2.嘘つき
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飛び出すように宿を出て、リュウレイは一人、街の中を歩いていた。
日が傾き始め、暁に染まる街の賑わいをぼんやり眺めていると「おかあさん!」と拙く大きな声に振り返る。
リュウレイの腰ほどしかない背丈の小さな少年が、母親らしき女性にすがりつき、お菓子を強請っていた。買って、買って、あれ欲しい。みんな食べたことあるんだって。必死な少年の言葉に、母親は仕方ないわね1つだけよと折れ、店の中へと入って行った。
「……」
リュウレイはしばらく店の方を眺め、それから自嘲するように鼻で笑うと、再び歩き始めた。
―――母さん、か。
「後悔なんて、してないのになぁ……」
母親という存在を見ると、よく分からない感情が沸き上がる。
オレが、あの少年と同じ頃はどうだっただろう。何も知らず、母さんと父さんに挟まれ、同じように無邪気に笑っていたんだっけ。分からない。もう、そんな過去は忘れてしまった。
「――あれ、お嬢?」
見慣れた銀髪の少女が、ふらふらと路地へ入っていくのを見て、そういえばティフィアとニアを探していたんだったと思い出す。
わざわざ、あそこまでお兄さんに焚きつけてもらったのだから、ちゃんと話し合わんと。
「我ながら面倒臭い性格。……それにつき合うお兄さんは、やっぱりお人よしだよねぇ」
ティフィアのことを、なんだかんだ見捨てられずにいるアルニを思い浮かべて苦笑する。
「―――て、見失っちゃう!」
慌ててティフィアが入って行った路地へ走って向かうと、そこには建物の壁に寄りかかり、荒い息を零しながら、今にも倒れてしまいそうな少女の姿があった。
「お嬢!」慌てて傍に近づけば、リュウレイの気配に気づいていなかったのか、苦悶の表情に驚きを上乗せ、何かを言おうとして、しかし咄嗟に口を手で覆った。
「お嬢、とりあえず座ろうよ。……水。水持ってくる!」
ずるずると地面に蹲るティフィアが、細い少年の腕を掴んだ。
「! お嬢……?」
「――だ、じょうぶ。大丈夫、だから……」心配しないで、と真っ青な顔が下手くそな笑みを浮かべた。
「嘘だ」
知ってる。
リュウレイは、知ってる。
「お嬢は、嘘つきだ」
ティフィアの嘘を、―――リュウレイだけは、知ってる。
「なんで本当のこと言わんの? どうして嘘ばっか言うん? 戦いたくなんてないって、痛いのは嫌だって、傷つけるのも嫌だって……!」
彼女の本音を、リュウレイは一度だけ聞いたことがある。直接言われたわけではなかったが、それでもリュウレイは、知ってしまった。
本当は、ティフィアもニアも帝国から逃げる必要はない。こそこそ旅をしていた必要もなかった。ティフィアは義父が好きだったし、勇者として戦う必要だって、本当はなかった。
「オレなんかのせいで、そんな苦しむ必要なんて、」
ない。そう続けようとした言葉は遮られてしまった。
「僕、は―――嫌だから」
潤んだ黒曜石の瞳が、リュウレイを捉える。
「君が、また苦しむの、見たくないから」
「―――、そんなん、オレだって、」
「お前たちの意志なんて関係ないわ。――必要なのは、お父様への忠義、ただ一つよ」
「っ!」リュウレイは振り向き様にピアスに魔力を込め、右手に杖を出現させる。
【簡略展開、発動!――――結界ッ】
【我が魔力を喰らいて、敵を屠れ。―――全てを飲み込む奔流よ】
全方位を防ぐ強固な結界を張ったと同時に、ドガガガガガガッと前方に断続的な凄まじい衝撃。その強力な攻撃に、リュウレイは杖を前に翳し、同じく断続的に結界の強化と修復にありったけの魔力を注ぎ込む。「ぐっ、う!」それでも、間に合ってない。
――こんな簡略的な式じゃ駄目か!
ギリッと奥歯を噛み締めたとき、ティフィアが隣に立つのを視界の端で捉える。
「リュウレイ! 僕が道を拓く!」
さきほどとは打って変わり、剣を抜いてまっすぐ立つその姿に、リュウレイはざわりと血が騒ぐのを感じた。これは―――期待だ。でも、駄目だ。絶対、お嬢は無理してる。死んじゃうかもしれない。それなのに「分かった」とリュウレイは答えた。
本当は知ってるのに。
すました顔しても、流れる無数の汗は隠しきれてない。
「合図したら結界消して。―――――――――行くよ!」
言われた通りに、結界を解く。結界に弾かれていた“何か”が一斉に向かってきた。
「そりぃぃりゃぁぁあああああああああああっ‼」
相変わらず間の抜けた掛け声と同時に、ティフィアの力強い一振りが衝撃波となってぶつかる。
「え、……鎖?」
衝撃波によって周囲に飛び散る砕けた“何か”は、鎖だった。そのときふと、宿でアルニが見せてくれた魔物の毛皮を思い出す。縄か鎖の痕だと、アルニは言っていた。
「――リュウレイ!」
はっと我に返る。ティフィアがもう一度衝撃波をぶつけたところで、膝を着いていた。
【っ、“窓”展開! 白牙獣の“白き稲妻”の式法則を置き換え、我が意のままに式法則の改ざんを行う】
リュウレイの周囲に浮かぶ青白い帯に、文字が刻まれ、それは重なり合い、やがて別の文字へ。
【さぁ、我が魔力を糧に降り注げ!―――――真白の牙雷群よッ‼】
そして、杖を鎖が延びるその向こうへと向け、二つあった帯の内一つだけが大きく広がり、バキンッと音を立てて砕け散ったその瞬間、杖の先から真っ白い稲妻がいくつもの軌跡を残し、光速で相手へとたどり着く。
【存在希薄の無効たる向こう】
だが、稲妻は直撃することなく、人影をすり抜けていった。
「なっ!」
【――数多の意識を宿せ】
人影が杖をティフィアとリュウレイに向けると、その人影から鎖が延び、それが二人に襲い掛かる!
咄嗟に杖でガードしたが、それが鎖に巻き付き、そのまま振り払われるように壁へ叩きつけられた。
「ぐっ、ぅ!」
右半身の痛みによろけつつも立ち上がり、そこでふと後ろを振り返れば、傷だらけのティフィアが地面に転がっていた。
「お嬢!」
足に力を入れて駆け出そうとした瞬間、ガガガッと鎖の壁に遮られてしまう。
「!」
「―――どこに行く気? これ以上、どこに向かおうと言うの?」
人影が、ゆっくりとリュウレイに近づいていく。その度に、じゃらじゃらと鎖を引きずる音も聞こえた。
「ねぇ、貴方のいるべき場所は、そこじゃない。それは貴方が一番よく知ってるはずよね?」
リュウレイは人影と向き合う。
背丈はティフィアと同じくらいか、少し上。綺麗な整った相貌をしており、フリルたっぷりのワンピースを着ている。しかし、その手首と足首には、太さがバラバラの鎖が幾重にも巻き付きてある。
そして、更に特徴的なのが、その足首まで伸びた髪も、瞳も、まるで鎖のような錆色をしていた。
「リウ。―――いえ、リウル・クォーツレイ。さぁ、私と一緒に帝国へ帰りましょう?」
手を差し伸べる、全身錆色の少女に、リュウレイは苦々しい表情を浮かべた。
「……シスナ」
リュウレイは彼女を知っている。
シスナ・ロジスト―――ティフィアと同じ、クローツ・ロジストの26番目の養子。
「だ、駄目、……リウ、」
唐突に、鎖の壁の向こうからティフィアの呻く声が聞こえる。
それに、錆色の少女シスナは、冷めきった瞳を向けた。
「黙りなさい、No.27。出来損ないは出来損ないらしく、魔物の餌にでもなっていれば良かったのよ! 貴方がこの子を連れて行ったせいで、どれだけお父様が悩まれたと思うの!」
元々吊り目がちな瞳が、更に鋭くなる。
「貴方はいらないの! お父様にとって必要ないの!……どうして貴方が勇者なんかやってるのか知らないけど、迷惑極まりないわ!―――本当は、」
本当は私が勇者に……っ!
ギリギリと歯ぎしりするシスナに、リュウレイは内心首を傾げた。
――こんなにヒステリックな性格だったっけ……?
「シスナ、お嬢の悪口はオレが許さんよ」
どちらにせよ、この状況だと魔術でティフィアを守ることが出来ないので、彼女の意識を自分へ戻させる。
「あら、リウ。こんな役立たずに傾倒しているの? ああ、そうか! そうよね。だから、魔術勝負で、私なんかに負けちゃったのね?」
――負け?
「はあ? オレがシスナごときに、負けるなんてあり得ないよね。さっきはわざと手加減しただけに決まってんじゃん」
「そうよね、あのリウル・クォーツレイが、負けるわけないものね。負けていいはずないものね?」
言い返そうと口を開いたとき、王都の闘技大会での敗北が頭をよぎった。それに、今さっきの魔術だって、本当は、本気だった。
「―――っ」
「ねぇ、リウ? お父様は寛大なお人よ。私と一緒に今すぐ帝国に戻れば、貴方を咎めることはないわ。それとも………また悪夢が見たいの?」
悪夢。その言葉に、リュウレイは息を詰まらせた。
「嫌でしょ? 怖いものね? 魔術によって見せられる幻とは言え、―――いろんな魔物や魔族に、あらゆる殺し方で自分が死ぬ映像見せられるんだもの。怖いわよねぇ?」
「っ、ぁ……」
思い出したくないのに、思い出してしまう。
戦え、と。負けるな、と。負ければ死ぬぞ、と。
お前は戦うためだけに存在しているんだ、と。
「い、嫌だ……!」
怖い。
「死にたくない!」
痛いのは嫌だ。
「見たくない!」
魔物に喰い散らかされ、魔族に嬲り殺され。
何度も何度も引き裂かれる苦痛を目の当たりにして、痛いのか痛くないのかも分からず、生きてるのか死んでるのかも曖昧になっていく。
それは、絶望だ。
「リュウレイ!」
ティフィアがリュウレイの異変に気付き、名前を呼ぶ。しかし、リュウレイは耳を塞ぎ、目を閉じ、蹲っているために届かない。なのに、何故かシスナの声だけは頭の中に響いてくる。
―――そうだ、嘘つきなのはお嬢じゃない。
戦うのが嫌なのは、痛いのが嫌なのは、本当はオレだ。
そして、『勇者』を信じてないのも、オレ。
「そうよね、嫌よね? だから帰りましょう?」
錆色の少女が青白く細い手を伸ばし、震えて蹲るリュウレイに触れようとした瞬間、殺気を感じて咄嗟に杖を振る。それに呼応したように鎖が動き、少女の眼前に迫っていたものを弾き落とした。
「……短剣?」
変哲もない、ただの短剣。だがそれは、すぐに断続的にシスナ目掛けて襲い掛かってくる。
「こんなもの……」
軽くあしらうように鎖で全て防ぎきり、一体どこからと周囲を見渡したときだった。
「な、何? 霧?」
突然どこからともなく発生した霧によって視界が奪われる。
そして魔術を使おうと小さく息を吸ったとき、
「ぐっ、ごほっ! げほっげほっ!」
何か異物感に苛まれ、咳を余儀なくされる。しかし、咳をするために息をすれば、更に喉に何かが入っていくような感覚に、息も出来ずに咳だけが零れる。
咄嗟にリュウレイへ目を向ければ、やはりというか、そこに少年の影は見当たらず。
シスナはぎりりっと歯ぎしりし、幾重もの鎖を平たく編んで振り回し、扇子のように周囲を扇げば、呆気なく霧は霧散していった。
しかし、そこには錆色の少女シスナただ一人しかいない。
「……むかつく」
誰の仕業か知らないが、虚仮にされたような気分で不快感に地団駄踏む。
「むかつく、むかつく、むかつくむかつくむかつくむかつくむかつく………!」
ダンダンッと地面を踏み荒らし、それから気が済んだ頃に、彼女はにんまりと笑みを浮かべる。
「でも、いいの。お父様に言われたことは全部やったもの。これできっとお父様に褒められるわ。嬉しいわ。――さぁ、帰ろ」
そう言ってシスナは魔術を展開すると、その場から消えていなくなった。
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