5.勇者の使命
「おおっ、さすが勇者様! 街を救って下さり、ありがとうございました!」
白々しい言葉と共に出迎えてきた街長ライズに、さすがのティフィアも苦笑いを浮かべていた。
ニアなんて、俺に向けるような絶対零度の眼差しで睨んでいるけど。
「ねぇ、おっさん。街の人たちはどこに行ったん?」
「お、おっさん!?」投げやり気味に問うリュウレイの言葉に、ライズは顔を引き攣らせながらも答えた。
「さ、さあ? わたしも心配しているんですけどねぇ……」
視線が泳いでいる。泳ぎまくっている。
「……」なんか面倒になって、脅してでも吐かせようとしたとき、ティフィアが前に出て、ポケットから2枚の紙を取り出した。端っこの方に赤褐色のシミがついており、おそらくティフィアの血が乾いた後なのだと思い、思わず眉を顰める。
「ライズさん、僕はこの『契約書』を貴方の屋敷で見つけました」
契約書?
アルニはそっと紙を覗き込むと、そこにはとんでもないことが書かれていた。
一枚目が『この街にいる人々の肉体と魔力を引き換えに、街長であるライズ・デボスロックの命を保証する』というもの。
二枚目が『シスナ・ロジストという少女に関して、一切の口出し無用。そして邪魔をするな』――端的に言えば、そんな内容だった。
「ライズさん。正直に話してくれませんか?……誰がこの契約書を貴方に渡したのか。そして、この街に、何があったのか」
これほど大きな証拠を見せられたライズは愕然と呆け、しかし次の瞬間、ティフィアに掴みかかってきた。
「っ!」
「お、お前が! お前が全部悪いんだ! 全部全部ぜ~~~んぶっ! 勇者であるお前が!」
唾を飛ばすような勢いで、ティフィアの胸倉を掴んだライズだが、すぐにニアがその腕を捻り、少女から離れると地面に叩きつけるように抑えつけた。アルニはティフィアの前に出て、念のために短剣を構える。
「貴様、ティフィア様に何を―――っ!」
「―――――数日前に魔族が来たんだ!」
魔族。
その言葉に全員が凍り付く。
「幼い少女の風貌だった! 最初は魔族だなんて気づかなかったんだが……」
少女は街人を十数人、あっという間に殺した。そのあとに駆けつけた自警団ですら、瞬殺だったそうだ。
ライズも、他の街人たちも、魔族に太刀打ちなど出来るはずもなく、死にたくなければ従えと、少女は言ったらしい。
「待ってください。結界があったはずです。何故その魔族は結界内へ侵入出来たのですか?」
「そんなのこっちが知りてぇーよ!……言っただろ、最初は魔族だって思わなかったんだよ。結界が壊れたわけでも、傷ついたわけでもない。でも! あの魔族の少女は、普通に街の中にいたんだよ……!」
結界が、魔族を受け入れたってことか……? 到底信じ切れない内容に動揺しながらも、ライズの話は続く。
「あの魔族は、“実験”だと言ってた。生きてる街の人々をどこかに連れていって、そして代わりに変な人形を置いて、それから結界を言われた通りに細工したんだ。――――まさかこんなことになるなんて……!」
「でも、確かアンタ、地下に赤い大蜘蛛針がいることは知ってたよな?」
「そもそもわたしの屋敷に地下なんて存在しない! あの魔族が帰ったあとに気付いたんだよ! 不審に思って覗けば、魔物がいたから、そのままにするしかなかった!」
まるで自分は悪くないとでもいうような口調と態度に、イライラする。
今の話と契約書の内容だけで分かる。こいつ、我が身可愛さに街の人たちも、街自体も売ったんだ。
「その後、魔族と入れ違いに帝国の軍人が来て、シスナって小娘置いてったんだ」
「帝国軍人、ですか?」
「そういや名乗らなかったな……。とにかく、勇者一行がこの街に来るだろうから、足止めをしろって言われたんだよ」
魔族に、帝国軍人。
それぞれの思惑が噛み合っていない以上、協力関係は絶対にないだろう。疑いたくなるほど、重なった偶然、というべきか。
―――或いは、どちらかが、いや、両者がそれを利用している、のか?
それはさすがに考えすぎかと頭を横に振った。
「それなら、その帝国軍人の方に助けを求めれば良かったんじゃないのか? もしくは王都へ連絡するとか、他に手段はあったと思うぞ」
「おいおい、それを言うか?」
アルニの言葉を、ライズは鼻で笑った。
「王族へ報告していたら、わたしは今頃首を失って転がっていただろうな。帝国の人間に助けを求めたところで―――どうせあいつらは何もしないさ」
だから。とライズは続ける。
「だからさぁ、なぁ、勇者様。どうしてなんだよ。どうしてもっと早く勇者を名乗らなかったんだ? 魔の者を倒せるのは、勇者様だけなのに。勇者様の名前だけでも、魔族には牽制になったろうに。勇者様はわたしたちの希望だろ? 救ってくれよ。助けてくれよ。なあ。勇者様。勇者様!」
ライズの、なじるような懇願に、ティフィアは思わず後退った。
じゃり、と砂を踏む音が、その場に響いた、ような気がした。
「―――――それが勇者の使命なんじゃないのかぁ!?」
狂気を孕んだ眼差しを、ティフィアは息を呑んで直視した。
しかしその直後、ドスッという鈍い音と共に、男の眼差しは強制的に反らされることになる。
アルニが短剣の柄でライズの側頭部を殴ったからだ。
「ちょっ、アルニ!?」
「ティフィア、お前は黙ってろ」
いつもの愛称で呼ばれなかったことに、何か意図があるんだと思い直し、引っ込む。それを視線で確認したアルニは、さて、とライズに向き直る。
「なっ、お、おま、お前! わたしを誰だと……!」
「このライオスの街の長だろ。分かってやってんだよ。騒ぐな」
「なっ!?」
「あんたさぁ、忘れてるよな?―――俺たちとも“契約”を結んでること」
「嘘をつくな! わたしはお前たちとなど契約した覚えは―――」
「“俺たちは勇者一行として、魔物を討伐する”」
「!?」
「口約束も、契約の一つだぜ、ライズさん?」
にやりとあくどい笑みを浮かべるアルニの後ろで、ティフィアとリュウレイが「どういうこと?」「さあ?」と会話していた。さすがにニアは気づいたようだが……これは説明した方がいいようだ。
「ライズは街長だから、その発言は街全体の声として代表される。つまり、この街は俺たち勇者一行に、魔物討伐の依頼をしたことになる。そして、その依頼を遂行した時点で契約は成立されているんだ。―――教会との、な」
「教会?」ティフィアの疑問に、ニアが答えた。
「ティフィア様、お忘れですか? 元々『勇者』はどの国にも属さない、教会側の存在ですよ」
「あ、そっか! だからライオスの街は、間接的に教会と契約したってことになるんだね」
「ああ、そうだ。でもライズの言い分だと、そもそも勇者様がいなければこんな事態にならなかった、という難癖をつけてる状態だ。――さて、これを教会に報告した場合、あちらさんはどっちの味方してくれるんだろうなぁ」
この場で差している教会とは、女神教のことだ。勇者派なんて派閥があるくらい、女神と同等くらいの信仰を得ているのに、その勇者へのバッシングなんて聞いたら、あの盲信者たちは何をするか分かったものじゃない。すでにボロボロであるこの街が、地図上から消えてもおかしくはないかもしれない。
同じことをライズも思ったのか、顔色を青褪めさせていた。
そもそもこの街自体、女神教を信仰している街だ。これで自分がどれだけ愚かなことを言っていたか、自覚してくれると良いが。
…………念のため、もう一押し、脅しておこう。
そう思い開きかけた口を、そのまま閉じた。ティフィアが隣に来たからだ。
「ライズさん、僕は未熟な勇者です。そのせいで怖い思いや、不快な思いをさせてしまったことに、ごめんなさいって謝ることしか出来ません。……でも、最初に会った時、助けて欲しいと、一言言って欲しかった」
言えば殺されるかもしれない。簡単に言える言葉ではなかっただろう、それでも、とティフィアは言う。
「言ってくれないと、分からないから。助けを呼ぶ人がどこにいるか、分からないから」
そしてティフィアはライズの手を、掬うように掴んだ。
「僕は救いたい。なるべく多くの人を、助けてあげたい。――――ライズさん、貴方の、本当の依頼を聞いてもいいですか?」
手を掬ったティフィアを、ライズは眩しそうに、そして目に涙を滲ませて、彼はありのままを口にした。
「勇者様…………お願いです。この街を、住民たちを、助けてください」
「――――はい。必ず街の人たちを取り返してみせます」




