1-5
***
――世界が輝いて見える。
そう聞くと希望に満ちた言葉に聞こえるんだろう。
色とりどりの、普通の人には見えない精霊たち。
サーシャの目には常にそれらが見えて、感じて、――サーシャにとっての当たり前を父親に拒絶されたとき、サーシャは輝く世界を呪った。
物心ついた頃は父も母も優しくて、周囲にも羨まれるほど仲良しの家族。サーシャはそんな家族が大好きで、その愛情が変わることを疑わなかったから話したのだ。
精霊が見えること、感じること。
世界がキラキラ輝いていること。
暖炉の火を魔法で熾したサーシャを、父親は青ざめた顔で、畏怖の眼差しで見下ろす。
「や、やめろ……っ! 魔法……な、なんで……俺たちの子供が、……嘘だろ……魔法師?……この国に生まれるなんて………」
「――どうしたの、イーサン。大きい声なんて出して……サーシャ怖がってるじゃない」
外で洗濯物を干していたメイサが騒ぎを聞きつけて飛び込むと、拒絶されると思ってなくて呆然としていたサーシャを抱きかかえる。サーシャはその温もりに安堵してボロボロ涙をこぼすが、父イーサンは母娘を引き離そうと掴みかかってきた。
「メイサ離れろ! そいつは魔法師だ! 俺たちの子じゃない!」
「なに言ってるの? ちょ、止めてよ! サーシャが落ちちゃうじゃない! イーサン!」
イーサンの怖い表情とメイサの不安と困惑が伝わって、サーシャは声を上げて泣いた。
怖い。
怖い。
こんなの――サーシャのしってる“おとぉさん”じゃない!
そしてその瞬間、イーサンの全身がぼこぼこぼこッと膨張した。
「ぇ、」メイサが戸惑いの声を上げた直後、イーサンの体は内側から爆発するように爆ぜた。
「……ぇ?」
血や肉片が部屋中に飛び散り、それらはメイサとサーシャも汚した。
「な、なに……? イーサン? や、やめてよ……驚かせようとしてるんでしょ?」
暫く沈黙だった部屋を見回してメイサが叫ぶようにイーサンへ語りかける。きっとドッキリだ。そうでなければ。だって、こんな。
サーシャはメイサの腕の中でただじっと、父だった肉片を見つめる。
風の精霊たちが踊っていた。
サーシャは暖炉に火を熾したときと同じように、魔力が減ってるのを感じた。
“願い”は叶った?
精霊がそう問うたように聞こえた。
***
この世界に神様なんていない。
都合のいい奇跡は起こらない。
ゴーズはサーシャを連れて、メイサの部屋へ来ていた。
麻薬を麻酔代わりに、痛みを鈍くさせて眠っている彼女にはもう時間がない。これ以上は麻薬中毒を起こして廃人となって死ぬか、麻薬を使わず苦しんで死ぬかのどちらかしかない。
「メイサ……。ボクの愛するメイサ」
死なせたくない、絶対に。
――魔法に興味が湧いたゴーズがこの国に流れ着いたのは、昔グラバーズ国はミファンダムス帝国と同じくらい勇者を輩出したことのある大国だったから。
鎖国してる今、もしかしたら禁書の類いも残っているかもしれないと思ったのもある。
入国は――思ってたより簡単だった。国の出入り口は封鎖され、国境を囲うように敷かれた高い壁があってもゴーズには魔術がある。
時間をかけて転移術を展開し国へ不法入国を果たした。が、グラバーズ国の状況は想像以上に荒れていた。
どの街もほとんど息を潜めて隠れ住む人が多く、物乞いや窃盗が頻繁に見られた。大地は痩せほそり、植物が生えることもない乾いた大地が広がり、一方で逆に深い森林が生い茂った場所もあったが凶暴性の増した魔物が縄張りにしていた。
「ふむ、さすがに単独では無理があるか」
治安が悪すぎて、これでは研究やら禁書探しが出来ないと察し、またどこぞの傭兵団に依頼するかと一度グラバーズ国から出ようと転移術を使う――が、発動しない。
「……なるほど、結界ですかな」
容易に入国出来たときは鎖国の意味を疑ったが、なるほど出国出来ないように結界が細工されているわけだ。なんと悪意ある行為か。
どうしたものかと考えるより先に、ゴーズを取り囲む窃盗団らしきならず者たち。入国したばかりで金目の物を持っているからだろう。
彼らにさっさと手持ちの金も魔道具も全て引き渡し、条件として命乞いした。だが彼らは聞き耳を持たずゴーズをフルボッコにした後放置した。気が済むまで行われた暴力で満身創痍になり、このまま死ぬかもしれないとすら予感した。
「あの、大丈夫ですか?」
女神か、天使か。周囲を警戒しつつゴーズの側に駆け寄ってきた女性は、手持ちの布や薬草を用いて治療を始める。ゴーズの目には彼女から後光が差しているように見えた。
「サーシャ、回復薬持ってきてくれる?」
不意に彼女は振り返り、後ろから怯えながらもやってきたのはまだ4,5歳くらいの幼女だ。娘だろうか。
「お、かぁさん……」
「大丈夫、この人動けないから怖くないわよ? それに前にも話したでしょ? 悪い事をしたら、今度はいい事をしなくちゃ」
「…………ぅん」
サーシャはゴーズを警戒しながら薬を母親に手渡すと、すぐにまた後ろに隠れてしまった。
「旅の人、私達に出来ることはここまでです。動けるようになったらとりあえずここから離れて。窃盗団が貴方の死体を漁りに戻ってくるかもしれないから」
「かん、しゃ……します」
彼女は小さく微笑み、サーシャと手を繋いで去って行く。置いていってくれた回復薬を飲み、言われた通り重い体をひきずってその場を離れた。
その後ゴーズは活動拠点となる安全地帯を求め魔物の目を盗んで森に入り、そこにある水と木の実で食いつなぎ、やがて生活基盤が出来上がった頃には体も全快していたので――あの母娘を探した。
運良くすぐに再会を果たし、隠していた金をお礼だと渡した。いらないと最初は拒まれたが、無理やり押しつけるようにして渡した。
だがゴーズはこのまま終わりにしたくなくて、母娘のところへ何度も足繁く通った。
メイサとサーシャ。
ワケありだろうが、どうでも良かった。
とっくに、否、はじめて見たときから――すでに恋に落ちていたのだから。
「ゴーズおじちゃん、それはなに?」
メイサの部屋に着くなり床に置いたのは大きな革製の鞄だ。そして鞄を開けるといくつもの機械がむきだしのコードにたくさん繋がれ、中心の機械には何かのメーターがついている。
「これは魔道具だよ、サーシャ」
魔術は同時に使うことが出来ない。それを補助するために生まれたのが魔術紋陣と魔道具の歴史だ。
魔術紋陣はどんな魔術でも杖や地面などに術式を刻んでおけば、魔力をこめるだけで発動できる。ただし一度発動すればそれまで。一つの魔術紋陣の使用回数は一回までだ。同じ魔術を何回も使いたければ、そのぶん魔術紋陣を用意する必要がある。
対する魔道具は違う。
魔道具には必ず“核”となる魔石が用いられ、その魔石に直接“術式”を刻んでいるため、魔石の魔力が尽きるまで常時術式を展開してる状態となっており、引き金を引くことで何度でも発動出来る。
これが魔術紋陣と魔道具の違いだ。
「サーシャ、ボクは今からお母さんを助けるために魔術を使う。そしてサーシャ、君にも手伝って欲しい」
「さ、サーシャにできる、こと?」
不安そうに見上げてくる少女を宥めるように、ゴーズは小さな頭を撫でた。
「ボクの指示通りに精霊を動かすだけでいい」
「……サーシャは、」
「ん?」
「おかぁさん……たすけられる?」
「一緒に助けよう。そのために力を貸してくれるかい?」
愛の種類は違えど、サーシャとゴーズが一番愛する人はメイサだ。
一緒に最愛の人を助けるために。
少女が頷くとゴーズも覚悟を決めて魔道具を動かす。“式分析”は繊細さと集中しての作業が必要なのでゴーズ本人がやり、それ以外の魔術は魔道具に処理させる。
メイサの体を構成する式法則を直接改ざんするには、その体の支配権をゴーズに移す必要がある。当然禁術ではあるし、高度な術式でもある。しかしいつかこうなると分かっていたからこそ、今までの時間この術式を構成するのに使ってきた。
(メイサ……)
彼女がこの不可解な病気だと知り、この国に残る僅かな医者や薬草を試し、国から出る方法を探して隣国でも治療方法を探した。麻薬も、教会も――メイサを助けるために必要なら手段を選ばなかった。
――まさかサーシャが教会に狙われるようになるとは思いもしなかったけれど。
それでも止められなかった。
メイサを助ける。サーシャも守る。
ゴーズは自身が欲深いことを自覚している。自覚しているからこそ、欲望に忠実だ。
目的のためなら、欲を満たすためなら――――ゴーズはけして諦めない。
メイサの周囲に“窓”が展開し、それがゴーズの方へ移動する。これが彼女を構成する“式”だ。人体における必要不可欠な式法則は理解している。余計な式……つまり病の原因を取り除けば。
「サーシャ、この式を精霊に壊してもらうことは出来るかい?」
「……うん」
サーシャはなんとなく精霊にはそれが出来ることを理解している。
でも、――――それは“悪い事”だ。
サーシャの瞳にはゴーズの周囲を踊るように飛び回る精霊たちが見える。精霊は感じ取っているのだろう、理から外れようとしている危険性を。
思い出すのは、父が死んだあの日。魔法師だと知り恐怖し、サーシャを否定したあのとき。
精霊たちは父の死を、サーシャが願ったからだと言った。
だけどそれはサーシャの“願い”じゃない。精霊が言ったのは、問うた相手は――――サーシャの魔法師としての意志だ。
「おじちゃん、ゴーズのおじちゃん」
呼ばれて振り返ったゴーズは思わず目を見開く。
サーシャの翠の瞳が、金色に染まっていたからだ。
「!?」
ゴーズは形容しがたい恐怖を感じ、咄嗟に後退る。そして――その首元に強い風を感じた。
喉仏辺りの首筋に、横一閃に薄く切り傷ができ、細く血が流れた。
「さ、サーシャ……?」
「サーシャね、おかぁさんとおじちゃんといっしょなの、大好き。しんじゃったおとぉさんも、大好き。でも……でもね、だめなんだよ? 決まってることなの。おじちゃんのしてることは……しちゃいけないことなんだよ」
「何を言って、」
更に後退ったゴーズは、サーシャの無感情な瞳とは反対に唇が震えていることに気づき息を飲む。
「悪い子で――ごめんなさい」
狭い部屋の中に嵐のような風が吹き荒れる。ゴーズは咄嗟にメイサに覆い被さり、風によって舞い上がった家具や魔道具から彼女を守ろうとする。
しかしサーシャの周囲に薄い風の刃が幾多も見えた。
「どうして……どうしてなんだ、サーシャ……?」
「―――ゴーズ、さ……」
「! メイサ!?」
薄く目を開け息苦しそうに声を発する彼女は、小さく言った。
「ぁ、の子を――たす、け……て………――」
「メイサ……? メイサ!」
再び意識を失ったように眠ってしまったメイサは、もう口を開かない。
思えばサーシャはよく、自身を「悪い子」だと言っていた。悪い子なわけないのに。可愛くて優しくて、思いやりのある母親が大好きなイイ子なのに。
「っ、」
飛んでいた椅子の角が頭にぶつかり、一瞬意識が飛ぶ。それが合図だったように風切り音が聞こえた。
中途半端ですがここで区切ります!
次話はちょこっと戦闘あり。




