8.嗤う道化師
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カツカツと大理石の長い廊下を歩きながら、ときおり部下やメイドが怯えたように頭を下げるのを何とも言えない面持ちで見下ろす。そうして行き着いた先の、ステンドグラス仕様の扉を開け、脇に居た部下を出て行かせたところで、クローツ・ロジストは少し躊躇いつつも奥へ進む。
――ここ、ミファンダムス帝国の深緑宮の中庭は、王族の立ち入りしか許されない、それは美しい場所だ。世界中の美しい、貴重な植物で溢れ、有名な彫刻技師に作られた噴水、人口太陽光、絶滅危惧種の七色の鳥までいて、その装いはまるで俗世と切り離した楽園のようだ。
「―――――陛下」
中庭の奥、少し開けたその場所に蹲る男に声を掛ければ、彼は「来たか」と振り返る。
透き通るような淡い蒼色の長髪をうなじのところで一つに束ね、思慮深い切れ長の黒曜石の瞳、喪服に身を包んだその男こそ―――ミファンダムス帝国の二九代目皇帝陛下ラスティラッド・ルディス・ミファンダムスである。
「おいクローツ、前にも言っただろ? 二人きりのとき、そしてこの場所にいるときは、“幼馴染み”という関係で接する、と」
ニヤリと笑みを向けられ、クローツはふと彼の前にある一つの墓へと視線を移す。
「ああ、お前もちゃんと挨拶しろ。クローツ、あれからここに一度だって来たか?」
「………いや。ただ、話すことがないんだ。今は、まだ」
「ふん、相変わらず真面目な男だ。姉上もさぞあの世で嘆いていることだろう。可愛がってた弟のような存在に、無碍にされて」
「…………」
「―――あれから、もう8年だ。我々が世界を欺いて、8年が経った。勇者が自害し、そのどさくさに紛れて父上を殺し、我が帝位に立ち、帝国内に蔓延る蛆どもを一掃し、世界のシステムの目を欺き、姉上が死んでから」
「ラスティ」
「ふん、不用心か? だが、お前が我の言葉を止めなかったということは、誰にも聞かれていないということだ」
「………」
「魔王は存命。勇者リウルが死んでから、代わりの勇者は現れる気配もない。魔族どもは各地で不穏な動きをしている。――――だからこそ、これは仕方のないことだ。我々はもう邪の道を歩んでいる。止まることなど出来ん。……そうだろ?」
クローツは頷き、同意した。確かに、それ以外の道などないのだから。振り返ったその道に、例えどれだけの骸が転がっていたとしても。
「――『勇者計画』は順調に進んでます。ただ、一つ気になることが」
「なんだ?」
「今まで動きの無かった穏健派の魔族が王都クィーフィにて出現し、勇者と、レッセイ・ガレットという男の身柄を要求してきたようです」
「穏健派が? なぜ今更……」眉を顰め、レスは続ける。「で、そのレッセイという男は何者だ」
「貴方も知ってる方ですよ。レッセイ・ガレット―――本名、ガ―ウェイ・セレット」
「!……なるほど、ヴァルツォン・ウォーヴィス元騎士団長の師匠だったか。ということは、やつも隠れることに飽きて動き出したということか」
ラスティは立ち上がり、一度伸びをすると「それなら捕まえる好機だな」と呟くと、クローツの元へやってきて、その肩に手を乗せた。
「結局仕事の話に乗せられてしまったな。……クローツ、我はお前を信じているぞ」
それだけを言い残して、ラスティは中庭を出て行った。
――――また、目を合わせられなかった、とクローツはぼんやりと思っていると、
「大変だね、裏切り者は。大変だ、大変だ」
あははっという笑い声に、即座に抜剣して振り向きざまに一閃。鋭い一撃は、しかし、いや、やはり宙を斬っただけ。
「そろそろ学習するといいよ。どうせ君であろうと誰であろうと、おれを斬ることは出来ないんだから」
視線だけを墓の方へ移せば、そこには白いフードを目深に被った男がいた。
クローツより少し小柄な彼は、くつくつと肩を震わせて嗤う。
「でも君はすごいね、今のとこ君の思った通りに事が進行してるんじゃない? 掌の上で転がされてる駒だって知ったら、あの陛下、怒るかな? 泣くかな?」
「黙れー―“道化師”」
「あれ、君の方が怒った? でも、これは全て君がしたことだよ? おれはまだ何もしてないよ?」
何もしてない? よく言う、とクローツは内心吐き捨てた。
掌の上で駒を転がしてるのは、この男だというのに―――!
「……、その場所から退きなさい」
「ん? ああ、可哀想なお姫様が眠る墓地に、土足で踏み込むなってことかな?」
「ッ、貴様が!」
貴様がいなければ、きっと彼女は今も笑って生きていた!――そう続けようとした言葉を、クローツは呑み込んだ。奥歯を噛み締める彼の姿を嘲笑うように、フードの男は嗤う。
「あははっ、辛いね。可哀想だね。でも、過去は取り戻せない。そう、失ったものは、取り戻せない! あははははっ! 大変だね、大変だ。この世界に生きる全ての者たちは、愚かで憐れで、どうしようもなく救われない!」
でも、とフードの男は謡うように続けた。
「大丈夫、おれが全部取り戻してあげるから」
不条理で不平等で不完全で、どうしようもなくどうしようもないこの世界を、
「―――おれが救ってあげるから」
その言葉に、希望を見出してしまう己に憤りが隠せず、クローツは乱暴に剣を納める。
この男が『救う』というならば、そうなるのではないのかと思ってしまう。信じてしまう。
そんなクローツの葛藤に、男は笑みを浮かべながらつまらないな、と思った。
――クローツはおれを憎んでいる。だけど、それ以上に彼には護るべきモノも、やるべきことも多い。だからこそ、自制心が働く。純粋な憎悪も嫌悪も、そこにはない。
そこでふと思い出す。
あの澱んだ灰黄色の双眸を。
一心不乱に憎悪だけを満たしたあの幼い少年の瞳を。
そろそろ期は熟したかな、と男は嗤う。
「ねぇ、クローツ・ロジスト。種は全部蒔き終えて、あとは見てるだけでしょ?……そろそろおれも、動きたいんだけどなぁ」
「……分かりました。ですが、契約は順守してくださいよ。特に、そのフードを取るとか」
そうだねぇ、と言いながら、男は顔を隠していたフードを降ろした。
「そうだよねぇ、この顔はマズいよねぇ」
緑がかった紺色の、少し長めの髪が揺れ、群青色の瞳が晒される。
「―――――リウル・クォーツレイ」
思わず呟いたクローツに「それはおれの名前じゃないよ」と訂正する。
「……」
「大丈夫、おれは言いつけを守れる男だよ? 今までだって大人しくいい子にしてたじゃん」
「…………面白半分に、計画をぶち壊さないようお願いしますよ」
「うんうん、分かってるって。ここまで頑張ってきたもんね。ほら、そろそろ持ち場に戻らないと、誰か探しに来ちゃうかもよ?」
渋々と中庭を出て行ったクローツを最後まで見送り、それからフードをもう一度被り直すと、さて、と彼は言った。
「8年ぶりに、アルニに会いに行こう」
リウル・クォーツレイによく似たその男は、その瞳を愉悦に歪ませ、嗤った。
***
これにて一章は完結となります。




