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……言い訳をすれば、ただ見ていられなかっただけだ。と、自分で自分に弁解しつつ、アルニは一つ溜め息をこぼす。
まぁ……正直言えば、ティフィアがあそこまで動けるとは思ってなかったが。
―――しかし、リュウレイにしてもティフィアにしても、その実力はやはり申し分ないくらいだ。だからこそ、惜しい、と言わざるを得ない。もっと戦闘における経験値と知識、観察力を磨けば、リュウレイはアレイシスに勝ってたかもしれないし、ティフィアは苦戦することもなかっただろう。
旅をしているという割に、あの二人は“弱すぎる”。まぁ、原因ははっきりしてる。十中八九、ニアという女のせいだろう。
――すでに一回戦を勝ち抜いた選手たちは、続く二回戦でもなんとか勝ち抜いた。ちなみに圧勝してたのはニアとアレイシスで、苦戦しつつも辛くも勝ったのは俺とティフィアだ。
トーナメント表を見ながら、それにげんなりしていると、ふいにアルニは違和感に気付く。
「そういえば、兵士、参加してなかったな……」
もっと王国軍の騎士が我こそはとばかりに参加して、賑わっているのかと思ったが。参加者人数も16人だけだったし、ティフィアたち勇者一行を除けば、みんなならず者たちばかりだった。……ミシェルとか言う貴族も紛れてたみたいだけど。
「……なんかあったのか?」
『さぁ―――どんどん盛り上がってきてんぜ、闘技大会ッ! ついに準決勝戦だ‼ ちなみに俺は個人的にアレイシスを応援してるぜ! 俺の人生、アンタに賭けてる!』
こういうときルシュがいれば、すぐに答えをくれるのになと思いつつ、アナウンスの声にはツッコミは止めた。いや、分かってた。なんとなく分かってた。つーか大々的に賭博関与アピールして大丈夫なのか。……まぁ、俺には関係ねーけど。
「行くか」
アルニは広場へ向かう。―――勝算は、ない。だが、この試合、絶対ェ勝つと意気込みながら。
「ティフィア様は、慈悲深いお方なのです。だから―――貴様のような害毒にすら、手を差し伸べる」
「………は?」
広場にはすでにニアがいた。褐色のボブヘアーと切り揃えられた前髪、吊り目がちな左目には泣き黒子。何度見てもミアに似てるが、同色の薄桃色の瞳に宿る感情の色は全く別物だと言える。
ミアはやはり王族の人間と言える、疑心と愉悦と知性に歪んだ色。
ニアにはそこまでの複雑さはなく、ひたすらまっすぐな殺意と嫌悪感に満ちた色を向けてくる。
そして、そんなニアは、アルニと対峙した直後に意味の分からないことを言ってきた。……いや、意味は分かるか。俺がティフィアを殺そうとした件の話だろう。だけど、ティフィアが慈悲深い……?
「あのお方はいつもそうだ。それに私もリュウレイも救われた。……しかし、それにつけ込む害毒がいるのも確かです。それを排除するのが、私の使命。私の天命」
「……」
あれ、なんだ。俺はニアって人はただ、リュウレイ同様過保護な人なんだと思ってたんだが……。
「―――命までとりません。それがティフィア様が望まれたことですから」
だから、その腕二本だけで済むなら、安いものでしょう?
微笑まれた。その瞬間、背筋がぞくりと凍え、『試合開始!』と無慈悲なアナウンスの声が聞こえた。
「こ、いつ!」
信者か! しかも城を案内してくれたオルドと同等か、それ以上の勇者妄信者!
アルニが顔を引き攣らせている間にも、ニアはすでに二人の距離を縮めていた。瞬き一つくらいの、本当に一瞬のことだ。目前で彼女はもう抜剣しており、下段から剣を振り上げようとしている。
「っ、ぐ!」速い! 速すぎる!
ほとんど勘で、咄嗟に短剣をわき腹辺りに添えれば、そこに重い一撃。だが、当然それで終わりではない。
「貴様の戦い方は分かってる。小細工する隙さえ与えなければ、どうということもない、ということも」
すでに彼女の剣は一度後ろへ下がり、すぐにアルニの左腕目掛けて剣先を伸ばしていた。それを短剣で軌道を外し、次に首を狙った一閃を弾き、今度は腹部を狙った突きを体を捻って躱し―――――て、絶対こいつ俺を殺す気だよな! と冷や汗流しっぱなしでツッコミながら、この状況はまずいとも考える。
ニアは今までの二回戦とも、開戦直後に対戦相手を瞬殺している。それに対し、アルニは策を弄して苦戦しつつ勝ってきた。しかも、先の口ぶりだと、そんなアルニの戦闘を彼女はきちんと観察し、対応してる。一方でアルニはニアの戦い方を知らない。強いんだとは思ってた。それなりに対応できるように作戦も練った。―――だが、とんでもない。
こんな想像以上の“化け物”を、アルニは知らない。
純粋な戦闘力はもちろん、戦い方もよく分かっている。むしろ、対人相手での戦闘経験値が圧倒的に少ないアルニの方が、不利だ。いや、そもそも強すぎる。経験値があったとしてもこの人に勝てるかどうかすら怪しい。
「ティフィア様を誑かす害毒め、――――殺す」
ひゅんっ、と風を切る音。咄嗟に頭を下げれば、数本の髪の毛が宙を舞った。
やっぱり殺す気かよ、と思いつつ。
「風の精霊よ」
「魔法ごとき―――っ!?」
アルニの頭上目掛けて剣を振り下ろそうとしたニアの目が、突然の痛みに閉じられる。アルニはにやりと口角を上げ、無防備になったニアの太腿を短剣の柄でぶん殴る。
「ぐっ」動きにくくなるからか、足には防具をつけてなかった彼女の右足が、痛みに力を失い、すぐにアルニは顎目掛けて膝を上げるが、ニアの手に止められ、すぐに捕まれる前に足を引き、距離を取る。
「……髪の毛、ですか」
「ああ。化け物には、化け物と相応の手を、てね」
そう、巨鬼の足を止めるために使った手と同様のことをした。魔物であろうと人間であろうと、目に異物が入れば咄嗟に目を閉じたり涙を出すだろう。そんな一瞬の隙があれば、アルニには充分だ。
「ですが、たったそれだけの―――」
「それだけのこと? なぁ、アンタ。忘れてねぇか? アンタはそもそも俺に一撃すら与えられてねーんだよ」
「――っ」
まぁ、本当に勘だけでなんとか防げてただけなんだけど。それに一撃でも当たったら、確実に死んでるし。
そんな本音は隠し、余裕そうな表情でアルニは挑発を続ける。
「アンタさぁ、勇者の仲間なんだろ? こんな雑魚レヴェルの俺に、ここまで翻弄されてて恥ずかしくねぇ?―――正直、こんな弱いとは思ってなかったわ」
「……弱い? 私が?」
ちりん、とニアの鈴が音を立てた。
「……………なるほど。確かに最近は本気を出せる相手もなく、鈍ったと言われれば否めません。―――いいでしょう、少し本気を見せます。……リュウレイ、結界の補強を」
選手観戦席にいたリュウレイが立ち上がり、渋々と杖を出して魔術紋陣を展開する。その隣でティフィアが慌てて立ち、何かを言ってるが周囲のざわめきで何も聞こえない。
リュウレイの視線がアルニに向けられ、自業自得だよと呆れたような眼差しが一瞬見えた。
そこでアルニは思った。
もしかして挑発してはいけない相手だった……?
広場にすでにあった結界が強化されたのを確認し、ニアは一度剣を鞘に戻し、背筋を伸ばして―――ただ、立っていた。
「?」
しかも目を閉じている。
罠か? でも、なにか仕掛ける前に必要な手順がそれならば、むしろ邪魔するように攻撃したほうがいいか?
「………ちっ」
逡巡した後、アルニは先に動くことにした。持ってた短剣を両手ともニアに向けて投げ、それから彼女に向かって駆けだしながら、小物入れから薬瓶を取り出す。ポーションの類は禁止されているので、回復薬ではない。ただし、空気に触れると固まる液体である。ニアの足下に投げ、動けなくするためのものだ。
間もなく、薬瓶を投擲出来る距離に差し掛かったところで、
「―――“領域変換”」
ちりん、と鈴の音と、ニアの声が重なる。
刹那、
ニアを中心として、世界が揺らいだ。いや、空気が震えているのだ。
そして、アルニは思わず足を止め、自らの首に手を当てる。
「っ、っ、っ!?」
まずい、息が出来ない―――!
呼吸が出来ず喘いでいると、一切温度を感じさせない薄桃色の瞳がアルニを見下す。
「領域使役完了。―――対象者の排除を実行します」
ついに両膝を着いたアルニの頭上に、抜いた剣を翳すニア。薬瓶を投げつけたいところだが、もうそんな力もない。
――――くそ! このままだと本当に殺される……!
打つ手は……本当に、打つ手は、
「―――――せぇ、……れぃ、よ………!」
「死して己が罪を悔い改めなさい」
剣が振り下ろされる。
だが、
「なっ!?」
咄嗟に体を転がしたアルニによって、剣は地面に深く突き刺さることになった。
「―――ぜぇ、はぁっ、はぁっ、はぁっ…………」
げほっ、と咳き込みつつ、アルニはゆっくり立ち上がる。それを信じられないとばかりに驚愕しているニアの表情に、アルニは荒い息を零しながら満面の笑みで言った。
「ふはっ! ざまぁ!」
「~~~~~~~~~~~っ貴様ァァアアアアアア‼」
額に青筋を浮かべたニアに、アルニは勝機を悟った。
なんとか風の精霊を纏い、息が出来るようになったが、アルニの魔力が切れればそれまでだ。本来なら、アルニのことなんて放っておけばいいのに、ついにニアは、アルニが望んだ方向に挑発されてくれた。
――それはつまり、単調な攻撃である。
地面から剣を抜いたニアは、怒りに身を任せて剣戟を繰り出す。だが、最初に比べればやたらと遅いし、何より雑だ。今度は勘ではなく普通に避けつつ、タイミングを見て薬瓶を足元へ投げ、ロモにも使ったレス気体入りの球体をあの鈴にぶつければ―――――
「――――っ?」
そのとき、不意に嫌な予感がした。
ニアの剣が肩に刺さるのも構わず、気付けば彼女の体を突き飛ばしていた。
その瞬間、バキン―――ッ、と何かが割れる音と同時に、視界が真っ黒になった。
そして次にアルニが目を開けたとき、
街は炎に包まれていた。




