6.彼女のスタート地点
王都クィーフィ―は地下都市だ。だからこそ大規模な火事が発生した場合、煙を逃がす手段として大きな換気扇が層ごとの天井に設置されている。普段は見えないようになっているが、緊急時はその姿が露わになるのだが、アルニがこの街に来てから、それを見るのは初めてのことだった。
ゴウンゴウンという地響きにも似た音を立て、フル稼働しながら沸き上がる黒煙を地上へ追い出す。
――だが、炎は依然としてその猛威を振るっていた。
「くそっ、どうなってんだよ……」
痛みと血にまみれた左肩を抑えつつ、アルニは立ち上がって周囲を見渡す。
沸き上がる炎。遠くから聞こえる人々の悲鳴。それから誰かの罵声と、どこかで何かと戦っている音。
………確か、ニアと戦っている最中、何か嫌な感じがした。それで彼女を突き飛ばして―――ああ、そうだ。割れる音。それから衝撃があって、たぶんそれで気絶したのか。
「つまり、何かに襲撃されたってことか」
だとすれば、近くに誰もいないのは頷ける。兵士も、ならず者たちも、おそらくその襲撃犯を追って移動したのだろう。
「ティーたちも、行ったのか……?」
襲撃犯を追って果敢に戦うティフィアの姿が想像できない。ニアやリュウレイはともかくとして、精神が弱そうな彼女は大丈夫なのだろうか。
「……」
でも、ここには王国軍もいる。アレイシスや、彼女に匹敵するようなやつらもたくさんいる。戦力としては、むしろ襲撃犯の方が可哀想なくらいだ。
「…………」
追ってたやつらにティフィアたちが巻き込まれてたとしても、きっとやることもなく右往左往してるんじゃないだろうか。みんな闘技大会で彼女たちの戦力は理解してる。ニアとリュウレイは、襲撃犯ぼこ殴りに参加させられてそうだ。
「……………」
なのに。
そう思えるのに!
どうしてずっと嫌な予感が拭えないんだ――――?
「……様子だけでも、見に行った方がいいか」
見ればきっと、この不安はなくなるだろう。
そう自分に言い聞かせながら、炎を避けつつ声が騒がしい方へと足を向けた。
―――だが、その行く手はすぐに阻まれることになる。
「っ!」
視界の隅から突然飛び出してきた、黒い塊を咄嗟に短剣で斬り込む。赤い血を吹き出しながら地面に転がり落ちたのは、黒毬藻だった。深い森に生息し、生き物の血を吸う、直径15センテほどの黒い毛の塊である。魔物の一種で、血を吸う以外は特に害はない。ただ、こいつは1匹見たら近くに100匹いると思った方がいいと言われるほど集団で行動をしており、それだけの数に群がられたら、ミイラになるまで血を吸い取られる。
魔物が街にいることにアルニが愕然としていると、すでに死んだと思っていた黒毬藻が最後の力を振り絞って体を小刻みに震わせ始めた。それを見た瞬間、アルニはなりふり構わずその場から走って逃げだす。
―――仲間を呼びやがった!
雑魚であろうと100匹相手にするのは、負傷してる今さすがにしんどい。幸い、黒毬藻は黒鉄狼と違って速度が遅いため、すぐに撒けたが。
「なんで魔物が………―――っそうか! あの割れた音、結界だったのか」
結界を失くし、魔物たちが街に侵入してるのか。地下都市で普通の魔物は入り込めていないようだが、黒毬藻のように小さい体のやつなんかは、どっかの隙間から侵入出来たようだ。
でも普段は森の奥にいるはずの黒毬藻がどうして……?
いや、それよりも結界をなんとかしないと、羽を持った魔物が侵入してくるかもしれない。
―――リュウレイなら。あいつなら、もしかしたら街を覆えるぐらいの結界、つくれるかもしれない。
おそらく都市の結界は修復に時間がかかっている。一時的にでも魔物の侵入を阻んでもらえた方がいい。王国軍が一般市民を守っているだろうが、数や力で圧倒されればどうなるか分かったものじゃない。……リッサも無事であればいいが。
とにかく、行くしかない。
アルニは覚悟を決めて、襲撃犯がいるであろう場所へ走り出した。
建物の被害が激しく、騒がしい場所へ向かえば、そこはやはり大規模な戦場となっていた。
ならず者たちと騎士たちが血まみれで倒れ、心なしか炎の熱が高く、喉が渇く。
「アルニさん!」
魔法で掌につくった水を飲んでいると、不意に呼ばれた。見れば、継ぎ接ぎの服を着た痩身の青年がこっちに来た。アレイシス傭兵団の使いっ走りの……確か、トニー、だったか?
「やっぱり来たんですね、姉さんの言ってた通りだ!」
はい、これ。と渡されたのは、体力用魔力用、それぞれの回復薬だった。それを有難く飲ませていただき、ついでに戦況を聞けばトニーは眉を顰めた。
「正直、ぼくらが押されてます」
「は? お前らの団長がいんだろ!? それに、」
「王国軍の方々は、魔物の対処をしつつ一般市民の保護をしています。……騎士の方々の大半は、数日前から魔物調査で王都を出払ったまま帰ってきてないようです」
魔物調査……?―――もしかして、あの赤い大蜘蛛針の?
「現在は王都にいた傭兵団と賞金稼ぎ、それから闘技大会の参加者が襲撃犯と交戦中なんですけど……―――っあんな“化け物”に敵うわけがない!」
語尾を荒げるトニーの様子に、アルニはなんとなく襲撃犯の予想がついた。ついてしまった。
「トニー、もしかして襲撃犯っていうのは」
「―――はい、魔族です」
魔族。
レッセイですら追い返すのがやっとで、しかも代償として引退に追い込まれざるを得なかった怪我までさせた、あの化け物か。
むしろ、いまだに王都が陥落されていないのが不思議なくらいだ。アレイシスたちがそれだけ命がけで頑張ってくれているのだろう。
そして、魔物がいた理由もそれで納得した。魔族の中には、魔物を召喚したり呼び寄せることが出来る者がいるらしい。
「アルニさん。お願いです、姉さんたちを助けてください! ぼくは……、ぼくは弱いから!」
握りしめた拳から、細く血が滴る。使いっ走りである彼には、きっと自衛は出来ても魔族と対抗できる力はないのだろう。だからこそ悔しそうだった。その気持ちを、アルニもよく理解できる。自分も最初はそうだったな、と苦笑した。
「もちろん。――ただ、その前にしておきたいことがあるんだ。だから、知ってたら教えて欲しいんだが、勇者一行がどこにいるか知ってるか?」
どちらにせよ、やはり結界をまずどうにかしないといけないと思い聞けば、トニーは再び眉を顰めて言った。
「知ってますが………あの人は本当に『勇者』なんですか?」
不快そうに、それでも案内してくれたトニーに詫びを入れ、それからアルニは振り返る。
そこには、建物の中で膝を抱えて震える少女と、そんな彼女を守るように立ち憚る少年がいた。
こうして見てると、本当に姉弟みたいだな、と思いつつ、アルニは生意気そうな少年に「ニアは?」と尋ねれば「近くで魔物と戦ってる」と不機嫌ぎみに返してきた。
「………お兄さんも、お嬢を戦わせるつもりなん?」
きっと、勇者だからと周囲に言われたんだろう。勇者なんだから。魔の者を倒せるのは、勇者しかいないんだから。戦え。戦ってくれ。人々の平穏のために、と。
だからアルニは首を横に振った。
「いや、レイ。お前に頼みたいことがある」
その言葉に、何故か少女の肩が揺れた。
「オレに頼みたいこと?」でもリュウレイはそれには気付かず、訝しげに首を傾げた。
「この街―――王都を結界で覆って欲しい」
「………」
「この街の主戦力が魔族と交戦してて、これ以上魔物の侵入を許せば、一般市民の安全もそうだが、魔物と魔族が共闘するようになれば、さすがにまずい」
魔族相手ですら手に余っている状態なのに、更に魔物が加われば一気に均衡は崩れる。
それはリュウレイたちも理解しているはずだ。そして、結界の重要性も、また。つまりアルニが頼まずとも、リュウレイは分かっていただろう。それでも今までやらなかったということは、それはやりたくてもやれなかったということだ。
「………………………………お兄さんは、お嬢に期待してないん?」
長い沈黙の末、リュウレイは言った。
「お嬢は勇者で、オレたちは勇者一行なんに……こんな体たらくで、幻滅したん?」
紅い瞳が、アルニを見上げてくる。そこにこもっている感情は複雑すぎて、どういうつもりで聞いているのかは分からない。だからアルニは一つ溜め息を吐き、それからティフィアの元へ近付く。
リュウレイがこれほど感情的になるのは、きっと彼女のためだと思うから。
「……ティー」
「………」
呼びかけに、少女は答えない。
アルニは床に膝を着き、それからゆっくり手を伸ばす。
「痛いだろ。……そんな強く噛むな」
下唇を指で触れる。噛み切ったのだろう、血が流れていた。
触れたことに驚いたティフィアが顔を上げる。濡れた黒曜石の瞳に、アルニは初めて彼女と出会ったときのことを思い出す。……あのときも泣いてたな、こいつ。そのときは金を盗まれたことに、だったが。
「ティーは泣き虫だな」
羨ましい、とアルニは笑う。
「俺は、泣けないんだ。泣きたくても、泣けなかった」
記憶がないことに不安を感じても。血の繋がった家族がいないことを寂しいと感じても。
レッセイにしこたま怒られたときも。魔物に仲間が食い殺されたのを見たときも。
「ティー。……あのときは、本当に悪かった。俺は、俺もよく分かんねーんだけど、『勇者』だけは、どうしてもな……」
「っ、それはっ!……いいの。僕は、気にしてない、から」
「そっか。……ありがとな」
「ううん。それより、ニアが、ごめんなさい」
「お前が謝ることじゃねーだろ。……それに、ニアのしたことは間違ってねーよ」
「………アルニ」
「ん?」
「僕は、――――僕は“出来損ない”なんだ」
「…………」
「僕は弱いから。強くもないし、馬鹿だし、意志も、弱いし……」
なのに、とティフィアは続けた。
「なのに、どうしてアルニはあんな風に言ってくれたの?」
それは、いつのことで何と言ったときだろうと首を傾げると「闘技大会で僕に言ったことだよ」と本人から教えてくれた。
確か、あんなやつお前なら勝てる、とか。戦えとか言ったやつ?
んー、とアルニは少し考え、それから良い返しも思い浮かばなかったので、普通に「だって、お前強いから」と言った。
「ティー、お前なんでそんなに自信がないのか分かんねーけど、お前は純粋に強いぞ?」
「っ、そんなこと!」
「現に俺は助けられた」
「―――――」
「それにミシェルにも勝っただろ?……まぁ、正直ニアより強いとは言えねーけど。素質はあるし、もっと経験積めば、」
「―――ちがう、ちがうよ、アルニ! 僕は、僕は『勇者』なんだよ!」
アルニの言葉を遮り、ティフィアは違うんだと首を横に振る。
「強くないと誰も守れない! 強くないと敵を倒せない! 強くないと、強くないと、――――『勇者』じゃない!」
勇者、か。アルニは目を伏せ、考える。
ティフィアが言う『勇者』は、きっと先代のリウル・クォーツレイのことを指しているのだろう。歴代最強の勇者。たった一人で、世界を救った英雄。
でも、アルニは知ってる。愉悦に歪んだ、群青色の瞳のことを。その男が、自分の全てを壊したことも。―――それだけは、知っている。
だからこそ、思う。
「それは『勇者』じゃねーよ」
「っ、」
「だって『勇者』は人々の希望なんだろ?――――なぁ、ティー。“希望”って分かるか?」
「そんなの……“救い”でしょ?」
魔の者たちからの解放。安寧とした日常の永続。
「そうだな。みんな救われたいと望んでる」
「じゃあ!」
「俺は、さっきティーに許されて、救われた」
「……え」
「そう言えば試合中にニアも言ってたな。自分もリュウレイも、ティーに救われたって」
「そ、それは……」
「敵を倒すことで救われる命があるのも確かだ。でも、それをやるのは『勇者』である必要はねぇよ。国にはそれぞれ軍もあるし、騎士だっているし、傭兵団やら自警団みたいなのだっている。力仕事とか荒事は、そういうやつらに任せればいい」
レッセイやアレイシス、ニアのように、勇者じゃなくても強いやつはいる。
「人には得手不得手があるだろ? 勇者だって人間なんだから、強さに固執する必要はねーよ。それでも勇者なのにとか言うやつがいたら、胸を張って言い返せばいい。―――僕は心を救う勇者です、てな」
言葉にすると陳腐で、なんか気恥ずかしいものがあるけど。
「だから―――ティフィア。お前は出来損ないなんかじゃない。ちゃんと『勇者』やってるよ」
ぽろ、と。
ぽろぽろぽろ、と。
ティフィアの瞳からとめどなく、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「っ、っ、っ、」
なにか口にしたいのだろう、それでも言葉にならなくてただ嗚咽に代わる。
「っ、ぅう、うっ、うぅ、ぅあぁぁあああああああ」
嗚咽は慟哭へ。慟哭は―――決意へ。
アルニは知らない。
このとき、ティフィアは初めて自分が『勇者』であることを、本当の意味で覚悟したことも。
リュウレイとニアと共に、帝国から逃げるためだったこの旅に、新たな目的が加わったことにも。




