1-3
***
ガ―ウェイは自室の窓枠に寄りかかり、目を閉じていた。
――先ほど【映鳥】からルシュの報告が届いた。
彼にはラヴィと共に帝国へ潜り込ませていた。戦争は始まっており、帝国側は人工勇者で魔王軍と対抗。しかし魔王軍の圧倒的な数と力に押されている、と。
それから教会に目立った動きがない、とも。
「枢機卿員どもは別の事に夢中みてェだな」
不意に発した棘のある言葉に、唐突に部屋へ現れたカメラ・オウガンは口角を上げた。
「当然だね。だって戦争は帝国がどうにかしてくれるみたいだし」
「……戦争が起きるよう仕向けてるくせに無責任なこった」
「魔の者が生まれるのは人間のせいだよ。つまり、本来は魔の者に殺されても自業自得でしかない」
「そんで? 魔王と勇者を作り出して、魔王に魔の者を統率させて、勇者に討伐させて――『勇者計画』ってのは人類を守るためにやってんのか?」
鼻で笑うガ―ウェイの物言いは完全に馬鹿にしてるが、カメラは真顔で「そうだよ」と返した。
「…………やけに素直だな」
不気味なほどに。
だがカメラの黒い瞳に嘘は感じられない。
「――テメェはなんでティフィア・ロジストの前に現れた。企んでることは分かる。だが、」
「どうしてマレディオーヌと、いや……教会の意に反することをしてるかって?」
例え勇者派と女神派が対立してたところで、同じ女神教のそれも幹部だ。目的が反することなどあり得ない。
ルシュからの報告でも女神教全体は戦争を静観してる。ガロが動いてるらしいが、それはパワーバランスの調整だとガ―ウェイは考えている。
勇者のいない戦争で人類が負けないために、魔王を抑制できるガロを配置した。
あとは人工勇者の魔術があれば、帝国は無事というわけにはいかずとも魔王か魔王軍を結界に閉じ込めるくらいクローツならやってのけるはず。
しかしカメラはそこにティフィアが参戦することを黙認した。むしろ賛同すらしているように感じる。
彼女が参戦したところで戦争がどうにかなるとは思わないが、カメラはどこか“何かが変わる”ことを確信しているようだ。
なによりマレディオーヌの目的であろうサーシャのことも保護すると言ってる。
――罠にはめるつもりでもねェだろうな。だとしたら効率が悪すぎる。
マレディオーヌの戦力は以前垣間見た。真っ正面で戦ったら勝率はゼロ。不意を突いたところで彼女に傷一つつけられるかどうか。
「自分はね、」不意にカメラは言う。
「自分は――ティフィア様の望むことをしてあげたいんだ」
「……は?」
「ふふ、理解できないだろうね。きっと誰も、誰もが……彼女を信じられない」
誰も、と言ったときに何故か憂いの表情が見えた。
すぐにそれは隠れ、優越感に浸ったような笑みを浮かべる。
「自分だけが彼女を信じられる。ティフィア様のことを自分だけは。ティフィア様なら――きっと全てを変えてくれる」
フィアナのクローン体であるティフィア。
彼女は旅でも何かを成し遂げたわけでもない。
泣き虫で、弱く脆いはずの存在。
カメラはそんなティフィアを信じられるという。そして――そもそもクローン技術を皇帝に提供したのは女神教だ。
多くのクローン体の中でティフィアだけが魂を獲得した理由を、何か知ってるのかもしれない。
――まぁ、だとしても。
「その敬愛するティフィア様は帝国で戦争に参加だ。……そんで? テメェが俺の前に現れたってことは、マレディオーヌが動いたって言いたかったんじゃねーのかぁ?」
「察しがいいね。正解だよ、ラージがわざわざ投降して時間を稼いでくれたのもここまでだ」
「あぁ、良かったぜ。ただの雑談しに来たとか言われたらテメェのこと縊り殺してるところだった」
ベッドに放っていた杖を手に取り、肩に背負う。
その姿はまるでちんぴらだが、その実力を知ってるカメラは苦笑する。
「言っとくけど、」
「――皆まで言う必要は無ぇ。ボス戦の前には雑魚狩りってのは一般常識だ。……ようやく体が動かせる」
凶悪な笑みだ。彼の方がよっぽど悪人面だろう。
ガ―ウェイの言う通りマレディオーヌがまず動かしたのは神父だ。確かに彼からすれば雑魚だろうが。
「……それも正解。ゴーズを呼ばなくていいのかい?」
「足手まといだ。テメェもここに残って大人しくしてろ。なんかしたら殺す」
「はいはい」
カメラはここで事を起こすことはしない、とはラージが言っていたことだ。
投降する前、ラージはガ―ウェイにいくつかカメラの情報を提供していた。
――「カメラ枢機卿は立場のわりに女神教の中では権力をほとんど持っていないみたいだ。それに“勇者派”という派閥自体も最近つくったみたいで、支持者は多いが主立った動きは今回が初めてのようだ」
――「彼女の目的は未だ不明だが、その言動からティフィアに何かして欲しいというよりはアルニを扇動してるように感じる。ただ、短期間で感じた俺の主観だ、見当違いもあり得る」
――「ただティフィアに協力的であることは間違いない。ならば彼女が守ろうとしているサーシャや、その周辺に危害を加えることはしない。これは断言しても良い。カメラ枢機卿は“勇者派”の筆頭だ、教会の中でも権力が弱い彼女がわざわざつくったことが証明にもなる」
教会の情報なんぞどこで手に入れたのか。ルシュですら出来なかったそれを、ゴーズの家に滞在してる数日――それも麻薬の中和剤を開発しながらやってのけるラージは、やはりメビウスが欲しがっただけのことはある。
そもそもラージにとって敵しかいなかったウェイバード国で、ランファが残した反乱軍と薬草協会を管理しながら女神教と王女に引けを取らなかった。
そして世界中に展開してる薬草協会の支部があるとはいえ、信じられる者がいないという環境下でどうやって情報源やツテを手に入れたのか。
――やはりランファの息子だ、普通じゃねぇな。
そんなことを考えながら部屋から出て、家の玄関扉に手を伸ばしたところで声をかけられる。
「おや、これはこれは団長! やけにご機嫌ですが、戦いにいかれるんです?」
「おー、これはこれは変態。お顔に“団長はやっぱり脳筋ですねー”って書いてあるぞ、殺す」
後ろからひょこりと現れたゴーズの首へ腕を回す。
「ぐえっ。――ちょ、団長……首締まって、」
「締めてんだよ、苦しくて当然だろうが」
「な、仲間に対する……仕打ち、ではない、ですよね……?」
「テメェは仲間も簡単に裏切るからなぁ」
「あ、はは……過去のことを引きずるのは、良くないですぞ」
「ゴーズ、俺はカメラよりテメェを危険視してんだよ。分かんだろぉ? テメェは自分の欲望に従順だからなぁ」
「それは団長に言われたくな――ぐぇっ」
最後に思い切り首を絞めてから床に放ると、首をさすりながらも見上げてくるゴーズ。わりと本気で締めたのだが、その瞳に恐怖心は一切滲んでいない。殺されることはないと分かっているからだ。
だからガ―ウェイは口角を上げた。
「――分かってればいい」
「……」
結局ガ―ウェイも同じなのだ。ゴーズが最愛の人のために裏切ろうとしたように、ガ―ウェイにも目的があってティフィアに手を貸している。いや、目的というより打算だろうか。
ガ―ウェイも状況が変わればどう動くか分からない。サーシャを引き渡すことはしなくとも、守ることを放棄する可能性もある。
なにせガ―ウェイはゴーズの頼みを断っている。
「さぁて、楽しい愉しい雑魚狩り行ってくるぜぇ~。ついでに野暮用も片付けてくる」
「このタイミングで野暮用とは……いやはや、団長殿は余裕そうで羨ましい限りですな」
「すぐにマレディオーヌ自身が来るとは思えねぇからな。ヤバかったらカメラが呼びに来るだろ」
じゃ行ってくる、と出て行ったガ―ウェイを見送ったゴーズは、そこでやれやれと一息吐いた。
「やはり団長殿は単細胞だ」
実力があるからこそ、裏切られたところでどうにか出来る自信がある。それでも警告をするところ、慢心してるわけではない。
特に――アルニが関わってるからこそ。
「ゴーズのおじちゃん……?」
愛する人の愛娘が後ろから声をかけてくる。振り返ればどこか困惑しているようだ。
何かを感じ取ったのかもしれない。
「サーシャ。可愛いサーシャ……、どうかボクの頼みを聞いてくれるかい?」
薬で眠らせ続けるしかない、ずっと苦しみに耐えるメイサのために。
彼女を助けるためなら手段は選ばない。
「メイサを――君のお母さんを助けるために、協力して欲しいんだ」
魔法と魔術。
その関連性が分かれば――或いは魔法の秘密を読み解くことができれば―――。
メイサを苦痛の海から解放してあげられるのだから。
***
ゴーズの家を囲む深い森には濃い霧がたちこめられている。
これはゴーズが作り出した魔道具による結界の一種だ。森は天然だが、そこに暗く深い霧が方向感覚を失わせる――迷いの森。
そこに足を踏み入れた者たちがいた。
女神教のいち神父が率いる神官たち。彼ら全員武器ではなく分厚い本を携えていた。
聖書の写本だ。
神父のロベルトは森を見渡し、それから静かに涙を落とす。
「この先にいる暴虐の使徒との戦いは苛烈なものになるだろう。……しかし屈することは許されない。“魔の者”に魅入られた者を導くのは我々の使命である」
「神父ロベルト、我々は恐れてなどいません。女神様の御元へ彼らの魂を誘うことが出来るのですから」
「その通りです。我々が恐れるべきは“魔の者”であり、使命を全う出来る我々はいずれ“桃源郷”へと近づけるのですから」
「お前達……。――その通りだ、私達には女神様がついている! 進もう、彼らの魂に救済を! 女神レハシレイテス様の御心のままに!」
「女神様の御心のままに!」
ロベルトは涙を拭い、全員へ聖書を開くよう指示する―――が。
ひゅん、と風を切る軽い音と共にロベルトは額に衝撃を受ける。何が起きたのか分からぬまま地面へと倒れると、神官たちが彼を守るように囲み、周囲を警戒する。
「大丈夫ですか、神父!」
「も、問題ない……。しかし、一体」
「――薄ら寒ぃこと真剣に話してるからよぉ……思わず手が出ちまったじゃねぇか」
深い霧を掻い潜るように現れたのは50歳くらいの男だ。
ロベルトたちを小馬鹿にしたような口調と見下してくる灰色の瞳、にちゃりと黄ばんだ歯を剥き出しにし口角を上げる様は完璧なほどの悪人面だ。
その男がガ―ウェイ・セレットだと、ロベルトは一瞬分からなかった。
「んだよ、来ねぇなら潰すぞ」
笑みを消し、威圧感が増したガ―ウェイに我に返る。「総員、術式展開――ッ!」
一斉に開かれた聖書と満ちあふれる魔力。ガ―ウェイが動く前にとロベルトは聖書を彼に向け掲げる。
「“彼の者の罪業に―――”」
「テメェらに問われる罪なんか持ってねぇよ」
「かはッ!?」
一瞬のことだった。突然ガ―ウェイが目の前に現れたと思いきやみぞおちに衝撃を受け、うずくまるように地面へ跪く。
ロベルトが動けなくなったことを確認してから、ガ―ウェイは周囲を取り囲む神官たちを見回す。彼らはロベルトの状態など一切気にかけることなく術式を展開した。
「「“彼の者の罪業に厳罰を下す”」」
足元と頭上に幾重ものの魔術紋陣が描かれる。魔力量、魔術紋陣の文字に見慣れたものが混じっている。
足元のは対象の動きを一時的に鈍らせる魔術。
頭上のは雷の雨を降らせる魔術。
それを一瞬で理解したガ―ウェイは魔力を杖に集中させながら下段に構える。
大きく息を吸い、細く長い息を吐く。
「“一閃凪”――」
「「“神の雷をもって罪禍を絶やせ、豪雷ッ!!”」」
ガ―ウェイの頭上にある魔術紋陣が輝き、そこからいくつもの雷が迸る。それらは一斉に振り落とされ、ガ―ウェイを射貫かんと襲いかかる、が。
「“壊”」
パンッ、と弾く音がした。それも連続だ。
近くで見ていたロベルトはその音の正体に気付き青ざめ、咄嗟に神官たちへ逃げるよう指示する前に、すでに事は終わっていた。
神官の手に持っていた聖書の写本が全て真ん中から真っ二つに斬り落とされていたからだ。同時に魔術紋陣も霧散し、傷一つないガ―ウェイは「よっこらせ」とロベルトの足元へ腰を下ろした。
「っ!? な、」
「聖書ねぇ……? これってあれだろ、魔道具だろ」ロベルトの聖書を手に問うも、彼は恐怖に怯え、無様に体を引きずって逃げようとする。
しかしその首に腕を回し、無理やり体の向きを変える。目の前には聖書を失い、何かから目を覚ましたばかりの神官たちが、戸惑うように周囲を見回していた。
「無関係な人間を巻き込むたぁ、いい根性してんな。俺の勘だと、あいつら本当はただの信徒だな。神官じゃぁねぇはずだ」
ロベルトは口を噤む。内心では気が気ではない。――図星だからだ。
神父や上級神官には聖書が配られる。それは配属された教会の管理や部下の管理のために使われる、魔道具の一つ。
聖書の写本は『写本された聖書』と繋がっている。それを利用して写本を配った信徒に“認識阻害の術”をかけた。彼らの目に映る全てを認識出来ないようにしたのだ。
目に映るそれらが偽りで信用出来なくなった彼らに、教会の中でのみ術を解いた。彼らは教会こそが聖域だと錯覚し、更に盲信的になった。
盲信的。いや違う、敬虔だ。
女神様への信仰に献身し、彼らのために神官の服を与えてチャンスを与えた。
彼らのような愚かで弱き人間が――“楽園”へ行けるように。
「そんでもってこれは知ってるか? 聖書と教会も同じように魔術的に繋がってんだよ。……なぁ、神父よぉ? テメェもそこにいる信徒と同じように術がかけられている、と思ったことはねぇのか?」
「は? 何を馬鹿なことを、」教会は建物だ。建物が意志をもって人間に魔術を使うなんてあり得ない。
一片も疑心を持たないロベルトに溜め息を吐くと、その手にある聖書を奪って力任せに破り捨てる。ロベルトは瞠目し憤怒な表情をガ―ウェイに向け――動きを止めた。
「セレット、殿?」思わず口にした言葉に、ロベルトは戸惑うように口元を手で抑え、神官と同じように周囲を見回す。霧の濃い森。ロベルトはガ―ウェイへ視線を戻し、どういうことかと問う。
彼から離れて立ち上がるとガ―ウェイは逡巡し、「逆にテメェはどこまで覚えてる。――お前の本当の肩書きはなんだ」と問い返した。
「わ、私はミファンダムス帝国の事務官ロベルト・バレルトです。セレット殿と交流はありませんでしたが、一度だけ貴殿の仕事を拝見したことがあって――」
ロベルトは元々帝国ではしがない文官だった。ただ実家のバレルト家の本家であるカシアミド公爵家当主はフィアナ王女の後見人で、公爵夫人は彼女の乳母だった。
その影響で分家筋のバレルト家も爵位を上げ、宮廷務めの役職に就くことを強いられた。
当初は事務官の仕事が非常に多いこと、なにより軍部から送られる書類の粗が多すぎることで、文官の仕事を辞めたいとすら思っていた。
そんな頃だ、帝都の結界に異常が起きて魔物の軍勢が攻め込んできた。3徹した体に鞭打って久しぶりに実家に帰ろうと城下街にきていたロベルトは不運にも魔物たちと出会した。
「――他の騎士たちも洗練されていましたが、セレット殿の強さには……魅惚れました」
街中だというのに建物一つ傷つけることなく、なのに豪快に魔物だけを屠っていく。
ガロ・トラクタルアースは素早く相手を翻弄しつつ嬲り殺す、だとすればガ―ウェイ・セレットの剣技は一撃一撃が必殺なのだ。
目を輝かせて当時を振り返るロベルトにドン引きしながら、ガ―ウェイも薄らと記憶の扉を開く。
確かにそんなことあったか。――まだ騎士団長なんて面倒な役職をカミス陛下に押しつけられた頃だ。
それ以前の仕事で帝国文化財の遺跡を壊したことをめちゃくちゃ怒られたので加減を頑張ったのに、結局他の文官から魔物の大量の血のせいで伝染病が蔓延したらどうすると怒られ、街の清掃を騎士団でさせられたっけか。
「セレット殿の存在が帝国でどれほど大きいものだったか、よく実感したんです!……なのに突然『武神』の称号がガロ・トラクタルアースに引き継がれて、貴殿も騎士団長を辞め――」
「あー! 待て待て、俺の話はもう良い! よく分かった!」
「! 分かっていただけましたか、私がどれほど貴殿に憧れて、貴殿を尊敬し、貴殿のことを調べ上げたか!?」
「し、調べ……?」
「さすがに機密情報が多かったですし調べる権限もなかったので一般的なことしか知り得ませんでしたが、ご家族の構成や住所、セレット家の歴史、セレット殿――いえ、ガ―ウェイ様が帝都に来るまでの過去なら存じております!」
あれ、ストーカー? 事務官という権限をふんだんに使って情報収集してた?
(そ、そういえばあの頃、ルシュが微妙な顔で俺を見てた時期があったな。気付かねぇ俺に呆れてた顔だったのか!?)
尾行されていたならともかく城にある情報をかき集められていたなら、ガ―ウェイが知る由もない。それに悪意もなく機密情報にふれようとするわけでもなかったなら、ルシュがわざわざ報告するまでもないと判断したのだろう。
「最初に悪人面を見たときに違和感はありましたが、やはり貴殿はあのガ―ウェイ・セレットだ! 先ほど見たセレット流の剣技…………はぁ、美しかったなぁ……。ちょっと斬られてみたかったなぁ……あ、あの、もう一度剣技を――」
「さーて、そろそろあの困り果ててる信徒たちを家に帰してやるかー」
ロベルトが何やら気持ち悪いことを言い出したので、当然無視した。




