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泡沫に消えろ 後編⑯


***


 風が頬を撫でる。

 閉じた瞼の裏にでも分かる眩しくて暖かな陽光。


 ――ごめん、ラヴィ。


 風に乗って囁かれた言葉。

 寂しくて悲しげなその声。




 その日、ラヴィは目を覚ました。




「……」長き眠りから覚めたばかりの彼は、自分が横になってるベッドのすぐ隣にある窓へ顔を向ける。

 カーテンが開かれ、窓も全開だった。

 群青色の空をしばし眺め、ぼんやりとする意識が徐々に晴れていくのを感じる。


「そ、だ……リウに、」

 伝えないと。


 バレンディキンの街で起きた出来事。助けてくれた魔族のこと。

 嫌な感じがする。自分たちが知らぬところで何かが動いてる、と。

 だが体は意志と反して動いてくれない。それでも動かぬ体と格闘していると、誰かに呼ばれた気がして再び窓の外へ視線を戻す。

 そこにはいつの間にか人影が立っていた。


「ニ、ア……?」

「あら、ちょうど起きたのね。残念、たたき起こしてやろうと思ってたのに」

 ずいぶんと物騒なことをされそうだったようだ。ラヴィは改めて陽光を背に立つその人を、目を凝らして見る。


 声も言葉遣いもそうだが、どうして見間違えたのかと思うくらい別人だった。


 ウェーブがかった長い金髪と垂れ目、明らかに女性なのに何故か男物の軍服を着ており、彼女は窮屈そうな胸を窓枠に乗せ、のぞき込むようにラヴィを見下ろしていた。


「だれ~……?」

 以前ここでラヴィたちを奇襲した帝国騎士かと一瞬緊張したが、彼女はどう見ても女性だし、殺す目的なら目を覚ます前にその剣でひと突きだったはず。

「そうねぇ、今すぐこの国にいるやつら皆殺しにしたいと思ってる通りすがりの魔女よ」

「え、」更に物騒な発言をする自称“魔女”に疑心の眼差しを向けると、彼女は唐突に愉快だと言わんばかり笑い始めた。


「あはははっ! ねぇねぇ貴方、馬鹿正直って言われたことなぁい? ふふっ、リウルちゃんが選んだ友達“らしい”と言えばそうかもしれないわねぇ」

 リウルちゃん、その言葉にラヴィは驚く。この人はリウを知っていて、もしかすると親しい人なのか、と。


「きみは……誰なの~?」

「私はニマルカ。リウルちゃんの幼馴染みよ。本当はリウルちゃんを助けに来たんだけど――遅かったみたいね」

「! そうだ、リウは~!? おいら帝国の騎士に襲われて……リウが危ないかもしれないさぁ~!」

「…………。教えてあげる前に、まずは貴方自身の身を案じた方がいいわよ?」

 ニマルカは胸ポケットからはみ出ていた体力回復薬(ポーション)の薬瓶をラヴィの口にねじ込んできた。それを噎せながらなんとか飲み干すと、まだ重い体をなんとか起こし、ニマルカの向こう側にある外の景色を見やる。


 息を飲んだ。


 小屋の周囲には10人ほどの傭兵たちが、呻き声を上げて倒れている。


「雇ったのは皇帝陛下よ。失敗したと分かれば、また刺客を送ってくるでしょうねぇ」

「な、なんで……おいら、そんな嫌われることした……? 国に迷惑かけることしたさぁ……?」

 目の前がチカチカする。バレンディキンの街で石を投げられ、暴行され、殺されそうになったことが脳裏に浮かぶ。


 森の中でひっそり生きてきた。静かに。リウルとニアと出会って、友達になってからもその生活を変えなかった。非公式でも友達と一緒に遊んで、戦って、美味しい物を食べる、ただそれすら――許されないってこと?


 フラッシュバックに呼吸の仕方さえ忘れ、胸が苦しくて冷や汗が溢れそうになったところで、パチンッ! と。身を乗り出したニマルカが目の前で両手を叩いた音で、我に返った。


「――ぁ」

「意外とネガティブなのねぇ? そこまでいくと自意識過剰よ。確かに、貴方の行動を不都合に感じてる者たちはいたわ。だけど考えてみなさいよ。勇者と一緒に魔の者を倒していた貴方を、不都合に感じる人間こそ――おかしいと思わなぁい?」


 言われて気付く。

 昔のことなら、そうだろう。バレンディキンに住む人々はラヴィのことを知っていたから、それこそ疑うのも分かる。


 なら――ここに転がってる傭兵たちは?

 ラヴィたちを奇襲してきた帝国騎士は?


「もう立てるわよね。さっさと身支度してちょうだい。――行くわよー」

「行くってどこに……? あ、ちょっと待って欲しいさぁ~!」

 ベッドから飛び出し、壁に立て掛けてあった弓を掴む。そのとき、サイドテーブルの上にメモ書きがあるのが見えた。

「これ、ニアからだ~」


彼女らしい綺麗な字で“待ってます。”とその一文だけ書かれていた。起きることをなのか、或いは起きたら待ってるという意味なのか。


 逡巡し、ラヴィはメモ書きをポケットに突っ込む。

「遅い」

「ごめんよ~」

 玄関を出ると、彼女は周囲を警戒しつつラヴィの手首を掴む。

「ちょっと急ぐわよ。舌を噛みたくなかったら口閉じてなさい」

 刹那、背中を突風が押した。

「ひっ」視界が一気に森の中へ。生い茂る木々をスレスレの距離と速度で、蛇行しながら通り抜ける。微妙に地に足が着いていない。ものすごい風がニマルカとラヴィを押し出していた。


「ひぃぃぃっ!」

「もう少ししたら協力者のところに着くわ。そしたら説明してあげる。貴方が暢気に寝てる間に起きたこと、リウルちゃんのこと……全部」

「あ、あのぉ……っ、ニアは、大丈夫、なの~?」

 風圧で顔が歪みながら、出しにくい声をあげる。

 そこでふと気付く。ニマルカの顔はラヴィみたいに歪んでないということに。

「大丈夫よ、元王族という肩書きは他国であっても通用するもの。――それよりもこっち向いてしゃべらないでくれるかしら。変な顔で笑わせるつもり?」

「むむぅっ」

「ぷぶっ! ちょ、ホントに止めてちょうだい!? 魔力制御が―――、あ」


 思わず「あ」と漏らしたときにはすでにラヴィの顔面は思い切り木の幹に叩きつけられた後だった。

 ニマルカは一度魔力を引っ込めて魔法を中断し、ラヴィの顔に魔法で作った氷を直接押し当てる。

「自業自得だけど……大丈夫ぅ?」

「ありがとぉ~………………も、もう大丈夫だよ~、これ以上は……痛いっ痛い~!! 火傷するさぁ~!?」

「なんでよ、氷で冷やしてるじゃなぁい」


 最初は冷たくて気持ち良かったが、ずっと押し当てられればそれを通り越して痛みに変わってくる。新手の拷問かとラヴィは本気で疑った。

 しかし、ニマルカは首を傾げつつ氷を消した。

「おかしいわね、応急処置の本には傷を冷やすと良いって書いてあったのに」

「限度があるよ~!」


「そうなの? まぁ適当に読んだだけだし、元々うろ覚えだったから合ってるかも分からないけど」

 なんといういい加減な処置だろうか。自業自得だから強く突っ込めないが、今後彼女の前で怪我をしても自分自身でやった方がいいだろう。


「……ねぇ、一つだけ聞かせて~?」

「なによ」

「リウは……勇者は―――もしかして」

 目覚めたときから予感はあった。なんとなく、もう彼には会えない気がして。

 それを否定して欲しかった。なんなら、今からリウルに会うのだと言って欲しかった。


「いないわよ。どこにも。もう――二度と、」


 その先を彼女の口が紡ぐことはなかった。閉ざした唇が戦慄くのが見えて、ラヴィは溢れてくる涙をこらえるように俯く。

「それより急ぐわよ」

 手首を掴まれる。

 心の準備が出来る前に、再び二人の体を突風が押し出す。


 2人はただ前だけ向いた。きっとお互いの顔がとてつもなく酷いことを分かっているから。

 きっとニマルカは同じだ、とラヴィは察した。

 リウルの側に最後までいられなかったことを悔やんでるんだと。

 最後まで一緒に戦うことも、想いを伝えることも出来なかった。


 ――ねぇ、リウ。君は……どんな気持ちで死んだの。

 おいらは寂しいよ。

 悲しいよ。

 最後に一度だけでいいから、君とニアと3人でもう一度会いたかったなぁ。




 そうしてラヴィ・ソレスタは帝国から姿を消した。




***



 勇者リウル・クォーツレイが亡くなって数年後。


 クローツ・ロジストは花束を抱えて、リウルが死んでいた平地に来ていた。

 以前は戦闘痕や魔物の血によって荒れていた大地は、時間を経てうっすらと緑の絨毯を敷いていた。

 彼は魔の者すら立ち寄らないそこへ花束を置き、黙祷する。


 クローツ自身、自覚している。

 リウルの死因を隠蔽したこと、諸国を騙していることへの罪の大きさを。

 例えこれしか方法がなかったとしても、それでも勇者の名を利用し、リウル本人を蔑ろにしたことは変わらない。


(もし、計画が上手くいったら)

 リウルが殺さなかった魔王。それを倒すために計画された『人工勇者計画』。

 成功したならば、全てを公表し罪を償うつもりだ。


「――リウル様、どうして貴方は……」

 魔王を倒さなかったのか。

 帝国内で起きたいくつか不自然な形跡、或いは戦闘痕が――誰も知らない何かがあったことを証明していた。それは関係しているのか。


「どうして……っ」

 フィアナ様もリウル様も、大事な事は何も言わずに死んでいった。

 何かを知っていたかもしれないラヴィ・ソレスタは行方不明。


『勇者の証』―――これが全て繋がってるはずなのに。


 死者は蘇らない。死者に語る(すべ)はない。

 勇者であろうとそれは同じなのだから。

「…………」

 ここにいても仕方ないと踵を返す。


 そのときだった。



「――知ってるかい、クローツ。ぽっかりと穴が空いたモノってね、角度を変えると見えてくるんだよ。穴だと思ってるモノは穴じゃなくて見逃してただけっていう――錯覚だよ」


 息を飲む。

 その声を、忘れてなどいない。

 しかしあり得ないことだと思考の矛盾に自問自答する。


「 “節穴”とは違う。誰かに意図された時点で、それは作為的な『錯覚』だ。ねぇクローツ、君は疑っているんだろう? 国を。人間を。魔術を。本当は見えない何かがあることを、疑っている」


 誰だ。貴様は誰だ。

 知ってる声だが、これほど饒舌な人物ではない。知ってる声なのに、別人だ。

 そう結論づけるのに振り返ることが怖い。

 見てしまえば。

 はっきりとその存在を捉えてしまったら――取り返しがつかないことが起きる気がして。


「君は魔術師だ。きっとこの世界で誰よりもこの世界に詳しい。――この世界は虫食いだらけだ。本当はたくさんの疑問に満ちているのに、誰も気付かない。見て見ぬふりをする。君は気付いているのに錯覚を破る手段を持っていない。人間だから、魔術師だから」


 手にかけた剣柄を握る。汗がひどい。

 ゆっくりと振り返る。

 悪夢か、或いは趣味の悪い魔族か。

 なんであれ“敵”の可能性があるなら、確認しないわけにはいかない。


「おれはね、そういう君だから――穴だらけのこの世界を正しく見れるんじゃないかって思ってるんだ」

 

 振り返りざまに剣を抜く。

 衝撃で揺れた鈴がちりんと鳴り、剣先が向けられたはずの人物は驚きもせず立ったまま。


「――何者ですか、貴方は」

 この世の全てを見下しているかのような群青色の瞳、少し長めの緑がかった紺色の髪、嘲るような笑みを浮かべた男。

 リウル・クォーツレイ。

 記憶の中にある青年と同じ姿、同じ声。


 だが明らかに違う。

 彼はこんな笑い方をしない。こんなに饒舌でもない。

 そして何よりも――目の前の男からは、一切気配がしない。

 男はくつくつと嗤う。


「そうだね、確かに自己紹介は必要だった。でも困ったことにおれには名前が無くてねぇ」

「ふざけないでもらいたいのですが」

「ふざけてるわけじゃ――まぁいっか。おれはね“亡霊”だよ。『勇者の亡霊』……と、ぉ?」

 彼の眼前にあったはずの剣先が、“亡霊”の右耳を貫く。

 男からすれば目にも留まらぬ速さだったはず。避けることはおろか、身動きも出来ていない。


 しかし。

「――なっ!?」愕然とする。


 耳から血が出ていないどころか、貫いた感触もない。更に――男が少し首を傾げたら剣はそのまま留まり、耳を裂くこともなかった。

 彼を見れば無傷だ。


「霊体なんだから君の攻撃が通用するわけないよ」

「霊……本当に、」

「確信を得るためなら何度やってもいいよ? 好きな場所を斬って突いて刻めばいいんじゃないかな?」

「………………」


 クローツは鞘に剣を納める。男――否、亡霊はいいの? と問うが元々気配も感じられない相手だ。全てを信じるわけではないが、亡霊の方に敵対心はない。今は、それでいい。


「何が目的ですか」

「いきなり本題だね。いいよ、おれとしても都合良いから。実はね、魔石が欲しいんだ」

「魔石?」

「君の立場なら魔石を多く横流し出来るでしょう? この際純度は気にしないから、それが欲しい」

 その代わり、と亡霊は続ける。

「君が見たくて知りたくてたまらない『不可視な存在』の正体を教えてあげる」

「!」


 つまり『勇者の証』の謎が分かるということだ。

 だが本当にそれでいいのか。

 全ての謎と繋がっているはずの『勇者の証』。知ることが出来れば、フィアナが遺した“『証』の呪縛を解く方法”という意味も分かるかもしれない。


 しかし亡霊の言うことが本当かも分からない。いや、それなら魔石を渡さなければいいだけか。

 だが、本当に? 本当にいいのだろうか。


(まるで悪魔との契約みたいだ)


 亡霊の情報が少ない。なのに向こうにはクローツが望むモノが分かっている。なんのために現れ、何をしようとしているかも分からないのに、こんな取引をしていいのか。

 逡巡し、答える。

「……いいでしょう。交渉成立です」


 クローツはなんとしても『人工勇者計画』を成功させる必要がある。そのためには、もしかすると必要な情報がそこにあるかもしれない。

 それならば。

 そのためならば。

 どんな犠牲を払ってでも人類を守る方を選ぶ。


「良かった、クローツならそう言ってくれると思ったよ。安心すると良い、おれは『勇者の亡霊』だからね――ちゃあんと世界を救ってあげるよ(・・・・・・・・・・)

「……そのために魔石が必要、だと?」

「くつくつ。そうだよ? 魔術も魔法も魔道具も、何かをするには魔力が必要でしょ? それと同じさ」

 まだ不審感はあるものの、クローツは今度こそ踵を返す。


「幽霊ならさっきみたいに姿を隠せますよね。誰かにその姿を見られるとややこしくなるので、きちんと隠れていてください。研究室に着いたら呼びます」

「分かった。そのときに教えてあげるよ、君が求める答えを」

「……」

 それ以降口を開けなくなったクローツの後ろを追いながら、亡霊は笑みを深くする。



 ――リウル・クォーツレイは魔族をつくるのに失敗した。



 それなのに亡霊はリウルの姿をし、更には歴代勇者の記憶を持って精霊(・・)として生まれた。

「世界を救ってあげるよ。――おれなりの方法で」

 これは復讐だ。

 歴代勇者たちの憎悪であり怨恨であり憤怒であり悲嘆なのだ。


 ――救われた世界が幸せだとは限らない。

 魔族ではなく精霊として生まれて良かった、と心底思う。


「くつくつくつ」

 勇者の亡霊は嗤う。


 群青色の瞳の奥深く、どろどろとした黒い何かが蠢いていた。


「泡沫に消えろ」これにて終わりです。

次回の更新から4章後編に入ります。


どうしてリウルは魔族つくるのに失敗したのかとか、『勇者の証』の謎とかが明らかになります。


乞うご期待!

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