2.ラージとミュダ
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ミュダの持つ『グアラダ』の記憶はラージの出会いから始まる。
彼女の記憶は常にラージが中心で、それ以外はほとんどぼやけていた。
それが変わったのは――否、それを変えたのは、反乱軍の一人の言葉だった。
「グアラダ、教えてくれないか? 俺たちはどうすればラージさんに信用してもらえるんだろうか」
恥ずかしそうに頬を掻き、それでも真っ直ぐ見つめてくる彼の視線に嘘偽りはないと直感した。
一人が言えば、周囲にいた兵士たちも俺も知りたい! と我先に手を挙げて駆け寄ってくる。残念なことに全員ではなかったが、しかしグアラダにとってその瞬間世界が広く感じたのは間違いない。
ラージと歳が近い人、ラージの勤勉さに尊敬する人、ただ仲良くなりたい人。
ざっと20人くらい。それでも彼らはラージと親しくなりたい、信頼してもらいたいと本気で思っているのだ。
――それが、ただただ嬉しくて。
(ラージは一人じゃない)
少し寂しい気もしたが、それ以上に歓びが勝る。彼を心配し、慕う人たちがこれほどいることが誇らしい。やはりラージはすごい。
「分かった。まずはラージのことをよく知るため、講義してやろう」
「うげっ」「でた、ノロケだよ……」「言いたいだけじゃん……」「ドヤ顔むかつくよな」
うるさい彼らに一瞬殺意を向ければ途端に黙ったので、そのまま10時間ほど講義した。休憩も挟まなかったのでブーイングやら途中寝てるやつもいたが、それでもわりと真剣に聞いていた。
彼らは大丈夫、そう判断しラージと引き合わせたり一緒に食事もした。
きっと彼らの気持ちも届くだろう、と。
――――ラージの心の壁は、グアラダの想像以上に分厚く高かった。
「グアラダ、すまないが……反乱軍の彼らとは一定の距離を置きたいんだ」
「な、何故ですか?」
「母上が管理していた間は問題なかっただろうが、行方不明になって俺のところに来るまでの期間が不透明だ」
「……確かひと月ですよね? 彼らが元々拠点にしてたのはグラバーズ国との国境付近です、そこからここまで忍んで来たのなら日数としてはおかしくないかと」
「母上が彼らに物資の横流ししていたというのに敬意も感じられない。その上、こんな俺と親しくなりたい……? ふんっ、腹の内は真っ黒かもな」
「若! さすがにそれは言い過ぎです。彼らはあなたのお母様よりラージを慕って――」
「っそれが信じられないと言ってるんだ!!」
珍しく声を荒げたをラージは、グアラダの後ろ――執務室の扉が少し開いており、そこから顔を覗かせていた一人の兵士に気付いて咄嗟に目を逸らした。
だから気付かない。兵士が悲しげに目を伏せて背を向けたことも。
そしてグアラダは気付いていない。そのせいでラージと反乱軍との間に大きな溝が出来てしまったことも。
やがて月日が経つ事に溝は深く広くなり、グアラダが気付いたときにはもう取り返しがつかないところまできていた。
ラージが用意した新しい反乱軍の拠点に、なんとなく立ち寄ったのは本当に偶然だった。最近は薬草商会の方が忙しくラージの護衛で常に付き従っていたため、彼らと会うことがなかったのだ。少し時間が出来たので、気になっていたのもあり拠点に入る。
いつもはうるさいくらい活気づいた声は鳴りを潜め、掃除もしてないのか埃臭くゴミが散乱していた。しかし明かりだけは煌々と点いており、それが不安を煽る。
「誰かいないのか!」
思わず声を発すると通路の置くから呻き声が聞こえた。まさか襲われたのかと最悪な想像をしながら駆け寄ると、通路の壁に寄りかかり口から涎を垂らす兵士がいた。
大丈夫か、と声を掛けるよりも鼻腔を掠めたのは甘ったるいニオイ。そして兵士の周辺に散らばる乾燥したメグノクサの花に、想像を超えた最悪な事態に目眩がした。
「ぁ……ぐぁ、ら……だ………?」
よく見れば兵士の顔に見覚えがあった。
――「グアラダ、教えてくれないか? 俺たちはどうすればラージさんに信用してもらえるんだろうか」
そう言った記憶の彼と、目の焦点も合ってないひどくやつれたこの兵士の顔が重なる。
「っ、どうして――どうしてこんなもの……ッ!」
「お、おれ、たち、も、ぐぁらだ、みたぃに、や、やくに、立てば……て、おも、て」
「何を言ってる……?」
「へへっ、――しんやく、かぃはちゅ、して、う……きいた、ぞ」
「新薬……? 開発? なに、言って――」
「いいなぁ、これぇ。……へへへ、なぁんか、ど、どーでも……よくなる、な。ずっと、つかれて、たから。へ、へへ、――これで、い、いい、んだぁ……」
彼の口角は上がってるのに、目尻から涙が零れていた。
グアラダはこれ以上彼の姿を見ることが出来なくなって離れる。そして近くにあった食堂へと入るとそこには多くの兵士が、さきほど会った彼と同じように麻薬に犯されていた。
「……なんだ、なんだこれは。なにが、起きて……」
「――ようやく来たのかよ、グアラダ」
食堂の入り口で樽に入った水をがぶ飲みしていた兵士が、呆れた眼差しを向けていることに気付いた。彼は反乱軍の中でも年長の男だ。しかし以前見たときのような頼もしさや威厳は消え、手入れもしてない髭と気だるそうに背中を丸めた姿はまるで浮浪者のようだった。
「ひでえもんだろ。――ここにいるのは麻薬中毒者と、看病してやつれた兵士しかいねえよ」
「なにがあった! 私が前に来たときは普通だったじゃないか!」
「そりゃあ皆隠してたからさ。……お前、メビウスの娘だったんだな」
ギクリと体が硬直した。なんで知っているのか、視線だけで問うと男は溜め息を、それはもう深く長い溜め息を吐いた。
「今だから言うけどな、俺は最初ラージが気に入らなかった。ガキのくせに可愛げがねぇ。弱っちいくせに頼ることも知らない、戦友を信じることも出来ない……思春期こじらせたくそガキだって思ってた」
「お前ッ」
「あー待て待て、最後まで聞けって。――今は同情してんだ。俺たちが思ってた以上に、ラージの敵は多くてずる賢い。メビウスがその筆頭だな。あいつに比べたら女王サマの方がまだマシだ」
「――麻薬は……メビウスが?」
「1年くらい前か。一部の野郎どもにだけメビウスがある話を持ちかけやがった。ラージは今新薬を開発中で、だから薬草協会の方にかかりきりだってな―――」
「ラージは君たち反乱軍を維持するための経費を薬草協会で稼いどる。だけど先日君らが作戦失敗したせいでそのミスを穴埋めるために、莫大の金を使うてもうた。……口にはしないけどな、このままやと君らラージの負担でしかないんやで」
メビウスが声を掛けたのはラージを慕う者たちだった。
ラージを孤立させ権利書を奪うため、反乱軍とラージが一致団結するという最悪の未来を潰すため――メビウスは麻薬を溶かした物を薬草協会の新薬だと嘯いた。
「これは開発中の新薬や。これが世に出ればラージはもっと稼げて楽になれるやろ。でも被検体が少なくて嘆いてるのを聞いてな、俺も助けてやりたいんや。どうや、一緒にラージを助けへんか?」
役に立てば、助けることが出来れば――ラージは心を開いてくれるかもしれない。
彼らは疑うこともせずメビウスの口車に乗せられてしまった。
「―――そうして騙された中毒者どもは、最初こそラージに知られたくなければって脅されて、今度は麻薬欲しさにメビウスの命令を聞くようになっちまってな。食堂の料理にも麻薬混入させやがって……」
男はずるずると力が抜けたように膝から崩れ落ちると、水樽に顔を隠して肩を振るわせた。
「悪い。俺たちはもう、ラージには信じてもらえねぇだろ。お前さんが色々掛け合ってくれてたのに、無駄にしちまった。匿ってくれた上に、死んじまったリーダーの代わりみてぇに慣れない指揮官までやらせて……なのに俺たちがこんな体たらく…………っクソ!」
くそ、くそ、くそ! 男は水樽に何度も額をぶつけた。
グアラダは、何も言えなかった。
反乱軍の動向を逐一教えていたのは自分だ。この拠点の場所も、当然教えている。
――私のせいだ。
でも、だからこそ――言わなければいけないことがある。
ずっとラージと一緒にいたグアラダだからこそ、言えることがある。
「……みんなに伝えて欲しい。ここにいない者も、中毒になった者にも」
ラージは確かに人を信じない。自身のことすら信用していない。
不器用で鈍くて……優しい、独りぼっちのラージ。
「若は寂しがり屋なんだ」
信じて裏切られることをラージは恐れている。それだけたくさん裏切られてきて、彼の心が傷つけられてきたのだろう。想像しただけで忌々しい。
でも、ラージは信じることを諦めていない。
例えグアラダのことも心から信頼してないとしても――これまでずっと見てきた彼の言動が物語っている。
信じたい、と。
「―――だから、側にいてあげて欲しい」
私だけではラージを守り切れないかもしれない。そんな未来、あって欲しくない。でも、それでもラージの味方を一人でも多く作ってあげたい。
ここにいる麻薬中毒者たちはラージの役に立ちたくて騙されてしまったが、逆に言えば彼らがラージを裏切ることはしないだろうから。
男はグアラダの頼みをゆっくり噛み砕くように目を伏せると、不意に小さく笑みをこぼし、顔を上げた。
「ああ、必ずみんなに伝える」
***
――――――――ティフィア、アルニ、レドマーヌが元魔王ヴァネッサに会いに行ったすぐ後。
「どうした、ミュダ?」
教会に向けて出発するところで足を止めた猫を、ラージは訝しげに振り返る。
「……本当に反乱軍のやつらを説得できるのかみゃ?」
「今更な質問だな」
「心は折れ、麻薬に溺れた兵士に言葉は届かない。声が届かないのに想いを伝えることは出来ないみゃ」
少し離れたところで、カメラ・オウガンもまた興味があるのか黙ってラージの答えを待つ。
「……俺は――グアラダとずっと一緒にいた。それでもすれ違ってしまった」
言葉も声も、足りなければ伝わらない。語りかけても本心や感情をそのまま伝えることは難しい。
ティフィアのあの不思議な力で、グアラダの心に触れて分かった。
想いは、向き合うことでしか伝えることが出来ないのだと。
「伝わるまで言葉を紡ぎ、声をかけ続ける。俺は信じると決めたんだ。――グアラダが信じてくれた自分自身のことを、そして彼らのことを」
「ラージの言葉とは到底思えないね、そんな感情論」
呆れるカメラの言葉に、小さく笑う。
「そうだな。でも理屈で心は動かない、信じなければ想いは伝わらない。もう目を背けることは止めた、疑い続けるのも終わりだ」
前を向き、前へと足を踏み出すラージの背中に飛び込むとそのまま肩に乗った。
「でもどうせ、秘策はあるみゃ?」
カメラに聞こえぬよう確信めいた口調の猫の囁きに、彼は口角を上げて応える。
そう、麻薬の中和剤は出来なかった。短期間でそれを作るには至らなかった――が、ミュダの言う通り秘策はある。
もちろん馬鹿正直にカメラの前でそれを教えることはしない。
「ミュダ、前に話した通り――」
「分かってるみゃ、私に任せろ」
「ああ、任せる。その後は全部俺がなんとかする」
いつだってグアラダが道を切り拓き、ラージが策をもって仲間たちを誘導し成功に導いてきた。
グアラダのその役割がミュダに変わっただけだ。
この一人と一匹なら大丈夫だろう、とカメラは安堵する。今はティフィアの数少ない仲間を一人でも欠けさせるわけにはいかない。
それよりも気がかりなのはゴーズとサーシャのことだった。
――魔術師と魔法師、二人きりにさせるのは危険かもしれない。
ガ―ウェイもいるが彼には別の目的があるようだし、それに魔法や魔術に詳しくない。それにサーシャはあまりにも幼い。何かあっても抗うことは出来ないはず。
さっさとラージたちを教会に送り届け、一度ゴーズの家に戻ろうと決めた。