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「――ティフィア様‼‼」
悲痛な叫びと共に駆け出そうとしたニアの前に、アルニは首を刎ねられる覚悟で立ちはだかった。彼女は突然飛び出してきたアルニに驚き、足を止めるも、すぐに邪魔だと言わんばかりに睨んでくる。
「行くな! 今行けば、確実に死ぬぞ」
「だから何だ。私がやつらの目を一瞬でも逸らすことが出来れば、ティフィア様を地下から上へ運べるだろう。そうすれば、」
「そうすれば、全滅コースだ」ニアの言葉の続きを引き継げば、鋭い眼光に殺気が増す。
「いいか、ニア。落ち着いて考えろ。今お前が言った通りにしたとして、上に戻ってティーを回復させた俺たちは、どのみち赤い大蜘蛛針を倒さないといけないんだ。お前という戦力の要を失った状態で、しかも鬼子豚のあの盛大な咆哮を聞きながら、……倒せると思うか?」
大蜘蛛針1匹倒すのも苦労したというのに、それが3匹いる。しかも鬼子豚のあの脳みそまで震わせるような咆哮は、キツイ。
「ニア、お前の欠点はその短気な性格だ。治せとまでは言わねーけど、よく考えろ! 本当に『ティフィア様』を守りたいんであれば、な」
そこまで言うと、アルニはニアに背中を向けた。
そして周囲を見回して考える。
あの3匹の赤い大蜘蛛針がどこから来たかは、今はどうでもいい。とにかく、あいつらの注意を別に引きつけ、二人を助ける必要がある。
思い出せ、小物入れには何があった?
――確か……体力用と魔力用の回復薬が各3本と、溶解液の黒い薬瓶が2本、あとは保険用にと作った深緑色の薬瓶1本。そして明草が残り数枚。
くそっ、この街の道具屋でもっと何か買っておくべきだった! 金が勿体ないと躊躇った過去の自分に後悔しつつ、考える。
考えて、考えて、これしかないと、胸中で舌打ちし、後ろへ振り返った。
「ニア!」
「は、はい!」アルニ同様何か考えていたニアが、咄嗟に返事する。
「お前、目を瞑ったままティーたちのところに行けるか?」
「ま、まぁ、まっすぐ進むだけですし。気配を読めるので、ある程度の攻撃なら避けながら進むことも出来ます」
「なら、これ持ってけ」ぽいとニアに小物入れを放り渡す。
「――なっ!」
「囮は俺がやる。幸い、まだお前の術が効いてるのか、体軽いし」
「ですが!」
「俺の方が魔物を撹乱させる術を知ってる。それにこっちの方が全員生き残れる確率が高いんだよ。……頼む」
アルニの真剣な眼差しに「分かりました」とニアが折れた。
「よし! じゃあ、ニア。頼んだ」
話はこれで終わりだと、再び前を向く。すぐに後ろからニアが飛び出し、駆け出した。それを見届けることなく、アルニは小物入れから抜いといた明草を掌に広げた。
「……頼む、上手くいってくれよ」
縋るように祈りを込めながら、強く強く揉み込み、擦り合わせる。それから予め蓋を外した黒い溶解液を用意し、
「風の精霊よ」
明草を隠すように、黒い液体が包み込み、それが球状となって宙に3つ浮かび上がる。
……これ、想像以上に魔力使うな。
つぅ、と首筋に汗が流れる。コントロールの維持がツライ。
ちらりとニアの背中を探し、タイミングを計る。
そろそろか? いや、まだだ。……あともう少し………………………今だ!
「――行け!」
精霊に命じるように右腕を振ると、瞬時に3つの黒い球が赤い大蜘蛛針の頭部目掛けて飛んでいく。そして、それぞれが大蜘蛛針の目の前に配置されたのを確認し、
「風の精霊たちよ、弾けろ!」
パンッ! と勢いよく黒い球が弾けたのと同時に、暗い地下の部屋を全て照らすほどの光量が魔物の目に直撃する。
ギィィィイイイイイイイイイイ――――――――――――――――ッッ‼‼
3つの断末魔のごとき悲鳴が響き渡る。
元々暗い森の中に生息している大蜘蛛針は光に弱い。進化しているとは言え、どうやらこの特性は変わらないようで良かった。
しかも明草を包んでいた黒い液体は、溶解液。弾けた瞬間に明草もろとも体のあちこちを溶かしたことだろう。
激痛に悶え、暴れ狂う大蜘蛛針。当然そのままにしていればニアたちが危険なので、もう一つ。
「地の精霊たちよ、揺らせ!」
床に両手を置き、所持してる全ての魔力を注ぎ込む。すると、大蜘蛛針の足元の床だけが激しく揺れ始めた。街の下にいる鬼子豚が暴れたときとは比にならないほどの揺れに、さすがの魔物たちでも危険を察知したのか、その場から離れるように3匹はバラバラに移動し、それから一斉に不気味な双眸がアルニへと向けられた。
「……うわー、すげぇ熱視線」
ギチギチギチチキチッキチチチ、ギチギチキチキチギチチ、キチッ!
ギチギチキチッキチギチチ、キチッキチチギチギチキチキチギチ!
キチチッ、キチキチギチギチキチ、ギチチキチッキチッ!
3匹の赤い大蜘蛛針が、まるで会話でもしてるかのように鳴き声を響かせる。
………なんかヤバそうなんですけど。
アルニは少しずつ後ずさりしつつ、魔物たちの動向を観察する。向こうもまた、アルニへの視線を逸らさない。不意に一匹が頭を上に向けた。まるで部屋の天井でも見上げるかのように。
「……上?」なんとなく気になって、そっと、視線だけを上に向けた。嫌な予感がする。
その直後、ふわりと上から何かが降り立ったのを、背中に感じた。
カチカチカチ、と床を刺す針の音が真後ろに聞こえる。
「…………、」
ごくりと固唾を飲み込んでから背後を振り返れば、そこにはもう嫌気が差すほど見飽きた、4匹目の―――巨大赤い大蜘蛛針の姿。
視界の端で3匹の大蜘蛛針までがこっちに来ようとしているのが見え、もうなりふり構わず逃げることにした。
「―――こんなんありかよぉぉおおお!」
ガガガがガガガガガッと触覚の雨が追いかけてくる。今はまだニアの術があるからいいけど、これ、解けた瞬間全身串刺しだぞ! 魔力も全部使ったから魔法も使えねぇーし!
全力疾走で逃げ惑いながら、時折襲い掛かってくる触覚を短剣でいなし、或いは弾き、転がって避ける。
「くそ、挟み撃ちか!」
前から2匹の大蜘蛛針が見えたとき、アルニは踵を返して背後から迫りくる2匹の内右側の大蜘蛛針へと短剣を投げた。短剣についた糸が上手く触覚に絡まり、振り解こうと暴れるその動きに身を任せていると、上手く魔物から遠くへと投げ飛ばされた。
しかし、すぐに4匹はアルニへと猛突進してくる。ずいぶん彼らに嫌われてしまったようだ。
とにかく今は時間稼ぎだと足を上げた瞬間、いきなり体が重たくなったのを感じた。
ニアの術が切れたのだ。
カチカチカチカチッと大蜘蛛針の足音が複数近づいてくるのが聞こえる。少しでも距離を離そうと走るのに、やはりさっきとは段違いに速度が落ちてる。あっという間に距離を詰められ、大量の触覚がアルニを串刺しにしようと振り上げられた。
「っ!」
【さぁ、我が魔力を糧に仇なす者たちに鉄槌を!――――真白の牙雷群よッ‼】
その閃光は瞬くよりも早く、4匹の赤い大蜘蛛針に直撃した。
~~~~~~~~~~ッギィィィイイイイイイイイイイィィィィィィイイイイイィィイイイイイイイッッ‼‼
ガクガク全身を震わせ、白い煙を上げながら奇声を発する魔物に呆然としていると、
「アルニ!」
その声に弾かれたように振り返れば、血に汚れたティフィアが剣を片手にやってきた。
「ティー!? お、お前……大丈夫、なのか?」
「うん。僕、これでも丈夫なんだ! それに傷の治りも速いし」
えへへ、と笑う彼女に、治りが速いというレベルの傷じゃなかったとは思うが、今はそれは置いておこう。
あの閃光は、明らかに魔術だ。ということはリュウレイも復活しているとみて間違いない。それとティフィアがこっちに来たということは、リュウレイの護衛役をニアと代わったということか。
一つ一つ状況を確認していると、「アルニ」と再びティフィアが呼びかけてきた。
「心配かけてごめん、あれは油断してた僕のせい、なんだ」
また下唇を噛んでいる彼女の言葉に、あれ、というのは、血まみれで倒れてたときのことだろうと思い出す。……仕方ない気もする。これだけ暗い中、4匹の巨大大蜘蛛針に襲われたのだ。むしろ、よく生きてたと褒めたいくらいだが。
そして、おそらく鬼子豚を抑えていた魔術。あれは術が切れたわけではなく、意図的にリュウレイが解いたのだろう。そして自分とティフィアを守るために結界を使った。
「ティー。反省会はこれが全部終わったら、みんなでやろう」
アルニは短剣を構え、復活した巨大赤い大蜘蛛針4匹を前に、にやりと笑みを浮かべた。
「勝つぞ」
俺たち4人で。
そう続けて言えば、うん! と満面の笑みと共にティフィアが返事をし、そして剣を構えた。
―――ここからが本番だ。




