身に着ける人もいる。ニマルカもその一人だ。
ちなみに、魔石の純度というのは、魔石に含まれる魔力濃度のことを指す。これが低いと、すぐに魔力がなくなって使い物にならなくなり、逆に高すぎると石としての硬度が落ち、壊れやすく加工ができない。
「精霊の生態系とは、……不思議なものです」
「そうだなぁ。魔法師でも精霊について問われると、正直答えられることって少ないんだよなぁ」
改めて考えても、分かることがほとんどない。いつもその辺に漂ってるだけだし。姿が見えるわけでもなく、感じるだけなので、空気みたいな存在だ。
それから、「うっ」と急に口元を抑えて前かがみになったニアは、慌てて店を出て行き、察したアルニたちは近くの店を見て回ることにした。
途中でミギョの塩焼きが露店にあったので、買ってそれを3人で食べ、薬草を取り扱う露店で足を止める。
「うわぁ、いろんなニオイがする!」
まだ魔道具屋での興奮が冷めきっていないのか、頬を赤く染めたティフィアが数十種類の薬草を前に目を輝かせた。
「いらっしゃい。お客さん、運がいいよ! 今日は採り立てのものから、輸入してすぐのものまで、珍しい薬草が揃ってるよ」
露天商の中年男性が、紐で束にした薬草を一つ、ティフィアへ渡す。
「! 美味しそうな、甘いニオイ……!」
ティフィアが受け取った薬草の特徴を見て、アルニは一つ首を傾げた。
「――マツリヲウクサに似てるけど、なんか違う……?」
「お。お兄さん、物知りだね! その通り。それはマツリヲウクサだよ。ただ、東の国で品種改良したもので、乾燥させてから煎じると、痛み止めになるんだ」
マツリヲウクサは、湿地帯に自生してる薬草で、魔物を捕獲するために用いる痺れ薬に使われている。葉脈が赤く、茎に黒い棘が生えているのが特徴で、本来ニオイは一切しない。
「なるほど……本来のマツリヲウクサは強力な神経麻痺毒があるけど、それを抑えたのか」
「今はまだ出回ったばかりだから、そこまで知名度はないけど、この薬草は必ず回復薬に並ぶ需要が出てくる、はず! 少なくとも、俺は間違いないと思ってる!――そして! そんな薬草が、なんと! 一束980トル!」
「高ッ!?」
普通、薬草の相場は20~50トル程度で、よっぽど貴重な薬草であれば500トルはいくが、さすがに1000トル近い薬草は聞いたこともない。
「さっきも言った通り、まだ出回ったばかりで数も少ない上、栽培にも手間がかかるんだ。……これでも安くしてるんだぜ……?」
「これ薬草だろ? 薬品と違って、製造工程抜かしてるんだから、もっと安くなるだろ」
これがすでに痛み止めの薬として、完成した薬品ならまだ頷けるんだが。
……なんか、胡散臭さを感じる。
「というか、薬草商会だったか……? そこから正式な認可下りてるのかよ」
薬草商会とは、世界の薬草を管理、調査、栽培を一括に取り扱っているところだ。各地に商会の支店があり、そこでは薬品の製造と卸売までやっているとか。ただこの商会、世界中の道具屋に回復薬を卸しているので、その影響力は強い。
薬草商会に商標された薬草と薬品は、安全性と信頼性が保証されるので、新種の薬草や、新薬を発見したら、まず商会に商標登録してもらうことが多いのだ。
しかし、露店の店主は一瞬目を泳がせ、それから思いついたように口を開いた。
「商標登録は今からなんだ! だから証明書はないけど、でもこの薬草は本当に―――」
「―――ここですね、情報にあった詐欺まがいのお店というのは」
アルニと店主の間に割って入るように、その人は颯爽と現れた。
神経質そうな鋭い眼光と、細いフレームの眼鏡が光る。
4区長の一人、南区区長のシマ・コーネストだ。
店主はシマの姿を視界に入れた途端、ヤバいと感じたのか、逃げようと身じろいだその瞬間、彼はすでに地に伏せていた。その背中には、浅黒い肌の筋肉質な男が乗っかっており、彼の身柄をがっちり確保している。
「この私が管轄する南区で、悪さをする愚か者がまだいたとは……驚きです」
「っ、いでぇ!」
まるで下等生物でも見下すように、彼女は店主の右手の甲を踏みつけながら言い放つ。
「貴方には人間として生まれたことを後悔するまで、少しばかり説教してあげましょう」
連れていきなさい。とシマの一声で、浅黒い男は半べそ掻きながら助けを求める店主を担いで、どこかへ運んでいってしまった。
「さて、愚か者を矯正する前に。――昨日ぶりですね、勇者様」
突然のことに呆然と成り行きを窺っていた3人の前で、シマは眼鏡のブリッジを人差し指で抑えながら、愛想笑いを浮かべ、ティフィアへと対峙した。
「あ、えっと、区長の、」
「南区の区長、シマ・コーネストです」
「ご、ごめんなさい……」名前を思い出す前に本人に名乗られ、ティフィアは申し訳なさそうに謝るが、シマはお気になさらずと声をかけ、それよりもと彼女はアルニを一瞥した。
「物騒な人物を従えておられるようなので、私としてはそちらの方が心配ですが」
ティフィアは知らないので首を傾げたが、リュウレイは昨日のクロドリィの話を思い出していた。孤児院で、子供も大人も半殺しにした、という。シマの態度からして、あの話は本当だったのか、とアルニを横目で盗み見るが、当の本人は面倒くさそうな表情をしていた。
「そう言えば、昨日も引っかかるようなこと言ってましたね。“例の”とか。なんだよ、言い含められると気になるんですけど」
不遜な態度のアルニに、シマは眉根を寄せ、一言。
「―――救いようのない子供」と、呟いた。
「救い、ようの、ない?」
そして、その言葉に反応したのはティフィアだった。
「それは、どういう意味ですか?」
「……言葉通りの意味です、勇者様。レッセイ傭兵団のアルニという男は『勇者嫌い』として、知る人ぞ知る存在です。特にこの町では。……人々の安寧を守る希望、それが勇者であるというのに、それを嫌うことなど。憎むことなど。そんな感情を持つことは、人間としてありえません」
シマは興奮したように、そのまま続けた。
「勇者は希望。救いそのもの。それを拒む彼は、救いようのない子供、と」
彼女はアルニを忌々しげに睨み、
「お気をつけください、勇者様。この男はいずれ、貴方様を殺そうとするでしょう」
――アルニちゃんは、あなたを殺すわ。
そのとき、ティフィアにはシマのその言葉と、ニマルカの言葉が重なって聞こえたような気がした。
いや、同じだ。
二人とも、勇者では、ティフィアでは、アルニは救えないと、そう言っているのだから。
それがなんだか悲しくて、ティフィアは口を開き――――
「だとしても、この男がティフィア様へ殺意を向けたら、その瞬間に私がアルニを殺します」
ちりん、と鈴の音が聞こえたかと思えば、いつの間にかニアがシマの前へ割って入ってきた。
はっきりとしたその言葉と、まっすぐに見つめてくる薄桃色の瞳に、シマは肩を竦めて「そうですか」と一歩後ろへ下がった。
「ならば安心しておくことにしましょう。―――我らが唯一神であらせられる女神レハシレイテス様の御使いと、その仲間たちに、祝福あれ」
それだけを言い残し、シマは踵を返すと、来たときと同様に颯爽と去って行った。




