4-3
上空から狙ってくる埃頭鳥を警戒しつつ、建物を利用して身を潜めながら街長の屋敷へと向かう。
途中、何度かリュウレイが魔術の強化と修復のために足を止めたり、崩れた建物が道を塞いでいたために迂回したりと、思っていたより時間がかかってしまったが。
ちなみに、すでに巨大鬼子豚の動きを封じるために魔術を使ってしまってるリュウレイは、他に魔術が使えない。なので教会に一人待たせるのも、鎖使いの少女が再び現れて襲い掛かってきたら危険だからと連れてきている。
「―――着いた……!」
街長の屋敷だ。
「レイ、あとどれくらい保ちそうだ?」
「あと1時間は平気って言いたいとこだけど、術より“根”の強度が追い付かない。もう30分もないと思ってくれていいよ」
時間の猶予はほとんど無い、か。
「急ごう」
アルニの言葉に仲間たちは頷き、そして屋敷のなかへと侵入した。
屋敷自体はそれほど広くはない。2階建ての、まぁ小金持ちの家って感じだ。本物か偽物か怪しい骨董品がいくつか飾られて、客間とライズ本人の部屋らしき場所だけやけに広かった。廊下には数体人形が転がっていたが、元は使用人たちだったのかもしれない。
「――くそっ、地下がねーぞ!」
時間がないために手分けして探しているが、一向に地下へ降りられる階段が見つからない。もしかすると仕掛けによって隠されているのかもしれないが、それならライズが話しただろう。……いや、気が動転してて忘れていた可能性があるな。
一応連れてくれば良かったと思っていると、「見つけました!」というニアの声に、急いで彼女のいる部屋へと向かった。
その部屋は書斎だった。微笑む一人の女性が描かれたステンドグラスから差し込む、太陽の光が床を照らしており、その床の一部が暗闇へと延びる階段となっていた。
「オレ、さっきこの部屋見たけど、こんなんなかったけどなぁ……」
首を傾げるリュウレイだが、おそらく仕掛けに気付いたニアが解いたのだろう。
それからアルニは小物入れから数枚の葉っぱを取り出し、それを手の中で揉むように擦り合わせる。すると、それはぼんやりと明かりを灯した。
これは明草と言って、草同士を擦ると発光する植物で、旅人たちの必需品とも言える。揉み込む強さで光量を調整することが出来、大抵どこの道具屋でも安く買え、食べるとひたすら苦い。そして確実に腹を下す。
「風の精霊よ」精霊を呼び魔法を使えば、それは3人それぞれの元に浮かび上がり、留まった。
「さすがお兄さん、準備バッチリ!」
「うわぁ、綺麗だね!……あれ、でもアルニの分は?」
むしろお前たち持ってなかったのかよ……。今まで夜道とかどうしてたんだ、こいつらと呆れつつ「俺は夜目が利くから大丈夫だ。ほら、行くぞ」と先を促した。
階段自体は狭くて一列になるしかなかったが、地下へはすぐに辿り着き、その広さに全員圧倒された。
「この屋敷よりも広そうだね……」苦笑いを浮かべるティフィアの言葉に同意しつつ、部屋を見回す。
ティフィアたちは明草でぼんやりとしか見えていないだろうが、アルニの目には部屋の全貌が見える。広すぎて壁が見えず、床と天井には何か文字と絵が刻まれていた。絵には書斎にあったステンドグラスと同じ女性の姿があり、こっちはどうやら涙を流しているようだ。そして彼女の足下には、無数の人々が倒れており、立っている人たちは剣や槍などの武器を掲げている。
これは、なんの絵なんだ……?
なにか物語を感じる絵に興味を惹かれていると「これはなんでしょうか?」というニアの訝し気な声に、そっちへ視線を動かした。
ギチキチ。
キチキチキチキチギチギチキチッ。
キチチッギチ。
部屋の奥、それは歯車か何かが噛み合うような音だった。そして、それと同時にカチカチカチカチと固い床を針で叩くような音が、少しずつ近づいてくる。
リュウレイが後ろへ下がり、その前にティフィア、そして前衛がアルニとニアという陣形を咄嗟に作った。が、
「私が倒します。貴様はそこでティフィア様たちを守れ」
敬語と命令がめちゃくちゃな言葉を残し、ニアは腰を低くすると、目にも止まらぬ速さで前方へと突っ込んでいった。
「あ!―――くそ、無闇に突っ込む馬鹿がどこにいんだよ!」
今度は腕を掴んで止める隙もなく、行ってしまった。まだ敵の姿すら視認出来てないというのに。
「ど、どうしよう、アルニ」
心配そうなティフィアに、アルニは一つ溜め息を吐く。
「ティー、今まで通りだ。お前はレイを守ってろ」
「う、うん、……分かった」
本当は一緒に戦いたいのかもしれないが、リュウレイを守れる力をもっているのは、この場では彼女だけだ。戦力は申し分ないし、遠距離からの衝撃波が使えるのは魔族戦で見ている。それに、ティフィアがリュウレイを守ってくれるなら、安心して任せられる。
だからアルニは振り返らずに、ニアの後を追うように駆け出した。
キチチッギチキチ。キチキチギチギチチ。
カチカチカチ、カチカチ、カチカチカチカチ。
謎の音がどんどん近づいてくる。灰黄色の瞳を細めて周囲を探っていると、先にニアを見つけた。だが彼女は途方に暮れたように突っ立っていた。
「おいニア! どうし―――」ニアに近づくと、アルニは視界に入った光景に言葉を失う。
キチギチギチチチ。カチカチカチカチカチ、ギチギチキチチキチキチ、カチカチキチギチカチカチカチッ!
―――それは、壁一面にへばりついた、禍々しい赤色の巨大大蜘蛛針の姿だった。
「……本体までデカくなれんのか、アレは」
寄生した対象にのみの限定的なものかと思いきや、どうやら自分自身にも効果を発揮できるらしい。全身の針のような触覚を伸ばし、一見壁に針山でも出来上がったかのようだが、一度あの魔物のせいで殺されかけたのだ、すぐに分かった。
ついでにあの音は、赤い大蜘蛛針の鳴き声と、触覚が伸びて壁に当たった音だ。
「おい、ニア。お前ならあんな触覚、障害物にもならねーだろ?」
「……悔しいことに、出来ませんでした。触覚も、外皮も、とても堅くて刃が入らなかった」
薄桃色の瞳が魔物を睨み上げるが、赤い大蜘蛛針は気にせずキチキチ鳴いている。
倒してくると言って飛び出した手前、結局手も足も出なかったことが悔しかったのだろう。だけど慰めの言葉なんてかけたら、殺しにかかってきそうなのでそこは放置しておく。
「剣が入らないのか……」
鬼子豚の膨張と同じか。
……待てよ、同じだとすれば。
「ニア、頭は狙ったのか?」
鬼子豚は、頭部が弱点だ。それは膨張してるのが首から下だということもあるが、外皮が固くなると食事がしにくくなるという理由もある。そこまで同じなのかは定かではないが、試してみる価値はあるはずだ。
「―――なるほど」
どうやら説明せずともアルニと同じ考えに行き着いたのか、納得したニアは再び剣を構え、そのまま飛び上がった。無数に伸びる触覚の一つに着地すると、そのまま本体へ近付くべく走り出す。
ずっと静観していた大蜘蛛針は、しかしニアが向かっている先に気付いたのだろう。途端に触覚を揺らし、ニアの足場の触覚を短くしたり、別の触覚を伸ばして鋭い針のような先端で彼女を刺し貫こうと動かす。だが、ニアは動じることなくその動きを察知し、上手く触覚を利用しながら攻撃を避けていく。
「すげえ………」
無駄一つなく避けながら進むその身のこなしに呆気をとられていると、不意に数本の触覚がアルニにまで襲い掛かってきた。一本を短剣で軌道を逸らし、両脇から迫ってきた二本は床を転がって避け、上から落ちてくるように伸びてきた何本かは走って逃げる。ニアとは大違いの無様な姿だ。だが、これが俺のやり方だと小物入れを漁り、数本の薬瓶を抜き取る。それを追い駆けてきた触覚にぶつけ、澄んだ黒色の液体が飛び散る。
刹那、液体がかかった部分の触覚が、黒い煙を上げて溶けた。
~~~~~~~~~~ッギィィィイイイイイイイイイイ‼‼
痛みに悲鳴を上げて暴れる赤い大蜘蛛針。触覚に神経が通っていることは知ってたが、ここまで暴れるとは思っておらず、余計なことしたかとニアがいるであろう場所へ視線を移す。すると、彼女は暴れ回る触覚をもろともせず、目前に迫った頭部目掛けて跳び上がり、
「――――はぁぁあああっ!」
凪ぐような横一閃!
しかし、「ちぃ……っ!」ニアが眉根を寄せる。咄嗟に触覚が一本邪魔してきたのだ。大蜘蛛針の頭に薄っすらと線が浮かび、青い液体――おそらく血が流れる。だが致命傷にはなりきれない。
すぐに大蜘蛛針がニアに向けて触覚を繰り出し、それを剣で弾きながら、一度距離をとるべく退いた。アルニの隣まで下がってきた彼女は、いつもより更に冷たい眼差しで睨みつけてきた。
「貴様、私を殺す気だったな」
やはりあの薬瓶での攻撃は、余計なお世話だったようだ。大蜘蛛針の意識をこっちに向けようとしただけだったんだが。
「悪かったよ……。で、どうする? 向こうもカンカンだぜ?」
壁に張り付いていた赤い大蜘蛛針が、ゆっくりと床へと伝うように降りてきて、丸い球体の青い6つの瞳が、二人を見下ろす。
ニアは一度剣を鞘に戻し、一つ息を吐きだすと「―――“領域変換”」ちりん、と鈴の音と、ニアの声が重なる。刹那、ニアを中心として、世界が揺らいだ。
咄嗟に闘技大会のことを思い出し、魔法を使おうとしたが、どうやら今回は息が出来るようだ。
「私のこの能力は、“私を中心としたこの場所を、己の領域として支配出来る”ものです」
どうやら説明してくれるらしい。
「以前使ったときは、貴方の周囲だけ真空状態にしただけです。今回は相手が魔物なので、通用しないでしょう」
魔物の生態の七不思議の1つとして、肺のような呼吸器官があるのに、呼吸している形跡がない、だな。真空状態にされても、魔物にとってはなんの支障もないのだ。
「ですので、私と貴方だけ身体能力向上状態にしました」
「そんなことまで出来んのかよ……」
「ただし、あまり長時間使えないというのと、一日に何度も使えない、という制約がありますが」
なるほど。だから最初から使わず、出し惜しみしてたのか。
「分かった、ありがとう」
「いえ……………、」仲間ですから。
そう続けた声は、あまりにも小さくて、そして赤い大蜘蛛針が痺れを切らして触覚を雨のように振り下ろしてきたせいで、残念なことにアルニには聞こえなかった。




