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そして、二人は攻撃を避けながらそれぞれ大蜘蛛針の両脇へと回り込む。
ニアはさっきと同じく、触覚へと飛び乗り、そこから頭部を目指す。一方のアルニはすごく軽く感じる体を動かしつつ、降り注ぐ触覚の雨を潜り抜け、大蜘蛛針の腹の方へとやってきた。まるで触覚の森の中だなと思いつつ、攻撃を躱しながら顎下を目指して走っていた。
大蜘蛛針の顎には、魔力を蓄える胞魔腺というものがあり、その魔力を使って触覚を自在に操っている。だから、その胞魔腺を傷つけることが出来れば、ずいぶん楽に倒せると思ってのことだったが。
「っ!」
当然、魔物自身、己の弱点が分かっているためか、頭と顎を狙うニアとアルニの動きを察知し、触覚の動きを変えてきた。
今まで一本一本バラバラにきたのが、何本か絡みついて束になり、太くなったそれで薙ぎ払うように振り回してきた。
「やべっ!」
咄嗟に身を低くして転がるようにそれを避ける。頭上スレスレに過ぎて行った触覚に安堵したのもつかの間、すぐに次の太い触覚が来た。地面を抉りながら迫ってくる触覚を跳んで避けた瞬間、
ガガガがガガガガガッ! と頭上から降り注ぐ触覚の針。
なんとなく予想していたために短剣で急所は逸らしたが、左わき腹と右足首を貫かれた。
受け身をとりつつ着地し、それでも次の攻撃が来る前にと激痛を堪えて走る。小物入れから緑色の薬瓶を取り出し、蓋を口で取っ払うとそのまま飲んだ。ただし、少量だけ残して。
それから再び小物入れから黒い薬瓶を取り出す。先ほど使った、溶解液だ。そこに残したポーションを流し込み、蓋をして薬瓶を振る。すると、黒に近い深緑色の液体が出来上がった。
しかし、それはそのまま小物入れへとしまう。これはあくまで保険だ。
「ニア! 聞こえるか!?」
風の精霊で声を届けると、「なんですか!?」と切羽詰まったニアの煩わしそうな言葉が返ってきた。
「今どの辺にいる」
「っ、く!――頭部の真上です。ですが……っ、魔物の攻勢が、激しく、っ、近づけない!」
どうやら大蜘蛛針は、強いニアの方へほとんど集中的に攻撃をかけているようだ。
まぁ、おかげでこっちは思った以上に進めている。もう間もなく顎下に着くはずだ。
「そのままそこで耐えててくれ。隙を作る!」
横から来た細い触覚を短剣で弾き、上を見上げる。
触覚の森から抜けた先、少し高い頭上にそれは見えた。
大蜘蛛針の顎だ。
ガガガガッと降り注ぐ触覚の雨を避け、束になった触覚の1つに飛び乗る。風の精霊を使いつつ暴れ狂うそれを伝って顎へと近づき、糸つきの短剣を投げて大蜘蛛針の剥き出しの牙へと絡ませ、そのまま足場から離れる。
放物線を描くように牙へと飛び移ると、大蜘蛛針の真っ赤な瞳がぎょろりとアルニを映した。
「お前と会うのはこれっきりにしたいもんだぜ……」
苦笑いを浮かべつつ、ニアへ「ちょっと暴れるから気をつけろよー」と軽く忠告しておき、牙から体を降ろし、ぶら下がる。そしてあの黒い薬瓶を小物入れから引っ掴み、顎下――薄っすら黄色がかった線が見える胞魔腺へとぶん投げた。
~~~~~~~~~~ッギィィィイイイイイイイイイイ‼‼
頭部を振り回し、痛みに悶える大蜘蛛針。顎が溶けているのだから、よっぽど痛いだろうなと同情しつつも、すぐに牙から離れて短剣を、黒い煙が立ち上る箇所へと飛ばした。
……これで確実に胞魔腺をぶった切れたはず!
現に大蜘蛛針は落下してるアルニへ触覚を伸ばしていない。
「行けぇ、ニア!」
叫んだ直後、ピッと赤い大蜘蛛針の頭と体の間に線が見えた。
「言われずとも、」
それはやがてゆっくりとズレていき、床に転がり落ちたアルニの横に轟音を響かせながら落下した。
「終わってます」
ちりん、と鈴の音を鳴らして剣を鞘に納める、傷だらけのニア。
……不覚にもカッコいいとか思ってしまった。
本当に隙を作ったら、一撃で仕留めるとか……強すぎるんだよ、ニアにしてもティフィアにしても。お前らの戦闘力異常すぎるぞ。少し分けて欲しいくらいだ。
「まぁ、これで鬼子豚も元の大きさに戻るだろ」
進化という強制的な強化を促していた原因を倒したんだ。街を背負っていた鬼子豚は元のサイズへとしぼみ、街の重みに耐えきれず自滅するはず。
「戻る前に地下から出た方がいいな。……どうした、ニア?」
ティフィアたちの元へ戻ろうとしたが、ニアが以前として大蜘蛛針の頭部に乗っかったまま考え込んでいるのに気づく。
「――この魔物、どこから来たんでしょうね」
「?」
「貴方は一度、コレに襲われたんですよね? その話をティフィア様から聞いた時は特に疑問も感じませんでした。それは、襲われた場所が森から近い村だったからです。だから、本来の緑色の大蜘蛛針が、突然変異して偶然にも、貴方はタイミング悪く殺されかけた、と」
「そう、だな」
なんとなく、ニアの言いたいことが分かった。分かってしまった。
「今回の件は、明らかに人為的なものでしょう。シスナという少女の件もあり、このことも含めてロジスト様が起こしたことかとも思いましたが………、今回と前回とでは決定的に違う点があります」
ニアの薄桃色の瞳が、アルニを見下ろす。
「『勇者』への認知度です」
闘技大会に出場したティフィアは、勇者として国中に知れ渡っているだろう。だからこそ、王都に彼女がいたことが、ティフィアの父親の耳にも入ったって、それは当然のことかもしれない。
その目的は、事情を知らない俺には計りかねるが、――赤い大蜘蛛針は違う。
アルニたちが初めて遭遇した時は、ティフィアたちは闘技大会のことすら知らなかった。……俺もだけど。
赤い大蜘蛛針は、突然変異ではない。かもしれない。人為的、作為的に生み出された魔物だとすれば、それが意味するものは。
「………」
「……ただ、まだ遭遇したのは2回目で、確証もないです。それに、姉は近隣諸国でも存在が確認されていると言ってました。決めつけているわけではありませんが………」
これは、貴方絡みのことなのでは?
――俺、絡み。
当然だが、赤い大蜘蛛針は、あの村で初めて見たことに間違はいない。進化という特性も、リュウレイが分析してくれなかったら分からないことだった。
だが、アルニはニアの問いを、完全に否定することは出来ない。
それは――――アルニ自身、8年前にレッセイたちに拾われる以前の記憶がないから。
「………俺は、」
「―――――いえ、やっぱり今のは無しにしてください」
ティフィア第一の過保護の一人としては、少しでも危険な芽は摘んでおきたいのだろう。正直、これを理由に仲間から外れろと言われるかと思いきや、大蜘蛛針の頭部から下りた彼女は、あっさりと前言を撤回した。
「ニア?」
「何をしてるんです。早くティフィア様たちの元へ戻りますよ?」
いつもの冷めた薄桃色の瞳に、何故か安堵してしまった。
「そうだな」と一歩足を前に踏み出したとき、
――――グゥウウウウォォォオ”オ”オ”オ”オ”オオオオオオオオォォォンッ‼‼
咄嗟に耳を塞ぐも、脳内を揺さぶるほどの咆哮が塞がりかけた傷に触れ、思わず膝をつく。隣を見れば、ニアも同じ体勢だ。
「な、んで……!」
咆哮が治まった直後、床が大きく揺れる。すぐに地の精霊で二人の足元だけを安定させた。
「どういうことだ! 大蜘蛛針は倒したはずでは――」
恐らくリュウレイの魔術が耐えきれなくなったのだろう。だが、問題はそこじゃない。
今しがた、アルニとニアとで赤い大蜘蛛針は倒したはずだ。なのに、鬼子豚は元に戻っていない。
「くそっ、たぶん他にもいるんだ!」
少なくとも、あともう一匹の赤い大蜘蛛針が……!
アルニとニアはすぐに駆け出し、ティフィアたちの元へ急ぎ戻る。
そして、戻った二人は一気に血の気を引かせることになる。
そこにいたのは、3匹の巨大赤い大蜘蛛針が、小さな半円の結界に群がる光景だった。
しかも、大蜘蛛針の合間から僅かに見えた結界の中では、杖に寄りかかり、膝をついてなんとか結界を維持するリュウレイと、その後ろで床に赤い血を広げて倒れているティフィアの姿だった。




