7‐5
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一人、灯台の展望デッキに取り残されたティフィアは、アルニの予想を裏切り、泣いてはいなかった。
ただ、下唇を血が滲むほど噛み締め、俯きながら涙を堪えていた。
「………僕は、バカだ」
ぽつりと吐いた呟きは、自虐の言葉。
「僕はどうしようもないくらい、バカだ……っ」
ぽたりと落ちる涙と、唇が切れたのか、口内に広がる鉄の味。
「考えなしで、甘えてたんだ。……僕は、またそうやって……!」
展望デッキから出て行く直前のアルニの表情と、帝国を出る少し前に見た義父クローツの表情が重なる。
怒りと、落胆。
……この人なら、きっと。
そんな、無意識にあった甘さが、口を緩ませた。
そんなわけないのに。そんなわけがないのに。
アルニに話そうと思ったのは、ティフィアたちの周囲にはなかった考え方を持っていたから。もしかしたら、アルニなら魔王を倒せる策とか、世界を救う方法とか、そういうの思いつくかもしれないと、そう思ってしまった。
――アルニに言ったことは、本当だ。そう、ある人から教えてもらった。
ニアもリュウレイも知ってるようだったし、まさか帝国が情報操作していたとは考えてもみなかった。
……僕はバカだ。そんなこと、町の人たちの様子見てたら、分かったはずじゃないか!
「………………考えないと」
アルニやリュウレイ、ニアのように。クローツ父さまのように。
バカなままじゃいけないんだ。また誰かを傷つけてしまわないように、僕は考えないといけないんだ。
僕はもう“お人形”じゃないんだから。
例え出来損ないであろうと、心を救う勇者であることを、あの日――アルニに言われたあのとき、僕は決心したんだ。だから、……このままでいいはずがない。
「考える!――にしても、僕は知らないことが多いよね……」
とりあえず灯台を降りたティフィアは、沿岸の道を沿うようにゆっくり歩きながら、さっそく考え込む。
ティフィアはこの世界の常識に、疎い。それは、ティフィアの立場上、あまり人目に触れることが出来なかったからなのだが。
とりあえずニアとリュウレイに聞いて、……でも、今まで教えてくれなかったことを、あの二人は教えてくれるだろうか?
「うーん」想像するが、そんなこと知る必要ないと言ってきそうな二人に、ティフィアは自覚してはいたが、改めて二人の過保護さに悩まされる。
――やっぱり、第三者の人がいると良いなぁー。
アルニも聞けば教えてくれそうだが、さっきの今でそれは気まずい。それにアルニには頼ってばかりだし。だとすれば、誰に聞けば………
「お困りのようですねぇ……?」
「うにゃあ!?」
突然耳元で発せられた声に、飛び上がって後退れば、そこには真っ黒いフードに身を包んだ、怪しい人影がいた。ティフィアが警戒しながら、少しずつ後退しているのに気づいたその人物は、目元まで隠していたフードを外した。
「この老いぼれをお忘れですか? わたくしです、マーシュンですよ、勇者様」
皺くちゃな顔に浮かぶ下卑た笑み、小柄な体躯。それは間違いなく、王都でティフィアたちが泊まった宿の店主、マーシュンだった。
「――ああ! お金盗んだ人!」
ティフィアがその顔を見て、思い出したように指を差して声を荒げれば、通行人たちがなんだなんだと険しい顔を向けてきた。それに気付いたマーシュンは慌ててティフィアの人差し指を掴み、人々に聞こえるよう「酷い言い草ですよ、依頼主様! わたくし、情報に見合うだけの対価を譲ってもらっただけではありませんかぁー!」と大きな声で叫んだ。
情報屋と依頼主の金銭事情の縺れは、どこの町でもそれなりにあることで、金銭問題の面倒くささを知ってる人々は、関心を失くして去って行った。それを確認したマーシュンは安堵の溜め息を一つ。そして内心で舌打ちしつつ、ティフィアの手を離し、にこり、と腹黒スマイル。
「勇者様、わたくしはお金を盗んでいませんよぉ。証拠、あるんですかぁ? ないですよねぇ? 言いがかり、止してもらえますかぁ?」
アルニなら、この場で短剣を抜いて斬りかかっただろうが、証拠と言われてティフィアは言葉を詰まらせ、うぐぐっと唸るだけに留めた。
「勇者様がお利口で何よりですなぁ。――さて、そんな賢い勇者様は、何かにお困りのようですが……この情報屋マーシュン、少しでもご助力出来るのではないかと、声をかけた次第なんですがねぇ、ええ」
「情報屋……?」
宿屋の店主じゃなかったっけ、と首を傾げると、マーシュンは快く答えてくれた。
「昔、とある傭兵団に痛い目を合わされまして、一度足を洗って宿屋を経営してたんですがねぇ。まさかわたくしの部屋に勇者様がお泊りになっていたなんて……あのときは何もお構い出来ず、申し訳ありませんでしたねぇ」
「い、いえ……僕たちも言いませんでしたし、そういうのは、その別に、えっと」頭を下げてきたマーシュンにどぎまぎしながらフォローしようと言葉を探していると、彼はあっさり頭を上げて、それでですね、とティフィアの優しさを無碍にし、言葉を続けた。
「わたくし、勇者様のお力になれることがあるのではないかと、再び情報屋への道を選び、実は王都から追いかけてきたのです!」
「え、あ、そ、そうなんです、か……。ありがとう、ございます?」
「いえいえ、そんな滅相もありません!―――――ティフィア・ロジスト様」
唐突にフルネームで呼ばれ、ティフィアはびくりと肩を震わせた。
「ミファンダムス帝国の名門貴族、ロジスト家。その当主、クローツ・ロジストの27番目の養女。でも、それはけっこう最近のことですよねぇ? 養女になったのは、確か3年前。それより以前、帝国の国民名簿に貴女の名前はなかった」
「――――っ!?」
ざあ、と血の気が一気に引いた。
この人は、駄目だ。
知ってる人だ――――!
「勇者様、取引をしましょう? わたくし、勇者様からすでにお金はいただいておりますので」
両手を揉むように擦り合わせながら、マーシュンは愕然としているティフィアの耳元へ再び近づき、
「必要とあれば、わたくしをお呼びくださいませ。いつでもどこでも、貴女の元へ参りましょう。いただいたお金の分だけ、わたくしは勇者様専属の情報屋になりましょう」
きひひっ。
耳障りな囁きと笑い声。
ティフィアは下唇を噛み、自分の胸元を強く握ったとき。
「風たちよ、あの変態を宇宙の彼方まで吹き飛ばしてちょうだい!」
その、誰かの声が言い終わる直前に、密着していたマーシュンが何かに勘付き、老体とは思えない身のこなしで、後転跳びをしながら一気にティフィアから距離をとったのと、ゴォオオオッ! と凄まじい風が彼女の横を通り過ぎたのはほぼ同時だった。
「―――チィッ! 相ッ変わらずふざけたジジイね、マーシュン! 足を洗ったんじゃなかったのかしら!」
「ええ、ええ、貴方がたにはずいぶんやられたものですよ。好奇心は猫をも殺すと、体現させられましたからねぇ。だから、あのことはもう調べてませんよ。―――ニマルカさん」
そして、盛大に舌打ちしながらティフィアを守るように前に進み出てきた一人の女性――ニマルカは、嘘つけと小声で悪態を吐き、それから右手を翳す。
「去りなさい、変態。次見かけたら、本当に殺すわよ!」
「おぉ、怖い怖い。……では、ニマルカさん、勇者様も、お達者で」
ニヤニヤと笑みを浮かべながら、彼は街中へ消えていった。
「―――勇者、様?」
それから、マーシュンが言い残していった言葉に、まさかという顔で振り返ったニマルカは、ティフィアの顔を見て、一瞬硬直したかと思ったらいきなり膝から崩れ落ちた。
「え、え? だ、大丈夫、ですか?」
突然のことに狼狽えつつ心配するティフィアに対し、もっと威厳ある感じで登場し、高圧的な態度で値踏みする予定だったニマルカは、マーシュンによってそれを崩されたことに愕然としていた。
――本当に碌なことしないわよね、あのクソジジイ! と本当に次見かけたら消し炭にしてやろうと決心し、それから何事もなかったように立ち上がると、高圧的な笑みでメンチ切ろうとしたが。
「あ、あの! 先ほどは、助けていただいて……その、ありがとうございます」
照れながらのハニカミ笑顔。
出端をくじかれた上に、ずっきゅぅううん! とニマルカの母性本能が射抜かれた。ような気がした。
「………………」
「……………」
「…………………………………」
「……………………?」なんかひたすら険しい表情で、しかし無言で顔を見つめられて戸惑っていると、ニマルカは不意に頭を何度も横に振り、それから決心したように口を開いた。
「あ、あなた! そんな可愛い顔して、本当に勇者なの!?」
「え。あ、はい。……ごめん、なさい?」
「謝らないでちょうだい! 私はねぇ! 可愛い子には目がないだけ!」
何を言われてるのかよく分からなくなってきたティフィアは「はあ……」と気の抜けた返事をする。
「騙されちゃだめよ、私……。この子は勇者、この子は勇者……」挙句に何やら暗示のような言葉をブツブツ呟き始め、なんだかマーシュン並みに怪しい人だと思い始めたとき、ふとマーシュンが呼んでいた彼女の名前――ニマルカという響きに、ティフィアはもしかして、と口にした。
「あの、もしかして……アルニがいたって言う、レッセイ傭兵団の人、ですか?」
「あら、アルニちゃん、私のこと話してたの?」
ティフィアの言葉に驚いたような表情に変わった彼女は、それからすぐにティフィアの肩を抱き、耳元へ唇を寄せてきた。
「アルニちゃん、私のことなんて言ってた? 初恋の人? 超美人で可愛いお姉さん?」
マーシュンがやったときは、ただ不快だったが、ニマルカがやると、不思議と良い匂いがする。……ちょっとお酒臭いけど。
「き、綺麗な人って、言ってました」
嫌いだったとも言ってたが、これは伏せておこう、と嬉しそうに笑ってる彼女を見て思った。
「アルニちゃんったら素直さんねー。うふふ。――――て、違う違う」
ニマルカは再び顔を横に振ると、すぐにティフィアから離れ、その豊満なもの突き出すように胸を張ると、腕を組み、
「ねえ、そろそろアルニちゃん、返して?」
一瞬、何を言われたのか、ティフィアには分からなかった。
「…………ぇ?」
「聞こえなかった? アルニちゃん、返してって言ったのよ」
「ど、どうして、ですか……? 傭兵団は、解散、したんです、よね?」
さっきまで親バカ丸出しにデレデレしていたのに、突然雰囲気が一変し、態度も変わったことに、ティフィアは戸惑った。
「そんなことも話したのね。だいぶ懐いたもんね、勇者嫌いのあの子が」
「そ、それは」
「分かるわぁ。だってあなた、か弱そうだもの」
ティフィアの言葉を遮り、ニマルカが続ける。
「さっきもマーシュンなんかにイジメられてたみたいだし。泣きそうになって、誰かが助けてくれるのを待ってるみたい」
「ち、ちが……っ」
「誰に似たのか、アルニちゃんも放っておけない性格だから、きっとあなたのことも助けてあげてたのね。……あの子、優しいでしょ。もしかして、欲しかった言葉でも掛けてもらった?」
「――――っ」図星、だった。
アルニだけだった。
勇者として、戦えと言わなかったのは。
ティフィアを、一人の女の子として見てくれたのは。
「あなたはダメ。あなたはアルニちゃんを守れない。救えない。いつかきっと……いえ、必ず。アルニちゃんは、あなたを殺すわ」
アルニが、僕を殺す。
その言葉に、ティフィアは王都のカムレネア城塔のことを思い浮かべた。
鋭い殺意。瞳に満ちた憎悪。……今でも、思い出すだけで身が竦んでしまう。
「私はね、あなたを殺したあと、アルニちゃんが悲しむ姿を見たくないの。だから、あなたからアルニちゃんに別れを言ってちょうだい? 仲間から言われれば、アルニちゃんも――――」
「―――俺が、なんだよ」
その、声。
ティフィアは、声が聞こえた方へ、ゆっくりと顔を向けた。
「久しぶりに見覚えのある姿があると思ったら、ティーに何吹き込んでるんだよ、ニマルカ」
「アルニ、」
「アルニちゃん!」
ニマルカをジト目で見据えるアルニの姿に、内心安堵してしまうティフィアと、我が子に会えてうれしいとばかりに両手を広げ、抱き着こうとするニマルカ。しかし、アルニは抱擁せんとばかりに襲い掛かる腕を慣れたように避けると、ティフィアの前に立ち、それから右手を差し伸べた。
「……?」差し伸べた手の意図が分からず、思わず上目遣いでアルニの様子を窺うと、少し気まずそうなアルニが「さっきは……その、悪かった。宿に戻ろう。ニアたちも心配してる」と口早に言ってきた。
……つまり、一緒に帰ろう、ということなのだろう。
―――でも。
「いいの……?」
「? 何が?」
問いかけの意味が分からず首を傾げるアルニに、視線をニマルカへと向ける。その視線を追うようにアルニもまた彼女を見る。ニマルカは、機嫌悪そうに眉を顰めていた。
「……つーか、そういえば何でニマルカいるんだよ。運命の人と出会ったから、駆け落ちしてくるとか言ってなかったか?」
「――アルニちゃん。その子、勇者よ? 知ってるでしょ?」
「ルシュか……。余計なこと言ったのは」
隠すことなく舌打ちし、それから面倒くさそうな顔を向けた。
「どうせ粗方聞いたんだろ? つーことは、これはクソ団長の差し金か?」
「心配なのよ」
「孤児院のときと同じことにならないかって?」
「そうよ。アルニちゃんが悲しむ顔、見たくないもの」
「よく言う……」トラウマ克服のためとか言って、火の海に投げ入れた張本人が、と内心呆れつつ、
「で、レッセイもこの町にいんの?」
「怪しいお手紙からの誘いに乗って、ラグバーズに向かったわ」
あっさり行き先を教えたニマルカに、アルニは「まじかよ……」と心底嫌そうに答える。
「どいつもこいつもラグバーズ……。どちらにせよ、俺はあそこに行かないといけないのか………」
アルニは、うんざりしたように重い溜め息を吐いた。
「アルニちゃん、もしかして団長のこと探してたの?」
アルニがティフィアたちと同行していた理由まで知らなかったのか、ニマルカは驚いたように声を上げ、それに頷く。
「ああ、聞きたいことがあるんだよ。―――……それで、なんでティーはそんな顔してるんだ?」
まるで衝撃を受けたかのような泣きそうな表情に驚く。
「だ、だって……居場所が分かったらって、」
確かに旅の同行をする上で、アルニの目的が叶ったらその場で別れると言った。目的は、レッセイの居場所を知ること。今ニマルカから教わった時点で、ティフィアたちと一緒にいる理由もなくなったのだが。
アルニは苦笑いを浮かべながら少女の頭に手を乗せ、ぽんぽんと優しく叩いた。
「泣くなよ、ティー。言ったろ? 俺もラグバーズに行かないといけなくなったんだよ」
「じゃ、じゃあ……」
「目的地が一緒なんだから、わざわざ離れて行動することもねえだろ。それに、ラグバーズには普通に入国出来ないけど、勇者一行の肩書があれば、簡単に入ることが出来るかもしれないし」
利用させてもらうぜ、勇者様。
そう続けて言えば、ティフィアは嬉しそうに「うんっ!」と満面の笑みを咲かせた。
「……アルニちゃん、本気?」
利用すると言ってるのに、ニコニコしているティフィアに苦笑していると、心配げなニマルカの投げかけに、アルニは頷いた。
「俺、向き合ってみようかと思うんだ」
決意がこめられた灰黄色の瞳が、まっすぐニマルカに向けられる。それを横目で見ていたティフィアは、その言葉が意味するものを理解出来てなかったが、それでも何かを感じ、そして、思った。
―――僕は、やっぱり考えなきゃ駄目だ。
どうしてそう思ったのか、それは自分でもよく分からなかった。
だけど、やっぱりこのままではいけないんだ、と。
それだけは感じた。
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