1.ライオスの街
王都クィーフィーから南下して、5日。シフレド平原とカミス橋を過ぎたところに、ライオスという街がある。更に南下するとローバッハ港町があることから、王都と港町を結ぶ中継都市として、ある程度栄えている街ではあるが―――。
「おい、アルニ貴様! アレをなんとかしなさい!」
「いや、フツーに無理だろ」
街に到着直後、街人のギラついた瞳と目が合った瞬間、どこからともなく現れた街人たちによって、現在ティフィアが人垣に埋もれて見えなくなっている。
どうやら握手とサインを求められているようだ。……いつから勇者はアイドル業になった。
「そもそも、俺は最初に反対したぞ? ライオスの人々はほぼ全員女神教徒だ。しかも熱狂的な。だから王都から北上して、ネルソンの街を経由して別の港町に向かう方が良いって、説明したよな」
「ぬ、ぐぅ!」
ぐぅの音は出たが、反論は出来ないようだ。ニアの悔しそうな表情を横目に、でもアルニもこれほど騒がれるとは思っていなかった。闘技大会は王国主催だから、国民ならばその出場者など知るすべはいくらでもあるだろう。だから、ティフィアが勇者であることも、容姿なども知れ渡ってもおかしくはないとは思っていたが。
……なんか、情報操作されてそうだな。
嫌味たっぷり込められたニアからの話だと、彼女の姉であるミアが、そもそも闘技大会出場の話を持ち掛けてきたとか。それがアルニのせいであるのは純粋に申し訳ないとは思うのだが、考えれば考えるほど意味が分からない。――何故ミアは、そこまでして『勇者』を大会に出したかった?
しかも、それだけじゃない。あのミルフィートと名乗った魔族の男も、出現がタイミング良すぎた。
―――まるで勇者が王都にいることを知ってたみたいな……。
レッセイが街にいないことは知らなかったようだが、結界のこともあるし、確実に魔族を手引きした人間がいる。
さすがに王族であるミアがやったとは思えないが、……駄目だ。情報が少なすぎる。
あの魔族を捕まえられていれば、また違ったかもしれないが。
「ねぇねぇ、お兄さん。そろそろ助けてあげてくれん? あれじゃあ、お嬢が圧死しちゃうよ」
面倒くさそうに言ってきたリュウレイの言葉に、確かにと頷き、すでに街人をどかそうとして、しかし力加減が分からず眉尻を下げてウロウロしているニアに加勢しにいく。
―――正直、やりづれぇなとは思う。
ニアは何かにつけて敵意向けてくるし、ティフィアも俺が無理についてきてるのかと思っているのか、あまり回せてない気を使ってくるし。そういうことには扱いが上手そうなリュウレイは、何だか考え事をしているようで反応が鈍い。
おかげで、未だに新しい仲間たちとは馴染めていないという現状である。
「ティー、大丈夫か?」
なんとか街人たちを散らしたアルニは、ティフィアの顔を覗き込むようにして身を屈める。驚き目を丸くして硬直するティフィアの顔色は、やはりあまり優れないように見える。
まぁ、持て囃されるのに慣れているようには見えないしな。
「ニア、とりあえず宿とった方がいいな」
「貴様に指図されずとも、分かってます。ティフィア様、さぁ、こちらへ」
ティフィアの前にいるアルニを退かし、彼女の細い肩を抱いて歩き始めるニアに、とりあえず大きく溜め息を吐く。
めんどくせぇ………。ニアって俺よりも年上なんだよな?
「いい大人が、なんでそんなに俺を目の仇にすんのかねぇ……」
「たぶん、怖いんだと思うよ」
小さくぼやいた独り言を、まさか返されるとは思わず見れば、いつの間にか隣に来ていたリュウレイと目が合う。
「怖い? 俺が?」
「………分からなくはないよ、オレも。――アルニはきっと、お嬢に近すぎるん」
それだけ言い残すと、前を歩くティフィアたちの元へ行ってしまった。
「………近い?」
物理的な距離のことでは、当然ないだろう。なら、精神的な? でも、会って間もないのに、近いってどういう意味だ?
「こっちも、情報不足って感じだな」
彼女らにそれほど干渉はするつもりもないが、あまりぎくしゃくされても面倒なだけだ。
さて、どうしたものかと身の振り方を考えつつ、アルニも三人の後を追うように歩き始める。
「―――鬼子豚の討伐依頼?」
街にある宿の食堂にて、アルニのオウム返しに頷くティフィア。
「うん……、さっき囲まれたときにね、街長の人に言われたの。勇者なら、頼めますか?って」
猪獅獣の肉と山菜を炒め、細い麺を絡ませた料理をフォークで突きながら、黒曜石の瞳がさっきから一つの山菜に注目している。あれはニガリだな。名前の通り、ちょっと苦く、癖が強い食材で、子供がよく食べ残すのは見る。しかし、ニガリは噛めば噛むほど旨味が出て、栄養価も高いことから旅人たちには評判だ。
ちなみにアルニが食べているのは、蝶飛蝗と魚介の蒸し焼きである。
「で、断ったのか?」
ティフィアが意を決してフォークで刺そうとしたニガリは、しかし横から伸びたフォークによって拾われ、ニアの口の中へ入っていった。子供舌らしき少女は安堵しつつも、少し残念そうな表情を浮かべ、それからアルニの言葉に「どうして?」と首を傾げた。
「は? どうしてって……」
分からないのか? と、思わずニアとリュウレイの方を見るが、二人も彼女同様不思議そうな表情を浮かべていた。
「え、お前ら、これからも頼まれたらやるつもりなのか?」
「何を言いたいのですか? 勇者というのは、そういうモノではありませんか」
何を当たり前なことをと呆れたようにニアは言うが、アルニは顔を引き攣らせた。
「……なぁ、それって街に着く度、そんなことして回るつもりかよ。これからどれだけ街を経由して旅するつもりか知らねーけど、その度に戦うつもりか?」
戦うというワードに、ティフィアは眉根を寄せたが、他の二人はまだピンときていないようだ。
アルニはまじかよと大きく溜め息を吐き、きちんと説明することにした。
「いいか? これだけ栄えてる街なら、大体自警兵団みたいなのが街でそれぞれ管理されてるんだよ。騎士には劣るが、それでも傭兵よりも統率が取れた強い兵士たちだ。それこそ、10人いればニアの戦闘力と匹敵するぐらいな」
「すごいっ、そんなに強いの!?」少し食い気味のティフィアに苦笑いを向け、何故か殺気を放つニアの方には目を合わせないよう続ける。
「このカムレネア王国は他国に比べれば、精鋭揃いとも言えるな。ならず者たちにですら寛容なぐらい、国民たち個々の能力は高いんだ」
ならず者たちが何か起こしても、それをねじ伏せる力が街ごとに存在する。だからこそ国民たちの武器所持を許しているのもあるが。それであまり犯罪が起きないのは、傭兵や賞金稼ぎを職業として認めているからだろう。
そう、そして。
だからこそカムレネア王国の人々は、基本的にお節介ではあるが、自分たちでやれることは自分たちの力で済ませようとする国民性がある。それをアルニは気に入っていたのだが……そういえば、とも思う。魔族が出たときも、確か“同じ”だった。
勇者なんだから――――戦え、と。
だからティフィアはあの場所で隠れて、リュウレイが守っていた。
そして今回も同じだ。しかも更に質が悪い。魔族のときは、ミルフィートの戦闘力に対し、対抗できる戦力が少なかったから、少しでも戦える人間が欲しかったというのもあるだろう。
だけど、鬼子豚だぞ? 動きも鈍くさい、攻撃力だって黒鉄狼ほどじゃない。言わば雑魚だ。それこそアルニ一人で問題なく倒せるほど。
「………断ってくる」
不意に席を立ったアルニに、慌てて止めたのは意外なことにリュウレイだった。
「お兄さん!――別にみんな疲れてるわけじゃないし。その魔物、雑魚なんでしょ? なら、さっさと倒しちゃえばいいじゃん!」
ね、お嬢。リュウレイに同意を求められ、咄嗟に頷くティフィア。
ニアを見れば、問題ないと同じく頷いていた。
「………お前らがいいなら、別にいいけど」あまり釈然としないまま、再び席に着く。
それからのご飯は、黙々と食べる作業だった。美味しかったはずなのに、味がしなくなった。
勇者一行様だからと、一人一部屋貸してくれて、飯代も宿代も無料にしてくれた女将に感謝しつつ、アルニはベッドに横になりながら考えていた。
前から、感じてはいたのだ。――――『勇者』に対する認識の差異に。
てっきりアルニが『勇者』を憎いあまり、偏った考え方をしていると思ったが……それにしては、異常なんじゃないだろか。
魔王を倒せる唯一の存在が、勇者だ。だから人は勇者に期待し、希望を抱く。世界を救えるのは『勇者』しかいないから。
アルニがどれだけ憎いと思っても、それが勇者という存在であるのは、間違いない。こうして人々が平穏に暮らせるのも、勇者のおかげなのだ。
でもアルニは、勇者と出会った。勇者ティフィアという存在を知った。
彼女の弱さを、アルニは知ってる。
「……勇者は、一人の人間、か」
泣いてばかりいたティフィアを見ていたアルニは、それを知っている。
もしかしてリュウレイが言っていた『近い』とは、これのことだろうか。……だとすれば、怖い、というのはなんだ?
うーん、と悩んでいると、不意にドアをノックする音に起き上がった。
「アルニ、ごめん、起きてる?」ティフィアだ。
ドアを開ければ、風呂上りなのか湿っぽい髪をそのままに、少女はそこに立っていた。
「あ、あの、」
「ちょっと待て」
何か言いかけたティフィアの言葉を遮り、アルニは火と風の精霊を使う。
フワリと温かな風が吹き抜けたと思ったら、ティフィアは湿って重たかった髪が軽くなったのに気づいた。
「魔法、すごい!」すでに乾いた銀髪を弄りながら感動するティフィアに、「そうか?」と素っ気なく返しつつも笑みがこぼれる。
とりあえず場所を移そうと、さすがにアルニの部屋に招くわけにもいかず、外に出ることにした。
すでに夜も更けた街は、居酒屋と街頭がボツボツと灯りを照らすだけで、今朝の賑わいが嘘のように静かだった。
「アルニ、ありがとう」
不意に、少女はそう言った。
頭一つ分背の低い彼女のつむじを見下ろす。
「なんの感謝だよ」
「うーん、たくさんあるけど」
「そんなにあんのか?」
それほど感謝されることをした覚えはねーけどなぁ。
「宿の食堂で、言ってくれたこと。―――アルニは、心配してくれたんだよね」
思わず足を止める。
「心配?」俺が?
少し前で同じように足を止めたティフィアは、アルニへ振り返る。
闇夜に揺れるティフィアの銀髪は、不思議な色をしていた。透き通った藍色というか、幻想的な青色というか。
「……それは、勘違いだ、ティー。俺は、」
そうだ、俺はただ、周囲と自分の認識の違いに違和感を覚えただけで。それに無駄な戦いは、回復薬や短剣の無駄遣いになるからっていう、いわば傭兵時代の癖で、嫌だっただけで。
「ううん、勘違いなんかじゃないよ」
こういうとき、ティフィアは強気だ。普段の弱々しい印象とは、正反対で。まるで別人のようだと、思ってしまう。
「僕は、アルニが優しいこと、じゅうぶん知ってるよ。―――本当は、気付いてるんだよね。僕が、……体調悪いこと」
「……」あれだけ隠してるから、こんなにあっさりと白状されると思わず言葉を失っていると、ティフィアはふへへっと笑った。
「やっぱりアルニは優しいね」
アルニは一つ息を吐くと、観念したように肩を竦めた。
「王都から旅立つときも、良くなかっただろ。……あのときか?」
心当たりがあるとすれば、魔族と戦う直前、ティフィアとリュウレイがなにかやったときだ。おかげで結界は張れたが、二人とも嘔吐いていたし。
「全部バレバレかぁ……。二人には誤魔化せるのになぁ」
ティフィアはアルニに背中を向け、それから近くの木の柵に腰を下ろし、手招きしてきた。抗う理由もないので、その隣に腰を下ろせば、ティフィアは空を見上げた。同じように見れば、薄っすらと雲にかかった月が、ぼんやりと灯っていた。
「前に話したよね、僕は『本物』じゃないって」
確か、27番目の、人工勇者だって言ってたか。
「本物はね、体のどこかに“勇者の証”っていうのがあるんだって。それが魔を退ける力の源らしいよ。……でね、前勇者のリウルさんから情報提供してもらって、その勇者の証の複製を父さまが作って、僕たちに植え付けたんだ」
……なんか、すごいこと聞かされてる気がする。
「でも、僕の適正値が………えー、と、……と、とにかく低くてね! 勇者の証の力を使うと、なんか具合悪くなるんだー」
「………医者には?」
「……言えないよ。アルニに話したこと、お医者さんには、言えない」
平然と言ってるが、これだけ体調不良の期間が長いのは、やはりおかしいだろう。しかも、医者に言えないとか。
「その、義父に診てもらうことは、出来ないのか?」
勇者の証の力を使わなければいいのは当然のことだが、このままというわけにもいかないだろう。一度ティフィアの体のことを知ってる人に診てもらうのがいいと思っての発言だったのだが。
「―――それは、」
言葉が詰まったのか、ティフィアは一呼吸おいてから「出来ないんだ」と続けた。
「………なら、なおさら無駄な戦闘は避けるべきだな。ニアとレイには、とりあえず風邪っぽいとでも、」
「ダメ!……言わないで」
唐突にティフィアはアルニの腕を縋るように掴んだ。
アルニを見上げるその黒曜石は、揺れていた。
「お願い。特にリウには……言わないで」
リウ。
度々ティフィアが、リュウレイをそう呼ぶことがある。そしてよく怒られてたな。
「………分かった。けど、無理はするなよ」
こんなことを言っても、無駄だとは思うが。
ティフィアは安堵したように頷き、それから小さく、本当に小さく「ごめんなさい」と呟いた。
何に対しての謝罪なのか分からなかったので、アルニは何も言わず、聞き流した。




